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第十一話 竜の住む山1

 遠くで、獣が吠えている。

 狼や鳥のようなものではない。もっと大きな、遠くからでも腹の底に響く、重く強い声。

 その声がする空へ視線を向けると、そこには頂上が雲に隠れてしまうほどに高い山。

 一つではない。連峰だ。

 俺達が立つ麓には濁った空気、腐った大地ばかりのアーベンエルム大陸にあって緑の森が生い茂り、清らかな川が流れている。水が透き通るその川は深く、弱々しい太陽の明かりでは底が見えないほど。

 だが、そんな緑豊かな楽園の彼岸。川向うは緑など僅かも無く、大地は荒れ、雪が積もり、弱い魔物(ケモノ)の死骸が転がっている。楽園と地獄。対極の風景は、殊更(ことさら)アーベンエルム大陸という冷たくて生命に優しくない大地を際立たせているような気がした。

 そんな、まるでこの世の楽園と地獄とも思える場所を交互に眺めていると、隣に立つフェイロナがほう、と息を吐いて荷袋を背負い直した。


「この大陸にも、このような場所が……」


 荷袋を地面に置いて、膝を折る。その足元には、小さな桃色の花が咲いていた。

 その花を、革手袋越しに()でる。


「唯一、だけどな」


 どうしてアーベンエルム大陸でこのように緑が生い茂っているのか。

 理由としては、竜が住むこの山は活火山であり、地熱で地面が浄化されたとか。山に住む数多の竜達、その強力な魔力がこの場所を浄化したのか。

 宇多野さんや工藤が言うには、そういう所らしい。

 あと、この場所の野草はとても美味い。まあ、ここに来るまでが腐ったり枯れたりした野草ばかりだったので、そう思えるだけかもしれないが。


「これ、食べられる?」


 そう考えていると、森の入り口に歩み寄っていたムルルが腰を下ろして聞いて来た。その手には、(くさむら)になっていたのであろう、野苺のような小さくて赤い果物を目敏く見付けていた。

 左の手の平に、赤い果物がいくつも乗っている。大きさとしては、小指の先くらいだ。その一つを右の指で摘まみ上げて、俺に見せてくる。

 そんなムルルの後ろでは、なんだか似たような視線を俺に向けてくるソルネア。どうやらこちらも、珍しい果物に興味があるようだ。


「ああ。けど、あんまり甘くないぞ、それ」

「ん」


 それだけを聞くと、躊躇いなく果物の一つを口へ放り込んだ。


「……おいしい、かも」


 なんとも微妙な表情での呟き。

 そして、後ろに居たソルネアへと手の平を向けた。


「食べる?」

「いただきます」


 くあ、と。欠伸を一つして伸びをする。

 阿弥の方を見ると、フランシェスカ嬢と一緒に川の水を手で掬い、顔を洗っていた。なんとも長閑(のどか)というか、緊張感の無い光景である。

 それも、この辺りには魔物が近寄らないと分かっているからだ。

 ドラゴンの魔力に怯えて力の弱い魔物は山に近寄らないし、山に住む魔物も縄張りを荒らさなければ出てこない。ドラゴン様様である。


「蓮司さんとフェイロナさんも、顔を洗ったらどうですか?」

「ああ」


 阿弥の声にフェイロナが返事をして、腰を上げる。言われるままに革手袋を外して川の水を掬おうとすると、その瞳が驚きの色を宿して俺の方を見た。


「暖かい……」

「原理はよく分からないけど、この山は活火山でな。地中の溶岩で川が温められているそうだ」

「……火山、なのか?」


 フェイロナの視線が、そのまま今度は雲に隠れて見えない連峰の頂へと向く。火山と知って、怖くなったのかもしれない。

 少し強い風が吹いた。フェイロナの金髪を揺らし、その足元にあった様々な色の可憐な花たちも同じく揺れる。

 いくつかの、花弁(はなびら)が舞った。風に乗って飛び、枯れ果てた大地へと飛んでいく。だが、川向うの大地でこの花が咲く事は無い。それが少し悲しく思えて、飛んでいく花弁を視線で追ってしまう。


「全部が全部じゃないぞ。噴火しているのは、ここから反対側の山がいくつかだ」


 確か、三つだっただろうか。視線を連峰へと向け、息を吐く。肉眼で溶岩が流れる光景を見たのは初めてだったので、あの光景は今でも目に焼き付いている。

 あと、もの凄く熱い。

 近くに寄らなくても、目に見える場所まで近付くだけで肌が焼けてしまいそうなほどの熱気を感じてしまうのだ。そんな場所にある岩の上では、生肉を置くと焼き肉が出来たりする。衛生上、あまり良くないが。


