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第九話 最後の旅2

 丸太で組まれた扉が、音を立てて開いていく。地面に積もった雪が開く扉と一緒に押し退けられ、僅かにその下にある地面を覗かせるが、そこに緑は見えない。

 扉を開いているのは、雪が降るほどに冷たい季節だというのに上半身は裸と見紛うほどに薄着な四人だ。筋肉質の身体は扉を開くために鎖を身体へ巻き付けて引っ張る事で汗を滲ませるほど。左右の扉を二人ずつで開いている事から、扉の重量がどれ程かというのが何となく理解できてしまう。


「わあ」


 隣に立つフランシェスカ嬢が、感動とも取れる声を上げた。

 開いた門の先。そこには、一面の銀世界が広がっていたからだ。

 何も無い、本当に雪だけの世界。枯れた木も、腐った草も、濁った湖も。何もかもが、僅かに汚れた、しかし十分に綺麗と言える白い雪に覆われている。

 しかも、まだ誰も歩いていないので、本当に銀の絨毯が敷かれているようにも見える。こんなにもアーベンエルム大陸が綺麗に見えたのは、初めてかもしれない。

 フランシェスカ嬢ではないが、俺も一瞬目を奪われそうになり、苦笑した。


「寒い」

『……風情が無いな』


 お前に言われたくない、と。ポケットの上から、軽くエルメンヒルデを叩く。

 そうされると分かっていたのだろう、特に不機嫌な雰囲気は感じない。それどころか、言葉に宿るのはどこか柔らかな感じ。多分、エルメンヒルデもこの光景に心を躍らせているのかもしれない。


「すまないな、蓮司。ドラゴン達への口利き、よろしく頼む」

「ああ、気にすんな。いつもの事だ」


 かかと笑うと、釣られる様に隆も元気よく声に出して笑いだす。隆の言葉に俺が軽口を返し、笑い合う。いつもの……一緒に旅をしていた頃は、何度もあった遣り取りだ。

 懐かしい気持ちになりながら、肩に背負った荷袋を担ぎ直す。その動きで、腰に吊った精霊銀(ミスリル)の剣が鞘に当たってカチリ、と乾いた音を鳴らす。


「それじゃあ、行くか」


 気負いも無くそう言うと、開かれた門を通って歩き出す。

 一面の白。何も無い――美しい世界。革のブーツ越しに雪を踏みしめると、独特の、どうにも心許ない感触が足の裏にある。

 地球では珍しくもない靴の裏に付いた滑り止めが無い世界ではいつも以上に足に力を込めないといけないし、美しくても雪は大自然で代表される脅威の一つ。(すね)の半ば、膝近くまで積もった雪は冷たく、足先の感覚を鈍らせる。そして、体温を確実に奪っていく。

 その経験があるだけに、これからの旅に溜息が漏れそうになる。

 だが、旅立つ前から溜息と言うのも縁起が悪いだろう。そう思って、何とはなしに空を見上げた。

 淀んだ、灰色の空だ。旅立ちの朝と言うには、少々……天気が悪い。まあ、アーベンエルム大陸では、いつもの天気なのだが。


「行ってくる」

「おう。土産話を期待している」

「言ってろ」


 隆の軽口に笑みを返し、歩き出す。


「フェイロナ」


 そんな、歩き出した俺の後ろで、隆がここ最近は一緒に居たフェイロナの名前を呼んだ。


「そいつは女に甘いからな。お前が面倒を見てやってくれ」

「ぶん殴るぞ、テメエ」

「はは」


 誰が女に甘い、だ。足元の雪を両手で集めて雪玉を作ると、振り向きざまに隆へ向けて投げつける。

 しかし、その雪玉は隆の頭に当たる前に、その背にあった柄の短い鉾で切り落とされた。純白の世界とは対照的な、黒い刃が雪を貫いて地面に突き立てられる。


「誰が女に甘いだ」

「お前以外に誰が居る?」


 かかと笑い、その視線が俺ではなく一緒に居たフランシェスカ嬢、阿弥――そして、ソルネアへと向けられた。

 それ以上は言わないが、言いたい事は分かる。戦えない……足手纏いともいえるソルネアをどうして連れて行くのか、という事だろう。

 その視線に、肩を竦める事で返事とする。何も聞くな、という事だ。


「阿弥も。蓮司を頼む」

「……言われなくても」


 そんな事を言う隆に、返事をしながら(いぶか)しんだ視線を向ける阿弥。今まで……俺の知っている隆が言うには、少し心配症過ぎるとも取れる言葉だったからだろう。


『どうした?』

「なんでもない」


 隆なりに、心配してくれているのかもしれない。

 これから向かう場所が、それほど危険ではないが、しかし過酷な場所であるから。


「行くぞ」


 雪を踏みしめながら、歩き出す。ざくざくと、誰も歩いていない雪原は小気味の良い音を立て、耳を楽しませてくれる。雪が降り、空気が冷えているからだろう。魔物達の姿も見えず、足跡も無い。

