第一話 英雄と新人冒険者
山田蓮司は普通の社会人だった。
子供の頃の夢はプロ野球選手。
高校の成績は四百人ほどの生徒数がある学校で、百番前後を行ったり来たり。
趣味は読書。高校を卒業した後は、それにドライブが加わった。
人付き合いも苦手という訳ではない。
自分の個性をあまり出さず、周囲に合わせるのが人付き合いのコツだと思っている。
リーダータイプではない。どちらかというとモブ3。もしくは村人C。
年齢は今年で二十八。召喚された当初は二十五だった。
異世界に来て最初に感じた事は、一緒に召喚された少年少女たちのような高揚ではなく、仕事どうしよう。生活どうしよう。といった実に現実的な事だったのを、今でも覚えている。
この世界は、三つの国と五つの大陸で構成されている。
まず山田蓮司たちが召喚された人間の国『イムネジア』。
獣人を王に据える亜人の国『エルフレイム』。この世界最大の大陸に国を作っている。
そして、魔神が統べる暗黒の大陸『アーベンエルム』。三つの大陸を支配する、最大の国家でもある。
そんな異世界にただの人間として召喚された十三人。
世界を創った三柱の神の一人、女神『アストラエラ』に祝福を受け、チートを授かった神殺し達。
そのほとんどが十代、しかも学生ばかりだった。
二十代は自分とあと二人の男性。そして一人女性が居たが、どうにもまとまりのない集団だったと思う。
……懐かしい記憶だ。
よく喧嘩をした、ぶつかり合った、バラバラになった。
それでも手を取り合った、危機を乗り越えた、笑い合えた。
仲は悪くなかったが、良かったとはとても言えないだろう。
女神の聖剣を誰が持つかで喧嘩した事もあった。
誰を助け、誰を見捨てるのか。その現実に涙した事もあった。
字が読めずに料理を頼んで、くっそ不味い飯を皆で分け合った事もあった。
男連中で女性陣の風呂を覗きに行って、本気で殺されかけた事も良い思い出だ。
あの時は、その辺りの上級魔族と戦うよりも、命の危険を身近に感じた。
ああ、本当に。懐かしい記憶だ。
『起きたか、寝坊助』
その声は、枕元から。
頭の芯に響く、男のような女のような、中性的な声だ。
寝惚け眼を向けると、そこにはここ一年で見慣れた手の平に乗るような小さなメダルがあった。
縁は金色、中央に翡翠の宝石、その周囲に七つの異なる色の石が嵌め込まれている。
三年前、魔神討伐の旅に出る際に手に入れた喋るメダル。
俺のチートスキルの源。
魂を宿し、意志を持った、喋るメダルである。
「……おはよう」
『相変わらず朝が弱いな、お前は』
ほっとけ、と。心中で呟き、二日酔いの頭を軽く振る。
身体を起こすと、眩しいばかりの陽光がカーテンの隙間から洩れている。
その明るさから、そろそろ昼くらいだろう、と予測する。
「寝すぎたな」
『まったくだ。昨日の夜は一人でお楽しみだったようだしな』
「酒を飲んでただけだって」
『どうだか』
ベッドから起き、寝台に置いてあった水瓶から温くなっている水をコップに注ぐ。
そのまま一口飲むと、二日酔いの頭痛が少し和らいだ気がした。
『顔を洗って来い。酷い顔だ』
「お前は俺のかーちゃんか」
『お前のような子供は勘弁してほしいな』
まったくだ、と。
その日暮らしの生活。
自由と言えばそれまでだが、この歳で家も無ければ貯えも無い。
今日の朝食すら財布の中身と相談する生活なんてしてる男を、息子にはしたくないだろう。
そんないつもの遣り取りをしながら、部屋に備え付けの洗面台に水瓶から水を移す。
この世界に水道なんかない。
宿屋の店主が毎日近くの川に水を汲みに行ってくれている、大切な水だ。
その水で顔を洗い、髭を剃る。
さっぱりする頃には、眠気と二日酔いも完全に退いていた。
「あー、楽して生活したい」
『……本当だな』
メダルと二人して溜息を吐く。二人かどうかは怪しいが。
一人と一枚の方が正しいだろうか。
そんな事を考えながら着替えを済ませる。
この世界で代表的なチュニックと草色のズボン。これで俺も異世界の一般人である。
