第七話 決戦
ファフニィルに運んでもらって半日もしない時間。眼下に騎士の一団――オブライエンさん達が行軍しているのが見えた。
向こうも気付いたのだろう。俄に大地がざわめき、中には大きな歓声を上げたり、手に持つ槍や旗を振っている人も居る。
舗装されていない荒野。一列になった集団は長く、遥か先まで続いている。しかし、人間の歩みと竜の飛行。その速さは段違いであっという間に一団の先頭が見えてくる。
イムネジアの紋章が刻まれた一際大きな旗を飾った一団と一緒に行動しているのは、『女神の盾』九季雄太と芙蓉阿弥。目を細めると、騎士や冒険者達に囲まれた二人の姿が見えた。
二人もこちらに気付いたのか、顔を上げて――止まることなく追い抜いていく俺達を見送ってくれたような気がした。
「アヤさん達が居ましたね」
「うん……張り切り過ぎて、無茶をしないといいけど」
ファフニィルの背中の後ろで、宗一とフランシェスカ嬢が話している。会話に耳を傾けると、宗一は阿弥を心配している様だった。
ずっと一緒に居た幼馴染みなのだから、その心配も当然か。
そうして心配する宗一に嫉妬したように、あるいはそう見せかけてからかうように、真咲ちゃんが話し掛けている。
あまり緊張していないようだ。その事に、小さく息を吐く。
そうしてさらに長い距離を飛ぶと、物見が伝えてきたという大きな黒い『門』が見えてきた。
「あれが、魔族が築いているっていう『門』か」
「そのようだな」
俺とファフニィルの声を聞いた全員が、緊張に会話を止めた。
見えてきたのは、巨大な『壁』。『門』というには通れる道が見当たらず、ひたすら高くて厚い壁のように見える。
その壁の前に数百――数千とも取れる魔物の姿。多くはゴブリンやコボルト、オーク。ファフニィルよりも低い位置を飛んでいるハーピーや石造りの像。
大きいのは一つ目の巨人に巨人像、全長十メートルは優にあるキマイラにスキュラ、花弁に牙を持つ食人草等――その姿は多種多様。そして、それ等を纏める『門』の上部に坐する有翼の人型……魔族。
ファフニィルに気付いた魔族達が警戒し、なにか指示を出しているように見える。
「破壊するか?」
「いいや。迂回して進もう」
「――良いのか?」
そう聞いてくるファフニィルの首を、軽く叩くように撫でる。くすぐったそうに身動ぎをすると、後ろに居た真咲ちゃんとフランシェスカ嬢が悲鳴を上げた。
「真っ直ぐ飛んでよ、ファフ!」
「擽ったレンジに文句を言え――そして、我をファフと呼ぶなっ」
真咲ちゃんの抗議の声へすぐさま反論し、そしてファフと呼ばれた事を怒るファフニィル。
その声は怒っているというよりも照れているように感じて笑うと、まるで俺を振り落とそうとするかのように大きく身動ぎをした。
「おいおい、落としてくれるなよ?」
「ふん――」
そうしている間に、『門』を通り過ぎてしまう。ファフニィルを追って一部のハーピーやグリフィンが高度を上げてきたが、しかし飛行のスピードが違い過ぎる。
ただ跳んでいるだけで退屈だったのかもしれない。しばらく飛行スピードを落としてハーピー達に合わせて飛んだかと思うと、あっという間に置き去りにしてしまう。魔物を警戒して弓に矢を番えようとしていたフェイロナが、呆れたような視線をこちらへ向けてくる。
……やったのは俺ではないのだが。
「遅すぎて詰まらんな」
「そりゃあ、お前に追いつけるのはリヴヤータンくらいだろうしな」
飛ぶ速さだけなら、シェルファだって追いつけないだろう。まあ、小回りは逆に向こうの方に分があるだろうけど。
『門』を通り過ぎ更にしばらくの時間、翼を羽ばたかせてファフニィルが空を駆ける。眼下の荒野を移動しているゴブリン達、時折擦れ違う有翼の魔物達。だが、それ等はファフニィルに気付いても手を出す前に置き去りにされたり、暇潰しとばかりに吐かれた炎弾で焼き尽くされたり。
その数を数えるのが面倒になり始める頃、眼前、灰色の厚い雲に覆われた空と大地の間――岩山を削って造られた大きな城が見えてきた。
まだ小さいけれど、それでも見間違う事はない。
もう、一年以上も前。魔神ネイフェルと戦った場所。そして、エルが死んだ場所。決戦の地、舞台。――彼の魔神が座した城。
知らず、息を吐いて、吸って、固唾を飲む。
「そろそろ、オブライエンさん達がさっきの『門』に到着する頃かな?」