 これだけ冷えたのだから、住処で身を寄せ合いながら暖を取り、雪が解けるのを待っているのではないだろうか。

 野生の熊みたいだ。ふと、そんな事を思い出した。


「大丈夫か?」

「あ、はい……」


 砦を出た頃は一面の銀世界に驚き、喜んでいたフランシェスカ嬢も、しばらく歩くと口数が少なくなっていた。呼吸も乱れ、これだけ空気が冷たいというのに額には汗が滲んでいる。

 雪が積もった場所を歩くというのは、想像している以上に体力を消費する。この世界でも、冬には雪が降り、積もるのと当然だが、アーベンエルム大陸ほどイムネジア大陸には雪が積もらない。精々が、脚が埋まる程度だ。

 だからフランシェスカ嬢は興奮していたのだろうが、しかしそんな姿も今は無い。

 息を乱しながら、歩いている。まだ体力に余裕はありそうだが、しかしこれ以上会話する事で体力を消費しないようにしているようだ。その横には、ムルルが並ぶようにして歩いていた。何かあった時に、助けられるようにだろう。

 視線が合う前に逸らし、そのまま先頭を歩く。先頭は、俺とフェイロナだ。すぐ後ろには阿弥とソルネアが歩いている。


「ソルネア、疲れていないか?」

「はい」


 心配の声に返されるのは、やはりいつも通りの平坦な声。

 その声音に疲労の色は無く、足取りもしっかりしている。白い世界に、黒衣がよく映える。これなら、見失う事は無いだろう。


『エルフレイム大陸でもそうだったが、体力があるのだな』

「本当にな」


 阿弥はともかく、ソルネアが弱音一つ言う事無くついてきているのに、少し驚いてしまう。

 

「フェイロナは大丈夫か?」

「ん? ああ」


 俺の隣を歩いていたフェイロナが、俺の声かけに反応するように視線を向けてくる。

 顔には傷一つなく、どこかを穢しているという雰囲気も無い。隆と訓練をしていたという話だったが、あのバケモノを相手に怪我らしい怪我が無いとは驚きだ。

 俺なら、最初の一合で両腕を砕かれる自信があるというのに。


「どうした?」

「いや……隆の相手をして、よく無事だなあ、と」

「無事ではないが――まあ、相手の仕方はよく分かったつもりだ」

「そうか」


 まあ、アイツは馬鹿力が取り柄の脳味噌筋肉男だ。正面からなら一合で両腕をへし折られるだろうが、別に正面から戦う事に(こだわ)らなければやりようなどいくらでもある。

 フェイロナも、その辺りの事に気付いたのだろう。心なしか、先日悩んでいた時よりも表情が生き生きとしているようにも見える。

 ……男の横顔を眺めているのもどうかと思い、視線を前へ向ける。

 目指す竜山――ファフニィルと同族である、ドラゴン達の住む山はまだ見えない。遥か遠く……この悪路(せつげん)を数日歩き、ようやく見えてくる高い山。活火山でもある竜山に、雪は積もらない。雪が積もれるほど、あの山は冷えないのだ。

 だが、だからといって魔物が弾を求めて集まるわけでもない。

 この世界における最強の種ともいえるドラゴンの縄張りに入り込む勇気を持つ魔物など、存在しない。いや、勇気や無謀と言う思考すら持たない魔物は偶に入り込むらしいが。

 魔物の脅威から隔離された場所。ある意味、一種の楽園であるのかもしれない場所。そこが、竜山。竜が住む山である。


「――――」


 そう考えながら、肩に担いでいた荷袋を地面に落とす。雪の上に落ちた荷袋が、ガサ、と音を立てた。

 そのまま、ポケットの中へ手を入れるとメダル(エルメンヒルデ)を取り出す。


『どうした』

「勘が鈍ったな」


 誰にでもなく……言うなれば、自分へ向けて呟く。

 雪を踏むような音が耳に届く。俺より先に気付いたフェイロナは、世界樹の弓に矢を番えながら、緊張を高めた。後ろを歩いていて気付くのが遅れたムルルが前衛に立とうとして、それを手で制する。


「フランシェスカ嬢とソルネアを頼む」


 辺り一面は銀世界。そこに、俺達以外の影は無い。勿論、足跡もだ。

 目に見える変化は無いが、しかし何かが雪を踏む――雪がある場所を進む音が耳に届く。……遠くで、枯れ枝の上に乗っていた雪が落ちる音。

 同時に、フェイロナが何も無いせつげんへ向けて矢を放った。

 風を切り裂く音と共に放たれた矢は、膝程の高さまで積もった雪を貫き……。


「シャッ!?」


 悲鳴は雪の中から。悲鳴と言うよりも、甲高いかな切り音ともいうべきか。

 同時に、雪を掘って進んでいたのであろう俺の腕程の太さがある蛇――ムシュフシュが現れた。紫色を基調に(まだら)色の肌を持つ、視認するだけでも目が痛くなりそうな色の蛇だ。

