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第二話 独り

 精霊銀(ミスリル)の剣と鉄の剣がぶつかり、甲高い音を鳴らす。火花が散り、その衝撃に折れた左腕が痛み、しかしその痛みを忘れるほどに乱雑に剣を打ち合っていく。

 だがそれも、長くは続かない。

 数合も打ち合えば息が乱れ、右手首が痛くなる。

 自分でも気付かないうちに折れている左腕を庇って、変な力が籠っているのだろう。右手首の痛みが肘や肩へと移り、関係の無い腰や両足すら引き攣ったような感じになった所で剣を振るのをやめた。


「大丈夫か?」


 俺の無茶に付き合ってくれていたフェイロナが、心配そうに聞いてくる。

 言葉にはしないが、やはり俺の行動が身体に無理を強いていると気付いているのだろう。この行為にどれほどの意味があるのかと、目が語っているような気がして息を吐く。

 手首の力だけでクルリと精霊銀(ミスリル)の剣を回し、そのまま鞘へと刃を収め――ようとして、剣先と鞘口が当たって乾いた音を立てた。

 剣を鞘に納める……それすらも、片手だと難しい。今まで特に意識する事無く行えていた事が出来なくなっている事に、僅かな苛立ちを感じなが……けれど、その苛立ちを表面に出さないようにしてゆっくりと剣を鞘へと納めた。


「ん。まあ、昨日よりはいい調子だ」

「……そうか」


 そう言って、フェイロナも剣を鞘へと納めた。

 たったの数合。それだけで乱れてしまった息を、深呼吸をして整える。暫くそうやって立っていると、動かない俺を心配したのだろう、阿弥が柔らかそうなタオルを両手に持って走り寄ってきた。


「汗を拭きますね」

「いいよ。自分で――」


 する、というよりも早くタオルを持った阿弥の手が額に伸びた。そのまま、額、頬、首筋と汗を拭いてくる。

 タオルを受け取ろうとして手持ち無沙汰になった右手を何とはなしに空中で握ったり開いたりしてみると、そんな俺を見て宗一が隠す事無く口元を緩めて笑っていた。

 その宗一を軽く睨むと、すぐに視線を逸らしてしまう。

 まったく。あの年頃は、色恋に聡いというか、興味があり過ぎるというか。

 年頃の少年らしい反応に喜ぶべきか、大きな戦いの前に緊張感が無いと呆れるべきか。……まあ、前者だろうな、と苦笑する。


「どうかしましたか?」

「いいや。随分と、阿弥の顔が近いなあ、と」


 そう言った直後、目を見開いて頬を赤くした阿弥が一歩引いた。そのまま右手でタオルを受け取って、自分で汗を拭く。


「ぁ……もう」

「流石に、一回りも年下の女の子に汗を拭いてもらうのは恥ずかしいからな」


 本心を口にしながら表情ごと視線を逸らすと、阿弥がもう一度「もう」と小さく呟いた。見えていないが、唇をとがらせているかもしれない。

 年相応に子供っぽい仕草を想像していると、離れた場所で俺とフェイロナの打ち合いを見ていたフランシェスカ嬢が柔らかく口元を緩めている。その隣に立っているムルルは、興味深そうに周囲を見渡していた。

 丸太の柵で覆われた柵と、岩を刳り貫いて作られた砦。木造の建物が並ぶ場所の中央付近。大きく開けた場所には、俺以外にも己が得物を振っている人が多い。

 それは人間であり、フェイロナのようなエルフを初めとした亜人であり、ムルルのような獣人であり。様々な種族が一緒になって、思い思いの得物を手に訓練をしている。


「ムルルも身体を動かしたらどうだ」

「うん」


 表情は変わらず、声音も平坦。だが、白の外套(クローク)で全身が隠されているが、その臀部から生えている狼を連想させる尻尾が勢い良く揺れる。

 竜山でシェルファと戦い、この砦に運ばれて数日。その間は身体を動かしていなかったので、周囲の熱気に中てられたのだろう。

 周囲を見やると、俺とフェイロナを興味深そうに眺めていた騎士や獣人の戦士達が視界に映る。もう一度ムルルを見ると、身体を動かすと頷いたが動く気配が無い。何気に人見知りをするからなあ、と。

