第三話 英雄と魔術師の町3
パチパチと焚火の火が弾ける音を聞きながら、欠伸を一つする。
ああ、懐かしい夢だと思う。
街灯の明かりなんて無い暗い夜。俺達はいつも焚火の火を囲んで夜を明かしたものだ。
旅の疲れからか子供たちはすぐに寝てしまって、二十歳を超えている四人で酒を飲みながら夜を明かして。
俺、宇多野さん、藤堂、九季。たった四人の成人。後は全員成人していない子供で、それでも俺たち大人よりも子供たちの方が元気で、前を見てて、一生懸命で。
俺達はそんな子供たちを支えられるように頑張ったもんだ。
宇多野さんは女神から貰ったその知識で、藤堂は料理の腕で、九季は盾として。
でも、と。そうだ、と思い出す。
この日は――。
「蓮司さん。今日はありがとうございました」
「あー、いや。むしろお礼を言うのはこっちの方なんだが」
いつもツンケンしていた阿弥が、珍しく俺に礼を言ってきたのだ。
相手は何だったか……一角鬼か一つ目鬼か。巨人系の魔物だった事しか覚えていない。
初めてエルメンヒルデの能力――俺の制約を五つ解放して、大型モンスターを討伐したのだ。
必死だったので、あまり記憶に残っていないが。
この時の阿弥というと、宗一といつも喧嘩をしてて、沸点が低いのか何時も怒ってたイメージしかなかった。
そもそも異世界に召喚されるなんて異常な状況に、落ち着いて対応できるのが変なのか。実際、俺もこの世界に召喚されて一週間ほどは周囲を気にしてばかりだった。落ち着かなかった。
だから、阿弥が俺だけじゃなくて周囲に突っかかる理由も理解できていた。
そんな阿弥が、その日は珍しく俺に謝ってきて、夜には二人っきりで話した。お互いの事、この世界の事、これからの事。
他の連中は気を利かせたつもりか、早々にテントの中で眠っている。たぶん聞き耳を立てているだろう。
そういう連中だ。プライベートなんて最低限で、そんな連中だからこそ気兼ねなく付き合えるとも言える。
そんな事を考えながら、焚火に枯れ木をくべる。
話が一段落すると、無言。枯れ木が爆ぜる音と、風に木々がざわめく音だけが耳朶に残る。
いつもなら酒でも飲んで他の大人組と今後の話をするのだが、相手が未成年では酒を勧める訳にもいかない。
どうするかと悩んでいると、年下である阿弥が気を利かせて話題を広げてくれる。
……本当に情けない大人である。
「蓮司さんは凄い、と思います」
「必死なだけだよ。俺としては、阿弥ちゃんや宗一君達の方が凄いと思うがね」
事実、その通りだ。
十五歳。宗一の妹である弥生ちゃんはこの時十四歳だった。
だというのに、世界を救う旅をしている。本当なら、まだ中学生だと言うのに、だ。
俺なんかよりもずっと凄い。俺が同じ立場なら、弱音を吐いて立ち止まっているはずだ。だって、十五歳だ。ゲームや映画の主人公じゃあるまいし、世界を救うなんて言える方が凄いと思う。
「そんな事無いです。蓮司さんや優子さん達が一緒に居てくれるから、私達は不安だけど安心で……」
「そっか」
また、焚火に枯れ木をくべる。
この時俺は、嬉しかったのだと思う。いや、嬉しかった。
足手纏いにならないように、子供たちが立ち止った時に何かできるようにと、必死に頑張った。努力した。
元の世界じゃ、頑張った、努力したなんて事は評価されなかった。
結果がすべてだった。そして俺は、この世界で何の結果も出せていなかった。
剣の腕は並。チートが特別優れている訳じゃない。人柄が良い訳じゃない。どちらかというと、流されているだけだ。
でもこの時、阿弥からそう言われて……本当に嬉しかった。こんな俺でも、この子達の不安を少しでも和らげる事が出来ているのだと思えたから。
どんな形であれ、役に立てているというのは嬉しかったのだ。
「やっと笑ってくれましたね」
