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第三話 英雄の条件

 んが、と。

 寝起きでぼんやりとした視線で天井を眺めていると、布団とは違う重みを胸に感じて視線を下へ向ける。

 すると、そこには俺の胸に馬乗りとなったアナスタシアの姿が――暗闇の中にぼんやりと、その輪郭を浮かばせていた。


「あと少し……」

「きゃ!?」


 夢かと思って寝返りを打つと、甲高い悲鳴。

 聞き慣れた、普通の人よりも小さな声音はやはりアナスタシアのもの。コイツの声は、何となく耳に残るというか、覚えやすい。

 もう長年……と言う程でもないけれど、聞き間違えない程度には耳に馴染んだ声にもう一度目を開ける。


「……何をしているんだ、お前」

「こっちの言葉なんだけど!? アンタ、今、私が居るのを分かって寝返りを打ったでしょ!?」

「……まだ夜なんだ、他の人が起きるだろ……」


 欠伸をしながら、視線を窓の方へ向ける。

 そこまでしなくても、居間が夜だとは簡単に分かる。部屋の中は真っ暗だし、人の気配がしない。起きているのは、寝ずの番で見張り台に立っている兵士達くらいのものだろう。

 窓の外には欠けてほとんど見えない朱色の月と、なんとか光を放っている数少ない星々だけ。新月に近い夜空は、どこまでも――見ていると吸い込まれてしまいそうなほどに、暗い。

 空気の冷たさもあって、恐ろしさすら抱いてしまいそうなほど。

 そんな夜空から視線を逸らし、寝返りを打ったことでベッドの上へと転がったアナスタシアへと視線を向ける。


「こんな時間にどうした?」


 本当なら、ここで夜中に男の部屋に忍び込むなと怒る所なのだろうが、コイツのこういう所は初めてではない。

 好奇心旺盛な妖精の女王様は、夜中に男の部屋へ忍び込むというのがどういう意味を持つのか半分も理解できていないのだ。

 


「だって、せっかく来たのに寝てるから」

「……生き物は、夜は寝るもんだ」


 なんだその理由は、と。

 呆れて目を閉じると、むすっとした気配。……その気配に、もう一度目を開ける。


「結衣ちゃんは?」

「ご飯を食べてる」

「デルウィンやグラアニアは?」

「お酒を飲んでる」

「……宇多野さんかスィは?」

「ユウコはピリピリしているし、スィはいつもみたいにコウと遊んでる」


 何をして遊んでいるのだろう、と考えるのは無粋だろうか。

 呆れた溜息を吐きながら、まあそれでも進展というか、変化はないのだろうなあ、と思ってしまう。一年前もそうだったのだ。

 好き合っているのかも曖昧で、友達感覚に近いように見える。当人達ではないので分からないが、まあ、あの距離感は楽しいのだろうなあ、と思う。

 姉と弟。友人。でも血の繋がりは無い、他人。

 なにより、種族が違う。人間と半人半蛇(メリジューヌ)。……まあ、不謹慎かもしれないが、俺はあまりそういうのは気にしていない。好き合っているなら付き合えばいいと思うし、今の距離感が良いならもうしばらくは友人関係を楽しめばいい。合わないなら、お互いに今の距離感のまま別に自分と合う人を見付ければいい。

 エルフレイム大陸で再会した時は良い雰囲気だと思ったけど、この一年、ずっとあんな感じだったのかもしれない。……アイツ、そのうち爆発すればいいのに。

 寝惚けた頭で幸太郎とスィの事を考えながら、布団をかぶり直す。


「ねえ、メダル女を奪われたんだって?」

「……貸しただけだ」


 精一杯の強がりを口にして、目を閉じる。

 すると、すぐに睡魔はその手を伸ばし、俺の意識を攫って行こうとした。時間の感覚は曖昧だが、深夜である事は変わりがない。昼間は身体を動かして、よく食べて、オブライエンさん達と一緒に魔神の城へ攻め込む算段を立てる。

 身体も、頭も使っているのだ。眠れる時に眠らないと、精神が参ってしまう。


「寂しいでしょ?」

「清々するね。口煩い小言を言われなくて済む」

「はいはい」


 ……。


「ただ、アイツは眠っている俺を無理矢理起こすような事はしないから、お前よりマシだな」

「ま、そうでしょうねえ」


 眠ろうとしていた意識が、会話を交わす事で覚醒していく。意思が澄み渡り、居間がどういう状況なのかを判断し始める。

 そこでようやく、どうしてこの部屋にアナスタシアが居るのか、という事に疑問を抱いた。

 目を開いて、もう一度視線をアナスタシアへ。薄暗闇の中、白いドレスを見に纏った妖精の女王様は、今は枕元で俺を静かに見下ろしていた。

 暗闇の中では、ドレスの白が蒼く輝いて肢体の輪郭を浮かび上がらせ、瞳の輝きが僅かに見える程度。けれど、彼女は楽しそうに笑っているように感じる。


「なんでお前がここに居るんだ?」

「さっき来たのよ。ファフに乗って」


 俺の言葉が面白かったのだろう、声音は先ほどよりも楽しそうだ。

 昼間には居なかったアナスタシア……ファフニィルや結衣ちゃん、ナイトも。その姿が、頭の中に浮かぶ。


「……来ているのか」

「リンにユウもね」


 リンにユウ……工藤と江野宮か。

 工藤(くどう)(りん)と、江野宮(えのみや)雄一郎(ゆういちろう)