剣? もちろん持ってない。
この世界は剣と魔法の世界だが、残念ながら王国から授かった由緒正しい名剣は懐が寂しくなったので質に出した。
収集家に売れば相当な値段だったそうだが、残念ながら俺が売ったのは片田舎の武器屋である。
一週間分の食費にしかならなかった。
その事実を知った後、二日ほどこのメダルから怒られ続けたのも良い思い出だ。
俺は過去を振り返らない性格なのだ。落ち込むけど。
「今日も薬草集めに精を出すか」
『神殺しの英雄が薬草採集の仕事に精を出す、か。……情けない』
「こういう地道な仕事が大事なんだよ。うん」
『村人か冒険初心者にやらせろ、そんな地道な仕事。そしてお前は、もっと危険な仕事をしろ』
「ヤだよ、怖い」
自分でも情けないとは思う。
魔神討伐の旅では、それこそ三メートル級の狼や十メートルくらいある悪魔、人食い植物なんかとも戦った。
しかし、そのどれもを討伐したのは俺の仲間達だ。
人外と言える技量を持つ剣士、神に匹敵すると言われた大魔導師、自分より大きな得物を軽々と振るう戦士。
俺は、そんな連中に囲まれた村人Cとか、その程度だった。
よく見捨てられなかったと思う。
というよりも、どうしてあの連中と一緒に旅をしたのか、今となっては不思議でしかない。
良く生き残れたな、俺。それが一番の奇跡だろう。
イムネジア大陸にある村や町には、大小の差は在れど、どこにも冒険者のギルドがある。
そこには、住民からの依頼が集まり、依頼を達成して報酬を貰う。
魔神が討伐され、魔物の数が減り、それでも冒険者という職業が無くならないのは仕事内容に魔物討伐だけではなく薬草の採取や特定素材の収集、盗賊捕縛などの仕事があるからだ。
冒険者は、この世界で最も多く、そして最も危険な職業だ。
魔神はもとより、魔物すら普通の冒険者では一対一では危険な存在だ。
膂力、知力、魔力。そのどれもが総じて高く、RPGで有名なスライムなんて、現実では最悪の相手だ。
切っても殴っても死にはしない。松明で燃やすか魔法で燃やすか凍らせるかしかない。
なんだよあのバケモノ、と初見では毒づいたたものだ。
俺だってそこそこ強い自信がある。魔神討伐の旅に最後まで付いて行った事実は、俺に小さなプライドを与えてくれている。
だからといって、一人で魔物討伐などするつもりは無い。
あのチート集団ならともかく、俺にはそんな力は無い。
ゴブリン? コボルト? アイツ等は群れるから、少しの油断が命取りなのだ。ソロで挑む気にはなれない。
無い無い尽くしの俺は、今日もせっせと近くの森で薬草集めでもしようと心に決めてギルドの前まで来ていた。
ポケットの中のメダルは文句たらたらである。
この呪いのメダルは、何かと俺に魔物討伐を勧めてくる。
そこに幾つかの目的があるのだが、それはまぁ、おいおい説明しよう。
というよりも、面倒臭い。
『レンジ、お前……その顔はまた、仕事をするのが面倒臭くなってきたという顔だな』
「仕事はちゃんとするつもりだ」
人を何だと思ってるんだ、このメダルは。
生きるのに必要な金くらいは自分で稼ぐとも。
あと、ポケットの中なのに人の顔に文句を言うな。この顔は生まれつきだ。
心中で文句を言いながらギルドのドアをくぐると、中には数人の冒険者が居た。
大体が俺より若い。一人だけ、熊と見紛う大男が居たが。
イムネジアでは、十代前半からギルドで仕事をする人も珍しくない。
というよりも十にも満たない子供だって、ギルドで金を稼ぐ世界なのだ。
ちなみにそんな子供がするのは、専ら薬草採集のような危険度が低い仕事だったりする。
その薬草採集を飽きずにやってる俺に、ギルド内の全員の視線が向いた。
……視線が痛い。心中で謝る。すいません、新人の仕事を取って。
あと、この呪いのメダルの声は俺にしか聞こえない。
本当に呪いのメダルである。
最初の頃は何度恥を掻いた事か……思い出すだけでも忌々しい。
ちゃんと他の人にも聞こえるようにも出来るが、それだと目立ってしまうので困る。
俺は目立ちたくないのだ。
