第十話 神殺しとオーク5
女神は言う。
世界を救う力を授けると。
女神は願う。
世界を救ってほしいと。
女神は笑う。
世界は救われると。
女神は問う。
何を望むのか、と。
勇者は言った。
負けない力が欲しいと。
誰にも負けない、どんな時も負けない強さが欲しいと。
大魔導師は言った。
神様のような力が欲しいと。
奇跡すら起こせるような魔力が欲しいと。
魔法使いは言った。
未来を見通す目が欲しいと。
どんな理不尽な未来すら変えられる目が欲しいと。
賢者は言った。
この世界にあるすべての魔法を使いたいと。
ありとあらゆる魔法を使える存在になりたいと。
魔物使いは言った。
友達が欲しいと。
自分を裏切らない、自分を信じてくれる友達が欲しいと。
剣士は言った。
剣が欲しいと。
どんな物も、何者も、運命すら切り開ける剣が欲しいと。
戦士は言った。
戦う力が欲しいと。
どんな武器でも使いこなせる、最高の戦士になりたいと。
聖女は言った。
皆を救える力が欲しいと。
どんな傷でも癒せる、優しい力が欲しいと。
知者は言った。
知識と技術が欲しいと。
沢山の便利なアイテムを、この世界には無いマジックアイテムを作れる知識と技術を望んだ。
料理人は言った。
誰もを笑顔に出来る料理を作りたいと。
戦う力ではない、人の心を救える料理を作りたいと。
騎士は言った。
仲間を守れる力が欲しいと。
世界すら守れる力、最高の盾になりたいと。
復讐者は言った。
力が欲しいと。
ただ純粋に、敵を倒す力が欲しいと。
山田蓮司の願いは、とても単純だった。
女神が声を上げて笑う程に複雑で、残酷で、どうしようもない願い。
だから与えられた。最高の相棒を。エルメンヒルデを。
それは憐れみだったのかもしれない。
英雄には絶対になれない俺に、英雄に囲まれた生活をする事になる俺に、なんでも話せる理解者でも与えたつもりだったのか。
「レンジさんっ!!」
黒い炎が迫る。黒く、暗い、人間など簡単に呑み込んでしまいそうな炎が。
フランシェスカ嬢の声は、俺を心配してか、俺にどうにかしてほしいからか。
右手に握った鉄のナイフを捨て、左手をポケットに突っ込む。握るのは最高の相棒。
俺の武器は、命を預けられる相棒は、信頼できる得物は、こいつだけなのだから。
『契約は三つ解放だ』
エルメンヒルデを握る手から、翡翠の魔力が溢れだす。
俺の『神殺しの力』を縛る契約は七つ。発動する条件は七つ。
山田蓮司が女神に願った願いを叶えるには、酷く歪で、救いようがない。
英雄には向いていない、だが神殺しに特化した力。
逆を言えば、神を殺す以外には役に立たない力。
ただの魔物相手なら、少し切れ味が良くて丈夫な武器でしかない。
魔神を殺せる力だというのに、下級魔族とすらまともに斬り合えない。
「十分だっ」
だが、『神』相手なら他の神殺し達にも劣らない。
解放された三つ。
おそらく『誰かを守る』『俺の戦う意思』そして――『魔神との戦い』。
その条件が解放されたのだろう。
オーク程度が相手ならそれで十分過ぎる。
迫る黒い炎をエルメンヒルデの翡翠色の魔力だけで吹き飛ばす。
更にその魔力が形を成し、同色の剣を形成する。
宝石の翡翠ではない。精霊銀のゴーレムすら斬れる神剣だ。……魔神の影響下にあるなら、だが。
普通のミスリルゴーレムが相手だと、多分折れるだろう。
「うっし、三か月ぶり」
『……言うな、泣きたくなる』
三か月前に田舎の森に湧いたオーガを狩った時以来の使用に、気分が高揚する。
刀身は翡翠色。材質は不明。契約解放の状況に応じて強度が変わるという謎の剣。
柄は黄金、柄尻に大きな翡翠の塊。その中に、七つの小さな色とりどりの宝石が鏤められている。
その七つの宝石の内、三つが淡く輝いている。