 取り敢えず、目があった獣人の一人にムルルを紹介して、任せる事にする。騎士や亜人の戦士とも目が合ったが、同じ獣人の方が気を許せるだろうと思ったからだ。


「フランシェスカ嬢はどうだ?」

「私は、また後で」

「そうか」


 それだけを話すと、フランシェスカ嬢の隣に立つ。視界の先では、精霊銀(ミスリル)の短剣と長剣を持った阿弥と宗一が、先ほどまで俺とフェイロナが戦って居た場所で相対していた。

 今度は、あの二人が剣を交えるようだ。魔術師である阿弥が剣を振るのはあまり見ないが、しかしまったく触れないわけではない。身体能力は、俺よりも高いのだ。経験があれば、俺などあっという間に追い抜いてしまうだろう。

 宗一に至っては、剣――『聖剣』の担い手である。身体能力は阿弥以上、接近戦を身上とするので俺以上に剣技にも長けている。勝敗は分かっているが、それでも宗一と剣を交えるのは訓練だからか。

 乱戦になれば、阿弥の魔術は封じられる。強力過ぎて、敵味方の判別が出来ないからだ。そうなれば、阿弥は剣で道を開き、敵と味方が湧かれた場所を探さなければならなくなる。

 少し乱れた息を整える為に深呼吸を数回。続いて、三角巾で吊った左腕を動かそうとして――痛みに呻く。

 さて、完治するのにどれくらいの時間が必要になる事やら。

 ……本当なら、阿弥にも宗一にも。もう戦場には立ってほしくない。生き死に、殺し殺される。そんな場所に、立ってほしくない。

 そう思いながら、しかしそう口に出来ない。


「さて」


 溜息を吐きそうになり、それを隠すために伸びをする。

 すると、隣に居たフランシェスカ嬢が俺を見上げている事に、今更ながら気付いた。


「どうかした?」

「いえ――レンジ様がそんなに汗を流されている所は、あまり見た事が無かったので」

「そうだったか?」


 そう言われ、そんなにだらけた生活をしていたかな、と自分の生活を思い浮かべてみる。

 村に着けば酒場へ行き、朝はベッドの上でごろごろして、エルメンヒルデに怒られる。

 旅の間はちゃんと火の番をして、食事の用意も手伝って、偶にフランシェスカ嬢と剣を撃ち合って……。確かに、あまり汗を掻くような事はしていなかったなあ、と。

 強いて言うなら、日差しが強い時に歩いて、汗を流していたくらいか。


「それに、腕もまだ完治していないのに無理を……」


 その視線が、俺の左腕に向く。


「これくらい、昔は普通だったけどな」

「……痛くないのですか?」

「痛い」


 笑いながら言うと、溜息は出なかったけれど肩を落としてしまった。


「どこまで本気なのか、わかりません」

「本心を口にするのは恥ずかしいからな」


 言って、かかと笑う。今度は、その可憐な唇から溜息が漏れた。

 ふと気になってフェイロナの方を見ると、フランシェスカ嬢と話している間に場を離れて遠くで弓を射っていた。何射目かは分からないが、三十メートル以上はあるであろう遠くの的へ狙い違わず当てている。

 まあ、フェイロナの性格なら。戦場では動きながら射なければならないから、ああやって何の障害も無く、立ち止まった状態では百発百中でなければと言うかもしれない。


『山田君』


 フランシェスカ嬢と一緒にフェイロナを眺めていると、頭の中に魔術による『声』が届く。

 聞き慣れた、宇多野さんの声だ。

 彼女も、先日この砦へと来ていた。幸太郎とは違い、彼女の転移魔術は運べる人数が極端に少ないので使い辛いのだが、十三人の仲間を運ぶ分には宇多野さん一人でも十分だったりする。

