第四話 十三人目の英雄3
並べられた料理を、どう表現したものだろうか。
六人が並んで座れるほどの大きさがある、石で造られた長テーブルに置かれていく大皿へ盛られている料理を眺めながら言葉に迷っていると、俺の右隣へと座っていた阿弥が「美味しそう」と声を上げた。
うん。
美味しそうなのだ。見た目は普通だが、その臭いは食欲をそそり、空っぽの胃を刺激してくれる。
盛られているのは三眼の牛の肉であるらしい。イムネジア大陸で聞く事の無い魔獣の名前に、説明を受けたフランシェスカ嬢とフェイロナが驚いた声を上げた。ムルルとソルネアの視線は、三眼の牛の照り焼きに釘付けである。
次に料理人が持ってきたのは、石燐の蛇竜の燻製肉らしい。どちらも、以前アーベンエルム大陸を旅していた際に苦戦した相手だ。
三眼の牛は目が合った相手を麻痺させるというか、目が合っている間は動きを制限させるという異能を持つ魔獣である。体内にある魔力を乱す魔眼はこの世界に生きる人だけではなく、魔族や魔物にすら作用する強力なモノ。それは強力な魔力を持つ阿弥達、他の十二人の英雄も例外ではない。
石燐の蛇竜はその名の通り、石のように固い鱗を持つドラゴンだ。見た目はドラゴンというよりも、巨大なヒル――ワームと言った方が正しいのかもしれない。一応竜種であるらしいが、ファフニィルからすると下位も下位らしい。俺達の世界におけるヴリトラは、それなりに有名なドラゴンであったはずなのだが。
ただ、その鱗の堅さは凄まじく。制約をいくつか解放しただけのエルメンヒルデでは傷をつける事すら難しい。下位とはいえ、この世界最強とも言われるドラゴンの一種である事に変わりはない。
そのどちらも、かなり凶暴な魔獣、魔物であるはずなのだが、普通に食堂のメニューに並んでいる事に驚いてしまう。いや、食堂の一角にある黒板に書かれているのだ。本日のおすすめメニュー。多分、考えたのは隆だろう。
「普通に狩れる相手じゃないだろ、ヴリトラ」
まず、見付けるのが難しいような相手なのだが……。俺の呟きが聞こえたのだろう、隆がニヤリという擬音が聞こえそうな笑みを浮かべた。
「今朝、哨戒をしていた時に見付けてな」
「見付けてな、で狩れるお前が凄いよ……」
ドラゴンとしては小振りな部類になるヴリトラも、大きさはイムネジア大陸で最大級の鬼よりも一回り以上大きい。しかも、竜種という事もあって体力が高く、そう簡単に死ぬ事は無い。というか、頭を切り落としてもしばらくの間は暴れるほどだ。
こうやって肉が食堂に並ぶという事は、それなりの塊――綺麗な死体であるという事の証左であろう。
それは、剣や槍での斬った張ったの末に討伐したという事。……相変わらず、外見通りの体力バカというか、腕力バカというか。脳筋であるらしい。
「ただ、補給日前だからパンと野菜は無いんだ。申し訳ない」
「気にしないよ。この大陸でまともな食事を摂れるだけで十分過ぎる」
「食事って……上品な言い方だな」
似合わねー、と。隆が声を高くして笑う。
そんな隆の言葉を聞こえなかった風を装って無視すると、料理を前に手を合わせた。
「冷めないうちに食べてしまおう。料理は、熱い方が美味しいからな」
「は、はい……」
「……そうだな」
フランシェスカ嬢とフェイロナは隆を相手にどう反応していいか分からないようで、微妙に歯切れの悪い返事。
「うん」
「はい」
ムルルとソルネアは、そんな隆を気にする事無く料理へ手を伸ばした。
阿弥も、苦笑いを浮かべながら俺に倣って手を合わせて料理を食べ始めた。そうして、全員が食事を開始したのを確認してから俺も料理へ手を伸ばす。
そうしている間にも、いくつかの新しい料理が石造りの名がテーブルへ並べられていく。
『こんなに料理をして良かったのか?』
「うん?」
『この大陸では、食料は貴重だろう?』
「ああ。最近は魔物達の動きが活発だからな……肉だけならいくらでも手に入る」
その言葉に、一瞬料理へ伸ばそうとしていた手を止めた。
宇多野さんが言っていた言葉を思い出す。魔物の行動が活発になっている、と。それはイムネジアやエルフレイムだけでなく、アーベンエルムでも同じのようだ。
つい、と。それとなく視線をソルネアへ向ける。いつもの、感情の読めない表情で、しかし僅かな喜色で目元を綻ばせながら料理を食べている……ようにも見える。実際は、いつもの無表情なのだが。
