第四話 生きる意味
「おまえ、前から思っていたけど――」
厚手の布を組んで作られた幕舎の中、木造のテーブルを囲んで十三人が顔を合わせながら――事情を知っていた宇多野さんや幸太郎、そして商業都市で伝えた雄一郎。俺を加えた四人を除く九人を代表するようにして、隆が口を開いた。
今は、アナスタシアもナイト、オブライエンさん達も席を外している。この場に居るのは、異世界……日本から召喚された、仲間達だけだ。
「――実はバカだろ?」
「馬鹿にバカと言われたくない」
「じゃあ阿呆だ」
……それ以上言い返す事が出来ず、口を噤む。
エルの死を伝えて、怒られるだろうな、と覚悟を決めていた俺へ向けるには、あまりに……なんというか、軽い言葉ではないだろうか。
ムッとして隆を見返すと、その当人は溜息を吐いて椅子へ深く腰掛ける。
外では、雨が降っている。曇天の空から降る雨粒が幕舎の布に当たって、五月蠅い。
けどそれは、まるであの時のよう。ネイフェルを殺し、エルが死んだ。あの時に似ていて――だからか、とても悲しい気持ちと、懐かしい気持ちと、エルの死を伝えたのに馬鹿だと言われた苛立ちが綯い交ぜになった、微妙な気持ち。
はあ、と。大きく、深く。息を吐いた。
「最近聞いたっていう雄一郎はともかく、優子さんに幸太郎。そっちもだ」
「…………」
「返す言葉も無い」
「こんな時まで格好つけるな、阿呆」
怒って……いるのだろうか。
エルの死を、真実を隠していた。けれど、隆の反応は怒っているというよりも、どこか呆れているかのよう。
視線を動かすと、同じように椅子に座ってこちらを見ている九季や藤堂は隆の言葉を聞きながら黙っているし、工藤や宗一達年少組はどうしたらいいか分からなくて驚いているといった具合だ。
「いきなり姿を消したと思ったら、エルの死を隠したから? エルメンヒルデを蘇らせたから?」
「あ、ああ」
「その時に言えよ。心配したこっちがバカみたいじゃねえか」
「……でもな」
「エルが、笑っていてほしいと言ったから、か?」
その言葉に、返事を言い淀む。
エルの、最後の言葉。最後の願い。
笑っていてほしいと。笑顔が、好きだからと。
だから、俺はエルの死を皆に隠した。死の間際に居た宇多野さんや幸太郎には隠せなかったけど、隆達には……子供達には、隠した。
エルの死で、泣いてほしくなかったから。
戦いが終わった、その笑顔を曇らせたくなかったから。
けれど、そんな俺の考えを聞いた隆はもう一度溜息を吐いた。
「阿呆」
「……アホアホ言うな、馬鹿」
「うるせえ、大馬鹿野郎」
「とりあえず、子供みたいな言い合いはやめましょうか」
喧嘩腰になって言い合いをしそうになった俺と隆の間に入るよう、九季が口を開く。
その表情にはいつも通り柔らかな笑みを浮かんでおり、こちらもあまり驚いているようには見えない。まあ、コイツの場合は鉄面皮というかポーカーフェイスというか、よほどの事が無い限り表情が動かないのだが。
「ですが、私も概ね伊藤さんに同意見ですね」
「……九季もか」
「多分、この場に居る皆……雄一郎君は、どうですか?」
「僕は――蓮司さんの気持ちは、少し分かるかな」
灰色髪を長く伸ばした褐色肌の青年は、伏目がちになりながら一度こちらを見て、視線を逸らしながらそう呟く。
「僕も、セレスティアさんを亡くしたから……少しだけ、分かるよ」
「じゃあ、お前も……もし俺達が助けに行かなかったら、セレスさんの死を見なかったら、隠したのか?」
「それは……」
「はいはい。雄一郎君を苛めないのタカちゃん」
「誰がタカちゃんだ!?」
強い口調になりかけた隆を工藤がからかい、その矛先の向きが変わる。
その事を意図してだろうが、以前は引き籠りだった奴が、俺達の前だけだとしても随分と変わったもんだ。
「まあ、でも。私も山田さんは馬鹿だと思うなあ」
「……工藤もか」
「だって、エルの遺言、考え違いをしているじゃない」
「なに?」
