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エピローグ 笑って生きよう

 くあ、と欠伸をすると、隣に座る黄金色の髪を持つ女性がクス、と笑った。鈴の音を思わせる、涼やかな声。

 その声が心地良くて、また欠伸をしようとしてしまう。けれど自分の意思で欠伸など出来るはずも無く、そんな彼女の隣でモジモジとしているとそれが可笑しかったのか、彼女はまた笑った。


「どうかしたのですか、レンジ?」

「いや。なんでもない」


 考えていた事が事なだけに気恥ずかしくて、そう応える。

 彼女もそれ以上は何も聞かず、やはり俺の隣に座ったままずうっと遠くを見ていた。

 夕暮れ時の太陽に照らされた、彼女の髪よりも明るい黄金色の草原。吹く風は少し冷たくて、その風が彼女の髪と白いドレスのようなローブの裾を揺らす。

 そんな、まるで絵画のように美しくて、神聖にも思える光景をじっと見てしまう。視界を奪われる。目が惹かれてしまう。

 どうしてだろう。

 どうして、この光景を目に焼き付けようと思ってしまうのだろう。

 それは分からないけれど――じっと風に吹かれる彼女を見ていると、白いヴェールに隠された顔がこちらを見た。前髪とヴェールで隠され、表情は見えない。

 けれど、口元は緩やかな弧を描き、笑っているのが分かる。


「お疲れ様でした」

「うん」


 その一言だけで、十分だった。それだけで、大丈夫。もう。

 ――何故だろう。こんなにも、胸が詰まるのは。締め付けられるほど、苦しいのは。

 手を伸ばす。その頬に触れる。

 頬に掛かる髪を指で整え、そのまま頬を撫でる。

 彼女は、身動ぎもせずに成すがまま――しばらくして、頬に添えた俺の手に自分から頬を寄せてくる。


「レンジ」

「エル」


 名前を呼ぶ。

 それが、たったそれだけが、どうしようもなく愛おしい。

 夕焼けの空が、黄金色の草原が、色を失っていく。茜色から紫色へ、そして蒼――黒。

 陽が沈む。

 ……彼女が、俺の手に自身の手を重ねた。


「さようなら」

「うん」


 逆の手で、彼女の表情を隠しているヴェールと前髪を退け――ようとして、手首を掴まれた。


「見ないで下さい」

「…………」


 少し力を込めると、手首が解放される。

 現れたのは、彼女の存在を表すかのような、美しい――翡翠色の瞳。

 けれど、その双眸には涙で潤み、今にも(まなじり)から零れてしまいそうなほど。

 両手を頬へ添えると、零れそうになっている涙を指で拭う。


「難しいですね」


 拭っても、拭っても。涙が浮かぶ。


「笑えません」

「……初めて会った頃は、いつも仏頂面だったもんな」


 そう言うと、驚いたように目を見開いて、やっと笑ってくれた。

 その拍子に、頬へ涙が零れる。


「まだ、憶えていたのですね」

「忘れないよ」


 断言すると、僅かに首を横に振った。


「うそ」

「嘘じゃない」


 けど。

 でも。

 ……長い時間で、この女性との思い出は、少しだけ色褪せてしまったと思う。思い出す日々が減り、思い出せない事が増え、考える時間が減った。

 その考えが表情に出たのか、エルは寂しそうに微笑んだ。


「ほら」

「忘れない」


 ムキになって言う。子供っぽいと思ったのかもしれない、重ねられた小さな手に少しだけ力が籠った。

 強い風が吹く。また、ヴェールと前髪が彼女の表情を隠してしまう。

 それを指で整えようとして、彼女は首を横に振った。


「忘れたくないんだ」

「本当にですか?」

「ああ」


 きっと。どう思おうと……時間は、俺から思い出を奪っていくのだ。

 知っている。分かっている。

 ……それでも、エルが笑ってくれるなら、どんな無茶でも、約束でも、叶えたい。笑っていてほしかった。夢を叶えられず、ただ命を奪う為に産まれた命。そんな彼女が笑ってくれるなら、俺は何だって――。