「その辺りは、幸太郎が時間調整をしているだろ」
「だね」
おそらく、先ほど俺達がすれ違った事で『門』に集まっていた魔物の一部は魔神の城へ引き返そうとしていたはずだ。
だが、撤退――帰還の準備をしている所に、人の軍が現れる。
幸太郎が『未来視』で時間調整をして、丁度戻ろうとした時に現れるだろう。
そうして現れた一団を迎撃するか、それとも竜の王と共に魔王が居るであろう魔神の城へ向かう神殺しを追うか――迷う。その迷いが混乱になる。
魔物には知性がある。弱者を優先して狙い、殺し、食むのは本能だ。
そして、魔族にも。
魔族の王である魔王の為に城へ戻るのを優先するか、種族の本能である戦闘を選ぶか。
どちらを選ぶにしても、帰還の準備をしているなら動作が遅れる。
そこを上手く突ければ奇襲となり、ある程度の打撃は見込める。だがそれはある程度だし、あの『門』周辺には身を隠す場所が無かった。幸太郎の魔法でも、全軍を完全に隠匿したまま眼前まで近付くのは難しい。
その辺りがどうなるか……どちらにしても。
「『門』からの援軍は無い。後は頼むぞ、宗一、真咲ちゃん」
先ほどようやく見えた魔神の城は、今はその細部まで見えるほどまで近付いている。
ファフニィルが羽ばたき、加速していく。髪を揺らす風が強くなり、外套が大きくはためく。
「なにか見えるか!?」
「敵の姿は無いっ。警戒されているぞっ!」
だろうな、と。
ここまで城に近付いたというのに、ファフニィルを迎撃する為の魔物が一匹も見えない。一年前の形態でも一つ目の巨人すら一撃で葬っていたのだ、生半可な魔物では足止めにもならないと分かっているのだろうが、それでも迎撃が無いというのはおかしい。
十中八九、というよりも完全に罠と考えるのが自然だろう。
「それじゃあ、手筈通りに頼むぞ、二人ともっ」
髪を手で押さえながら振り返り、大声で宗一と真咲ちゃんへ言う。
二人は、その手に蒼の聖剣と緋色の鞘に納められた刀を持ちながら頷き――もう一度前を見る。
「ファフニィル、吹っ飛ばせ!!」
「落ちるなよっ!」
ゴウ、と空気が震えた。ファフニィルが岩山の城と並行するように進路を変更すると、視界が朱に染まる。自分へ向けられたわけでもないのにその熱気で肌が焼け、チリチリと痛んだ。咄嗟に、右手で目元を庇う。
その口から放たれたのは、人間を数十人は飲み込めそうなほどの巨大な炎弾だ。
灼熱の炎は勢いを緩めることなく城の岩壁に当たると、豪快に爆発。離れて飛んでいるファフニィルの傍まで飛んでくるその破片が、炎弾の威力を物語っている。
「行ってくるね、兄ちゃん」
「それじゃあ、また後で」
そして、飛んでくる破片を足場にしてファフニィルが空けた穴へと突っ込んでいく二人。
大地は遥か眼下。落ちれば即死。女神アストラエラの祝福によっていくらか丈夫になっているとしても、それは避けられないだろう。
けれど、岩の破片を足場にしている二人は躊躇う事無く宙を蹴って進んでいった。
「だ、大丈夫でしょうか!?」
フランシェスカ嬢が、今までで一番大きな声で聞いてきた。
「大丈夫だろ。あいつら、魔神の触手を足場にした事もあるし」
そんな事を呟いていると、ファフニィルが高度を落としていく。
同時に、頭の中に魔神の城の地図が思い浮かんだ。記憶を思い出したのではない、遠く――海辺の砦に居る宇多野さんが探索を助けてくれているのだ。
マッピングは一年前に済ませている。魔族が増築なんてしないだろうから、城の見取り図は一年前のままだろう。
青色で城の立体図が浮かび、そのいくつかが黄色に染まっている。その多くは地下……黄色に染まっている所は、攫われたソルネアが居る可能性が高い場所だろう。
「誰か出てきたか?」
「いいや――つまらん」
「つまらなくていいよ。さっさとソルネアを助けて、シェルファと決着をつけて、この戦いを終わらせよう」
「……ふん」
その声音に、緊張が滲んでいるのを察する。
あの黒いドラゴン。アレは、確実にここに居る。
姿を現さないのは待っているからか。魔神ネイフェルの力の殆どを受け取り、魔神に近付いたから――俺を。
「一旦降りるぞ」
「ああ」
ファフニィルがそう言って、周囲を警戒しながら地面へ降りる。
やはり、魔物の姿は無い。もしかしたら、殆どどころか、全部の戦力をあの『門』に集めたのだろうか?