神殺しの英雄ではなく村人C。それが俺の立ち位置なのだ。
「おはよう……ございます?」
「もう昼だ。どうせまた、遅くまで酒を飲んで寝てたんだろ?」
これは手厳しい。
そう思いながら、溜息交じりに話し掛けてきた受付の少年に歩み寄る。
そして、ふと気づいた。
「おはようございます?」
「どうも」
軽く頭を傾けながら、素敵な笑顔で挨拶をしてくる女性にそう応える。
まさか、本当におはようの挨拶を返されるとは……。挨拶をしたこっちが驚いた。
蜂蜜色の豊かな髪が揺れ、野郎からでは絶対に香らない、良い匂いが鼻に届く。
顔付きは十人中七人が美人と答え、もう三人は美少女と答えるであろう美貌。
翠の瞳は少したれ目で、鼻は高くて唇は少し小さい。
身長は女性としては平均的だろう、俺の肩と同じくらいの高さだ。
服装は冒険者に良くある何らかの魔物の皮を加工した胸当てとヴァンブレイス。
首元に光る宝石が付いたネックレスが、武骨な装備の中に女性らしさを残していると言えるだろう。
とまぁ、そんな玄人っぽい評価をしてみたが、どうにもこの女性からは冒険者らしさがうかがえない。
あと、装備が新品っぽい。
「新人さん?」
「あ、判りますか?」
ほやっ、と擬音が付きそうな笑顔を浮かべる美人さん。
華が咲いた様な笑顔とはこの事か。
上から見下ろすと、胸当てに無理やり押し込められて苦しそうな谷間が――おっと。
「顔、ニヤけてるよ」
「子供は少し黙ってような」
『……嘆かわしい』
うっせ。
もう会う事も無いであろう美人さんを記憶に留めようとする俺の努力を邪魔するな。
「仕事探しですか? 薬草採集は俺が貰いたいんだけど」
新人という言葉に頷いていたが、本当に冒険者になるつもりだろうか?
冒険者になるのに、資格は必要無い。
犯罪歴さえなければ、誰だってなれる。それこそ、身分を偽れば犯罪者だって冒険者になれるのだ。
そんな冒険者になろうという女性は、殆どが金に困っていると言える。
あとは、俺達みたいに何か使命を持っているか。
まぁ、それは稀だろうが。
大体の冒険者は、手っ取り早く金を稼ぐためにこの仕事に就く。安全に金を稼ぎたいなら、この少年のように何処かの店の店番でもすればいい。
目の前の女性は……少なくとも、金に困っているようには見えない。
というか、貴族だと言われても疑わないだろう。なんか、俺達のような無骨な冒険者には無い気品を感じられる。
それと、さりげなく仕事を取られないように釘を刺しておく。
ポケットの中から溜息が聞こえた気がしたが、気のせいだろう。
「いえ、魔物討伐を」
「…………」
視線を美女から、受付の少年へ向ける。
「無理無理。実績が無いから、危険すぎる」
「だよなぁ」
「というか、アンタこそ薬草採取じゃなくて魔物討伐をしろよ」
「ヤだよ、怖い」
見てみろよ、と腰を指さす。
そこにはあるべき得物が何も無い。
剣は質に入れた、昨日の一杯で消えてしまった……ちょっと悲しいな。
短剣のような小物も持っていない。
あるのはこの身ただ一つである。
拳二つで魔物とやり合えと? それこそ無理だ。俺の拳じゃ、岩を砕くどころか木の実だって割れるかどうか。
拳で岩を砕くようなバケモノは――取り敢えず、知り合いに二人ほど居たりするが。
アイツ等はチート持ちだし。
「怠け者」
「楽して金を稼いで、毎日を平和に生きるのが夢なんだ」
『そんな夢、捨ててしまえ』
俺の夢にケチを付けんなよ馬鹿メダル。
「素敵な夢ですね。楽をしてお金を稼げるんですか?」
「夢は叶わないから夢なのさ」
俺の夢を応援してくれてるだろう女性の笑顔が心に沁みる。
あと、妙に達観してる受付の少年が溜息を吐いていた。
「そんなんじゃ、碌な大人になれんぞ、少年」
「アンタみたいな大人にならないなら、碌な大人じゃなくていいや」
ヒドイ言い草である。
肩を竦め、依頼が書かれているメモ帳の束に手を伸ばす。
この束が三つに分けられていて。薬草収集やら食材採集、村から村に渡る馬車や商人などの護衛、魔物討伐の三つに分けられている。
