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第十話 約束の為に

 身体が軽い。

 風を切るという表現が当て嵌まるほどの速さで地を蹴り、平時なら数歩の距離をたったの一歩で詰める。

 斬らなければならない敵ははるか上空だが、それでも絶望は無い。


「それじゃあ。やるぞ、エルメンヒルデっ」

『ああっ』


 今なら、魔も、神も、空すらも斬ってしまえそう。

 右手に持った剣を強く握りしめるのと、上空に居る黒いドラゴンがその口を開くのは同時。

 放たれたのは、遠くにある山を一撃で破壊してしまう黒い熱線。空気を焼き、放たれた衝撃だけで地を震わせ、余波で周囲にある崩れた城の残骸が宙を舞う。

 圧倒的な熱量と威力を宿した砲撃を、しかし僅かの怪訝も無く足を止めて迎え撃つ。

 斬る。

 俺達なら、斬れる。

 絶対の自信と共に、神剣(エルメンヒルデ)を両手で握り、上段に構える。


「ぉぉぉおお!!」


 その熱線が届く前に剣を振り下ろし、地面をバターか豆腐のように裂く。その軌跡を追って放たれるのは、翡翠の斬撃。

 ドラゴンが放つ熱線に比べると小さく、細いソレ。だが、それは熱線とぶつかり合うと爆発し、相殺する。

 爆発の衝撃で、崩れていた城の残骸が更に吹き飛び、周囲の大地が悲鳴を上げるように罅割れる。遠く――黒いドラゴンを挟んで向こう側にある、無事だった山の一角が崩れた。

 それ程の衝撃に晒されても、圧される事はない。しっかりと両の足で地面を踏みしめ、エルメンヒルデとアストラエラ、そしてネイフェルの魔力で強化された双眼で黒いドラゴンを見つめる。


「ビビってんじゃねえ」


 神剣(エルメンヒルデ)を肩に担ぐ。腰を落とし、何時でも駆け出し、最初の一歩で最速へ踏み込めるようにする。


「神と戦うってのは、こういう事だ」


 黒いドラゴンの至る所にある翡翠が、光を放つ。

 雨のように空から降り注ぐ紫色の魔力弾を、剣の一閃で半数を吹き飛ばし、即座に左手に創造したもう一本で半数を消す。同時に、神剣(エルメンヒルデ)の刀身が淡く輝いた。

 消した魔力を取り込んだのか――そういえば、ネイフェルと戦っていた時も片っ端から黒い魔力を取り込んで翡翠の魔力へ変換していたのを思い出す。

 身体から溢れる魔力を押さえられない。これだけ垂れ流しているというのに、永遠に戦っていられそう。枯渇など想像もしない。

 左手を一振りして剣を魔力へと還す。その、ただの一閃で空気が悲鳴を上げた。大気が歪み、鎌鼬(かまいたち)となって周囲を荒らし、嵐となる。

 また、右手に持った剣を肩に担いで空を見上げる。黒いドラゴンを見据える。

 嵐の暴風に耐えるよう翼を広げた姿は雄大。


「テメエが望んだ戦いだ」


 駆ける。空気を、景色を、音すらも置き去りにするほどの速さで地を蹴り、跳ね、黒いドラゴンの真下へ移動する。

 その間に右手の剣を消し、左手に弓を、右手に翡翠の矢を。

 ドラゴンは、その巨体故に俺の動きを目で追えても身体が反応できない。首は動いても、身体は方向を変えるのに時間を必要とする。

 ファフニィルと戦っている時はこの巨体にしては機敏だったが、今は亀のように鈍足。

 真下から、空へ向けて矢を構える。


「見ていろ、フェイロナ」


 お前の弓は、こうも出来る。

 放たれた矢は一矢。だが、空中で二本へ。二本から四本。四本から八本。……計三十二本となった地上から放たれる流星が黒い巨体を貫く。

 竜王の炎すらはじき返してしまう黒い鱗が、翡翠の光によって難なく貫かれる。

 絶叫が上がる。その瞳を怒りに染めて、巨体が重力に引かれるまま落ちてくる。

 そのまま俺を圧殺する気か。


『レンジ!』


 慌てるな。

 口元を歪めて弓を消すと、剣を両手で構える。

 途端、落ちてきたドラゴンが翼を羽ばたかせて進路を変えた。俺を避けて、地に降りる。


「ちっ」


 勘が良い。

 落ちてくる巨体ごと切ってやろうかと思って構えた剣を横へ薙ぐと、先ほどドラゴンの熱線を相殺した翡翠の斬撃を放つ。

 それを咄嗟の炎弾で相殺するが、今度は爆発の余波が黒いドラゴンの方へ向く。

 あの熱線で互角なのだ、ただの炎弾で防げるものか。

 地を蹴る。

 情けも感慨も躊躇いも無く、終わらせるために駆け出す。五十メートルはあろうかという巨体。首を上げれば、狙うべき頭が普通の人間では上るだけで一日が掛かってしまいそうなほどに高い位置へ移動する。

