第十一話 神殺しとオーク6
村の中央で焚かれている篝火を眺めながら、木のコップに注がれたエールを煽る。
やー、素晴らしい。タダ酒ほど美味いものは無い。
「ぷはぁっ」
『酒を飲んでる時が、一番幸せそうだな……はぁ』
今のどこに溜息を吐く必要があったんだろうか。
そんなエルメンヒルデに首を傾げながら、村の人達が用意してくれた席で木のコップを傾ける。
オークの脅威が去った村人たちは、お礼にと宴を用意してくれた。
ほとんどの村人たちは、まずオークが大量に集まっていた事自体を知らなかったが、それでもいきなりの宴にテンションが上がっているようだ。
この娯楽が少ない世界だ。近所の皆が集まって酒を飲むだけでも楽しいのだろう。
そんな姿を見ていると、俺も少しテンションが上がってしまう。酒がいつもより美味い。
ちなみに、俺の周りには誰も居ない。一人ぼっちだ。別に寂しくなんかない。
村人たちに囲まれて困っているフランシェスカ嬢の顔がこちらに向くが、どうしようもない。
今回のオーク討伐の英雄は彼女なのだから。
俺がした事なんて、オークを三匹討伐した事だけ。
残り十一匹のオークを無力化したのは彼女だ。ほら、俺なんかよりも彼女の方が英雄に相応しい。
それに、こんな何処にでもいるような男よりも美人な彼女の方が人気が出るのも当然だろう。
『意地が悪いな』
「まったくだ」
クツクツと笑い、つまみに用意してもらったオークの燻製肉を野菜と一緒に食べる。
ふむ、これもいけるな。
エールと燻製肉を交互に口に入れながら、腹を満たす。
『これからどうする?』
「さて、どうするかねぇ」
『…………』
他人事のように呟くと、呆れたような溜息。
実際呆れているのだろう。
だが――。
「皆に気付かれないように、誰かに会いたいな」
皆とは昔の仲間。
誰かとは、昔の仲間。
矛盾している言葉に、またエルメンヒルデが溜息を吐く。
『……魔神、か』
「どうだろうな」
だが、確信のような思いが胸にある。
エルメンヒルデが三つの契約を解放したという事。
あの場で解放されるとしたら、誰か――フランシェスカ嬢を守る事。そして俺の戦う意思。あと一つは、魔神と戦う意外に思い付かない。
実際、あのオークは魔神の炎を使っていた。
新種のオークが使うには、あの炎は特別過ぎる。あんなオークがこれからポンポン産まれたらそれこそ悪夢だ。
まぁ、所詮はオークだが。
魔術を使う魔物なんて、魔族たちが住むアーベンエルム大陸には腐るほど居るのだし。
「あの……」
そんな事を考えていたら、疲れた表情のフランシェスカ嬢が戻ってきた。
村長や村の男連中に酒でも飲まされたのか、顔が少し赤い。
視線を後ろに向けると、篝火を囲んで夫婦や恋人、家族とが集まって宴を楽しんでいるようだ。
「ん、お疲れさん」
「いえ、そうではなくてですね……というか、私よりレンジ様の方が――」
「俺には似合わんよ」
そう肩を竦める。
言いたい事は判るが、否定させてもらう事にする。
「それに、むさいおっさんより、美人の方が良く映える」
「…………そんな事無いと思いますけど。あの黒いオークを倒したのはレンジ様ですし」
視線を逸らして、でも少し笑顔を浮かべてそう言われる。
多分、美人という言葉に反応したのだろう。初々しいなぁ。
『判ってて言うお前は最低だがな……』
「相変わらず辛辣な事で」
そう返事を返し、エールを飲む。
「こほん。それよりもですね、レンジ様」
「いや、そのレンジ様って止めてもらえないか?」
「そんな……畏れ多いです」
「むしろ、貴族にそんな事を言わせてしまう方が畏れ多いんだが」
まぁ、貴族に対しての礼儀なんて何も無いんだけど。
その貴族の前でエールを平然と飲んでるし。礼儀云々を言うなら、片膝でも付いていろという話だ。
畏まってしまっているフランシェスカ嬢を見ながら、どうするかなぁ、と木のコップを傾ける。
オークを討伐した後からずっとこの調子だ。
俺なんて、何もしてない唯の冒険者なのだが。そんな冒険者に英雄であるフランシェスカ嬢が畏まるのは、村の人達からすると変な光景のはずだ。
俺としては、ただの冒険者として扱ってほしいというのが本音である。難しい事だろうけど。
まぁ、神殺しの一人としてこの世界に召喚された時から、こういう事には慣れてはいる。
慣れたくはなかったが、周囲の人間皆が頭を下げてくるのだ。そんな生活を二年も続ければ嫌でも慣れてしまう。
