幕間 少女の一日2
レンジ・ヤマダという人物はどういう人だと思うか。
十人に聞けば十人が『英雄』と答えるだろう。救国の英雄。救世主。
この世界を救う為に異世界から召喚された十三人の神殺しの内の一人。
異世界人に多い黒髪黒眼、性格は御人好しで他人を見捨てられない。
子供好きで、十代ばかりだった召喚された子供たちの面倒をよく見ていたと言われている。
王族からの信頼も篤く、また異種族が多く住むエルフレイム大陸との繋がりを強めたのも彼なのだと言う人が多い。
現に獣人たちが信仰する精霊神。彼の神の詔を賜る神職の者からも信頼以上の感情を向けられているのだとか。
女神アストラエラ様より『ギフト』である女神の剣『エルメンヒルデ』を授かった英雄。
剣の腕、戦いの才能もあり、何より勤勉で謙虚な人物でもある。
強くなることに貪欲で、この世界に召喚された際、旅に出るまでの間は毎日のように戦いの訓練を行っていたそうだ。
イムネジア王国、第一騎士団団長であり、王国最高の剣士とも謳われるオブライエン。その親友であり好敵手でもある第三騎士団団長セルベリエ。
その二人ですら舌を巻くほど勤勉であったそうだ。そして、恐ろしいほどの速さで成長した。
勉学に対しても同様で、『賢者』『魔女』と呼ばれる神殺し、ユーコ・ウタノ。
彼女と共に王城にある書物の殆どを読み解いたというのは、誇張ではなく事実だと誰もが知っている。
訓練にも勉学にも人並み以上の努力を重ねたのだと誰もが言う。
後に女神の聖剣を賜り、勇者と呼ばれる事になるソウイチ・アマギ。
当初は彼ではなく、レンジ・ヤマダの方が勇者だと影では言われていた。
常に十二人の神殺しの一番前を歩き、道を示し、戦い続けた人。
屈服を拒み、絶望を跳ね除け、その眼光には魔神すら恐れを抱いたのだと吟遊詩人は謳う。
事実、彼は人知を超えた魔神と一対一で斬り結び、退かせたのだと言う人も多い。
魔王にも臆さず、ドラゴンすら恐れず、魔神と切り結び、ついには斬り伏せた英雄。
『神殺し』でありながら女神の寵愛を受け、その加護を最も受けた男。
翡翠の神剣を手に、女神の加護に守られ、世界を救った大英雄。
そして魔神討伐後、行方を眩ませた――人。
今では元の世界に帰ったのだとも、人知れず魔神の軍勢と戦い続けているのだとも、女神と共に幸せに暮らしているのだとも言われている。
事実は王家によって隠され、誰にも伝えられていない。
吟遊詩人が謳う歌は様々な形があり、そして真実はどこにも無い。
その真実を知っているのは一部の貴族と王族、そして十二人の神殺し達だけである――。
私がアルバーナ魔術学院に戻って、三日が経った。
レンジ・ヤマダ様との旅。何も知らずに仕事を依頼し、旅の手解きをしてもらい、私の目的であるオーク討伐を助けてもらった。
たった二週間ほどの旅だったが、今まで生きてきた中で一番衝撃的な二週間だったと今では思う。
英雄。魔神討伐の為に異世界から召喚された十三人の内の一人。そして、神を殺した方。
思っていたよりもずっと気さくで、話しやすい方だったのは今でも信じられない。
もっと堅苦しくて、厳格な方だと思っていたからだ。
そして、とても強い方。ゴブリンは言うに及ばず、十数体のオークにすら臆することなく向かって行った背中は今でも鮮明に覚えている。
魔術を使うオークと対峙した時のレンジ様は、御伽噺の英雄そのものだった。
魂すら焼き尽くしてしまいそうな黒い炎。オークに囚われる私。その私を守るように立ち塞がるレンジ様。
その手には女神様の剣である翡翠色の神剣『エルメンヒルデ』。ただの魔力だけで魔術を消し飛ばせる力。
そんなレンジ様との旅を経て、私は無事に試験を合格する事が出来た。
……そして、少しだけ学院生活に変化があった。
「おはようございます」
挨拶をして、教室へと入る。
由緒正しいと言えば聞こえがいいが、古めかしい引き戸の扉を重い音を立てて開く。
そうすると、大きな声で話していたクラスメイトの視線が一瞬だけ私に向いた。
「お、おはよ……」
その事に驚いて、身を引きながらもう一度挨拶をする。
引き攣った声は……出ていなかったと思う。少し心臓が高鳴っているが。
何か言われるだろうか、と一瞬身構えるが皆の視線は私から逸らされる。一つ安堵の息を吐いて教室へと入る。
何人かの親しいクラスメイトが挨拶をしてくれて、私も挨拶を返す。
「ねぇ、フランシェスカさん」
「なんでしょうか?」
席に着くと、挨拶をしてくれたクラスメイトの一人が声を掛けてくる。