「約束する」

「駄目です」


 声が震えている。


「忘れない――」

「大丈夫です、レンジ」


 声が重なる。


「――忘れても、絶対思い出す。エルが居た事、エルを好きになった事。もっと、もっと――幸せにしたかった。笑わせたかったんだ、お前を……だから」

「私は、幸せです」


 だったらなぜ、泣いている。

 頬を伝う涙は、止まらない。 

 視界が滲む。

 泣かないで。

 俺まで、泣いてしまうから。

 唇が震える、声が滲む、視界が霞む。

 ああ――。


「笑ってください」

「エルこそ」


 風が吹く。

 彼女の表情を隠していたヴェールと前髪が、揺れた。

 隠していた表情を露わにする。

 泣いていた。

 泣きながら、笑っていた。


「ほら」

「うん」


 ぎこちない、引き攣った笑み。お互い、そんな、不格好な笑顔を浮かべる。

 それでよかった。十分だった。


「はは」

「ふふ」


 笑う。

 好きだった。彼女を、愛していた。幸せにしたかった。ずっと一緒に居たかった。ずっと、もっと。

 けどそれは、もう叶わない。


「エル」

「レンジ」


 世界は暗闇。

 もう、ここには何も無い。

 手の平に感じる温もりも、眼前に感じる気配も。少しずつ薄れていく。

 怖くて、抱きしめた。


「好きだった」

「……ふふ」


 彼女は笑う。

 少し引き攣った、嗚咽を堪える声で。


「……好きでした」


 漏れた言葉は過去形。

 ――ああ。

 そして気付く。俺もまた、ずっと過去形で考えていたのだと。

 好きだった。愛していた。ずっと一緒に居たかった。幸せにしたかった。

 それは全部、過去へ向ける言葉。もう叶わない言葉だった。

 抱きしめていた、存在が無くなる。

 世界が、闇に染まる。


――幸せです。


 その一言が、胸に残る。

 その一言で、救われたような気がした。



 遠くで、誰かが俺の名前を呼んだような気がした。

 聞き慣れた声。聞きたいと思ったけれど、いざ聞くと小言ばかりでちょっと辟易として、けれどやっぱりきかないと一日が始まらない。そんな、俺の当たり前になってしまった声だ。


『起きろ、レンジ。もう太陽は昇っているぞ?』


 その声に、閉じていた目を開ける。

 まだ半分以上が眠っている頭で枕元を見ると、(ふち)は金色、中央に翡翠の宝石、その周囲に七つの異なる色の石が嵌め込まれている見慣れた金のメダルが見えた。

 先日までは翡翠色の鱗でしかなかったが、アストラエラに頼んだら元の金のメダルに戻してくれた。

 まあ、その際にオーク肉の串焼きを食べる為に屋台巡りにつき合わされ、これまでの文句を言ったりと、散々な食べ歩きだったが。工藤が言うにはああいうのもデートらしいが、それを聞いた宇多野さん達の表情は……思い出すのも恐ろしい。

 アストラエラは美人だ。それはもう、女神と言うだけあって人間離れした美しさである。そんな女と一緒に王都の大通りを歩けば、それはもう周囲の目を惹いてしまう。

 俺は、目立つのは苦手なのだ。

 ――寝起きに嫌な事を思い出し、溜息を吐く。


「エルメンヒルデか……もう少し寝かせてくれ」

『……朝から何度目だ、その言葉は』


 呆れたような溜息を聞きながら、寝返りを打つ。

 夢を見ていた――ような気がする。どんな夢なのかは思い出せないけれど、こんなにも胸が締め付けられるほど悲しいのだ……悲しい夢だったのだろう。

 ぽっかりと、穴が開いてしまったような。大切な物を失ってしまったような。けれど、ナニカが違うようにも感じる。

 言葉に出来ない。

 けど、なんだかとても悲しくて、無力感で目を閉じる。


『寝るな』

「夢見が悪かったんだよ」


 けれど、そんな俺の事情など知らないエルメンヒルデは、少し強い口調でそう言う。


『窓の外を見てみろ。良い天気だ』

「お前は俺の母親か」

『レンジのように手のかかる息子は欲しくないな……』


 心底からの声に、苦笑する。


「ったく。お前がうるさくて、寝れもしない」

『もう太陽は昇ったのだから、起きるのが当たり前だ』


 身体を起こして、伸びをする。そのままベッドから降りるとカーテンを勢いよく開けた。

 エルメンヒルデが言うように、空は快晴。青い空と白い雲――遠くを飛んでいる大きな影は、ファフニィルだろうか。元気な事だ。


「子供は元気だねえ」

『その元気を少しは分けてもらったらどうだ』

「今更子供みたいに、元気に走り回る歳でもないさ」

『リンが言いていたが、おっさんだな』

「…………」


 今度会ったら、工藤の奴に拳骨(げんこつ)を落としてやろうと強く思う。

 思いながら、身嗜みを整えて、用意していた服に袖を通す。


『今日も忙しいぞ、英雄殿』

「俺が英雄なんてガラかよ」


 その茶化すような声に、笑いながら答える。


「ご飯を腹一杯食べて、ギルドの仕事を受けて、帰って寝る。それだけだ」

『もう少し、忙しい生活を送る気はないか?』

「勘弁してくれ」

 

