第一話 王都への道1
日が落ちて、暗くなった廊下を俺は歩いていた。体中が痛むのは、日中の訓練のダメージが残っているからだ。
冷たい空気が肌に触れて鳥肌が立つ。石造りの廊下だが、上等な絨毯が引かれているので足音は酷く小さい。筋肉痛に呻き、足音が不規則になってしまう。
高価な装飾品が飾られた棚。綺麗な花。銀造りの騎士甲冑。小型の魔力灯。廊下の脇に飾られたそれらが、夜の闇の中にぼう、と浮かぶ。
それが少し怖くて、冷たい空気とは別の冷気で知らずに早足になってしまっていた。静かだった足音が少しだけ五月蠅くなる。
目的地はこの先にある礼拝堂。
何をしたい訳ではない。ただ、それは俺の日課だった。
その礼拝堂にある女神像。本物ではなく、魂を宿している訳でもない。銀で造られた、本当の意味で形だけの女神像。
どれくらい、暗い夜の廊下を一人で歩いただろうか。目の前には、見上げるほどに大きな扉があった。その扉を、全身を使って押し開ける。扉は思った以上に重くて、礼拝堂の中に入る時には、若干息が上がっていた。
そうして辿り着いた礼拝堂。視線の先。豪奢なステンドグラスが天井と周囲の窓を彩っている。淡い魔力の光に照らされて、青、赤、黄、緑、紫……様々な色を夜だというのに表わしている。
それは幻想的なまでに美しくて、そのステンドグラスが彩る礼拝堂の最奥に在る銀造りの女神像は神秘的な美しさがあった。
女神アストラエラを模した像。
この世界を創造した三柱の神の内の一柱。光を司り、人間を創り出した女神。
普通の神殿などに置かれている像ならば大きければ大きいほど良いとされるが、この場所に置かれているソレは人間大の大きさで、だからこその美しさ、神秘さがあった。
静かにドアを閉めようとしたが、木製の厚いドアは乾いた音を立ててしまう。礼拝堂にドアを閉める音が響く。
息を一つ吐く。
別に、この場所に夜遅くに来てはいけないという決まりはない。だが、無人の礼拝堂というのは自分が悪い事をしているのでは、という気にさせられる。
そのまま、引き寄せられるように女神像に歩み寄る。
絨毯の上を歩いているというのに、コツコツと足音がしてしまう。冷たいのは空気か、それとも銀の女神像が放つ冷気か。そのどちらかは判らないが、精神的な冷たさに立ち止まりたい気持ちに囚われそうになる。
しかし、立ち止まらない。
まるで惹かれる様な気持ちもあるのだ。僅かにだが。
銀女神に歩み寄る。手を伸ばす。――触れる直前に、手を止める。触れていないというのに、銀の冷たさに指先の熱が奪われる。まるで凍り付いてしまったかのように、指を動かせなくなってしまう。
そんな事、あるはずがないのに。そう苦笑して、銀女神の像から指を離す。夜の静寂は冷たくて、耳鳴りすら聞こえてきそう。たった一人でこんな場所に居る。その事実が急に怖くなって、女神像に背を向けて歩き出した。
しかし、その直後に名前を呼ばれた気がした。幽霊か、と周囲を見渡す。そもそも、礼拝堂に幽霊が湧くというのも罰当たりか。そう考えて、息を吐く。不意に、女神像と視線が重なった気がした。
俺はこの時、どう思ったのだったか。……今でも覚えている。
――帰りたい。
目を覚ますと、見慣れたボロ天井が視界に写り安堵の息を吐く。
懐かしい――とまではいかないが、あまり良い夢ではなかった事に心中が重く沈む。
この世界に召喚されたばかりの頃。チートの特性をある程度予想して、俺が役立たずだと理解し、必死に足掻いていた頃の夢。
騎士団連中に戦い方を教わり、夜遅くまで本を読み、疲れ果てて女神像に祈っていた。
帰りたいと。
『どうした?』
「いんや。嫌な夢を見ただけさ」
『……そうか』
それ以上は何も言ってこない。俺の雰囲気で、どんな夢かを大体理解したのだろう。本当に、良く出来た相棒である。
枕元のメダルを手に取り、その縁を指でなぞる。
「今日は、一日寝てていいか?」
『働け。馬車馬の如くだ』
「……酷い相棒だな、お前は」
そう笑い、ベッドから起き上がる。さ、今日も一日頑張るとするかね。
ギルドへ向かうと、カウンターに見慣れない姿があった。
相変わらず建物に入ると他の冒険者たちから好奇の視線を向けられるのが面倒だと感じてしまう。
宗一達が出した魔族を王都へと連れて行く依頼は、まだ一週間も先だ。その間この視線にさらされるのかと思うと、溜息が出てしまうのも仕方が無い事だと思う。
エルメンヒルデからすれば、俺が注目されているので嬉しいそうだが。勘弁してほしい。
そんな視線が、今日は少ない。ついに俺に飽きてきたかと思ったが、今日は俺ではなく珍しい依頼主に興味を持っているようだ。