「え?」
「いつも難しい顔をしてたから。蓮司さん、目付き怖くて」
そんな顔をしてたのだろうか、と思う。もしかしたら、難しく考え過ぎてそれが顔に出ていたのかもしれない。
年上であるということ。それだけで、それはいつの間にか俺の重圧になっていた。
「そうかな?」
「うん。元気無いし、優子さん達の前でしかあまり喋らないし……」
その後、指折り俺の駄目な所を阿弥に指摘された。
結局、指は十本じゃ足らなくて、阿弥も笑いながら俺に直してほしい事を口にしていた。
あまり喋らない事。仏頂面な事。魔物と戦う時、前に出過ぎる事。怪我ばかりする事。
だってしょうがないのだ。周りは皆年下で、俺は年上だから。年長者だから。――弱いからという理由で、子供たちの背中に隠れるなんて、したくない。
今思えば、なんて無茶な事をしていたのか。
そして今度は、阿弥が焚火に枯れ木をくべる。焚火の火の光の中にぼぅと映った横顔は、笑顔だった。
でも、とも思う。
こうやって笑ってくれるなら、無茶をして良かったとも。そう思えたのだ。その結果、何度も死にそうな目に遭うのだが。
仲間の笑顔と自分の命。天秤に載せたなら、重いのはどちらか――考えるまでも無いのだというのに。昔の俺は、本当に馬鹿だったと思う。
「私の魔術って、強力過ぎるんです」
「ああ、そうだな」
場面が変わる。
二人で焚火を囲んでいるのは同じだが、座っている場所が違う。
先程は向き合う形で座っていたのに、今度は俺の隣に阿弥が座っている。その表情はやっぱり笑顔で、どこか嬉しそうにも感じられる。
この記憶は何時だろうか――。
「乱戦になると皆を巻き込んじゃうし、その事を気にするとオーク相手に苦戦しちゃうし」
「追い詰められると、阿弥ちゃんはテンパるからなぁ」
「……そんなはっきり言わなくてもいいじゃないですか」
「追い詰められる事に弱いよな、阿弥ちゃんは」
そう言って肩を震わせると、阿弥は頬を膨らませて怒る。話す様になって判ったが、阿弥はからかうと面白い。怒るが、宗一に対するように叩いたりして来ない。頬を膨らませて拗ねる。
それが可愛くて、またからかってしまう。そうやってからかっていると、何時からか妹のような感じで接するようになっていた。俺には妹は居ないが、もし居たら阿弥に接するような感じで話していたかもしれない、と思う。
我ながら不思議なもので、阿弥と話すようになってから年少組とも上手く付き合えるようになっていた。
年上だから守らないといけないという気持ちはそのままだが、一緒に戦うというか、頼るというか。とにかく、俺が前に出るのではなく、肩を並べて戦うようになった気がする。
どういう気持ちの変化なのだか。
「……また阿弥ちゃん」
「年下だしねぇ」
「もぅ」
彼女のそんな表情は年相応で、英雄とか神殺しなんて堅苦しい物じゃなくて、見ているこっちも嬉しくなれる。
そうやって笑うと、また怒らせてしまう。頬を含まらせて、強い視線で見上げてくる。
宗一にするみたいに叩いては来ないが、表情に出る。
それがまた面白くて、笑ってしまう。俺なんか足元にも及ばない魔術師だと言うのに、その仕草はやっぱり俺より年下なんだと教えてくれる。
「派手な魔術に拘るからじゃないのか?」
「そうですけど……私って魔力が強すぎて、ちょっとした想像でも過度に発現してしまうんです」
「そういや、この前それで宇多野さんに相談してたな」
「はい」
宇多野さん。あらゆる魔法を使いたいと願った人。
確かに彼女も魔術師だが、阿弥とは何もかもが違う。
この世界の魔術が人の想像を魔力が現象化するのに対し、宇多野さんの魔法は彼女が『存在する』と認識すればどんな魔法だって使える。
つまり、ゲームの中の魔法なのだ。RPGの、ADVの、STGの魔法。
