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番外編 おひめさまの不満


「ユウコ様、お時間は大丈夫ですか?」


 私室で書類とにらめっこをしていると、ドアの向こうからそんな声が聞こえた。

 顔を上げ、周囲を見回す。

 少し太陽が傾き、茜色の陽光が窓から差し込んでくる室内。

 どこか懐古的な印象を受ける色褪せた部屋を見て、いつの間にか時間が経っている事に気付いた。

 どうにも、集中してしまうと時間の感覚が曖昧だ。

 人はそれを真面目というけれど、仲間の皆からすると仕事の頑張り過ぎだと怒られてしまう。

 毎日、城下町で店を開いている藤堂君が作ってくれる栄養ドリンクが残っていたので飲み干すと、ドアが控えめにノックされた。


「ユウコ様、起きていますか?」

「あ、はい。鍵は空いているから入ってください」


 私がそう言うと、木製のドアがギイという音と共に開かれる。

 そこに居たのは、このイムネジア王国のお姫様。アマルダ姫。

 腰まで伸びた銀髪に、白いドレス。肌も白いので、なんだか雪を連想させるお姫様。

 彼女は四人の侍女を連れていて、ドアを開けると私に柔らかな笑みを向けた。


「少し相談したい事がありまして」

「はあ、相談ですか」


 またか、と。

 ここ一年で増えた『相談』の内容を思い出し、顔には出さないようにして、けど小さく息を吐く。


「それでは……私はユウコ様と話す事があるので、貴女達は席を外しなさい」


 そんな私の様子を気にする事無く、アマルダ姫は侍女たちに離れるようにと言う。

 侍女たちは私に、そして姫様に一礼して退室。

 まあでも、部屋の外で待っているんだろうなあ、と思っているとドアが締められた。


「はあ……疲れました」

「息抜きも大事だと思いますが、あまり訪ねてこられると私も睨まれてしまうのですが?」

「大丈夫でしょう? 貴女に文句を言える人間が居るとは思えませんが」

「いや、面と向かって文句は言われませんが、煙たがられるというか、目を付けられるというか」


 それが、単なる嫉妬……姫様と仲が良いのが気に食わないという感情ならいいのだが、姫様と仲が良いから将来的に補佐させようという考えを持っている人からすると、縛られるから面倒なのだ。