 さて、と。

 枕元に在ったメダルをポケットに入れて、王城に用意されていた部屋から出ると食堂へ向かって歩き出す。その際に数人の兵士と擦れ違った。全員が、俺に向かって敬礼なんかをしてくる。

 どうにも、居心地が悪い。


「やっぱり、そのうちまた旅に出るかなあ」

『ユウコに気付かれたら、また怒られそうだな』

「うへ」


 まあ、でも。あんなに怒られると旅に出るのも躊躇われる。

 けれど――また、旅をしたい。

 どうしてだろう。昨日までは無かった気持ち。

 その理由を考えて、思い出したからだと気付く。


「でも、約束したからな」

『うん?』

「お前に、綺麗なものを、沢山見せてやるって」

『……ふふ。私はいつでもいいよ。楽しみにしている』

「ああ」


 約束した。

 世界を、見て回ろう。

 そう、エルと約束した。けれど、それはもう叶わない。だから――エルメンヒルデに、見せてやりたい。

 いつかの未来、俺は居なくなる。

 その時に、コイツが俺と一緒で良かったと、そして俺の次に……現れるかは分からないけど、エルメンヒルデの相棒になる相手が現れるまで、綺麗な記憶を思い出して退屈しないように。


「フランシェスカ達も魔術都市で冒険者として頑張ってるみたいだし、その内また四人で旅でもするか」

『それはいいな。今度は、ソルネアへ会いに』

「だな。アイツも一人で退屈しているだろ」


 どこかの次元で、白い女神様が何かを言ったような気がしたが、気のせいだろう。

 ついこの前、屋台巡りをしたのだ。また連れて行けと言われても堪らない。しばらくは、大聖堂にある銀の女神像へは近付かないでおこうと思う。

 思いながら、廊下を歩く。そして、廊下の窓から、外を見た。


「…………」


 まだ昼間だというのに、一瞬、空が夕焼け色に染まったような気がした。


『レンジ?』

「……なんでもない」


 青空が眩しかったのか、自分でも気付かない欠伸をしてしまったのか。

 不意に滲んだ涙を、手で拭う。


「山田君?」


 すると、廊下の先から宇多野さんが歩いて来た。

 手には何も持っていない。


「宇多野さん、今からご飯なんだけど、一緒にどう?」

「……ぅ、朝、もう食べちゃったのよね」


 そう言って、お腹を押さえる宇多野さん。

 残念ながら、食べた肉は胸ではなくお腹へ行ってしまうのだ……。


「まあ、私はお茶を飲もうかしら」

『朝食は食べたのだろう?』

「折角のお誘いだもの」


 そうして、宇多野さんは踵を返して俺の隣に並ぶ。二人で、食堂へ。

 また、窓の外へ視線を向ける。

 あの夕焼けは幻だったように、目に痛いほどの青が一面に広がっていた。

 胸を押さえる。

 やっぱり、なんだか物足りない。


「…………」


 宇多野さんに気付かれないようにしたつもりだったけど、彼女は何を思ったのか足を止めて周囲を見渡した。


「うた――」


 その名前を呼ぶ前に、腕を組まれる。


「さあ、行きましょう」

「……そうだな」


 腕を組んで、石造りの廊下を歩く。恥ずかしいのか、その声は少し上擦っていた。

 横目でその表情を窺うと、組んでいる腕を軽く抓られてしまう。恥ずかしいなら、しなければいいのに。

 そう思っていると、彼女はいつもより半歩近い位置から俺の顔を見上げた。


「そんな顔をしないの」

「…………」


 顔に出ていたようだ。


「今度は」


 腕を引かれる。やっぱり、なんだかんだいっても、女性の肢体は服越しでも柔らかくて、痛みはない。


「私も連れていきなさい。いいわね?」

『だ、そうだ』


 苦笑する。

 どうしてか、頭の中に、フランシェスカとフェイロナ、ムルル。阿弥にソルネアの姿まで浮かぶ。

 いつか、またみんなで旅をしよう。

 今度は、宇多野さんや、そうだな――結衣ちゃん、子供達も誘って。

 エルメンヒルデだけの為ではない。

 皆と一緒に。

 もう、俺達は一人と一枚ではない。二人ではない。

 ――沢山の仲間と、友人と、家族が居る。

 だから、寂しくない。大丈夫。


「うん」


 笑う。笑顔を、宇多野さんへ向けて頷く。

 いつもは怖いくらいに眉間に皺を寄せている宇多野さんも、笑顔で頷いてくれた。



 大丈夫だよ、エル。

 俺は、笑えてる。

 お前は、笑っているか?



これにて、『神殺しの英雄と七つの誓約』は完結となります。

約一年と八カ月くらいでしょうか。

長い間、お付き合いありがとうございました。

また次回作でお会い出来たらと思います。その時は、またよろしくお願いいたします。

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