そして阿弥の魔術はこの世界の、人間の想像を魔力によって発現させる魔術。
毛色が違うどころか、全くの別物だ。
同じ魔法職だが、二人の間には壁や溝どころか崖があるのである。
「なら炎とか雷じゃなくて、もっと別の形で発現させればいいんじゃないの?」
「岩とかですか? それでも、私じゃ空から大岩の雨を降らせちゃいますよ」
「……何それ。怖い」
「これでも随分頑張ってるんですよ、毎日」
さすが俺達の中でも最大火力の魔術師。頑張る方向性が違い過ぎる、と溜息を吐くしかない。
こっちは必死になって魔物の首を刎ねてると言うのに。
「いや、もっと簡単な想像をすればいいじゃないか。炎とか氷とか岩とかじゃなくて」
「他にどんな想像があります? 鎌鼬を想像しても、竜巻が起きますよ?」
「だから何で、そんな物騒な方向に……いや、もっと簡単なので」
「もっとですか?」
焚火に枯れ木をくべると、彼女の黒髪が火の輝きを反射して茜色に輝く。
それをどこか幻想的な美しさのように感じて、目を逸らす。
自分の半分くらいしか生きていない子供に、何を感じているのか。
「落とし穴とか、映画とかでよくある植物の蔓とかで拘束するとか」
「……それって、結局魔物を倒せないじゃないですか」
「倒せなくていいさ。阿弥ちゃんが魔物の動きを止めてくれたら、俺達がトドメを刺す」
枯れ木の一本を手に取って、地面に下手糞なゴブリンの顔を書く。
そして、完成したら斜め線を入れてバッサリと斬る。
「魔物を倒すだけが魔術じゃないよ。拘束して動きを止めるのだって、立派な戦術だ」
まぁ、この子には戦術なんて関係無く、押し潰せるだけの力があるのだが。
毎日毎日、子供たちの足を引っ張らないように頭を悩ませている俺とは全く違う。
羨ましいと思うと同時に、それでよかったとも思う。
俺みたいに毎日命の危機を感じるような旅を、子供たちにさせたくない。まぁ、それもこれも、俺の自業自得なのだが。
女神への願い。神を殺す武器。それは確かに神を殺せるが、ただそれだけでしかない。
神にのみ効果を持つ武器。普通の魔物や魔族にはただの武器でしかないソレは、酷く弱い。……だからこそ、俺は魔神の天敵なのだが。魔族たちは、俺を親の仇のように憎み、襲ってくる。おかげで俺は、魔族の大陸に渡ったら毎日命の危機を感じたものだ。
もっと汎用性の高い願い事をすればよかったと、いつもいつも後悔した。後悔先に立たず。素敵過ぎる言葉である。
「うーん……確かに、それなら簡単に想像できそうですけど」
そんな俺の内心には気付かず、阿弥は俺の考えをどうにか生かせないか頭を悩ませていた。
手は早いが、真面目な女の子だと思う。それに思考が柔軟で、俺の言葉で、俺の考え以上の効果を発揮する魔術を創り出す。
大魔導師。その名に恥じない天才なのだ。芙蓉阿弥という少女は。
「それにさ、生き物を殺すのって……抵抗ない?」
「――――」
不意にそう聞くと笑顔が固まって、息が詰まったような驚いた表情で見上げてくる。
聞いてはいけない事だったのだろう。それは、魔神討伐の旅には不要な感情だ。邪魔だとも言える、無駄な感情だ。
でも聞かなければ、言わなければならない事だったのだ。
十五歳。多感な時期だと思う。
そんな時に、世界を救うためとはいえ、人間じゃないとはいえ、魔物とはいえ、命を奪うというのは辛い事ではないのか、と。
近い内に、宗一達にも聞こうと思っていた事。
ただ、こうやって二人で話す時間が最近増えたから、最初に阿弥に聞いたのだ。
「でも、この世界を救う為ですから……」
「うん」
懐かしい記憶だ。
焚火がパチパチと爆ぜる音と、虫の声、それ以外は何も聞こえない。
仲間たちの寝息さえも、聞こえない。この次の日の朝、からかわれた事を覚えている。