俺が手を伸ばしたのは、その三つの中で一番厚い収集系の束だ。
一番薄いのが護衛。二番目に薄いのが魔物討伐である。
王都などに行けば、魔物討伐が一番、護衛が二番、収集系が三番の厚さになる。
まぁ、どうでもいい。王都に行く気ないし。
昔の仲間に見つかったら面倒だし。
そんな事を考えていたら、先ほどの女性が魔物討伐の束に手を伸ばしていた。
細くて綺麗な指である。
やっぱり、冒険者業は新人なんだろう。
「私でも大丈夫な魔物討伐ってありますか?」
「無いです」
即答する。あるはずがない。
ギルド内に居た、熊顔の冒険者に視線を向けると、逸らされた。
多分、俺が来る前に相談されたんだろう。
顔がゴツイし、もしかしたらパーティに誘われたのかもしれない。
この女性は美人だし、パーティに誘われるのは吝かでも無いが、魔物討伐は勘弁してほしい。
本気で危険なのだ。
この世界の住人は、俺のようにチートを持っている訳ではない。
その身一つ、鍛えた剣技と学んだ魔法を駆使して命懸けで戦う。
若い冒険者の死亡理由第一位は、この女性のように興味本位で魔物討伐に手を出して殺される。
ただそれだけである。
だから俺は、無言で採取系のメモの束を女性へと渡した。
「危ないよ?」
「危険は承知の上です」
フンス、と左拳で胸元を叩く女性。
ちょっと揺れた。鎧越しで揺れた。
『チッ』
ポケットの中のメダルの舌打ちに殺意を感じた気がしたので、視線を明後日の方向へ向ける。
女性の胸を凝視するなんて紳士にあるまじき行為だから、コレは当然の事である。
コホン、と咳を一つ。
「俺はお勧めできないな」
「それでも、私にはもう魔物討伐しか道が残されてないんです」
凄く切実な言葉だった。もしかして、泣きそうになっているのかもしれない。
切実な声だけど……視線を女性の背後、受付の少年に向ける。
首を横に振っていた。
そりゃそうだ。
実績も無い新人に魔物討伐なんてさせたら、ギルドの運営側の不始末だ。
薬草集めや護衛で実績を得て、それからが魔物討伐。それも、絶対に一人では討伐に行かない。
常に二、三人のパーティを組んでだ。それは、長年冒険者を続けているプロでも絶対だ。
それほどまでに、この世界の魔物は強い。
最下級のゴブリンやコボルトでさえ、群れていたらプロでも警戒する。
スライムなんてトラウマ物だ。
魔導師が遠距離から大魔法で仕留めるならともかく、冒険者が接近戦を挑むなら、多対一とか悪夢でしかない。
「訳有りみたいだけどなぁ」
こればかりはどうしようもない。ギルドの決まりなのだ。
冒険者なら、ルールを守らなければならない。
ルールを守れないなら、それはただの無法者だ。
薬草採取の依頼のページを一枚とって、女性に渡す。
「素材採取と護衛の依頼をこなそう。早ければ、一ヶ月くらいで魔物討伐の実績を得られるさ」
俺には、それくらいしか言えない。
そんな俺から視線を逸らし、無言でギルドから出ていく女性。ちゃっかり、薬草採取の依頼は受けるようだ。
「残念。お近づきになりたかった……」
「レンジさんじゃ釣り合いが取れないよ。うん」
楽しそうに言うな、少年。泣くぞ。
女性を見送っていると、肩を叩かれた。
振り返ると、熊面のおっさんが居た。
「お前は間違っていない。俺も、同じ事を言った」
「そうですか」
大丈夫かなぁ、と。
ああいう子って、こんな状況だと一人で無茶するような気がする。
今までの人生経験的に。例を上げるなら、一緒に旅をしていた仲間達……その年少組の行動が今回のような感じだった。
この場合、手を貸さなかった俺の責任になるんだろうか?
……違うと思いたい。
『あの娘、無茶をするぞ』
一つ、溜息を吐く。
だよなぁ、と。
薬草採取のメモ束から一枚とってギルドを出る。
ポケットからコインを取り出し、親指で弾く。
落ちてきたコインを握ると、手の平を開く。
コインは、裏。ハズレだ。
「いくか、エルメンヒルデ」
『了解だ、我が主よ』
やけに楽しそうな、男とも女とも取れない中性的な声が聞こえた。