番外編 日本の料理。地球の料理。
「何だ、もう店は閉めてたのか?」
もう夜も更けた時間。
明日の仕込みをしていると、店のドアが開いた。
ドアには閉店を知らせるドアプレートを出していたはずなのに、来店してきた男性は気にした様子も無く店内を歩く。
僕以外に誰も居ない事もあって、床の軋む音が鮮明に耳へ届いた。
「珍しいね……イムネジアに居たの?」
「ああ。この前船で戻ってきた――何か作れるか?」
男性は背負っていた大きな矛を椅子に立て掛け、カウンター席へ腰を下ろす。
ランタンの明かりの中、短く切られた赤い髪がうっすらと浮かぶ。
「食材は仕込みに使ったから、簡単なのしか作れないよ?」
「いいよ。お前の飯は美味いからな」
「はは。そう言ってもらえると嬉しいなあ」
この人はお世辞のような物は言わない。口にする言葉は、全部が本心だ。
逆に言えば、隠し事をせずにしゃべるので、貴族や王城に勤めているような偉い人とはあまり喋りたがらない。
そんな男性の言葉に破顔して、どんな食材が残っていたか頭の中に思い浮かべる。
「隆さんが居るってなると、アーベンエルム大陸に残っていた人達もみんな帰ってきたの?」
一年以上も前の話。
新しい魔神ソルネアと、彼女を魔神の座へ導くために起きた山田さんの戦い。
戦いは山田さんの勝利で終わり、魔神ネイフェルの力を注いだ黒いドラゴンと、彼と深い因縁のあった魔王シェルファは討伐された。
けど、それで戦いが全部終わったわけではなく、魔王が復活しないかとか、魔族が今後どのような行動に出るかを観察するために、アーベンエルム大陸には結構な数の騎士や傭兵が残っていた。
この男性、伊藤隆もその一人。
この人の場合は、強い魔物と戦いたいとか、そんな理由で残ったのだけど。
背負っていた巨大な矛を向ける相手を求め、自分がどれだけ戦えるのかを試したがる性格はこの世界に召喚された時から変わっていない。
この、死が隣にある異世界が自分にはよく馴染む、とはずっと昔にこの人が言った言葉だった。
食材を切り分けながら、色々と聞きたい事が頭に浮かぶけど今は聞かないでおく。
二人だけの店内。
昼間の喧騒――お客さんが僕の料理に舌鼓を打って喜んでくれる賑やかな時間も好きだけど、こういう静かな時間も好きだ。
だから明日の仕込みの為に、自分の店に一人残っていたりもする。
本当は、仕込みなんてもっと早く終わっていたのだ。普通通りに仕事をしていたら。
虫の知らせという訳でもない。
ただ、何となく夜遅くまで仕事をしていた。
そのおかげで、こうやって返ってきたばかりの隆さんと会話をする時間が出来ていたのは幸運と言えるのかもしれない。
「どうだ、儲かってるか?」
「どうだろ? でも、もう少ししたら二号店を出せるくらいには儲かっているかな?」
「はは。そりゃあいい、お前ならきっと王都一の料理人になって、店をもっと沢山出せるさ」
「そこまで人気になりたくないよ。ほんとは、二号店にもあまり興味が無いし」
石造りのキッチンに火を入れ、フライパンを温める。
調理道具一式、包丁まで全部が工藤燐さんの作。
自分でも丁寧に使っているつもりだけど、時折ふらりと現れては道具の手入れをしてくれるから、もう二年近く使っているというのにどれも新品のように使いやすい。
フライパンを熱して、切り分けた野菜を焼き、しばらくして余っていたオークの肉を入れる。
野菜が焼ける芳ばしい香りにオーク肉の油が絡まり、程良く焼けたら塩と醤油で味付けをする。
醤油は、味噌――大豆を蒸して、塩とこうじを混ぜて発酵させたもの。
この世界には元々なかった調味料なので自家製。まあ、知っている味とは結構違うけど、これはこれで美味しいし、異世界の人からすると新鮮な味と言う事で結構な人気がある。
そんな醤油で味付けをした野菜炒めを隆さんの前に置く。
「はい、簡単なものだけど」
「ありがとうな」
湯気が上る野菜炒めを前に隆さんは手を合わせて「いただきます」というと、一気に食べ始めた。
豪快というか、なんというか。
皆からはよく、もっと味わって食べたら、とか言われていたけど。こうやって勢いよく食べてもらうというのも作った方からすると嬉しいものだ。
隆さんが食べている間に水を用意して出すと、一気に飲み干してしまう。そしてまた、残っている野菜炒めを食べ始めた。
時間にして十分程度。
その間に、大皿に盛られていた野菜炒めは、その全部が胃袋に収まってしまった。
「ごちそうさま」
「はい。どうでした?」
「美味かった。というか、醤油は良いな。懐かしい味だ……少し薄かったけど」
「薄口醤油って事で」
「身体に良さそうだ。あと、米があればな……」
「うん。そっちも、色々と考えているんだ」
これからもずっとこの世界で生きていくなら、やっぱり懐かしい味……故郷の味は欲しい。
異世界に定着しなくても、僕達十三人には必要だと思うから。
「そうなのか?」
「今度、山田さんが王都に戻ってきたら相談してみようかな、って思ってる」
「蓮司にか?」
「うん。山田さんに頼んで、アストラエラ様経由で地球の調味料とか食材の種とか取り寄せてもらえないかなあ、って」
「女神様の宅配かよ」
お酒を飲むかな、と。確認しないままコップに少し注ぐと、隆さんは嬉しそうに笑って少し甘めの果実酒を一口飲みながら破顔した。
「いいな、それ。蓮司のお願いなら、アストラエラも聞いてくれるかもしれないな」