 どちらも、聞き慣れた名前だ。この世界では十三人しかいない日本人の名前……俺と同じ、この世界に召喚された仲間の名前。その名前を聞いて、息を吐く。

 そして、このアナスタシアの契約主である緋勇(ひゆう)結衣(ゆい)ちゃん。


「これで、皆か」


 十三人。

 俺に、宇多野優子。

 天城宗一と天城弥生。芙蓉阿弥と、緋勇結衣、久木真咲、工藤燐。

 藤堂柊、九季雄太、江野宮雄一郎、伊藤隆、井上幸太郎。

 この世界を救う為に女神アストラエラに召喚された十三人。女神アストラエラと精霊神ツェネリィアの加護を受けた十二人。

 そして――神殺しの神、エルメンヒルデを振う俺。


「こりゃあ、明日の朝は怒られる事になりそうだ」


 身体の下へ敷かないように気を付けていた左腕へ力を込めると、少しの痛み。

 感じる痛みは、日に日に柔らかくなっているように感じる。骨を折られて二週間。大した回復力だと、自分でも驚くほどだ。

 それが、『料理人』である藤堂の料理を食べたからか、それとも……一年前、一時とは言え、女神と神殺しの神の力をこの肉体()に移した後遺症か。

 独りで考え込みそうになり、口元を緩める。


「怒られる?」

「エルを、失くしたからな」

「…………」


 エルフレイム大陸で、エルとエルメンヒルデの事は、アナスタシアに伝えている。

 俺が言った言葉の僅かな差異を感じ取ったのか……元気に話していたその口が、閉じた。暗闇の中に、二人分の呼吸音だけが響く。

 どこまでも、静かだ。

 酒を飲んでいると言っていたデルウィン達の声も、石壁に阻まれてこの部屋までは届かない。


「……シェルファに取られちゃったんでしょ? なら、助ければいいじゃない」

「……お前、あれだけ仲が悪いし喧嘩腰でいつも話していたのに、こういう時はちゃんと助けるって言うんだな」

「別にい」


 不貞腐れたような声音だけど、その表情は……怒っているというよりも拗ねているといった感じなのだろうな。コイツが仲間(身内)に甘い事はよく知っている。それが結衣ちゃんでも、何時も喧嘩していたエルでも……きっと、言う事は変わらない。

 助ける。そう、言うだろう。コイツは、そういうヤツだ。

 けれどやっぱり相手がエル……エルメンヒルデだと、どこか拗ねたような物言いになってしまっている。

 それが可笑しくて声に出して笑うと、小さな手で頭を叩かれた。軽くだけど、何度も。


淑女(レディ)をからかうなんて、紳士がする事じゃないわよっ」

「生憎と、紳士なんてガラじゃないんでな」


 俺は、どちらかというと乱暴者だろう。枕元のアナスタシア……その輪郭を見上げながら。

 

「なあ、アナスタシア」

「なに?」

「…………お前、俺がエルメンヒルデを助けに行かないように、止めに来たのか?」

「……悪い?」


 衣擦れの音は、アナスタシアがベッドの上で向きを変えたからだろうか。

 やはり薄暗闇の中で、輪郭しか分からないと彼女が何処を見ているのか、俺が見ているのは正面なのか後ろなのかも分からない。

 だけど、俺の考えはどこか確信を得ているようにも思える。

 人間は、弱い。

 魔族や妖精、魔術を扱う一部の亜人よりも魔力が劣るし、身体能力も獣人に劣る。

 何より俺には……そんな人間が他種族と戦う為に行う身体強化――その強化を行う為の魔力が無い。欠片も。一滴たりとも。この身体には、魔力が無い。

 そして、そんな俺を支えていた神殺しの武器(エルメンヒルデ)が、今は手元に無い。

 そんな俺が闘えばどうなるか――宇多野さんや宗一達は、それでも俺ならなんとなすると思うだろう。そういう立ち回りをして来た。そういう生き方をして来た。そんな生き方をしなければ、怖くて前に進めなかった。