昨日は筋肉痛でまともに返事が出来なかったが、今日は少し落ち着いている。
まだ体の節々が少し痛むが、笑顔で返事を返せた。
「その……今回の試験、ヤマダ様と一緒に受けたという噂は本当?」
「え、あ、はい」
クラスメイトが私に向ける視線の変化。
その変化は、レンジ・ヤマダ様。救世の英雄の一人と旅をしたという事。その話題は瞬く間に学院に広がっていた。
教師の人達には、あまり口外しないようにお願いしたのだが。レンジ様は、どうしてかあまり目立ちたくないと言っておられたから。
……結局広まってしまったが。これは、私が悪いのだろうか? 安易に名前を出してしまったのだから。
私の試験内容。オークの討伐。
それ自体は問題無い。実際討伐した。だが十四体。しかも一体は魔術を使う見た事も無いオーク。そんな私の話を教師たちが信じるはずもなかった。
与太話とまでは言われなかったが、どうやってその数のオークを討伐したのかを根掘り葉掘り聞かれた。
聞かれて、説明しているうちにレンジ様の事を話してしまったのだ。名前を出して、エルメンヒルデ様の事まで話してしまった。……やっぱり私が悪いか。
変に大事にならなければいいけど、と少し胃が痛い。助けてもらって、手を貸してもらった恩がある。
迷惑は掛けたくない、と思うが……はぁ。
「レンジ様には、本当に助けられました」
「あの噂は本当だったんですね!?」
「え、ええ……噂、というモノがどういうものかは判りませんが」
クラスメイトが嬉しそうに声を上げる。その所為で、他のクラスメイト達の視線も私へ向く。少し恥ずかしい。
レンジ・ヤマダ様についての情報は少ない。名前、容姿、どんな人物か――それは一年前の話だ。
それ以降の情報は全く入って来ない。村や町の人にも、貴族にも。
異世界に一人で帰ったとも、旅の途中で失った愛しい人の墓守をしているとも、女神様と幸せに暮らしているとも言われている。
実際は、旅を続けていたようだが。
そんな情報が全くない英雄の話は、こういう閉鎖的な学院の中では恰好の話題になる。
昨日は筋肉痛でそれどころではなかったが、今日は朝から寮でも同じ事を聞かれた。
レンジ様の事。お人柄を、容姿を、何が好きで、何が嫌いで、今まで何をしていたのか、と。
たった二週間、旅を一緒にしただけの私がそこまで詳しいはずがないのに。
適当に応える訳にもいかず、知らないとしか言っていない。
事実なのだが……一部の人には、私がレンジ様の情報を独り占めにしていると言われているようだ。
むしろ、私だって知りたいのだが。
「気さくな方でしたよ。旅の途中、私の事を良く気に掛けて下さいましたし」
「それって、フランシェスカさんが美人だからじゃないですか?」
「……そんな事は無いと思いますけど」
その一言にどう返せばいいか判らず、曖昧に苦笑を返すしかない。
実際、旅の途中。野宿の際。ふとした拍子にレンジ様の視線を感じる事があった。
だが結局は手を出してこなかったし、それどころか安心できる方だとも感じた。
あれが人徳というのか、それとも私がお人好しなだけなのかは判らないが。
よく私の事を美人だと言って下さった事を思い出して、少しだけ胸が高鳴る。
まぁ、レンジ様からしたらただのからかい、冗談だったのだろうが。
「あとで旅の様子、詳しく教えていただけますか?」
「えっと――」
どう答えるか言葉に詰まってしまうと、丁度良い所に担任の教師である中年の女性が教室へと入ってくる。
「先生が来ましたよ」
「ありゃ……それじゃ、また後で」
運が良かったと思うべきか、まだこの話が続くのかと溜息を吐くべきか。
レンジ様はどうしてか、英雄と呼ばれる事をあまり良く思われていなかった。
オークを討伐した後も私を功労者と言われ、本人は僅かばかりの報酬とお酒を飲んで満足されていた。
私なんかよりもレンジ様の方が凄いのに、と言うとそんな事は無いっていつも笑っていたし。
謙虚な方だと思う。
私なんかよりもずっと凄いのに、その事を鼻に掛けないし、いつも私の事を気に掛けて下さっていた。
それに、私だって馬鹿じゃない。世間には疎いかもしれないが、何も知らないわけじゃない。
オーク十四体。
それを討伐するのに必要な費用は金貨数枚なんてものじゃない。
一体一体ならそんなに問題にならないのかもしれないが、十数体纏めてとなると王国騎士団を動かす必要すらある数だ。
その時に掛かる費用は、金貨数十枚。下手をしたら報酬だけで銀貨が必要になるかもしれない。
