番外編 名前を呼び続ける
神殺しの英雄と七つの誓約 第六巻。発売一週間前です!
毎回恒例の、一週間連続更新の時間がやってまいりましたっ。
――寂しくなったら俺を呼べ。
別れ際の言葉を思い出し、何も無い、荒野と呼ぶしかない『世界』を見続けながら、呼吸を繰り返す。
魔神ネイフェルとレンジが闘った場所。
魔王シェルファとレンジが戦った場所。
管理する者がいない城はこの一年で朽ち果てようとしている。風で舞い上がった土が汚し、泥と魔力に穢れた蔦が這い、魔物とも呼べない小さな獣が入り込む。
以前、一度だけ見た精霊神ツェネリィアの寝所。あの巨大な神木。
あの清浄な雰囲気とは真逆。
暗く淀み、穢れ、ここに居るだけで気持ちが沈んでいく。そんな空間。そんな世界。
これが魔神が住む場所。自身が“居なければならない場所”。
ああ確かに。
理解する。してしまう。出来てしまう。
魔神ネイフェルが、魔王シェルファが、どうしてあんなにも強く『神殺し』ヤマダレンジを求めたのか。ただの人間にああも焦がれ、夢想したのか。
この一年で、理解した。
そして、魔神ネイフェルと魔王シェルファは、一体どれだけの時間を夢想し続けたのか……想像もできない。
朽ちた城、その砕かれた壁の隙間から世界を見る。見続ける。
「レンジ」
名前を呼ぶ。土と砂で汚れた壁を指で撫でながら、空を見上げる。
あの時、名を与えられなかった黒いドラゴンを斬った際に――彼は空をも斬った。
今は厚い雲に覆われ、火山の熱で舞い上がった灰の混じった雨を降らせる雲を斬り、その先にある青空を彼は見せてくれた。
あの青を。美しい空を。旅をしながら見続けた、綺麗な世界を。
――夢想する。
ネイフェルとシェルファがそうだったように、私は美しい世界を夢想する。
それだけが、この地での楽しみ。娯楽。永遠に止まった時間の針を、僅かに進ませる方法。
それ以外には何も無い。綺麗な景色も、楽しげな喧騒も、他人の温もりも。
ネイフェルとシェルファを失った魔族は次の魔王を探し、魔物は相変わらず好き勝手に行動している。何かをしたわけではないが、魔神という存在はここに居るだけで意味があるようで、強力な魔族や魔物はこのアーベンエルム大陸から離れようとはしない。
私がレンジの迷惑にならないよう――その考えが、少しは伝播しているのだと思う。
ただ、私の力が強く及ばない“力の弱い魔物”“遠く離れた場所に居る魔物”だけはその限りではなく、今でも暴れているようだ。
伝わる。伝わってくる。
魔神ネイフェルが生み出した魔物の行動が、魔神ネイフェルの力を継いだ私に伝わってしまう。
なるほど。
こうやって、ネイフェルはレンジの行動を監視し、彼が何処に居るのかを察し、先回りをしていた。もしくは、彼が来るのを待ち続けていた。
直接見ているわけではない。触れる事も出来ない。結局これは“私”ではなく他の魔族や魔物がレンジに触れているだけの事。
もどかしい。
「……ああ」
そして、こうすればレンジを呼べるのだと。思った。思ってしまった。
魔物。
人として生きるレンジを私の元へ呼ぶ方法。
彼が、そう口にした言葉。
――寂しくなったら俺を呼べ。
魔神とは、魔物の大元。根源。生命の系統樹、その始まり。
すべての魔物は“魔神”から生まれ、そして増えていく。その全部は魔神が支配し、命令に逆らう事はない。
だから。
魔物が暴れ、人を襲えば、それは魔神の所為。
だからネイフェルは暴れ、求めた。自身と対等の存在を。自身を殺し得る存在を。神の敵を。世界を傷付ける事になっても。……殺す事になっても。
それでも求めてしまった。
そして、それに応える事が出来るほどこの世界の人間は強くなかった。
女神と精霊神。二柱の神に作られたこの世界の人では、この世界の神には及ばない。そう、作られてしまっている。
だから異世界の人間。神に作られたのではなく、長い永い時間。永遠にも等しい時間を経て生まれた“人間”をこの世界に召喚した。
それが始まり。
それが、神殺しヤマダレンジと魔神ネイフェルの始まり。
そう考える。
ネイフェルの思考。
ネイフェルの力。
それが教えてくれる。
そしていつか、この身もそうなるのだと。
この冷たい世界。どこまでも荒野が続く世界。何も無い荒れ果てた大地を、本能のみに突き動かされる魔物が駆ける世界。
この世界に飽き、退屈を抱いた時。
ソルネアという人格は壊れ、ネイフェルがヤマダレンジを求めたように、私も誰かを求めるのだろう。
魔族も魔物も、美しい世界に興味が無い。この荒れ果てた世界を癒そうとも思わない。
私も……私も、この世界は冷たいと思うが、それを温めようとは思わない。ただただ、彼が来るのを待ち続ける。
そんな毎日。
そんな一年。
まだ、大丈夫。
きっと、もっと大丈夫。
けど。でも……いつか壊れる。この寂しさは、私を凍らせる。
そして、溢れ出す。退屈や、寂しい。そして……対等な者に逢いたいと。ネイフェルにとってのヤマダレンジ。私にとっての何者かを。求めてしまう。
百年後、千年後……もっと先か、もっと短いのか。
そしてまた、殺される。
それを望む。ネイフェルとシェルファがそうだったように……殺されることを望み、そして次代の魔神を創る。
その繰り返し。
どこかで止まるのか、永遠に続くのか。
女神アストラエラと精霊神ツェネリィア。あの二柱と私との違い。決定的な差異。
私は――いつか殺されることを望むようになる。
「…………」
怖い。
怖い。
怖い。
……死にたくないのではない。殺したいとも思わない。
ただ、怖い。
ソルネアという人格が、変わってしまうのが怖い。
レンジ、フランシェスカ、フェイロナ、ムルル、アヤ。
彼、彼女達との旅が、その記憶が、消える。消えてしまう。何時か、その表情も、声も、思い出せなくなる。
人類の敵になる。人類を敵に回しても私だけを見てくれる“たった一人”を望むようになってしまう。すべてを犠牲にしてでも、その“たった一人”を選んでしまう。
……それが、怖い。
レンジ達と旅をした。短い間だったけれど、私の一生にも匹敵する充実した時間。
その時間よりも、顔も、名前も知らない誰かを求める自分が、恐ろしい。
レンジを、私を“この世界”に連れ出してくれた人ではない誰かを求めるようになるのが怖い。
抱きしめる。
両腕で、肩を。抱きしめて、身を縮める。
誰も居ない。誰も来ない。
ああ。
ここは、こんなにも寒い。こんなにも寂しい。
身も、心も、思考も凍ってしまう。
「レンジ」
名前を呼ぶ。
呼び続ける。
寂しくなれば、呼べと彼が言ったから。
だから、私は呼び続ける。