 そこから、迎え撃つ様にドラゴンが口内に火焔を溜める。

 遅い。

 剣を槍へ変え、槍投げの要領で投擲。初めて行う動作に狙いが外れ、ドラゴンの左角を破壊する。

 驚き首を逸らす間も足は止めず、一気に懐へ。


「返せ」


 そのまま、振り下ろされた巨大な腕を黒曜の腕甲に守られる右腕で受け止める。両の足首までが地面へ沈み、地面が衝撃に耐えられず、俺を中心に蜘蛛の巣の模様のように罅割れる。

 更に左腕が俺へ向かって振り下ろされた。

 ドラゴンの巨体、その重量を乗せた打撃に押し潰され、地面へ沈む。神の魔力に強化された身体ではなく、地面が耐えられずに悲鳴を上げる


「コレは、俺のだ」


 腕に触れる部位から、魔力を奪う。黒ではない。翡翠を。俺の、俺の相棒の魔力を。

 急速に、黒いドラゴンの至る所にあった翡翠色の鱗や爪が色を失っていく。頭部にあった牙もまた同様。翡翠は灰に、そして黒へと戻る。

 同時に、俺の中にある魔力が今まで以上に活性化するのを感じた。新しい形に進化しようとして発せられていた熱が、急速に冷えていく。


「俺の、相棒だ」


 それは暖かな温もりから熱となり、心臓を脈打たせる。胸にある懐かしい命が呼応するかのように、その存在を増していく。

 左腕に顕現させた神剣(エルメンヒルデ)を一閃して俺を押し潰そうとしていた腕を刎ねる。何の抵抗も無く竜の鱗を裂き、両腕が宙を舞う。

 悲鳴のような咆哮を上げると同時に、右腕の切り口から血管が生え、筋肉が盛り上がり、新しい腕となる。

 左腕からは、這えた血管が暴走したかのようにのたうち、俺の腕程もある触手が数十本とは現れて俺へ向かってくる。


「ふん」


 向かってきた気色の悪いソレを剣で迎え撃つ。瞬きをする間に六閃。触手を微塵に裂き、その隙にドラゴンが翼を羽ばたかせて宙へ逃げようとする。

 剣を鞭へ変えると斬り裂かれて鮮血を吐く触手を捕え、引く。

 ドラゴンからすると豆粒のように小さい人間から引かれ、宙からドラゴンが落ちた。

 左手で鞭を持ったまま、右手に剣を。地に落ちてバランスを崩したドラゴンへ肉薄し……一気に頭を割ろうとして、今度は突っ込む勢いを利用して触手が俺を振り回した。

 耐える間もなく足が浮き、大きく円を描いて遠くに出来ていた城の瓦礫に背中から叩きつけられる。その衝撃で瓦礫が崩れ、その下敷きに。

 どう抜け出そうかと考えるよりも早く、瓦礫越しに熱気を感じた。

 暗闇の中、身体を動かして剣の腹を眼前――ドラゴンが居るであろう方向へ構える。次の瞬間、俺を押し潰していた瓦礫が蒸発し、地に足を付けることもままならず吹き飛ばされる。

 二転三転と地面を転がると、黒いドラゴンの姿は遠く……戦っていた戦場から、魔神の城の反対側まで吹き飛ばされていた。

 地面には大きく抉ったような跡。振り返ると、それが遥か遠くまで続いている。


「は」


 笑う。笑ってしまう。

 楽しいか?