だというのに、レンジ様が求めたのは金貨四枚だけ。あのオークの死体を商人に売った方が倍は儲ける事が出来た額だ。
田舎の村にそれだけの費用が払えないと判っていたのだろうが、それでも破格という問題ではないほどに安い。
そして、その半分はあまり役に立てなかった私に渡された。
戦い方も、魔術の使い方も教えてもらった。役に立つどころか油断して捕まってしまった私なのに、報酬の半分を渡して下さった。
私が初めて冒険者として稼いだお金。英雄であるレンジ様と一緒に得た報酬。
あの金貨二枚は、今も大事にとってある。私の宝物だ。
学院からはちゃんとした冒険者を用意できなくてと謝られたが、むしろ感謝している。
そのお蔭で、かけがえのない体験が出来たのだから。
そしてもう一つの学院生活の変化。
それは、授業が終わった放課後。
「フランシェスカ先輩っ」
「こんにちは、ソウイチ君。クラスまで来てくれて、ありがとうございます」
「いえ、そんなっ」
「そんなに畏まらなくていいですよ」
クラスがざわめく。
それは授業が終わったからではなく、自分達のクラスに『勇者』であるソウイチ君が来たからだ。
私がレンジ様と旅をしたという事。一緒に依頼をこなしたという事。
その事は同じ『神殺し』であるソウイチ君やヤヨイさん、アヤさんの耳にも届いていた。
すぐに私の所に来て、レンジさんの事を聞かれたのだ。
「ヤヨイさんもこんにちは」
「はい。こんにちは、フランシェスカ先輩」
ソウイチ君とヤヨイさん。ソウイチ君はあまり身長が高くないしヤヨイさんは女子としては身長が高いので、二人が並ぶと双子のように見えなくもない。男と女の差異はあるが、服装を統一すれば……少し難しいだろうか?
お二人は兄妹で、とても仲が良い。容姿も似ていて、ソウイチ君が髪を伸ばしたら、ヤヨイさんとそう変わらないのでは、と思えてしまう。
私は上に二人の姉が居るが、あまり仲が良いとは言えない。
というよりも、お互いの事にあまり干渉しないと言うべきか。
家を継ぐ上の姉、商才があり親からの期待も篤い中の姉。魔術は使えるが才能は乏しい私。
この学院を卒業後にはお見合いをし、どこかの貴族か有名な商家に嫁ぐ事になるだろう。
ならいっそ、その時までは自分の好きなように生きようと魔術学院に通う事にした。親には無理を言ったと自覚している。
口には出していないが、もっと安全な学生生活を送ってほしいと思っているはずだ。
この学院に通う事になってから、実家の方へは最低限の顔見せしか行っていない。
月に一度、お父様やお母様から手紙が届く事から、心配してもらえているとは思うが。その手紙の内容は、家に戻ってこいやそろそろお見合いはどうか、という内容だが。
実家とは少しギクシャクしているので、仲が良い二人を見ていると嬉しい気持ちになれる。
「今日は、アヤさんは一緒ではないのですか?」
「阿弥の奴は、今日はギルドの方に依頼を出しに……」
「アヤさんがですか?」
ソウイチ君が困ったように言い、首を傾げてしまう。
アヤ・フヨウさん。この学院に通うもう一人の『神殺し』であり『大魔導師』の名で有名な魔術師。
正直、どうしてアヤさんのような凄い魔術師が今更学院に通うのか判らない時がある。
実際アヤさんはこの学院の教師陣よりも魔術に精通していて、封印されている魔術書すら読み解けるほどの才能の持ち主だ。
教師の人達は皆扱いに困っているというか、彼女が何をしても何も言えない状況だという話だ。
彼女自身の人柄は悪くないのだが、年齢が肩書と実力に伴っていない。
実績も実力もあるのに、若いからと下に見る教師が多いのは古い伝統に囚われているアルバーナ魔術学院の悪い所か。
だから教師の中には、彼女を悪く――とまでは言わないが、良く思っていない教師が少なからず居る。
しかし実力があるのは本当。『神殺し』の肩書からも、それは判る。だから誰も何も言わない。
それに、彼女の入学を勧めたのは王国だ。そんな彼女に面と向かって悪く言えるはずもない。
それにしても『大魔導師』とまで謳われる彼女がギルドに仕事を依頼する、というのが判らなかった。
私のように並みより少し下の魔術師なら誰かに頼らないといけないのだが、彼女なら何でもできる、と私が思い込んでいるからかもしれない。
「ほら、蓮司兄ちゃんの事を聞いた時にフランシェスカ先輩、ギルドで兄ちゃんに仕事を依頼したって言ってたじゃないですか」
「え、ええ。そう言えば」