カウンターに居たのは白い少女。
白く長い髪はポニーテールに纏められていて、服装も白い外套で全身を隠している。
小柄な体躯はその人物を少女だと教えてくれて、身長は俺の腹部よりいくらか高い程度だ。後ろ姿なので表情は見えないが、その少女が人目を集めるという事はそれなりの容姿をしているのだと予想できる。
冒険者――というよりも、男とはそう言うものだ。俺だって可愛い子の方が良い。
そして何よりも人目を集めるのはその頭部にある、犬を思わせる獣耳と外套の裾から見えるふさふさの尻尾だろう。尻尾の見た目から、ただの犬ではなく狼種の獣人なのかもしれない。
獣人自体はそう珍しくは無い。街中でも偶に見かける時があるくらいだ。どうしてその白い少女がここまで視線を集めているのかは判らないが、まぁ俺には関係無い事か、とカウンターから採取系の依頼が集められたメモ帳を取る。
その時に、ちらりとその少女の横顔を盗み見るのを忘れない。と、不意にその少女がこちらへと視線を向け、見上げてくる。
突然の事に、少しだけ驚いてしまう。
「何か?」
「いや、なにも。ただ、真っ白な獣人は珍しいと思ってな」
「そうですか。正直な人間ですね、貴方は」
淡々とした子だな、と。それが第一印象。
俺の視線に気づいたくらいだから、感覚が鋭いのだろう。獣人には珍しい事ではないので、そこにはあまり驚かない。
受付の女の子に視線を向けると、どうしてか困ったような視線を向けられた。いつもの笑顔も、どこか引き攣ったモノのように感じてしまう。
「どうかしたのか?」
「それが……。依頼を持ってきていただいたのですが、内容が」
内容に問題がある依頼?
その事に興味が湧き、再度隣へ視線を向ける。
「どんな依頼なんだ?」
「王都へ連れて行ってほしい。今すぐに」
そこまで聞いて視線を受け付けの女の子へ向けると、困ったように首を横に振る。
それもそうだろうな、と俺も内心で受付嬢に同意する。
「今すぐは難しいな。王都まではどんなに急いでも七日は掛かる」
それも、馬を命一杯走らせてだ。まともな休息も無しに七日も動けるはずはないので、おそらく十日くらいは掛かるだろう。
そう応えると、受付の女の子も同調して頷いている。
しかし、目の前の白い少女は難しい顔だ。
「もう少し急げないか?」
「無理だろうな。馬より良い移動手段があれば別だが……そんなのはあまり居ない」
思い付くのは『魔物使い』の少女が使役していたドラゴンだが、生憎と彼女が今どこにいるか俺は把握していない。
あのドラゴンなら、王都まで二日ほどで着くだろう。もしかしたら、もっと短いかもしれない。
しかし、使えないものをこの少女へ伝えても意味の無い事だ。
「ふむ。そうか」
『訳有りのようだな』
そうじゃなければ、こんな依頼をギルドに持ってこないだろうよ。
あと、女の子が困っているのに嬉しそうに言うな。それに、俺は面倒事は嫌いなのだ。その辺りも、この相棒には理解してほしいものだ。
「困りか?」
「ああ、困っている。凄く」
その細い指を形の良い顎に添え、考え込む。これからの指針を頭の中に描いているのだろう。
受付嬢の視線が、俺に向く。その視線はこの少女をどうにかしてくれと、雄弁に語っていた。
「腹は減ってないか?」
「ん? 確かにここ数日、干し肉しか食べてないが……」
「ならまず腹ごしらえでもしようか。腹が減ってたら、まともに頭も働かないだろ?」
「……む。しかしだな、私は急いでいるのだ」
そう言うと、ムキになって返してくる。
ギルドのカウンターに居座るくらいだ、大切な依頼なんだろう。それと同時に、空腹で苛立っているようにも感じる。
「飯でも食って、それから今後の事を考えてもあまり変わらないと思うがね。ここで問答を繰り返しても、答えは変わらない」
「なら、腹が膨れたら良い案が浮かぶのか?」
「さてね。だが、空腹の時よりは頭は働くだろうよ」
少女が考え込むように下を向く。
受付嬢からの視線が、もっと頑張れと訴えているような気がした。
「なるほど。一理ある」
「判ってもらえて嬉しいね。なら、近くの食堂で腹を膨らませて――」
「しかし、手持ちが無い」
近くの安くてそこそこ美味い食堂を紹介しようとして、その一言に次の言葉が止まってしまう。
受付嬢へ視線を向けると、そちらも驚いた様な視線を俺に向けてくる。どうやら、報酬の話はまだしていなかったようだ。
「依頼の報酬はどうするつもりだったんだ?」
「身体で払う」
意味が判って言ってるのだろうか?