その言葉に、視線を工藤へ向ける。
宇多野さんと幸太郎は、何も言わない。雄一郎は、まるで工藤が何を言いたいのか分かっているかのように、溜息を吐いた。
「本気で気付いていないのか?」
まるで俺だけが気付いていないと言われているような、そんな声音で隆が言う。
「山田さんって、思い込むと一直線だったから」
「バカにしてんのか、藤堂」
「馬鹿は嫌じゃなかったのか、阿呆?」
ぐぬ、と。反論しようとして、けれど工藤が何を言いたいのかが分からないので反論できずに口を閉じる。
今でも、エルの死の間際の光景を思い出せる。
けれど、以前は夢でも見ていたその光景が、今は色褪せてきているのも事実だった。
傷は、癒える。
時間が、癒してくれる。
肉体の傷も、心の傷も。
けれど……工藤の、隆達の言葉は傷をいやすのに費やした一年という時間を、無為にしてしまう。そんな、言葉でもあった。
だって。
隠していた。
嘘を吐いていた。
騙していた。
だというのに、殴られるでも、怒鳴られるでもなく。
馬鹿だ阿呆だと言われているけれど、その声音は芯から怒ったものではない。どちらかというと、一緒に旅をしていた頃の……馬鹿話をしていた時。そんな、声。
「一年経ってまで惚気るなよ、馬鹿野郎」
「……は?」
「エルはな、お前の笑顔が好きだったんだよ。俺達じゃねえ」
その言葉に、身体が固まる。
息が詰まった。
「エルが笑っていてほしかったのはお前だ。泣いてほしくなかったのもお前だ。俺達じゃない。ガキどもでもない――」
大きく。大きく、隆が息を吐く。
そして、隣に座る藤堂の肩を叩いた。
「もう……最後まで言ってくれたらいいのに」
「人を好きになった事が無いんだよ。恋だの愛だのは語れねえ」
「だったら九季さんに任せればいいのに……」
「私は、人に恋や愛を語れるほど経験豊富ではありませんので」
「僕だって無いよ……まったく」
そして、コホン、と一つ咳払い。
話を振られた藤堂は、しっかりとした視線を俺に向けてくる。知らず、緊張して心臓が高鳴った。
「エルさんは、山田さんに向けて言ったんだよ。山田さんにだけ。僕達じゃない。優子さんでも、幸太郎君でもない……山田さんに、笑っていてほしいって。泣かないでほしいって」
藤堂が、噛み砕いたように、優しく、ゆっくりと教えてくれる。
それは、一年前。エルが死んだあの時。――彼女が俺達を好きだったのではなく、俺だけを好いていてくれた言葉……なのだろう、か。
気が付くと、テーブルを囲んだ全員の視線が俺に向いていた。その視線が急に気恥ずかしくなり、右手で口元を隠して顔を俯ける。
「ばあか」
そんな俺に向けて、隆が言う。
皆が、笑った。
明るい。優しい笑い声。
「大切な話があるからって来てみれば、ただの惚気でしたね」
「まったくだ」
「この戦いが終わった後の、良い酒の肴が出来ましたね」
「もう飲む算段をしてるし……」
九季と隆、そして藤堂が笑いながら話している。
他の面々もだ。宗一達年少組はまだ表情が硬いけれど、俺が思っていたほど驚いていないのは隆達が明るいからだろう。
「話はそれだけか?」
「あ、ああ……」
「じゃあ、戻るぞ。隊の編成やらなんやら、忙しいんだ」
「私もです」
「僕は、お昼の準備をしないと」
「私は、もう一眠りしたいわ……」
「お前は寝過ぎだ。少しは身体を動かさないと太るぞ」
「私、昔からどれだけ食べても太らないのよねえ」
いつも通り。仲間達は明るく話しながら幕舎から出ていく。
そりゃあ、そうだ。
暗くなっている暇なんかない。気持ちが落ち込んだら剣筋が鈍り、傷付くのは、死ぬのは自分達なのだ。
けれど俺達は“英雄”で、死ぬ事は許されない。
俺達が死のうとしたら、周りの人が庇う。自分達の代わりに、別の人が死ぬ。
だから、落ち込んでなどいられない。
俺達は、笑って、明るく、いつも通り――戦って、生き残らなければならないのだから。
「蓮司」
幕舎から出ていこうとした隆が、最後に振り返った。