「それで阿弥ちゃん。蓮司兄さんが捕まらないか、昨日からギルドに依頼を出してるんです」
「そうなんだ」
なんか、可愛いな、と思ってしまう。
アヤさんはどちらかというと気が強いイメージがある。
ツリ目で、いつも胸を張って歩いている。それに、ソウイチ君を何時も怒ってる……多分、本人達からしたらいつもの事で、じゃれている感じなんだろうけど。
それでもそんな所を学院の中で見せると、どうしても気が強いというイメージが作られてしまう。
そんな彼女が、レンジさんと会う為に放課後にギルドまで行っているというのだ。
魔術都市オーファンにはいくつかの区画がある。
貴族達が居を構える貴族区。
商人達が店を構える商業区。
魔術学院や錬金術の工房が集まる学院区。
宿屋や酒場など、娯楽の場が集まる歓楽区。
大きく分けるとその四つだろう。
アルバーナ魔術学院がある学院区からギルドがある商業区までは結構な距離がある。
授業が終わってから行くとなると、遅い時間になってしまうだろう。
それでも会いに行くと言うアヤさんに、三人で苦笑してしまう。
「ちゃんとフランシェスカ先輩に聞いたみたいに、薬草採取で依頼を出してるみたいなんですよ、阿弥ちゃん」
「なんだか可愛いわね、彼女。もっと気が強いのかと思ってたわ」
「いや……気は強いんですけどね、実際」
そう疲れたように呟くソウイチ君に苦笑してしまう。ヤヨイさんも困ったような視線をソウイチ君へと向けている。
お兄ちゃんが女の子に頭が上がらないのは、妹として少し思う所があるのかもしれない。
私のもう一つの学院での変化。
レンジ様という共通の話題が出来て、『神殺し』であるソウイチ君達と仲良くなれたという事だろう。
「でもいいの? 私なんかと話していて。ソウイチ君達は、何かやる事があるのではないのかしら?」
「はは……皆そう言いますけど、僕も弥生も、別にやる事は無いんですよ」
「そうなのですか?」
「はい。私もお兄ちゃんも、今は普通の学生ですから」
今は、普通の学生。
ヤヨイさんの口から自然と出た言葉が、彼女たちの立場を教えてくれる。
ソウイチ君、ヤヨイさん、アヤさん。
私よりも年下なのに、救国の英雄として、神殺しとしての重圧を背負っている三人。
そしてレンジ様――自分は英雄ではないと言っていた人を思い出す。
英雄。その肩書は重いのだろう。きっと、私なんかが思っているよりもずっと。
好奇や期待の視線に包まれながら、それでも年頃の男の子や女の子のように学生生活をしているソウイチ君達。
国の為に働いて下さっている他の英雄の皆様。
レンジ様。たった一人で、国の後ろ盾もなく、神殺しとしての名声もなく――辺境の村々を回って名も知らない、繋がりも無い、そんな人たちを救って回っている。
ただの冒険者として報酬も微々たるもので、私のような何も知らない貴族すら助けて下さる。
ソウイチ君達から聞いたが、あの人は一年前からずっとそんな生き方をしているそうだ。
そんな事、誰が出来るだろう。
英雄として国に仕えれば、生涯苦の無い生活を送れると言うのに。それを蹴って、辺境の皆の為に尽くして下さっている。
その生き方は正しく『英雄』と呼べる生き方で、だからレンジ様の話をする時ソウイチ君達は嬉しそうに、誇らしそうに笑うのだろう。
「今は、ですか?」
「はい。今は、です」
そう聞くと、嬉しそうにソウイチ君とヤヨイさんが笑う。
それは年相応の笑顔で、神殺しや英雄の重圧なんて感じさせなくて、私まで嬉しくなってしまう。
そんな笑顔だ。
「もうすぐ武闘大会の最終選考がありますから、それまでは暇ですしね」
「ああ、そういえば……」
「フランシェスカ先輩も頑張ってくださいね」
「ありがとうございます、ヤヨイさん」
武闘大会への最終選考。選ばれるのは五人で、うち二人はもう決まっていると言える。
もうひと頑張りで、私も武闘大会への出場資格を得られる。英雄である二人と肩を並べられる。この学園に入学した意味、確かな形を残せる。
貴族として産まれたなら、貴族として生きる義務がある。異論は無いし、私もそう思っている。
けど、何かしらの形を残したかった。貴族フランシェスカ・バートンではなく、アルバーナ魔術学院の生徒であり冒険者フランシェスカという形を。
だから、私は気付いていなかったのだ。
『神殺し』である三人と仲が良くなるという事。
英雄であるレンジ・ヤマダ様と旅をし、共にオークを討伐したという事。
その意味を。それがどういう風に見られるという事を。