「山の途中には温泉もあるしな。余裕があったら、そこで休憩するか」

「おんせん?」


 ああ。そういえば、この世界では温泉なんて知られていないのか。

 熱い湯で身体を洗う風呂だって、ここ最近で広まった事だからなあ。温泉なんて単語は、まだ広まっていないどころか、知られても居ないのか。


「こうやって、水が溶岩の熱で温められて、それが噴き出す場所の事だよ」

「天然のお風呂、ですね」


 俺の言葉を、阿弥が補足してくれる。そうか、そう言えば簡単だったのか、と妙に納得してしまった。


「……想像できないな」

「行けば分かるさ。途中で教えてやるよ」

「ああ。よろしく頼む」


 普通、エルフというのは新しい物には警戒する種族のはずだが。フェイロナは逆に、新しい物には興味を示している。

 こういう所が、俺と一緒に旅をしてくれている理由の一つなのだろう。


「ムルル、ソルネア。お前達も手と顔を洗っておけよ」

「もう少し」

「分かりました」


 どうやら仲良し二人組が仲が良いのは食べ物を前にした時だけで、それ以外だと意見が分かれるらしい。

 そんな馬鹿な事を考えながら、頂の見えない山を見上げる。

 急な傾斜があるわけではない。人が来ないので森は草が生い茂り、木々がただでさえ輝きが弱い陽光を完全に遮ってしまっている。しかし、それほど深い訳ではないので、森を抜けるのは簡単だろう。

 まあ、天敵が居ないからか、虫が多いのは難点だが。

 山の方だって歩いて登れる角度だし、土や緑が多いので地面も柔らかい。こうやって川も流れているから見ずに困る事も無く、キノコや果物があるので食料にも困らない。

 先にも言った通り魔物だって縄張りに気を付ければ襲ってこないので楽ではあるのだが……やはり、頂が見えない山というのは、それだけで気力が萎えてしまう。

 溜息を吐くと、顔を洗い終えたフランシェスカ嬢が隣に来た。さっぱりして気持ちが良いのだろう、ここ数日とは違う、満面の笑みだ。見ているこちらの方まで、気持ちが明るくなってくる。……山を見ると、すぐに沈むのだが。


「どうかなさいましたか、レンジ様?」

「これからあの山を登ると思うと、憂鬱でね」

「……以前も登られた事があるのでは?」


 それは、イムネジア大陸の吟遊詩人が時折歌っていた歌。その一節。

 世界を旅する神殺しの一行は、魔物の大陸でドラゴンの助力を得るために山に登った、と。要約すると、こんな感じだったか。


「あの時は、麓まで行ったら迎えが来たからな」

「迎え?」

「ドラゴンだよ。ファフニィルとは違う、翼竜(ワイバーン)……この辺りは、もうドラゴンの縄張りだからな」


 そんなドラゴンの縄張りに女神の魔力と匂いをさせる人間が入り込んできたのだから、ドラゴン達も気が気ではなかったらしい。

 途中まで登った所で使いの竜が現れて頂上まで運んでもらい、当時、ドラゴン達を統べていた前竜王――リヴヤータンと契約を交わした。助力を得る代わりに、暴れて手の付けられなかったファフニィルを打倒するという条件で。

 その後は、別の山を根城にして暴れ回っていたファフニィルの足に刺さっていた槍を抜いて、あの親バカドラゴンが結衣ちゃんと契約そして、その翼で魔神の城まで運んでもらった。


「はあ……」


 その話をすると、フランシェスカ嬢が感嘆というか、気の抜けたというか、ほう、と熱の籠った吐息を漏らす。

 こころなしか、その表情――瞳もまた、熱に潤んでいるかのよう。


「凄いですね」

「そう、だな」


 ここで謙遜するのも変だと思い、言葉少なく同意する。

 ドラゴンの背に乗り、数多のドラゴンを引き連れ、数万もの人達の先陣を切って魔神の城へ攻め込む。

 言葉にすれば、確かに凄い。というか、自分達の事だというのに、現実味があまり湧かない。

 あの時は必死だった。生きる為に。

 勝つ為ではない。生きる為、殺す。殺してでも、生きる。命を奪い、自分の命を長らえる。その勢いで、前へ前へ、進んでいた。

 だから、その生き方をキツいと思っている今は、その事を思い出しても曖昧な言葉しか返す事が出来ない。

 そんな返事を不思議に思ったのか、フランシェスカ嬢は小さく首を傾げて俺を見上げてくる。そんな仕草は初めて会った頃と変わっておらず、それだけで胸のつっかえが撮れそうになる。