 何せ、宇多野さんを起点に転移したい人全員で手を繋いでいればいいだけなのだから。あとは、人数が多ければ多いほど消費する魔力が増え、阿弥や幸太郎のように無尽蔵ともいえる魔力を有していない彼女では二十人前後が限界なのだ。

 その宇多野さんの『声』に、苦笑する。エルメンヒルデ以外の『声』が頭に響くというのが、なんとも慣れなかった。


『少し、こっちに来てくれる?』


 『声』と一緒に、頭の中に地図が浮かび上がる。

 鮮明な、小さな窓まで立体図で表された砦の地図だ。場所は――会議室として使っている大部屋の隣。

 確か、物置として使われている部屋だったはずだ。


「レンジ様?」

「ん……いや、宇多野さんから呼び出しみたいだ」


 急に黙って視線が宙を向いた俺を心配して、フランシェスカ嬢が名前を呼んでくる。

 周囲を見渡して、この場に居る誰もが反応していない事を確認する。どうやら、宇多野さんの『声』は俺にだけ向けたもののようだ。


「ユウコ様ですか?」

「ああ。多分、怪我をしているのに身体を動かして……って説教だろ」


 笑うと、「笑い事では……」とフランシェスカ嬢も少しだけ唇を尖らせた。

 その表情が可笑しくて、また笑う。


「もう――」

「いや、悪い。馬鹿にしたわけじゃないんだ」


 ただ、唇を尖らせたその表情は先ほど照れた阿弥のように年相応の少女のようで……可愛らしかった。そう思って、笑ってしまったのだ。


「心配してもらって嬉しかっただけだよ」


 だけど。やはりそれを口にするのが恥ずかしくて、違う事を口にする。

 それでもどうやら恥ずかしかったのか、フランシェスカ嬢は口を噤んで顔ごと視線を逸らしてしまった。


「フランシェスカ嬢は――」


 宇多野さんに指定された部屋へ向けて歩き出しながら、そう口を開く。

 何を言おうかと迷い……迷うくらいなら口を開かなければ、と自分に呆れてしまう。この場を離れる俺に、一瞬だけ周囲の視線が集まったような気がした。


「こんな怪我をするような無茶はするなよ」


 女の子なのだからとか、この戦いが終わったら今度こそ少し暗い世界は平和になるからとか、色々と考えながらそんな当たり障りのない言葉を口にして、その場を離れた。



 宇多野さんに指定された部屋へ行くと、岩を刳り貫いて木製の雨戸を付けた窓からアーベンエルム大陸の平地が良く見えた。

 薄暗闇の灰色雲と、その雲の中を照らす紫電の輝き。同じく厚い雲を緋に染める火山や、枯れて腐った木々や草花。

 そして、この砦の近くにて急ピッチで製造されているもう一つの砦。魔術師が大地を隆起させ、運んできた大岩を四角に切り抜いて重ねられていく。枯れた木を抜いたかと思うと丸太にして地面に突き刺し、物見櫓(ものみやぐら)を組み上げていく。

 人力――俺達の世界にある機械を使っても、何日、何十日……何か月と掛かるであろう作業が、めぐるましい勢いで行われていた。

 それを指示しているのは、遠目に見る限りでは怠け者であるはずの工藤であり、鍛えた筋肉が自慢の隆や九季が手伝いながら工藤の指示を魔術師やドワーフ達に伝えている。


「あと一週間くらいか?」

「五日の予定よ。食料の調達や武具を運び込まないといけないし」


 完成までの予想を口にすると、すぐに訂正された。

 その声がした方へ視線を向けると、音も無く開かれたドアから宇多野さんが入ってくるところだった。服装は、宗一達と同じく以前旅をしていた……魔神を討伐する時に装備していた服だ。