……シェルファなら有り得そうだと考え、溜息を吐く。
まあ、宗一達を連れてくるくらいは考えるだろうから、流石に全部ではないと思うが。
「それでは、行ってくる」
「ああ」
そう言ったのは、フェイロナだ。振り返ると、僅かに緊張の滲んだ――けれどもいつものように冷静な表情で、口元を緩めている。
しっかりと装備の確認をして、ファフニィルの背から飛び降りる。
「レンジ、気を付けて」
「そっちこそな――無茶をするなよ」
続いてムルル。
風で乱れた髪を手で整えながら、聞き慣れた眠そうな声音で俺の名前を呼び――僅かに口元を緩めながら飛び降りた。
「レンジ様――」
最後に残ったフランシェスカ嬢が、不安げに……少し震える声で俺の名前を呼んだ。
ファフニィルの背に立ち上がり、その肩に手を置く。
「ソルネアを頼む。アイツを助けて……守ってやってくれ」
「――レンジ様も、気を付けて」
その言葉に、しっかりと、笑顔を浮かべる。
「大丈夫。俺は死なない」
肩に置いた手へ、力を込める。
「エルメンヒルデに誓って……約束する」
その声にフランシェスカ嬢は大きく頷いて、ファフニィルの背中から飛び降りた。魔術で勢いを弱めて着地する。
「宇多野さんの地図に従って――けど、無茶はするなよっ」
「レンジこそ……」
ムルルが何かを言って、口をモゴモゴと動かしている。残念ながら、離れていて聞こえない。
フェイロナの方を見ると、頷いている。アイツが居るなら、大丈夫だろう。
最後にもう一度フランシェスカ嬢を見ると、彼女は俺の方を見ながら大きく頷いていた。
それを見届けて、俺は天へ――岩山の城の天辺、頂上、頭の中に浮かんでいる地図で赤く記された場所、エルメンヒルデの魔力がある場所……魔神ネイフェルが座していた場所を見る。
「行くぞ、ファフニィル」
その背へ跨り、精霊銀の剣を抜いて右手に持つ。
「ああ」
俺の言葉へ返事をすると、その翼を大きく羽ばたかせる。そこに待っているモノが何か、分かっている。
シェルファ、その最悪の敵を退けて魔王の座に就いたという顔も知らない存在。
そして、黒いドラゴン。ソルネアがネイフェルの『願いの形』なら、さしずめアレは『力の形』か。
飛び上がる。一気に加速していく。
待っていろ、エルメンヒルデ。
――いま行く。
声に出す事無く、その意思を胸に竜の王を駆りそのまま頂上へ。
「…………」
一年前、俺とネイフェルとの決戦で半壊した広場に、ソレは居た。
崩れた壁、傷だらけの床、転がる瓦礫はそのまま……風雨に晒されたのか苔が汚し、罅の奔る壁の隙間からは何やら得体の知れない草が生え、降った雨で出来た水溜りは腐ったように濁っている。
そんな――穢れた場所。
その中央に座する黒いドラゴンが、ようやく訪れた敵を見上げた。その黄金色の瞳がこちらを射抜く。
足元には、二つの影。見慣れた、腐れ縁ともいえる女魔族シェルファと、おそらくもう一人が現魔王。
魔族特有の青白い肌に、側頭部からは捻れた角が生え――瞳の色は、赤。血色の瞳がこちらを見ている。
だが、そんな事よりも――。
「――――」
精霊銀の剣を握る右手に力を込める。
「シェルファ、テメエ――何をした……エルメンヒルデに何をしやがった!!」
喉が裂けるほどの大声を眼下へ向ける。
遠い――けれど、あの女が満面の笑みを浮かべたのが分かる。それほどまでに……。
あの黒いドラゴンを覆う、翡翠の結晶。漆黒ともいえる深い黒色の鱗はそのまま。だが、至る所に顕現する翡翠は鋭利な刃で、爪で、牙で。
それが、あのドラゴンの『武器』。神殺しの武器だった。
連続更新二日目。
やっと戦闘。ほのぼのか戦闘が一番書き易いかもしれないかもしれない。