視界の隅で、受付嬢が首をぶんぶんと音がしそうな勢いで横に振っていた。まぁ、ギルドがそんな風俗紛いの報酬を認める訳は無いか。
そう考え、溜息を吐いてしまう。
「ダメに決まっているだろうが」
「何故だ? これでも、狩りは得意だ。どんな魔物にだって負けない自信がある」
そっちの身体かよ。
再度、今度は受付嬢と一緒に溜息を吐く。
『ククク、中々面白い獣人だな』
「おい、耳年増」
『意味は判らないが、そこはかとなくバカにされた気分だぞ。レンジ』
そして、エルメンヒルデの声が聞こえない受付嬢は、自分に言われたと勘違いして顔を赤くしていた。
そこは怒るか、反論する所だろう。顔を赤くするという事は、そういう経験が少ないのかもしれない。初々しいもんだ。
「とりあえず、飯にするか。疲れた」
「だが、私は手持ちが無い」
「一食くらい奢るよ。疲れたから、俺も休憩したい」
『仕事は?』
後でだ。
この状況で、この白い少女を放っておくという選択肢は無いだろう。
「いいのか?」
「ああ。飯でも食いながら、依頼の話でもしようか。二人ならいい案が浮かぶかもしれないしな」
「うむ。貴方は良い人のようだ」
そう言われると、悪い気はしない。
懐的に少し痛いが、まぁ偶にはこんな人助けも良いだろう。人助けと言えるのかは怪しいが。
「一日一回、善行をするってのが俺の趣味でね」
「それはとても良い事だな」
『初めて聞いたぞ?』
初めて言ったからな。一日一回も善行を積んでいたら、その人は聖人だろうと思う。
「どうしたんですか?」
そんな事を話していたら、背後から声を掛けられる。
振り返ると、見慣れたどこかふんわりした雰囲気の女性と整った顔立ちのエルフの青年が立っていた。フランシェスカ嬢とフェイロナである。話に集中していて、話し掛けられるまで気付けなかった。
この二人はパーティでの相性が良いのか、よく組んでいるようだ。美男美女のパーティとして、注目を集めている。
「困っているみたいでね」
そう、白い少女へ視線を向ける。
「ああ、凄く困っている」
「……威張って言うような事か?」
フェイロナが、どこか呆れたような声音で言う。
「威張っていない」
『私には、堂々としている風に見えるぞ』
まぁ、胸を張って言うような事ではないだろうな、と俺もエルメンヒルデに同意する。
「それより、腹が空いた」
「判った判った。飯の話をしたら、今度はソレか?」
「ずっと干し肉と野草ばかりだった」
「そりゃ凄い。身体に良さそうだ」
そう言うと、なぜか胸を張っていた。褒めてねぇよ。
「フランシェスカ嬢たちも一緒にどうだ? 昼食には少し早いが」
「そうですね。せっかくのお誘いですから、私はご一緒したいです」
そう言って、フランシェスカ嬢がフェイロナを見上げる。
「まだ依頼も受けていないのだ。好きにすると良い」
「いや、お前も来るか聞いてるんだろうが」
「……そうなのか」
なんか、妙な所で抜けてるな、お前。
そう呆れた視線を向けると、憮然とした表情をされてしまう。
「ま、いいか。それじゃ、近くの食堂に行くぞ」
「うむ。よろしく頼む」
『これから食事を奢ってもらうものの態度ではないな』
そのエルメンヒルデの言葉に同意する。
まぁ、そこまで気にするような性格でもない。依頼内容の解決策でも見つけたら、さっさと別れるさ。
面倒事は嫌いなのだ。
心中でもう一度そう呟き、ギルドを出る。目的の食堂はギルドから二軒隣にある。
冒険者客層をメインにしているため、メニューには精が付きそうな料理や、酒が多い。
そして、昼間だというのに酒を飲んでいる客も居る。フランシェスカ嬢はこういう店に馴染みが無いのか、物珍しそうにきょろきょろしていて少し面白い。
『飲むなよ?』
昼間から酒を飲む趣味は無いさ。エルメンヒルデの言葉を聞きながら、適当な席に腰を下ろす。
木製の丸テーブルを囲むように、俺の左に白い少女が座る。右にフランシェスカ嬢、正面にエルフのフェイロナ。両手に花だと一瞬思い、それは俺もかと思い直す。
テーブルに備え付けのメニューを白い少女へと渡し、息を一つ吐く。どうしてこうなったのやら。今更ながら、不必要な出費に溜息が出てしまう。