「あとは幸太郎君が弥生と真咲を連れて来て、新しい砦を立てて、魔物の襲撃に備えるだけ」

「備えるだけじゃ、戦いは終わらないけどな」

「……戦いを終わらせる方法は、もう決まっているでしょう?」


 そう言いながら近寄ってくると、何の迷いも無く包帯でぐるぐる巻きにされた左腕の上にその右手が乗せられる。

 包帯越しに、その柔らかな手の平の感触が感じられた……ような気がした。


「焦らないで、傷を癒したらどう?」

「……焦っているように見えるか?」

「ええ」


 そう断言され、左指で頬を掻く。

 宇多野さんが言うなら、そうなのだろう。焦っている原因は――自分でも理解している。


「オブライエンさん達は?」

「デルウィンさん達と一緒に、人員の運用を考えているわ」

「そうか」


 それは、奇しくも一年前と同じ……と言えるのだろうか。

 俺達が魔神の城へと侵入し、魔族や魔物の視線を外へ――アーベンエルム大陸に集まった人間や亜人、獣人の連合軍に向けさせる。

 この砦に魔族達が集まっている間に、頭を潰す。それが、最も犠牲が少ない戦い方だろう。

 乱戦になる前に阿弥と幸太郎による特大の一撃を見舞って目眩ましにして、ファフニィルの翼で魔神の城に……後は、最短時間でエルメンヒルデを奪い返して魔王を殺す。その間、隆やナイト、アナスタシアが連合軍と一緒に戦う。弥生ちゃんや工藤、藤堂は直接の戦闘に向いていないので負傷兵の治療。

 あの時と同じ作戦か、それともまた別の、奇を(てら)った作戦か。

 どちらにしても、無傷では済まないだろう。

 あの黒いドラゴンではない。ソルネアを魔神の座に据える為に……そして、エルメンヒルデを取り戻すために。沢山の人を犠牲にする。


「エルメンヒルデを攫われなかったら、ソルネアさんを攫われなかったら――そう思っているでしょう?」

「…………」


 言い返せない。

 その通りだったからだ。

 エルメンヒルデを奪われなければ。ソルネアを攫われなければ。

 もっと穏便に、そして危機感を今ほど感じるまでも無くひっそりと魔神の城に侵入していた。今は傷をいやすために眠っているリヴヤータン達ドラゴンに陽動してもらって……それで事足りたはずなのだ。

 けれど、こうやって。一年前の時のようにアーベンエルム大陸に人が集まっている。

 ソルネアが何者かは伏せているけれど、エルメンヒルデが奪われた事に人は危機感を抱いている。

 神殺しの武器。

 それが、魔神だけではなく女神や精霊神すらも殺せるのだ、と。その危機感が、ある。


「実際問題として、エルメンヒルデは……山田君以外に使えるの?」

「さあ……どうだろうな」


 分からない、というのが本音だ。

 宗一や隆、九季には使えなかった。それは、魔神討伐の旅……一年以上前の旅で実証されている。

 何の魔力も無い、体力もこの世界の住人以下の俺よりも武器の扱いに長けた宗一達が使った方が良いというのは誰もが思い付く考えだった。

 けれど、エルは俺が具現させても、俺以外が持つと翡翠色の魔力光となって霧散した。もちろん、俺以外が具現化させる事も出来はしない。エルは俺だけの武器であり、彼女はその事に胸を張っていた。

 だけど、シェルファは言っていた。

 新しい魔王は『神殺し』を成すために行動していると。

 アイツが嘘を言うとは思えないので、それは本当だろう。そして、『神殺しの武器』(エルメンヒルデ)を持っていったという事は何かしらの意味があるのでは、とも。


「大丈夫よ」


 左腕の上に重ねられた手へ、僅かに力が籠った。


「焦らないで」


 優しい声音が、近い。

 まるで子供へ言い聞かせるような優しい声が、耳に届く。


「エルメンヒルデは無事よ……貴方と決着をつける為にエルメンヒルデが必要なのは、シェルファもよく分かっているから」

「……ああ」


 焦っている。

 俺は……きっと。俺以外の誰かがエルメンヒルデを使う――そうなる事を、焦っている。


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