当時十五歳の男の子が、四十歳以上の騎士団長に頭を下げられている姿なんて、見てる方も居心地が悪かった。
本人はどうしていいか判らずにオロオロしていたが。
「ま、これでフランシェスカ嬢との契約も終わりだ。テストに合格できる事を祈ってるよ」
フランシェスカ嬢と今回のオーク討伐で得た報酬のお蔭で、懐は温かい。
今度は何処に行くかなぁ、と。
王都には宇多野さんか九季君が居るだろう。あと藤堂。
あらゆる魔法を使いこなせるし、頭の回転も速い。旅では皆の纏め役だった『賢者』宇多野優子さん。俺と同い年。
確か騎士団に所属したという九季雄太君。今年で二十三歳になったはずだ。
それと、王都に店を出したらしい、料理人である藤堂柊。俺より二つ年下の二十六歳。
後は多分、皆何処かの大きな町に居るんじゃないだろうか。場所を把握していない。
魔神の事を伝えるなら、藤堂かなぁ、と。
店に行って、久し振りにアイツの料理でも食べながら話そうかな、と考える。
中々悪くないかもしれない。今は懐も温かいし。
「…………」
そんな事を考えていたら、困ったような笑顔をしたフランシェスカ嬢が居た。
「隣、座る?」
「失礼します」
こんな美女が居るのに、一人で考え込むのは流石に失礼か。
手に持っているのは果実酒のようで、エールとはまた違う香りが鼻につく。
というよりも、酒を飲めたのか、と。
「この後、どうなさるのですか?」
「ん?」
一回くらい酒場に誘えばよかったなと少し後悔していると、そんな事を聞かれた。
この後、というとフランシェスカ嬢と別れた後、という事だろう。
酔った頭でも、そのくらいは理解できる。
「王都に向かおうかと思う。それか……それか、またどこかの村で依頼を受けるか」
まぁ、やる事はあるが目的地は決まっていない。
取り敢えず、近い内に藤堂の料理を食べに行きたいくらいか。
「でしたら、魔術都市まで私を護衛していただけませんか?」
「いや、馬車に乗れば安全だろ? 俺は馬車には乗らないぞ、金が掛かるから」
「……そ、うですか」
『呆れられてるぞ』
うっさい。
いくら懐が温まったからって、そう簡単に贅沢は出来ないのだ。
今回の報酬は、フランシェスカ嬢から後払いの金貨一枚。
それと、オーク十三体分の報酬で金貨四枚。こちらはフランシェスカ嬢と二人で分けている。
オーク一体に付き銅貨三十枚の計算で、少し色を付けてもらっている。銅貨九十枚とか嵩張るし。
そのオーク。ほとんど全身が食べられる。内臓も腸詰なんかになるし、干し肉や燻製にして商人に売れば、オーク一体で銅貨五十枚から、上手に使えば金貨一枚分近くの利益を出せる。
それが十三体だ。村の連中は貯えが出来たと大喜びしている。商人に売れば金になるし、冬が来た時の保存食としてもいい。
なので今俺の懐には金貨三枚と、前払いでフランシェスカ嬢から貰った金貨のお釣りがある。しばらくは楽をして生活出来るだろう。
「まぁ、そもそも馬車が無さそうだが」
どうやら、あまりこの村は他の村と交流が無いようだ。
僻地という訳ではないが、特産品が無いのだろう。
海の近くなら魚、以前居た村だと薬草や酒。この村にも酒があるが、特産品として売れるほどの数が揃っていないようだ。
そんな村には商人もあまり立ち寄らない。稼ぎにならないからだ。
売れるモノが無いという事は、村の貯えも無いという事と同義である。
今ならオーク肉が大量にあるが、それも一回限りだろう。
あのオークが少しでも高値で売れる事を祈ろう。
「はい。それに、次に商人の方が来られる日取りも判らないと……」
「そりゃ困ったな」
オーク相手に大立ち回りをしたとはいえ、フランシェスカ嬢一人に旅をさせるのは不安だ。
契約は完了したが、知らない仲でもない。
旅の途中であっさり逝かれては目覚めが悪い。
「魔術都市までだと、歩きで一週間くらいか」
ふと、隣に視線を向ける。
なんかすっごい嬉しそうな顔をしていたので視線を逸らす。
なんか気恥ずかしい。若い子は元気だなぁ、と。そんな事を考えて気を紛らわす。
「報酬は貰うぞ?」
「もちろんですっ」
『そこはキチンとするんだな』
「当たり前だ」
メダルをピン、と弾くとフランシェスカ嬢が口元を手で隠して肩を震わせる。
エルメンヒルデの声は聞こえていないが、俺が誰と話しているのかは気付いているのだろう。