 それが、まるで雪の海を泳ぐようにのたうちながら進み、俺とフェイロナへと迫る。

 数は五匹。それを確認すると同時に、シュ、という風切り音。フェイロナの弓から放たれた矢が、ムシュフシュの頭を貫き、あっさりと絶命させる。

 残り、四匹。距離が近付き、弓を背へ収めると、腰から剣を抜く。俺も剣を抜くと、こちらへ向かってくる恐ろしい蛇(ムシュフシュ)へと集中した。

 目が痛くなりそうな色が示す通り、この蛇は強力な毒を持つ。おそらく説明するまでも無くフェイロナも気付いているであろう。互いの邪魔にならないように距離を空けると、雪を蹴って別れる。

 四匹の蛇が、三匹は俺に、残り一匹がフェイロナへと向かう。

 阿弥へ視線を向けると、どうするべきか迷っているというよりも、俺の言葉を待っているような顔でこちらを見ていた。


『どうする?』

「こっちで何とかする……阿弥、周囲を警戒しろっ」


 言うと同時に、俺目掛けて飛び上がった巨大な蛇の首を剣で跳ねる。雪原へ鮮血が飛び散り、白を赤が穢す。太い胴体を一閃すると、残り二匹がその一瞬で左右へと別れた。

 知能というものがあるのかすら怪しい蛇だが、しかしその行動は獲物を狙う獣のソレ。左右に分かれ、俺の死角から襲い掛かろうという狩人の反応だ。

 その事に舌を巻きながら、右手に精霊銀(ミスリル)の剣を、左手にエルメンヒルデの短剣を即座に顕現させ、握る。


「来いよクソ蛇。てめえらは、今日の晩飯だ」


 その言葉を理解したわけではないだろう。だが、俺が言い終わると左右の蛇が同時に間合いを詰めて来た。

 雪の上とは思えない速さで進み、身体をのたうたせながら跳ねる。

 右の蛇には剣を噛ませ、左の蛇は逆手に持った短剣で首を刺す。猛毒を持つ蛇だろうが、警戒すべきはその巨体と牙だけだ。速さに惑わされる事無く動きを読み、短剣を差して動きを止める。

 跳ねてくれたのは、助かった。空中なら、動きが制限される。獲物を噛もうと躍起になった事で、狙いが分かり易かった。接近された時のように雪の中へ潜られたら、どうしようもなかったと内心で冷や汗が出そうになった。

 噛まれた精霊銀(ミスリル)の剣を横に薙いで顎から上を切り飛ばし、首に差した短剣を捻って傷口を抉る。

 蛇は、頭を落としても、身体はしばらく動き続ける。毒蛇(ムシュフシュ)も例外ではなく、暫く雪の上で身体をのたうたせた。

 鮮血が雪の上に飛び散り、白を紅に染めていく。

 しばらくそうしていると、ようやくムシュフシュの動きが止まった。


「ふう」

『噛まれていないか?』

「大丈夫だ」


 フェイロナの方を見ると、向こうも剣でムシュフシュを突き刺して、地面へと縫い付けていた。

 隆と訓練をしたからだろうか。以前よりも、なんだか剣捌きが上達したように見える。

 そんな事を考えながら、雪の上で動かなくなったムシュフシュを改めて見た。

 紫の斑模様に、俺の腕程はありそうな太い胴体。長さも一メートル以上は優にあり、かなりの巨体。はあ、と。もう一度溜息を吐く。

 ……蛇は、この時期だと冬眠しているはずなのだが。

 異世界とはいえ、蛇の生態は俺達の世界と変わらない。変温動物である蛇は、極端な暑さや寒さに弱く、そういう状況になると動けなくなるはずなのだ。だというのに、この毒蛇は雪が積もっているというのにあれだけ機敏に動き、襲い掛かってきた。

 その事に、溜息を吐く。


「面倒だな」

「どうかしましたか?」


 周囲を警戒していた阿弥が、歩み寄ってくる。フランシェスカ嬢やムルル、ソルネアもだ。


「いや。これだけ寒いと、普通は蛇みたいな動物は冬眠するはずなんだけどな」


 そう言うと、短剣を翡翠が翡翠の魔力となって霧散し、精霊銀(ミスリル)の剣を鞘へ納める。

 俺が何を言いたいのか気付いたのだろう。阿弥の視線が険しくなる。

 冬眠しているはずの魔物が襲ってきたのだ。何かしらの異変が起きている……のかもしれない。アストラエラの言葉を思い出すなら、魔神が不在という状況。その影響が出ている、とでも言うべきか。

 他に気配はない。音も無い。

 動いていたのはこの五匹だけだろう。一匹は、雪に埋もれているが。


「フェイロナ、そっちはどうだ?」

「問題無い」


 そう言って、雪に埋もれていた矢を掴むと、無造作に持ち上げた。そちらも、狙い違わず蛇の眉間を撃ち抜いている。

 見えていたわけではないだろう。運が良いのだろうが、しかし凄まじい腕だ。


「食べられるのか?」

「おう。美味いぞ」


 俺がそう言うと、美麗な表情を僅かに引き攣らせて手に持つ、矢に眉間を貫かれて絶命している毒蛇(ムシュフシュ)をフェイロナは見た。



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