「――――」
生き物を殺すという事。命を奪うという事。
それは言葉にするより、口にするより、ずっと重い。
世界を救うなんて免罪符があろうと、それは変わらない。命の遣り取りなんてテレビの中でしかなかった俺達には、重すぎるのだ。
それでもその事実から目を背けられたのは、阿弥の言葉。世界を救うという使命。
魔物を、魔族を、魔神を殺さなければこの異世界は終わる。沢山の人が死ぬ。だから殺す。それが、俺達が戦う、戦える理由。
その重圧はとても重くて、だが宗一達はその使命を受け止めて、旅を続けた。俺なんか毎日悩んで、毎日手が震えて、毎日眠れずに夜の番をしているというのに。
誰かの為に、何かの為に、世界の為に、仲間の為に。
俺が英雄の肩書に重圧を感じるなんて、下らない事のように思えるくらいに。羨ましいと思い、妬ましいと目を背けそうになるくらい――皆はまっすぐだった。
「蓮司さん……私たち、元の世界に帰れるでしょうか?」
「うん」
「皆で、一緒に帰れますか?」
「帰れるよ」
――魔神を倒せば。
俺達は世界を救うために召喚された。お伽噺や小説なら、名誉な事だろう。心躍る事だろう、喜ぶべき事だろう。
だが現実は……生活は不便だし、ご飯は不味いし、馬に乗ったら尻が痛いし、歩いたら足が痛い。野宿なんて、全然疲れが抜けない。宿屋のベッドだって堅い。
そんな不満だらけである。異世界なんて夢も希望も無い。特に俺は。
他の連中に比べて、俺のチートは酷く弱い。元の世界に居た頃より身体能力は上がってるのだろうが、それでも他の連中に比べるとすぐに息が上がるし、反応も鈍い。魔術も使えなければ、魔力も無い。
だから、必死に強くなった。
一番年上の俺が、一番の足手纏いという事実を認めるしかなかった。認めた上で一緒に旅をする為には、強くなるしかなかった。自分の半分くらいしか生きていない子供たちに全部を任せるなんて真似、俺には出来なかった。
王国騎士団の連中に頼み込んで剣の扱いを教えてもらった。偉い研究者や宇多野さんに頼んで読み書きを教えてもらった。少しでも役に立てるように交渉の真似事もした。
俺が願った『神を殺す武器』は武器でしかなく、使い手は素人であり、その特性は魔物には活かされない。
魔神相手なら戦えるかもしれないが、旅の当初は雑魚魔物にすら必死にならざるを得なかった。
他の連中は、俺の半分の訓練や経験で、俺以上に強くなるというのにだ。
よく腐らなかったものだ。本当に。
「皆生きて、誰も死なずに……帰れますか?」
「帰れる」
誰も強くなんかない。
チートなんて、剣の腕なんて、強力無比な魔力なんて路傍の石と同じだ。
俺達は何の覚悟も無いまま、異世界に来た。世界を救うなんて大仰な目的が、すぐ目の前にある現実を隠しているだけだ。すぐ隣にある死を見えなくしているだけなのだ。
だから。
「約束する。誰も欠けないで、皆揃って帰れるって」
結局全部が終わった後、俺達は皆でこの世界に残ることを決めたのだが。
すぐ隣に死があるこの世界だけど。だけど、だからこそ……その死よりも近くに大切な、信じられる人が居るのもこの世界だから。
「私が危ない目に遭ったら……また、守ってくれますか?」
「皆が危なくなったら、俺が絶対守るよ」
それは、くっそ恥ずかしい宣言。
一番弱い俺が、この世界で最強である仲間達を守るという宣言。
だから思うのだ。
『絶対』なんて言葉は主人公だけが使っていい言葉で、俺のような村人Cみたいな立ち位置の人間が使ってはならないのだと。
誰かを守る為に、毎回命を賭けなければならないのだから。
死にそうな目に遭っても、傷だらけになっても、心が折れそうになっても、手も足も出せないような強敵を前にしても。