「レンジ、さん?」
「ん」
振り返る。オークに羽交い絞めにされているフランシェスカ嬢を視界に収める。
そのぽかんとした表情が面白くて、失礼だが少し笑ってしまう。
「すまんね。危険な目に遭わせた」
そう言うと、フランシェスカ嬢を拘束していたオークが彼女を放り出して一目散に逃げていく。
自分を巻き込もうとした一撃に怖れたのだろう。もしくは俺に怖れを成したのか。
苦笑する。あの黒いオークよりも、ただのオークの方が俺にとっては脅威だというのに。
その背に向けて、翡翠色の魔力で作り出した同色の刃を持つダガーを投擲。
狙い違わず、その後頭部に吸い込まれるようにダガーが突き刺さった。
心中で謝る。逃がしてやる義理は無いのだ。次いで、頭を掻きながら尻餅を付いた彼女に視線を向ける。
「あまり驚かないでくれると助かる」
「あ、ぇ……はい」
『いや、無理だろ。お前は英雄なんだ、ただの人間にとっては手の届かない相手のようなものだ』
「何処で知ったんだ、そんな言葉……」
アイツか、あの中二病患者予備軍か。
溜息を吐く。今度一度、文句を言う必要があるかもしれない。
まぁ、会わなくなってもう一年だけど。相変わらず元気なんだろうな。そんなことを考える。
フランシェスカ嬢の反応から、俺が何者か気付かれただろうと、エルメンヒルデとの会話を隠す事もしない。
レンジという名前は珍しいが、居ないわけではない。
だが、エルメンヒルデの名前は有名だ。『神殺しの武器』。女神の剣。
実際は剣だけではないのだが、別に否定する必要も無い。
使いやすいのは確かに剣だと思うし、視線の先には翡翠色の剣。実際この形状を一番多く使っているのも確かだ。
「どういう理由かは知らんが、魔神の力を使うなら俺だって戦える」
何故オークなのか。
どうしてイムネジア大陸なのか。
こんな田舎にどうして産まれたのか。
何かが起こっているのか。
魔神討伐が関係しているのか。
疑問は多いが、相手には答える言葉が無い。
流石にオークの言葉は理解しかねる。だから――。
「死んでくれ」
言葉が通じるとは思わない。翡翠の神剣を振る。態度で示す。――黒いオーク、お前を殺す。
口と行動で意思を示し、距離を詰める。
肉体の異世界補正が更に強力になり、いつもより速く走れる。
全開なら魔神とすら互角以上に斬り合える身体能力に、たかが魔術を使えるだけのオークが反応できるはずもない。
俺に手を向け、魔神の炎を形成できたのが奇跡だ。
だが、それを無視してやる事はできない。剣を一閃し指を四本斬り飛ばす。
抵抗無く斬り飛ばされた指が、四方へと飛んでいく。
次いで絶叫。豚の悲鳴が朝の静けさに包まれていた森に響き渡る。
その痛みに集中が乱れ、魔神の炎も霧散する。
耳障りな声に眉を顰め、返す一閃でその喉を裂いた。
それだけ。それで終わり。絶叫は消え、黒いオークの身体が膝を付く。返り血が外套を汚す。勘弁してほしい。
そして、自身の血で作り出した血溜りに沈んだ。ズン、という重苦しい音が戦闘の終わりを告げる。
あとは、落とし穴に落ちて喚いているオークを倒せば終わりだ。
ふぅ、と息を吐くと翡翠色の魔力となって神剣が霧散するようにして消えた。
「疲れた。半年分は働いた気がする」
『ほとんど何もしていないじゃないか……』
呆れたような声が心地良い。
やはり戦っているよりも、戦っていない方が俺には合っているのだろう。
そんな俺の考えをどう感じたのか、エルメンヒルデが無言で溜息を吐く。
「あ、の……」
「あー……そうだった」
右の手の平で顔を隠す。
『諦めろ。誰かを守りたいんだろう? その為の神殺しの武器だ』
そう。
それが俺の願った『神殺しの力』。
願ったのは神殺しの武器。
そして、その武器で誰かを守りたい。