 ああ、楽しいな。

 ネイフェル――最後の時。きっと、お前も、こんな気持ちだったのだろうな。

 神と神殺し。その戦いを二度も味わえる俺は、幸せなのかもしれない。

 遠くで、黒いドラゴンが空へ上がる。黒い巨体が、青空に在る。


『……レンジ、大丈夫か?』

「大丈夫だ」


 今まで口にしていた強がりではない。

 この程度なら、百回焼かれても問題無い。服が焼け焦げたが、その下にある肌には目に見えるダメージが残っていない。

 そういうことだ。

 工藤が試行錯誤して、魔物の素材で作ってくれた強力な防具よりも、今は俺の肌の方が防御力が高い。


「お前が居るからな」

『……そんな軽口が出るなら、大丈夫そうだな』


 エルメンヒルデの声を聞きながら、息を深く吐く。遠くで、黒いドラゴンの姿が揺らぐ。

 陽炎が生まれるほどの熱気。黒いドラゴンの眼前に、ファフニィルすら圧倒した紫色の魔術陣が浮かぶ。

 くる。

 そう感じた瞬間、右腕を一閃。剣を消し、もう一度弓を構える。


「さあ――」


 さっきとは違う。

 今度は、全部返してもらった。


「――これが、先代魔神(ネイフェル)を殺した一撃だ」


 放たれる紫色の砲撃と、翡翠の砲撃。

 それは空中でぶつかり、丁度俺と黒いドラゴンの間に在った城を今度こそ跡形も無く吹き飛ばす。

 爆発は大地を抉り、暴風を撒き散らし、魔力の爆発が周囲を破壊し尽くす。オーガのように巨大な瓦礫が遥か遠くまで飛んでいく程の衝撃を撒き散らす、純粋な破壊。

 その爆発が収まると、静寂だけが耳に届く。風の吹く音が、遠い。

 ゆっくりと、歩き出す。遠くにあった山々すらも形を変え、魔神の城があった場所を中心にある青空の面積は先ほどよりも広がっているように思えた。


『やり過ぎだっ。あれでは、フランシェスカ達が――』

「大丈夫だ。宗一と真咲ちゃんが居る」


 俺とドラゴンの戦いに介入してこないのだ、あの二人は皆を連れてこの場を離れているはずだ。

 なにせ……一年前、俺とネイフェルの戦いを僅かとはいえ見ているのだから。

 宗一が本気になって聖剣を振っても、雲を斬れる程度。真咲ちゃんの魔剣なら触れるものを片っ端から斬るが、それは触れなければ斬る事が出来ない。

 根本から、違う。

 剣の一閃で大地を割り、雲を割り、ドラゴンの鱗すら豆腐のように裂く。弓でも、槍でも、同じ。他の、どんな形でも――俺は、すべてを壊して、すべてを殺す。

 それを知っているから、きっとみんなは逃げているはずだ。


「仲間を信用しろよ、エルメンヒルデ」

『……この惨状を作った本人が言うなっ』


 怒られた。

 うん。

 これがいい。やっぱり、こうでなければと。


『何を笑っている……頭でも打ったか?』

「そんなところだ」


 地面に出来たクレーターを大きく飛び越える。その先に、地に伏せた黒いドラゴンの姿があった。身体が上下しているので、まだ生きている。

 その確信は、まだ制約が続いている事が証明している。

 視線を横へ向けると、紅い竜王の姿も。その下からフランシェスカ達が這うようにして出てきた。宗一と真咲ちゃんの姿もある。咄嗟に、ファフニィルが庇ったのか。


『後で怒られるな』

「生きている証拠だ――喜んで怒られるさ」


 さあ、決着を。

 黒いドラゴンの元へ足を進める。近付くと、ドラゴンの傷が酷い事に気付いた。

 右半身は消滅し、血がとめどなく溢れ出ていた。黒い身体から、紅い血が流れている。吐く息も弱々しく、短く、浅い。しかしその瞳だけは俺を見ていた。力強い、黄金色の瞳。

 その瞳が、閉じられることなく俺を見ている。


「死ぬのは怖いか?」


 その瞳から、光が失われていく。

 吐く息から、力が失われていく。

 鼻先に、触れた。


「俺もだ」


 撫でる。

 不思議と、怒りも、悲しみも無い。


「だから、お前を殺す」


 ネイフェルは、怒りや悲しみ、負の感情が人を強くすると言っていた。

 そうなのかもしれない。

 事実、一年前の俺は、エルを奪われた怒りで戦い、ネイフェルを殺した。

 けど。

 でも。

 怒りが無くても。悲しみが無くても。……戦える。俺には、仲間が居る。相棒が居る。一人じゃない。


「俺の勝ちだ、ネイフェル」


 憎めと言った。

 それが、俺を強くすると。

 ……断る。

 もう。俺は――生きる事を諦めない。生きる為に戦う。生きて、生きて、生き続けて……笑って死んでやる。