それでも立たなければならないのだ。武器を握らなければならないのだ。啖呵を切らなければならないのだ。諦めては駄目なのだ。
……今思い出すだけでも、生き残れたのが奇跡だと思える。
周りの連中は、俺が血塗れになるような状況でも飄々としてるというのに、だ。
目を開けると、カーテンから差し込む陽光の眩しさに顔を顰めてしまう。
『起きたか、寝坊助』
「ん、ああ……今……」
『もう昼近いぞ、まったく』
寝起き一発目に溜息を吐かれてしまう。
いやまぁ、寝酒を飲んだわけでもないのに寝過ぎだと自分でも思うが。
「なぁ、エルメンヒルデ」
『ん?』
「……なんでもない」
『さっさと起きろ。起きて仕事に行くぞ、寝坊助』
怒られた。
その声を頭の中で聞きながら、ベッドから起き出す。
懐かしい夢。仲間達と旅をしていた頃の、阿弥との夢。あの後から、穴掘り系魔術師として阿弥が頑張ったんだよなぁ、と。
実際、強力無比な魔術を行使するよりも、穴を掘ったり魔物を拘束したりする方が俺達は戦いやすかった。アイツの規格外の魔術に巻き込まれずに済む。まぁ、そんな魔術に頼るのは近接組で敵を集めてから一掃する時だけだったが。
大群相手なら、それこそ戦線が到達する前に岩や火の雨を降らせて無双していたし。
少数相手や乱戦の時に魔術を使われると、ただのファイヤーボールもどきでも本当にフレンドリーファイヤになるから困る。強力過ぎるチートも善し悪しである。
「エルメンヒルデ」
『……今度は何だ?』
「阿弥って、今でも穴を掘ってると思うか?」
『掘ってるだろ』
即答だった。
まぁ、アレも立派な戦術だから当然か。
そんな事を考えながら、着替えを済ませる。
『そうすれば、レンジが守ってくれると信じてるだろうからな』
「むしろ、俺が守ってほしいんだがなぁ」
『しょうがない。そう願い、約束してしまったからな』
そうなのだ。
誰かを守りたいと女神に願った。危なくなったら守ると約束してしまった。
……だから、溜息を吐くしかない。そう願い、約束した。その過去は変えられないのだから。
「というか、忘れてるだろ。もう二年くらい昔の事だぞ」
『私は忘れないと思うがな』
どうしてか、その声には確信にも似た感情を感じた。
あれだけ大変だった旅だ。あんな些細な言葉なんて覚えていないだろう。しかも二年くらい前。もう昔の話だ。
少なくとも、俺が阿弥だったら忘れている。自分より弱いヤツが口にした守るなんて言葉、何処に信憑性があるというのか。
俺が覚えているのは、あの約束がくっそ恥ずかしすぎて黒歴史だからだ。
『女というものは、そういうものだ』
「いや、お前はメダルだろ」
『ちっ』
舌打ちをされた。会話の途中で舌打ちをするなんて、酷い相棒だ。
そんなエルメンヒルデに溜息を吐き、一つ伸びをする。寝ていて固まった体が伸ばされ、凄く気持ちが良い。
「今日も真面目に、仕事を頑張るか」
『そうしておけ。情けない姿を見せるなよ、年上なのだから』
「もうどうしようもないくらい、情けない姿を晒したような気がするんだがな」
何度、自分の半分くらいしか生きていない子供たちに助けられただろうか。
何度、正面からではなく背後から、不意打ち紛いの一撃を入れただろうか。
何度、人に頭を下げただろうか。
何度、守れなかった事を悔やんだだろうか。
何度、何度、何度…………。
『そうか?』
「ああ、そうだ」
着替えを済ませ、身嗜みを最低限整える。
今日はどんな仕事を受けようか、と頭の中で考える。
まぁ、薬草採取とかその辺りを受けるだろうが。簡単だし、安全だし。
寝巻を着替えて、顔を洗い終わる。髭はどうするかなぁ、と考えて――。
『私は、レンジの格好良い姿しか記憶に無いがな』
「……お前、偶に物凄く恥ずかしい事を言うよな」
『そんな事は無い』
俺の格好良い記憶?