 具体的に言うと、この国の王様。アマルダ姫のお父様。

 もう高齢なので、いつその座を退くか分からない――そうなると、後継者が必要なわけだ。

 次の王様。次のイムネジア王。

 その時、姫様は次代の王と結婚する事になるし、そんな姫様を補佐する人間を……と言う考えが王城内では語られるようになっていた。

 というか、偶に私の耳にも届くのだ。


「それで、私に何か話でも?」


 手元の書類に目を通しながら口を開く。

 それを不敬と断ずることなく、アマルダ姫は部屋の中にあったソファに腰を下ろした。

 白いドレスがふわりと広がり、甘い……花の薫り。香水だろうか。良い匂いに口元を緩めてしまう。


「ユウタ様の事ですわ」

「ああ」


 九季雄太。私と同じ、異世界――地球から召喚された、十三人の英雄の一人。騎士団に所属する青年で、アマルダ姫の想い人。

 今、この国の次代の王になるだろうと目されている人物。その名前を聞いて、この方が何を言いたいのかを理解して苦笑する。


「遠征に出て、もう十日ですか」

「ええ。二日に一度は早馬で状況を報告してもらっているけど、やっぱり心配だわ」


 まあ、言いたい事は理解できる。

 雄太君が遠征に出て、もう十日。想い人が魔物と戦っている事を心配しているのだろうけど、魔神不在の影響が薄れた今では、イムネジアに湧く魔物はその勢力を縮めている。

 それに、今回の相手は王都から離れた場所にある村で起きたゴブリンの大量発生。

 対応に当たっているのは雄太君が率いる騎士団。

 彼に限って油断はしないと思うが、それでも心配なのだろう。


「大丈夫ですよ。彼なら」

「そうじゃなくて」


 私の言葉に、アマルダ姫は少し駄々を捏ねるような感じでソファに背を預けて伸びをした。

 はしたない、と思ったが指摘しないでおく。

 生まれも育ちもお姫様だけど、だからといって王宮の暮らしにストレスを感じないわけではないのだ。

 元が庶民の私にだからこそ、そんな気の抜けた態度を見せてくれるのだと知っている。

 これが王である父親や、部屋の前で待っているであろう侍女の前では、この女性は『お姫様』でなければならないのということも。

 この部屋の中にいる間くらいは好きにしてほしい、と言うくらいの気持ちはある。

 だから特に何を言うでもなく、大きく背を逸らして足を延ばすお姫様を眺めてみる。

 ふわふわの長い髪に、無駄な贅肉など僅かも無い括れた腰、乱れたスカートから覗く細い脚。

 そんな、全体的に細いのに、まるで大きな果物を詰めたかのように膨らんでいる胸元。

 美しく成長したお姫様は、その魅力をあますことなく――同性である私に見せつけながら、身体を伸ばしてリラックスしている。

 ……そのまま、視線を自分の胸元へ。

 いや、もう諦めたけど。今年でもう……アレだし。いい歳だし。成長なんて諦めたけど。

 それでも溜息が漏れそうになり、それを我慢。


「ユウタ様ったら、仕事の報告ばかりで自分の事なんて一言も添えていないのよ?」


 早馬が運んでくる報告書の事だろう。

 真面目な彼らしいと思う。

 ただ、アマルダ姫からすると、それがちょっと物足りないのだとか。


「危険な仕事ですから。行使のけじめは大切ですよ」

「分かっているわ、ユウコ。でもね。その……少しは私の事も気にしてほしいなー、って思っちゃうの」


 砕けた口調になりながら、アマルダ姫が言う。こっちが、この人の素なのだ。

 分からなくもない。

 私も……こうやって机に座って仕事をしていると、不意に思う時がある。

 偶には会いに来てほしいとか、声を聞きたいとか、今度会ったら何をしようとか――置いていかれた腹いせに何をさせようかとか。

 まあ、居場所は分かっているので転移魔術を使って会いに行く事も出来るし、仕事が落ち着いたら帰ってきてくれるからそれほど不満はない。

 ただ、私が居ない所で新しい女性と知り合ったり、フランシェスカさんや阿弥と仲良くなっているのは色々と思う所があるけど。

 多分本人は気づいていないだろうけど、そういうのは結構筒抜けなのだ。帰ってきたらエルメンヒルデが教えてくれるし、山田君がいないから退屈らしいアストラエラ様の話し相手をするでに教えてくれたりする。