「でしょ? 本当は僕がお願いするのが、筋が通っているのかもしれないけど」
「気にしなくていいだろ。アイツも米を食いたいだろうし」
僕も洗い終わっていたコップを一つだし、果実酒を注ぐ。
「他にも、ワサビとか山芋とか……この世界じゃ手に入らない食材が欲しいな」
「あー……良いね、ワサビ。刺身は出しているけど、ワサビの刺激は懐かしいなあ」
「ほんと。地球に居た頃は当たり前に食べていたのに、こっちだと見付ける事も出来ないってのはちと辛いよな」
「だね。でも、僕からすると調味料は一から作るのも楽しいし、食材は代わりの物を探すのは新鮮で楽しいよ」
「楽しいばっかりだな」
何時の間にか空になっていた隆さんのコップに、再度果実酒を注ぐ。
すると、そのコップを差し出してきた。
「新しい食材が手に入るかもしれない事に、乾杯」
「酔ってる?」
「まさか。この程度で酔うかよ……コメが食えるかも、って思うと嬉しくてな」
その言葉に苦笑して、コップを合わせる。
カチン、と小さな音が店内に響く。
「乾杯。つまみ、何か作ろうか?」
「おう。枝豆をくれ、枝豆」
「果実酒に枝豆って合うの?」
「さあ? 食った事はないな」
僕も無い。
まあ、何事も経験だと思って、豆類を保管している棚を開ける。
枝豆もこの世界には無いので、似たような大きさの豆を取り出してさっと塩ゆでするだけ。簡単にできる酒のツマミだ。
「枝豆も無いから、種が欲しいね」
「そういえば、さっきも種って言ってたな。育てるのか?」
「もちろん。使える食材が増えれば、作れる料理も増えるからね」
頭の中には無数のレシピがあるのに、食材が無いので作れない。
それは、料理人としては結構なストレスだ。
代わりの食材を探すというのは楽しいけれど、地球の料理を振る舞いたいという欲求もある。
いずれは、この世界と地球の料理を合わせてオリジナルの料理を、とも思ってしまう。
……本当、やりたい事は沢山、そして色々ある。
振る舞いたい料理。作りたい食材。用意したい調味料。
納豆や山芋なんかは受け入れてもらうのは難しいかなあ、とか。うどんは提供しているけど、それだけじゃなくて蕎麦やラーメンなんかも食べてほしい。
この世界では肉料理が人気だけど、美容や健康にいい料理を女性客に提供したらどんな感想が貰えるだろうか、とか。
「考えただけで料理を作りたくなってくるんだ」
「はは……お前のそういう所は、本当に凄いって思うよ」
「僕からすると、ドラゴンとか魔王とかに正面から向かっていく隆さんや山田さんの方が凄いと思うけど」
「……ま、凄いの方向性なんて人それぞれかね」
「そうだね」
そう言うと、今度は僕のコップに隆さんが酒を注いでくれる。
「しかし、蓮司か。アイツ、今何処に居るんだ?」
「さあ? 優子さんなら知ってるかな?」
偶にご飯を食べに来ては、皆が何をしているか教えてくれる。
傍に居なくてもある程度の居場所を認識できる魔術を使えるようになったらしい、と話すと隆さんが呆れたように息を吐いた。
「何でもありだな、あの人」
「確かに」
そして、二人の頭に浮かぶのは銀髪で左右異色の魔法使い。
優子さんが新しい魔術を使えるようになったという事は、どこかの誰かがその魔術を『使った』と言う事だ。
……まあ、いつもの事か、と。
新しい魔術を見せびらかす魔法使いと、一度見た魔術を模倣する賢者。
いつもの事。学習しないというか、新しい魔術を見せて『構ってほしい』んだろうなあ、と思いながら酒で喉を潤す。
「近いうちにまた店に来るだろうし、その時に聞いてみるよ」
「そうか」
「そういえば、隆さんはこれからどうするの? しばらく王都に居る?」
何気なく聞くと、隆さんはんーと悩むように天井を見上げた。
つられて、僕も天井を見る。当然だが、何も無い。
「そうだな。働き口を探して、しばらく王都で過ごすのもいいかもな」
「じゃあ、ここで働きなよ。客商売って、人手はいくらあっても足らないんだ」
「……俺が客商売かよ。いらっしゃいませー、とか言うのか?」
「はは。似合うよ、うん」
「嘘吐け。そんなところを見られたら、皆から笑われるっての」
想像しただけで笑えるから、実際に見たらきっとみんな笑うだろう。
「他にもしてほしい事はあるよ。食材の搬入とか、掃除とか」
結構辛いんだよね、アレ。
店を持って初めて分かったけど、調理をすれば生ゴミが出る。他にももう使えなくなった食器の処理や、店内の掃除。
客がいる間は出来ないから、仕事が終わってからそれらをするとなると結構時間が遅くなる。
そこから今度は次の日の仕込みに、朝になったら市場に出て食材の確保。
今では慣れたけど、店を持ったばかりの頃は……単純に料理を作る事だけを考えていただけに、堪えたものだ。
「お、いいね。力仕事は得意分野だ」
「あと、酔ったお客さんがウエイトレスさんに手を出した時の用心棒みたいな?」
「ますます俺好みの仕事だな」
それだけじゃないけど、どうやら仕事に興味を持ってくれたらしい。
「……米が食えるようになるまで、ここで働くのもいいかもな」
「そんなにお米が食べたいの?」
聞くと、隆さんは子供のように無邪気な笑みを浮かべて頷いた。
連続更新五日目です。
五日目だよね?
日付の感覚が曖昧です……。
書いていたら、お米を食べたくなった。
明日の朝は、おにぎりにしようと思いました、まる