 まあ、そうだよな。この世界の人にとって吟遊詩人の歌は娯楽で、その娯楽の真実が目の前にある。それに、興奮しない人は居ない。


「凄いだろ?」

「はい」


 おどけて言うと、素直に頷いて呉れるフランシェスカ嬢に笑みを向ける。

 こういう反応をしてもらえると、気が楽だ。


「その凄い所を、今から登るわけだ」


 そうして、また視線を連峰へ。

 雲は厚くて、天気だって良いとはとても言えるものではない。だが、天候が荒れているわけでもなさそうだし、山を登るには問題無いだろう。


「今回も、途中で迎えが来てくれるといいんだがな」

「そうですね」


 その言葉に同意したのは、阿弥だ。顔を洗い終わったらしく、荷袋から取り出した布で顔を拭いている。

 髪を結び直すようで、解かれた黒髪が頬や額に張り付いている。

 なんとも無防備な表情である。その事に口元を緩めると、近くに来た阿弥の頬に掛かった髪を指で払ってあげる。


「髪を解いたところは、久しぶりに見たな」

「そ、うですか?」


 髪を払われたのが恥ずかしかったのか、すぐに俯いてしまった。下ろされた髪から覗く耳が、少し赤い。

 そんな反応をする阿弥を、フランシェスカ嬢は微笑ましいものを見るような目を向けて、口元を手で隠しながら肩を震わせた。


「うぅ」

「気を緩め過ぎだ」

「蓮司さんもだと思いますけど……」

「まあ、否定はしない」


 肩を竦めて同意すると、阿弥は肩を落として溜息を吐いた。

 そして視線を逸らし、顔を洗っているフェイロナ達へ視線を向ける。


「妙ですね」

「ん?」

「ドラゴン達の咆哮は聞こえても、気配はしません」

「…………」


 言われ、確かに、と。

 すでに縄張りに入っている――リヴヤータン程のドラゴンなら、俺と阿弥が来た事には気付いているはずだ。

 だというのに、迎えの一つも寄越さないのは……確かに妙、なのかもしれない。ただ、咆哮――声は聞こえるので、ドラゴンが居ることは確かなはずだ。

 頂上にある洞窟で、のんびりと俺達が山を登ってくる事を待っているのではないだろうか。


「アイツも気まぐれだからなあ」

「それはそうですけど。蓮司さんが来たなら迎えを寄越すと思いますよ、あの人……ドラゴンの性格なら」

「そうでもないだろ」


 アイツは確かに義理堅いが、だからといって人間相手に媚びを売るような奴ではない。

 ファフニィルを見ていると思うのだが、ドラゴンは気を許した相手にはとことん心を開くが、それ以外にはそうでもない。というか、下手をしたら心を開かず牙を剥く。

 リヴヤータンは……どうだろう。気に入ってもらえているとは思うが、心を開いているかと言うと首を傾げてしまう。

 強い者好きのドラゴンは、暴君であったファフニィルを地に落とした俺達を(いた)く気に入ってくれた。特に、今はファフニィルに王の座を渡したリヴヤータンは、自身でも敵わなかったファフニィルを倒したとあって、その思いは一押しだった……と思う。

 思うが、だからといって迎えを寄越すほどかと言うと、そうでもないのでは、とも思える。


「少し、嫌な予感がします」

「……そうか」


 俺はしないが、しかし阿弥が気になるというのなら、こちらも警戒すべきだろう。

 勘、というのはあの二年間の旅で培われている。

 危険な事に対するソレは、警戒し過ぎて問題となるものでもない。別に、何も起こらないなら気を張り過ぎて突かれるだけ。けれど、警戒を怠って危険に巻き込まれたなら、最悪命を落とす事になる。

 それが分かっているので、気を引き締めるように小さく息を吐く。


「よし、それじゃあ登るか」


 気合を入れるように、声を出す。

 すると、顔を洗っていたフェイロナ達も立ち上がった。


「それと、蓮司さん」

「ん?」

「どうしてエル、黙っているんですか?」

「色々あって、照れてるんだよ」


 朝、ずっと一緒とか、恥ずかしい事を言ったから。今更になって照れているのだ、相棒は。

 流石にそれを言うのは躊躇われて、それとなく言葉を濁しておく。

 ただ、それで納得しないのが阿弥である。

 強気な瞳をツリ目にしてこちらを見上げてきたかと思うと、小さな両手で俺の右手を掴んできた。


「いろいろ?」

「色々だ」


 かか、と笑って歩き出す。

 さあ、山を登ろう。

 何かを言いたげな阿弥を右腕で引っ張りながら、フェイロナ達を伴って山の麓へと歩を進める。

 すぐ隣に居たフランシェスカ嬢が、堪らず声に出して笑っていた。

 ま、緊張しない方がいいよな、と。



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