それが山田蓮司が女神アストラエラに願った事。
神を殺す武器で誰かを守りたい。
それは酷く歪で、残酷で、どうしようもない願い。矛盾にも似た理不尽を孕んだ願い。
……どうして俺はそんな事を願ったのか、過去に戻れるなら自分を殴り飛ばしたい。
違うのだ。
周りの連中の若さに触発されたとか、そんな感じなのだ。
今なら言える。楽をして生きていける能力とか、絶対的な幸運とか。そんな能力が欲しいと。
だから、溜息を吐く。
俺が簡単に言った言葉は、酷く複雑な意味を持っていて、その事実に気付いた時にはどうしようもなかったのだ。
「戻るか」
「いきなりですね!? えっと……オークは?」
「死体にしても持って帰れないし、戻って村人に手を貸してもらう」
実際、オークの体重は二百キロ以上ある。一匹だけでも重くて運べやしない。
村で荷台を借りるなりしないと、全部を運ぶのは難しいだろう。
それでも、何往復かする事になるだろうが。
死体にしてしまうと獣に奪われかねないので、穴に落したまま放置する事にする。
「良い稼ぎだ。これでしばらくは楽が出来る」
「あ、あの……」
はっはっはー、と高笑いをしそうな勢いで歩き出そうとすると、後ろからおずおずと言った感じで声を掛けられる。
『勢いで誤魔化せるといいな』
「他人事みたいに言うな、バカ」
『誰がバカだ』
天を仰ぎ見る。
どう誤魔化すかなぁ、と。
ふと、黒いオークの死体に視線を向ける。
まるで泥のように溶けて、地面へと消えていく。
フランシェスカ嬢も、俺の視線を追って黒いオークへと視線を向けた。
「……な、何なんですか、このオーク」
「さてね。ただの突然変異か、新種か、混ざりモノか」
それとも魔神の生まれ変わりか、魔神の血肉でも喰ったか、魔神の眷属か。
魔族の大陸で討伐した魔神がどうしてイムネジア大陸に関係してくるのかは判らないが。
『面倒な事になりそうだな』
「嬉しそうに言うな」
『レンジが真面目に働くなら、面倒事も嬉しいものだ』
「お前は俺の母親か……」
何を達観したような声で言ってるのか、このメダルは。
あと俺は真面目に働いている。一日一日をそれなりに楽しんで過ごせればいいだけだ。
溜息を吐いて、村に向かって歩き出す。
そんな俺を、フランシェスカ嬢が追いかけてくる。
「あの、レンジ様?」
「人違いだ。俺はただの冒険者だよ、フランシェスカ嬢」
即座に否定して、肩を竦める。
ほら、神を殺しただけの冒険者と貴族様。むしろ向こうの方が格は上だ。
『くくっ。レンジ様、か。くく……』
「あーあー、面白いよ。笑えるよ、似合わないよ、チクショウ」
俺は英雄ではない。
英雄にはなれない。
何故なら俺の願いは、矛盾にも似た理不尽を孕んだ、どうしようもない願いだからだ。
俺の『神殺しの力』は、誰かの危険の上にしか成り立たない。
誰かを危険にしなければ戦えない男など、英雄のはずがない。
しかも、特定の状況、多くの条件を満たさなければ使えない最弱にも等しい能力。
だから俺は弱いのだ。他のどの神殺し達よりも。
太陽が昇り始めた空を仰ぐ。
『魔神の力を持つオーク、か』
「面倒事は勇者達の特権だ」
『お前もその一人だろうに』
「まさか」
手に握っていたメダルを指で弾く。
手の平に落ちて現れたのは、裏。
ああ。
「面倒は嫌いだ」
ため息が出た。
「ところで、何方と話されているのですか?」
「……独り言だ」
「は、はぁ」
『流石に無理があるだろ、それは。まぁ、レンジがそれで良いなら私は何も言わないが』
流石に痛い奴か、メダルに独り言を言うのは。
また、ため息が漏れた。
これだから、魔物討伐は嫌いなのだ。不測の事態が起きる。
……まぁ、『神殺しの力』を使った俺が悪いのだが。
追い詰められるとすぐにエルメンヒルデに頼るのは、俺の悪い癖だ。