過去に思いを馳せるが、そんな場面は一つも思い浮かばない。
一番格好良いのは、魔神相手に一対一の喧嘩を売った事だろうか。殺されかけたけど。
バカみたいな啖呵を切ったのに殺されかけるとか、どんだけ情けないんだが。そして、それが一番格好良いと思えるあたり、本当にどうしようもない。
「例えば?」
だから聞いてみる事にした。
この相棒が言う、俺の格好いい場面というのを知りたくて。
そして、聞いたらその場面の事実を説明してやろう、と思って。実に下らない理由だと自分でも思う。
『魔王相手に一歩も退かなかった。魔神相手に一番前で私を振り続けた。最強とも言える勇者達よりも尚前に出て戦い続けた。……何度倒れても、何度でも立ち上がった』
「そりゃ必死だっただけだ」
なんだそりゃ、と。
そうしなければ死んでいた。そうしなければ生き残れなかった。そしてなにより――何時も傷だらけだった。仲間達に守られなければ、何度も死んでいた。
だから退かなかった。だからエルメンヒルデを手放さなかった。だから立ち上がった。そうしなければ仲間達と並べなかった。
そしてなにより――子供たちが命懸けで戦っているのに、真っ先に俺がリタイアするなんてできなかった。
「死にたくないから一生懸命戦った。死なない為に殺した。普通の事だ、エルメンヒルデ」
『ああ、そうだ。普通の事だ』
死にたくないから、生きたいから、無様な姿を見せたくないから。
それは普通の事で、当たり前の事で、誰だって持っている感情だ。
格好良い? そうじゃない。そんな上等なモノじゃない。
格好悪い姿を見せて、仲間達に見限られるのが怖かった。周りに誰も居なくなるのが怖かった。この異世界で、同郷の仲間達を失うのが怖かった。
どんな言葉を重ねようが、答えは一つなのだ。皆に嫌われたくないから必死に戦った。
世界の為じゃない。誰かの為でも、何かの為でもない。俺は、口では誰かを守りたいなんて言っても、その実は自分の事だけで精一杯だった。
「誰だって出来る事だよ、エルメンヒルデ」
自分の為に――見ず知らずの他人の為ではない、自分の為に必死になる。
それは誰だって考える事。誰だって出来る事。生きる為に、死なない為に――当たり前に、誰だって出来る事なのだ。
『誰にも出来ない事だよ、ヤマダレンジ』
だが、俺の相棒の答えは逆で、だからこそ少し嬉しいと感じている自分が居る。
女神から与えられた力は、ずっと傍で俺を見ていてくれた。
どんな時も俺の剣となり、槍となり、弓となり――武器となって、一緒に戦ってくれた。
そして、いつも俺を英雄にしようと……今でも一緒に居てくれる。その俺は、どこにでもいる、ただの人間でしかないのに。
『私はそうは思わない』
外套を羽織り、腰に鉄のナイフを刺す。
枕元に置いておいたエルメンヒルデを手に取る。
『レンジだから出来た事があるんだ』
「そうか」
ピン、とエルメンヒルデを弾く。
その声はとても誇らしげで、どうしてか凄く恥ずかしい気持ちにさせられた。
だから、照れ隠しにエルメンヒルデをいつものように弾く。
出た目は、裏。
「はぁ。今日も一日頑張るかね」
『あと半日だがな』
それだけで、俺達はいつも通りの関係に戻る。
使い手と武器。相棒。そんな関係に。