 女神って何だろうとか偶に思うけど、なんだかんだで今を楽しんでいるみたいだからいい事な野だろうと思っておく。


「こほん。明日か明後日には戻ってくる予定だったはずですから、もうしばらくの我慢ですよ」

「そうだけど……うーん。やっぱり、お仕事中に気にしてほしいって思うのは我儘かしら?」


 その言葉に、失礼かもしれないけど吹き出してしまった。


「アレで結構お茶目な性格だから、もしかしたら姫を驚かせるために敢えて仕事の報告だけをしているのかもしれませんよ」

「……そうかしら?」


 思い付きだったけど、なんだかアマルダ姫の心の琴線に触れたらしい。声が不自然に上擦っていた。

 こういう所は昔から変わらない――雄太君と出会って、仲良くなって、恋に恋をしていたお姫様だった頃のまま。

 何時の間にか恋は愛に変わっていて、相思は相愛になっていた。

 ……若いなあ、と思う。

 お姫様と騎士の恋。

 いくら雄太君が英雄の一人とは言え、まだまだ二人の恋愛に否定的な貴族は多い。

 王族とは立場だけでなく、血脈も大切なのだ、と。

 有力貴族と結婚して王族の力を強める――そう考えている人も居る。

 それがこの世界における一般的な考えなのだと、理解も出来る。

 でも、私は好き合っている二人に、幸せになってほしい。というか、同じ異世界から召喚された仲間なのだから、幸せになってほしい。

 その為なら、どんな手伝いでもするつもりだ。

 まあ、障害があった方が恋は燃え上がるとか、なんだかどこかの本で読んだような気もするけど。

 だからこんなに、アマルダ姫は雄太君を気にしているのかもしれない。


「とにかく――」


 大丈夫ですよ、と。

 そう口を開こうとしたら、少しドアの外が騒がしくなったような気がした。

 有事の――緊張や焦りは感じない。私は魔法職……本職は魔術師だけど、それなりに気配には敏感なつもりだ。

 この異世界に召喚されて、長く旅をした事で培った経験の賜物。

 その経験と勘が、危険を知らせてこない。

 続いて、少しの間をおいてドアがノックされた。


「あら」


 呟いて、アマルダ姫がソファの上で姿勢を正す。

 それを確認してから鍵が開いている事を告げると、ドアが開かれた。


「ただいま戻りました、優子さん、アマルダ姫」

「…………」


 そこに居たのは、見上げる程に高い身長を持つ男性。全身鎧に身を包み、柔らかな微笑みを讃えたまま――雄太君は後ろ手でドアを閉めた。


「本当は明日戻ってくる予定でしたが、思いのほか早く仕事が片付きましたので」

「ユウタ様っ」


 そこからの行動は、人並み外れた動体視力を持っている私でも驚くほど速かった。

 満面の笑みを浮かべたアマルダ姫が勢いよくソファから立ち上がり、雄太君へ抱き付いたのだ。

 ……鎧を纏っているんだけど、痛くないのだろうか。

 痛くないんだろうなあ。

 愛って凄い。

 とか考えながら、視線を窓の外へ。

 恋人同士の逢瀬を見続けるほど、野暮ではないつもりだ。

 たっぷり二十秒。頭の中で数えてから、視線を入室してきた雄太君へ向ける。


「そういえば、優子さん」

「うん?」

「仕事先で、山田さんと会いましたよ」

「……ああ、そういえば今はあの辺りに居るんだっけ。でも、向こうは雄太君の事は知らなかったはずよね?」

「偶然会って、仕事を手伝ってもらったんです。お蔭で、一日早く帰ってこれました」

「レンジ様が――今度会ったら、お礼を言わないと」

「多分忘れてるんじゃないかな、彼」


 そもそも、今度はいつ戻ってくるか分からないし。

 エルメンヒルデに世界を見せるー、って言って旅に出て。ふらっと帰ってきたと思ったらひと月ふた月もしたらまた旅に出るし。

 それも、ここ最近は頻度が少なくなってきている。

 多分、これは勘でしかないけど……山田君の旅はもうすぐ終わるんだろうな、って思う。

 それを嬉しいと思う反面、少し寂しいとも思ってしまう。

 ……だって、旅をしている山田君は、本当に楽しそうに笑っているから。

 その顔が好きなんだよなあ、と思うのは惚れた弱味なのだろうか。


「優子さん、どうかしましたか?」

「いいえ。無事なのは分かっているけど、便りの一つも寄越さない朴念仁をどうしてやろうかって考えていただけよ」

「お手柔らかに」

「ふふ」


 その言葉に返事はせず、笑顔だけ浮かべておく。


「それより、アマルダ姫。いつまで抱き付いているんですか?」

「ああ、ユウタ様……くんくん、ちょっと汗の香りがします」

「真っ先に来ましたから」

「ユウコへ挨拶に?」

「姫に会いに、です」

「惚気るなら出ていってちょうだい」


 まったく。

 冗談なのだろうけど、人の私室で愛を囁き合わないでほしい。

 私がそう言うと、アマルダ姫は悪戯が成功した子供のように笑って、雄太君から離れた。


「ごめんなさい、ユウコ。凄く嬉しくて」

「そう。分かったから、続きは雄太君の部屋……だと侍女が何か言いそうね」

「そうなのよ。お父様が王座を退くって噂が流れて、二人で会う時間も取れないし」

「そうですね」

「この部屋しかないのよね。ゆっくりとした時間を作れる場所って」


 私にとっては、こう、なんというか。凄く勘弁してほしいのだけど。

 お姫様にそう言う訳にもいかず、この年頃では自制というのも難しいだろうとは理解しているので……結局溜息を吐いて、満足するまで部屋で過ごしてもらう事にする。

 こう、目の毒だけど。凄く。


「はあ」


 あれから、色々と世界は変わった。

 きっと、これからも変わっていく。

 山田君の旅が終わるように、きっと、ずっと同じものなんてどこにも無い。変わらないものなんて、ないのだ。


「そういえば、山田君と会ったなら、何か伝言とか……ある?」


 最後の方が小さな声になってしまったのは、自分でも期待しているからだ。それくらい、自覚している。

 そして、そんな私の内心を悟ったらしい雄太君は、アマルダ姫と一緒にソファへ座りながら笑みを深めた。


「もうすぐ帰ってくるそうですよ」

「そう」


 それだけでよかった。

 ううん。

 それだけじゃ満足できないけど……いまは、それだけでいい。

 無事に、ちゃんと帰ってきてくれる。それが、嬉しい。


「ふふ」


 それを聞いた私を見て、アマルダ姫が声に出して笑う。


「嬉しそうね」

「……ええ」


 隠してもしょうがないので、素直に頷く。


「貴女と同じですよ、アマルダ姫」

「え?」

「会えなくて心配で、けど伝言を聞いたら安心する――そして」

「顔を見たら甘えたくなる?」

「流石にそこまでは」


 それは、私の「キャラ」じゃないという事くらい自覚している。

 ただ、まあ。


「帰ってきたらどうしよう、何をしよう、何をしてあげよう……って思っています」


 そういうものだ。私と彼の関係は。

 それを、人は何と言うのだろう。他人は、どう思うのだろう。

 けど、私は思う。強く、強く。


――無事で帰ってきてくれる。それが一番嬉しい、と。


 置いていかれた文句とか、頼り一つ寄越さない事への不満とかも忘れて。

 帰ってくると言った雄太君の言葉を反芻しながら、私は視線を窓の外に向ける。

 遠く、夕焼けが沈もうとしている空。

 ただ眩しいだけだったその輝きが、今はとても暖かいもののように思えた。





連続更新三日目です。

いつか九季君とお姫様の話も書きたいな、と。

そう思っていました。

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