ちょっと懐が温かくなるとすぐにこうだ。自分と言う人間の財布の紐が緩い事を自覚させられる。
「私は、自分で出そう」
「当たり前だ。男に奢る趣味は無いぞ」
「手厳しいな」
「知るか」
『女に甘いからな……』
女にだらしないみたいに言うのは止めてほしいんだがね。
これでも、人を選んで奢っているつもりだ。
「で、だ」
熱心にメニューを見ていた白い少女に視線を向ける。俺の視線に気づいたのか、その顔がこちらを向く。
「どうした? まだ頼む物を決めていないのだが」
「せめて名前くらい教えてくれ。俺は蓮司だ」
「そこからなんですか……? 私はフランシェスカ・バートンと申します」
「フェイロナだ」
「む。これから食事を奢ってくれる相手に名も名乗らないとは失礼した。ムルルだ」
「さよか」
『……財布扱いされてる気がするぞ、レンジ』
気がするじゃなくて、財布扱いされてるんだよエルメンヒルデ。
何だろうか、この少女は。初めて会うタイプの女の子に、どう接すればいいか迷ってしまう。
怒って良いのか、このまま流されるべきなのか。フランシェスカ嬢はどこか困ったような視線をこちらに向けてくるし、フェイロナは相変わらずの仏頂面だ。
「よし、決めたぞ」
「マイペースな奴だな……」
そう溜息を吐いて、ムルル嬢の注文を店員にする。
しかし、ものの見事に肉料理だ。二品も食べれるのだろうか?
正直、ムルル嬢の身体は小さい。フランシェスカ嬢と比べると、余計に小ささが目立ってしまう。
「折角奢るんだから、残すなよ?」
「問題無い。その倍は食べれる」
その小さな体で大食いかよ。
「奢ってもらうというのに、二品も頼むのか?」
「すまないとは思う。本当に思っているが……正直、干し肉以外の料理を考えてしまうと、どうしようもなかった。申し訳ない、レンジ」
「……そもそも、干し肉は料理ではないかと」
『まったくだな』
その通りだ、と頷く。
「ま、気にするな。奢ると言ったのは俺だからな。言った事は守るさ」
「やはり良い人だな、貴方は」
「勘弁してくれ。ただの面倒臭がりでしかないさ」
『照れてるのか?』
照れてねぇよ。変な事を言いだすエルメンヒルデを叩き、黙らせる。
「それで、ムルル嬢――」
「嬢は必要無い。これでも立派な成人だ」
そう誇らしげに胸を張られるが、外套で隠れているのでどれだけ成人しているのか判りはしない。正直見た目相応でしかないだろう。
「判った、ムルル。それで、お前の依頼は何だ? しかも無一文で」
「それには、少し深い事情があるのだ」
「深い事情ですか?」
「うむ。先日街道で冒険者を助けたのだが、その夜に財布を盗まれてな」
深い事情どころか、凄く判りやすい理由だった。
人助けをしたら裏切られた。何とも言えなくなって、三人揃って黙ってしまう。
「私はあまり金銭に頓着していなかったからな」
「よくそんなんで旅をしようと思ったな」
呆れたような物言いになってしまうが、しょうがないと思う。
言ってはなんだが、旅をするのに金銭は必要不可欠なものだ。それに頓着しないというのはどうかと思う。
まぁ、俺が言えるような事でもないのだが。
「ひどい……」
「いや、助けた人間の本質を読めなかった私の不手際だ。両親からは人を疑えとよく言われていたのだがな」
「お前、よくそれで今度はホイホイとレンジに付いて来たな」
「……その言い方だと、俺が悪人みたいに聞こえるんだがな」
「その胸に手を当てて考えてみろ」
『英雄であることを隠してるからな』
そっちかよ。何度も言うが、俺は英雄なんて柄じゃないんだがね。
宗一や阿弥達のように顔が良い訳でもないし、華がある訳でもないのだし。
そう考え、溜息を一つ吐く。まぁ、向こうも本気で言ってるわけでもなく、ニヤニヤと笑っている。俺を苛めて楽しんでいるのだろう。嫌な性格である。
「む……」
しかし、フェイロナがそう言うとムルルの視線が俺に向く。
その視線には、若干の驚きがあった。
「レンジも私を騙すのか?」
「騙すつもりなら食事は奢らないし、フランシェスカ嬢たちを誘ったりもしない」