 闘争の為の戦い。ただただ強くなる事を求める生き方なんか、選んでやるかよ――クソッタレ。

 仲間がいれば、エルメンヒルデがいれば――憎しみが無くても戦える。生きていける。

 神剣(エルメンヒルデ)を両手で持つ。

 天へ向けて、掲げる。

 溢れ出るのは、翡翠と銀、そして漆黒の魔力光。

 身体から溢れた光は剣に集まり、そして(青空)へ昇っていく。

 剣を握る手に、力を込める。


「俺は、生きる。エルメンヒルデと、生き続けるっ」


 振り下ろす。

 それで、終わり。

 この一年――いや、この世界に召喚されてからの三年間続いた、戦いの終わり。

 初めて会った時の事を思い出すと、その後何度も戦った事を思い出してしまう。

 寂しいのか、悲しいのか。

 ネイフェルは憎いし、今でも許せない。けれど、多分俺はそんなに嫌いではなかったのかもしれない。

 何度も戦った。何度も剣と拳を交わした。殺されかけた事も、殺しかけた事も、何度だってある。

 だから。

 きっと。


「こいよ」


 振り下ろした剣を持ち上げ、振り返る。

 ファフニィルの傍に居る皆のもっと後ろ。城の瓦礫へ腰を下ろして事の成り行きを見ていたソレに声を掛ける。

 宗一にも聞こえるか分からないような声。けれど――確信があった。

 アイツは、俺の言葉を聞き逃さない。現に、その言葉を待っていたかのようにソレは立ち上がり、翼を広げる。

 遠い――シルエットが、少しおかしい。ああ、右腕が無いのか。

 そう考えていると、飛び上がったソレは宗一達を飛び越えて、着地。ゆっくりと歩いてくる。

 灰色の髪とボロ衣のようなドレスが風に揺れている。左手に、右手を持っていた。


「その手は?」

「勇者に切り落とされた」


 切り落とされたというのに、その表情はとても嬉しそうに笑っている。


「やはり、人間は良い。僅かな間に、こうも成長するのか」

「お前の力が封印されているからだろ」

「ああ、これか?」


 首元の黒いチョーカーのような封印具。それを見ながら言うと、シェルファはかかと笑った。

 切り落とされたという右腕を脇に抱えると、左の指でその封印具へ触れる。そして、あっさりと爪で裂いた。


「玩具だ」

「……力を封印したってのは嘘だったのか?」

「いいや。魔力を封印されたのは本当だ」


 俺の反応がよほど面白かったのか、子供のように破顔してシェルファが言う。

 とても嬉しそうなのは――俺が、制約を七つ全部開放しているからだろう。

 目の前に立つ魔王の魔力が増していくのが分かる。先ほどの、黒いドラゴンには遠く及ばない――けれど。


「全力で戦えない。常に死の恐怖が傍にある――死ねば、ヤマダレンジともう戦えない。その恐怖を、ずっと感じていた」


 右腕を、傷口へ触れさせる。それだけで、切断されていた手が動いた。

 相変わらず、出鱈目な回復力だ。


「だから、生きた。必死に、この時の為に生きたよ」


 ああ、と。

 その言葉を聞きながら、確信する。

 こいつは、また強くなった。

 力でねじ伏せるだけの戦い方じゃない。生きたいと、そう強く思うようになったのだ、と。


「お前と戦う為に。決着をつける為に。ネイフェル様が望んだ人間。儂が闘いたいと望んだ人間――ヤマダレンジ、お前と決着をつける為に弱くなり、死の恐怖に怯え、全力を出せば圧倒できる相手に殺されそうになりながら……それでも生きたのだ。ああ――これが、生きたいという気持ちか。死にたくないという感情か」


 くっついた右手で、その顔を覆う。指の隙間から、真紅の瞳が覗く。

 それは、どこまでも深くて、そして紅玉のように綺麗で、純粋で。


「……約束を果たそう、ヤマダレンジ。儂は、その為に、今日まで生きた。今日まで待った」

「またせたな。……でもな」


 その左手に見慣れた大鎌が握られる。

 右手に神剣(エルメンヒルデ)を握る。


「蓮司兄ちゃん!?」


 宗一が、俺の名前を呼んだ。真咲ちゃんも、手に魔剣()を抜いてこっちへ駆けてくるところが見えた。


「来るな!!」


 声を張る。

 宗一達が、俺の声音に驚いて足を止めた。


「いい所なんだ、邪魔すんじゃねえ!!」


 力を抜く。自然体になる。右手に持つ、飾りなど一切ない、斬る事だけを追い求めた神剣を、クルリと回した。


「一年前の約束だ――お前を殺してやる」

「俺は生きる。お前を殺してでも」



連続更新六日目。


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