 ――たとえどんな状況でも、前に進み続けた。

 そしてそれは俺そのものとなって、今がある。

 戦う事は嫌いだ。痛いし、怖い。

 けど、我慢できる。今までずっと我慢してきたから、我慢する事が“当たり前”になってしまっている。

 我慢は身体に毒だと誰かが言っていたけれど、我慢する事で嫌な事に耐えられるようになるのは、事実だ。戦う事程度で、動揺しなくなる。


「安心しろ。死なないよ」

「……嘘吐き」


 寝返りをもう一度打ち、窓の方を見ていた視線を天井へ向ける。


「俺が、嘘を吐いた事があったか?」

「何時も吐いてるじゃない」


 そうだったかな、と。

 完全に眠気の抜けた頭で、今までの事を考える。

 この世界に召喚されて、その一週間後にはラスボスである魔神ネイフェルと戦って。エルと出逢って撃退して。

 それからは、ずっと旅をしていた。イムネジア大陸を巡って問題を解決しては少しずつ強くなっていったのを実感した。そして、ちょっと強くなったと思ったら山のように巨大な『魔神の眷属』が動き出して、その背中でシェルファと初めて戦った。

 巨大な眷属を倒した後はエルフレイム大陸へ渡ってデルウィンに射殺されそうになって、獣人達の『成人の儀』の真似事をさせられて、認められて。その後、アナスタシアと出逢った。

 船に乗ってアーベンエルム大陸に渡る途中、船の上で魔族の襲撃を受けて江野宮君は左腕を失った。大陸に渡った後はリヴヤータンに頼まれて暴れ回っていたファフニィルを黙らせた……。


「嘘、吐いたか?」

「いつも言っていたわ。『俺を信じろ』、って」

「ああ……」


 昔は、口癖みたいに言っていたなあ、と。

 思い出す。

 けどそれは、皆に向けた言葉だったけど、一番は俺に言い聞かせていた言葉だ。

 信じてもらったなら、その信頼に応えなければと思った。そして、信頼されている間は、怖くても、泣きたくても、痛くても、苦しくても……(エル)を握る事が出来た。


「信じた。貴方なら……レンジなら大丈夫だって」

「…………」

「でも、貴方はエルを喪った。私達の前から姿を消した。……それを、隠していた」


 その手が、俺の髪に触れる。払おうとして左腕に力を込めると、僅かに痛んだ。


「今度は、エル、居ないよ。……エルメンヒルデも、レンジも死んじゃうよ」


 泣いていない。嗚咽は漏れていないし、涙の匂いもしない。

 けど、悲しませてしまった。それが、物凄く申し訳なくて……けど、何をどう言えばいいのか分からなくて、黙ってしまう。


「死なないよ」


 しばらくの間を置いて、そう口にした。

 強がり。

 信頼させる要素が何一つ無い言葉。

 死は、誰にだって平等だ。

 魔神が……神様だって死ぬのだ。

 魔族や魔物。獣人、亜人――人間。

 誰だって死ぬ。

 そして、きっとこの世界で一番死にやすいのは、魔力が欠片も無い、けれども戦場に立とうとする俺だろう。

 それでも――。


「俺は死なない」


 ――それでも、そう口にする。

 死なない。

 だって。


「久しぶりに、今夜は一緒に寝るか?」

「……うん」


 何百年と生きた妖精の女王様。けど、こんな所は子供っぽい。

 幼子をあやすように言うと、腕で布団を持ち上げる。空いたスペースに、アナスタシアが潜り込んできた。

 冷たい……俺が目を覚ますまでずっと部屋の中で冷たい空気に触れていたのだから、それも当然だ。結衣ちゃんは、どうしているだろう。ベッドで眠っているか、ファフニィルと一緒に眠るのか。

 どちらにしても、明日の朝はアナスタシアの事を聞かれるだろうなあ、と思う。

 まあ、その時は今夜の事を面白可笑しく伝えてアナスタシアをからかおう。それが、俺らしい。


「大丈夫だよ」

「…………」

「俺が死んだら子供達が――悲しむからなあ」


 もしかしたら、宇多野さんも。……悲しんでくれるだろうか。俺が、エルを亡くした時のように。泣いて、くれるだろうか。

 そう考えて、口元を緩める。

 下らない。

 俺は、死なない。もう、あんな気持ちは……誰にもさせたくない。

 同じ世界から召喚された十三人。一緒に旅をした仲間達。俺にとって、家族のような人達。そんな人達に、悲しい思いをさせたくない。

 守りたいと思った人全部を守れるほど、救えるほど、俺達は強くない。けどせめて、一番大切な家族達だけは、守りたい、救いたい、泣かせたくない。

 その為には――俺は、死んじゃダメなんだ。


「私、も」

「ん?」

「……私も、悲しむからね?」

「――ああ」

「泣くから。大声で、子供みたいに……誰よりも、泣くから」


 そうか、と。


「じゃあ、余計に死ねないなあ」


 お前に泣き顔は、似合わなさそうだ。

 そう呟くと、小さな指で頬を抓られた。



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