「お前は悩み過ぎなんだよ。もっと柔らかく考えろ――あと、もっと俺達を信用しろ」
それだけを言って、出ていく。
残ったのは、年少組と宇多野さん――幸太郎は、いつの間にか消えてる。この場の雰囲気に耐えられなくなって、転移魔術で逃げたのだろうか。
「ふう」
息を、吐く。
なんだかんだで、肩の荷が下りたというのもエルに失礼かもしれないが、やっと伝える事が出来た。開放された、というのが正しいのだろうか。
隠し事、嘘……そういうのを溜め込むのは、物凄いストレスなのだと、今やっと気付けた気がする。
「兄ちゃん、さっきの話、本当なんだ」
「ん? ああ、まあ、なんだ。隠していて、悪かったな」
そして、解放感というか、胸の奥が軽くなったというか、そんな自分でも言葉に出来ない感情のまま、机に片肘を突いて項垂れる。
惚気。惚気かあ……そんなつもりは無かったのだけど、と。なんだか、成人連中からそう言われると、本当にそんな風に受け取られてもしょうがないような話の内容だったと思えなくも無い。
恥ずかしくて、宗一の方を見る事が出来ない。――と、そのまま力強く腕を握られた。
突然の事に驚いて顔を上げると、すぐ正面に阿弥の顔。視界の隅で、宗一と弥生ちゃん、真咲ちゃんに結衣ちゃんが驚いた顔をしていた。
「蓮司さん」
「は、はい」
「…………」
名前を呼ばれ、返事をする。
しかし、続いて漏れるはずの言葉は、何時まで経ってもその口から紡がれない。
ただ正面に、整った阿弥の顔がある。
知り合って、この世界に召喚されて、こんなに顔が近いのは初めてなのではないだ居ろうかと言うほどに、近い。気の強さを表す釣り目、その黒い瞳に映る自分の顔すら見えてしまいそうなほど。
「もう、絶対に泣かせませんから」
「お、おう?」
「私が、絶対に蓮司さんを泣かせませんっ」
それだけを言うと、掴んでいた手を離して幕舎から足早に出ていく阿弥。その際に、宗一と弥生ちゃんの手を掴んだのは何故だろう。
そのまま三人揃って出ていき……。
「ちょ、どうしてそこで私を置いていくのよお!?」
「きゃ!?」
そして、置いていかれた真咲ちゃんが結衣ちゃんの手を引いて幕舎から出ていく。
外は雨だというのに、元気な事だ。
「なんだあ……?」
「あの子なりに、激励の言葉、じゃないかしら?」
口元を手で隠しながらクスクスと宇多野さんが笑っていた。
「激励?」
「エルは死んで貴方を泣かせたから……自分は死なないって意思表示だと思うわよ」
そう教えてもらい、ようやっと得心がいって「ああ」と間の抜けた声を上げた。
阿弥が居たら、きっと睨まれるであろう鈍感さである。
「よかったわね」
「どうかなあ」
気の抜けた声で応えると、宇多野さんも席から立ち上がる。
「私も行くわ」
「ああ」
「…………」
行く、と言ったまま動かない。
何かを言い淀むよう口元が強張っているように見えて、何も言わずにじっと待つ。
「ねえ」
「うん」
「…………山田君は、この世界、好き?」
「ああ」
その質問に、どういう意図があるのだろう。
そう考えながら、けれども思ったままの答えを口にする。さっきの話ではないが――もう、嘘も隠し事も、懲り懲りだ。
「好きだよ。好きじゃなけりゃ、電気もテレビもインターネットも、車や飛行機だって無いこの異世界で生きていこうだなんて思わないさ」
「そうね」
クスリ、と。
宇多野さんにしては珍しい、可愛らしい笑い声が口元から漏れた。
「私も」
しっかりとした声。
一歩、歩み寄る。二歩、三歩――目の前に立って、腰を落とす。先ほどの阿弥と同じくらい、顔が近い。
「好きよ」
いつも仏頂面の『賢者』様は、満面の笑みでそう言った。
「だから、死んだら駄目よ?」
「わかっているよ」
俺は、死なない。
笑っていた。
皆が、いつも通りだった。
だから、死ねない。
エルが、俺に向けた言葉。
俺は――。
「皆に泣いてほしくないし、笑っていてほしいから」
――皆に向ける。