一応その事は説明しているので、とりあえずメダルに独り言を言う変人とは認識されていないはずだ。
「仲が宜しいのですね」
「そうでもない」
『…………』
拗ねていた。こういう所は少し可愛いと思う。
「羨ましいです」
嬉しそうだなぁ、と。
あと、フランシェスカ嬢は旅慣れてないから、魔術都市までは十日くらいで計算しよう。
最初に試験がどうこう言っていたが、十日でもまだ少し余裕があるな。
確かあと二週間ほど期間があったはずだ。ま、途中で馬車に乗れればもっと早く着くか。
そうなったら俺もお役御免だろうし。魔術都市は貴族とかも多いだろうし、もしかしたら俺を知ってる人もいるかもしれないから、出来れば近寄りたくない。
近くまで送ったら別れるのもいいかもしれないなぁ。
頭の中で計算しながら、エールを口に含む。
「俺としては、もう少し小言を減らしてほしいんだが……」
『もっと規則正しい生活をすれば、私だって何も言わないのだ』
そうかい。お前なら規則正しい生活をしたら、今度は英雄らしい生活を、と言い出しそうだが。
もう一度エールを飲もうとして……木のコップが空だった。
溜息を一つ吐く。
「私の通っている学園にも、神殺しの方がいらっしゃいますよ」
「…………」
『良かったじゃないか、王都に行くまでもなく目標達成だ』
いやいや。あまり良くないかもしれない。
空になったエールをどうするか、と思ったらフランシェスカ嬢がお代りを注いでくれた。
気が利く子だなぁ、と思う。
「ありがと。……そうなのか?」
「はい。ソウイチ様にヤヨイ様。それとアヤ様の御三方です」
『あの兄妹に、お前の弟子か』
「そんな大層な物じゃない。というか、俺より向こうの方が遥かに強いんだが……」
それは弟子としてどうなんだろうか。
むしろ、実力的に俺の方が弟子になるんじゃなかろうか? 魔術を使えない駄目弟子だが。
『そうか? 昔は蓮司さんー、蓮司さんー、といつも後ろを追いかけてた記憶があるが』
「昔はなぁ」
だが、今も同じとは限らない。
むしろ今まで僕達を放っておいて何してたんですか、と冷たい視線を向けられる可能性が高い。想像して、ちょっと怖くなった。
弟とか妹みたいに思ってたのにそんな事を言われたら、さすがの俺も立ち直れないかもしれない。
考えただけで気分が滅入ってきてるし。
というかあの仲良し三人組、魔術学院に居るのか。
いま十八歳くらいか。学校に通うのが当たり前の歳なんだよなぁ。
だというのに、異世界中を旅して、魔物を討伐して、魔王と戦って、魔神を殺して。
あの時は十四才か十五歳だったはずだろ……。
「よく不良とかにならなかったよな」
『まったくだ』
二人……一人と一枚で、うんうんと昔に思いを馳せる。
そうすると、エルメンヒルデの声が聞こえないフランシェスカ嬢が首を傾げる。
やっぱり傍から見ると危ない奴だよな、と思う。
「そろそろ寝るか」
「もうですか?」
「疲れたんでね」
そう言って肩を竦める。
「半年分は働いた」
『もっと働け』
気が向いたらな、と心中で呟き立ち上がる。
「フランシェスカ嬢も。明日には村を出るから、疲れてるなら早く寝てくれ」
「はい、わかりました」
見上げると、少し欠けた薄紅色の月。
村の連中の声を聞きながら、歩き出す。
『……まだ、私の声は聞かせないのだな』
「さて、どこまで信用したものか判らないんでな」
それなりに信用していいのだろう。
彼女は、だ。
だが、フランシェスカ・バートンという貴族の状況がよく判らない。
魔物討伐には不測の事態が起きるのが常だ。
それとも、この世界の学校では命の遣り取りは別に変な事ではないのだろうか?
聞いた事は無いが……そもそも、この世界の学校がどういうところか俺は知らないのか。
「面倒は嫌なんだがなぁ」
『なら見捨てればよかったのだ』
「はぁ……簡単に言うよな、お前も」
『レンジがどういう人間かは、少しは理解しているからな』
やめてくれ、恥ずかしい。
ピン、とメダルを弾く。
「ま、どっちにしても魔術都市までだ」
裏。
もう一度、溜息を吐く。
『面倒が嫌いだと言うのに他人を見捨てられないから、レンジは英雄なんだ』
そんなつもりは無いんだがね。
「俺は英雄じゃないさ。だから、田舎でのんびりと過ごしたい」
誰かが危険な目に遭うことで戦える。
そんな英雄が居るものか。