騙すと嘘を吐いて、路地裏に直行だろうよ。ま、そんな趣味は無いんだがね。
「だがまぁ、ムルルはもう少し人を疑った方がいいかもな」
「そうか。レンジがそう言うなら、考えよう」
「なぜそこで、俺の名前が出てくる?」
「食事を奢ってもらったからな。恩人の言葉は真摯に受け止めるべきだと教えられている」
「そりゃ良い教えだ」
「うむ」
と、話が逸れたな、と咳を一つする。
「それで、だ。どうしてお前は、すぐに王都に行きたいんだ?」
「王都の魔女殿に届け物があるのだ」
「魔女――賢者殿か」
そこで、フランシェスカ嬢とフェイロナの視線が俺に向く。
ムルルは不思議そうな顔をするが、俺は肩を竦めて二人の視線を受け流す。
『そこで正直に言わないから、エルフからさっきのように言われるのだ』
「耳に痛い事で」
しかし、宇多野さんに届け物か。
正直、嫌な予感しかしないんだが。先日の黒い豚と一角鬼を思い出す。
どうして思い出したのかは判らない。ただ、宇多野さんの名前を聞いて、不意に頭に浮かんだのだ。こういう時の勘は信頼できる。
「届け物とは何なのですか?」
「それは教えられない。精霊神様から、魔女殿以外には誰にも見せるなと仰せつかっているのだ。申し訳ない」
なるほど、もっともな事だと思う。それに、精霊神の名前を出すとなると相当な物なのだろう。
再度フランシェスカ嬢たちの視線がこちらに向くが、どうするかね、と視線を天井へ向ける。
『精霊神の依頼か』
「依頼じゃないだろ」
そもそも、受けるかどうかも決めていないのだ。
「それでレンジ。すまないが、どうにかして王都へ直ぐ行けないだろうか?」
「さっきも言ったが、すぐには無理だな。どんなに急いでも十日は掛かる」
「そうか」
そう落胆されても、流石にどうしようもない。
そうこう話していると、頼んだ料理が運ばれてくる。
「とりあえず、腹を膨らませたらどうだ? 空腹だと、まともに頭が働かないしな」
「うむ、そうだな」
しかし、精霊神からの届け物か。
精霊神と言う言葉で思い出すのは、獣人と亜人が住む大陸『エルフレイム』。
人間が住むこのイムネジア大陸も緑は多いが、エルフレイム大陸はここ以上に緑が多い。人間が自然を切り拓いて生活しているのに対し、獣人たちは自然と共に生活している。
だからこその亜人と獣人の国なのだが、あの豊かで荘厳とも言える美しい大陸は一目見るとそう簡単には忘れられない。
そんな大陸の住人から信仰されている精霊神。そんな存在が、神殺しに届け物。怪しいというか、絶対面倒事だろうと思ってしまう。
「……はぁ」
元気に料理を頬張る白い少女を見ながら、どうするかと考える。
宗一達と一緒に魔族を王都まで運ぶ依頼もあるが、アレは十日後だ。とてもじゃないが、この白い少女は納得しないだろう。
それに、馬車よりも馬を借りて移動した方が日数は稼げるというのもある。問題は、この少女が無一文だという事だ。
とてもではないが、ここで「はいさようなら」という訳にはいかないだろう。それをしても良いが、それだときっとこれから先の寝覚めが最悪になる。
「あの、ムルルさん? もう少し落ち着いて食べないと危ないですよ?」
「問題無い」
「奢ってやってるんだから、せめて味わって食べてくれ」
「判った」
俺とフランシェスカ嬢との対応の差に、二人して笑ってしまう。
小さい身体だから、小動物のような気がしてきたのだ。
「精霊神様からの御言葉ならば、私も手を貸そう」
そして、さっきから黙っていたフェイロナが口を開く。
「本当か? 恩に着るぞ、エルフ」
「フェイロナだ、獣人」
仲が良いのか悪いのか。
そして、なんだか話が進んでいた。まぁ、エルフにとっても精霊神の依頼となると特別なのだろう。
そんな二人の遣り取りを見ながら、フランシェスカ嬢が口元を手で隠して肩を震わせていた。
『しかし、精霊神からの依頼を、ただ一人の獣人に任せると思うか?』
さてね。そういうお告げだったのか、それとも本命は別なのか。
もしくは後ろで誰かが動いているのか。案外、俺とこの白い少女が出合ったのもあながち運が良かっただけではないのかもしれない。