その隣に座っているムルルは、正に必死という表現が似合う表情で料理を食べている。アイツの食欲は俺が一番よく知っていると思うので、これだけの量を出されても残す心配はないだろう。
「このヴリトラだって――内陸部に住んでいるはずなのに、この辺りにまで現れたからな」
「……」
「他にも、浜辺には魚人や大王烏賊の死体は上がるし、一つ目鬼や将軍豚は同族を集めて魔物同士で殺し合いもしている」
端的にアーベンエルム大陸の現状を聞きながら、料理を食べる。
本当は美味しいであろう料理も、そのような話を聞きながらでは舌に感じる味は半分以下。脳が感じる味覚よりも、話の内容で気持ちが重くなってしまう。
さりとて、後で話そうと言い出せるような雰囲気でもない。それだけ、魔物達の異常が目に見えて形となってしまっているのだ。
「さっき」
「ほかには……ん、なんだ?」
まだまだ話す事があると言わんばかりに口開こうとしていた隆の言葉を遮るように声を出すと、その視線が俺に向いた。気付いたら、料理を運んでいた兵士……料理人は厨房の方へ戻ったようだ。
俺と同じように、阿弥とフランシェスカ嬢、フェイロナの手も止まっている。
「竜山の方に用事があると言っていたな。それ関係か?」
「ああ。魔物程度に後れを取るつもりは無いが、ここには非戦闘員も居るからな……」
隆が言うには、兵士連中の指揮はそこまで低くないのだそうだ。
アーベンエルム大陸で生活するようになって半年。大きな怪我をした際には本国――イムネジア大陸の方へ宇多野さんか幸太郎の転移魔術で戻るらしいが、それ以外はここで魔物や魔族を相手にしながら戦技を磨き、生計を立てる。
そうした生活をしている間に、この砦で生活している兵士達の大半はイムネジア王国の騎士にも勝る強さを手に入れたとか何とか。
まあ、強敵と戦って経験を積んだともいうべきか。どうやら目に見えて強くなった事を自覚して、兵士連中の戦意はそれほど落ち込んでいないそうだ。まあ、戻れる手段があるというのが大きいのだろうけど。
だが、戦えない非戦闘員……炊事や家事を行っている兵士達はそうでもない。
いくら頑強な砦に隠れているとはいえ、それでも一つ目鬼の一撃は岩を簡単に砕くし、魔族の魔術も同様だ。こんな砦は、半日もあれば跡形も無く壊れてしまう。
魔物が俺達が知っている行動理念から外れた行動をしている事で、安全であるはずの砦の中に居てもなお、不安が広がっているのだそうだ。
「だから、少しばかり防衛にドラゴンを借りようと思ってな」
「……相変わらず簡単に言うよな、お前」
「ファフニィルが言えば、二つ返事だろうし」
はあ、と溜息を吐く。
竜の王――ドラゴンの頂点に立つファフニィルの言葉に、他のドラゴン達は従うだろう。魔神ネイフェルと決戦の際にも力を貸してくれたのだから、その考えに俺も同意する。
ただ、ファフニィルが無償で行動するのは結衣ちゃんが頼んだからであって、俺や隆が言っても首を縦に振るというのは難しい。それは先ほど――俺達がこの大陸へ渡ってきた時に魅せたファフニィルの反応からも如実に想像が出来る。
言葉は軽かったが、しかし同意の言葉を得るのは難しいはずだ。一度否と言ったからには、梃子でも動かない。数少ない例外は、本人は否定するだろうが、あの竜の王が心の底から心配し、感謝の念を抱いている『魔物遣い』結衣ちゃんの言葉であろう。
カトブレパスの肉をフォークで刺し、口に含む。少し硬い……歯応えのある感触だ。噛めば噛むほど味が出る、スルメや燻製のような感じとでもいうべきか。照りの甘辛い味が肉本来の臭みを消して、とても食べやすい。
『料理人』藤堂が、魔物や魔獣の肉は癖があるモノが多いので、調理の際に工夫が必要だと話していたのを思い出す。
このカトブレパス肉の調理法も、藤堂が考えたのを、隆が料理人へ伝えたのだろう。
「で、そのファフニィルは拒否したわけだが?」
「意地悪だな、お前」
俺が意図して笑いながら言うと、隆が唇を尖らせる。男がしても可愛くない、と呟くと食事に集中しているムルルとソルネア以外の皆が口元を緩めた。
「うるせえ。んで、だ。蓮司……ドラゴン達、お前の言う事も聞くと思うからさ?」
「思うからさ、じゃねえ」
竜山。
その名の通り、竜が住む山。名前が無い土地名の説明が難しいと宇多野さんが付けた名前である。ナイトといい、竜山といい、あの人が名前を付ける時はかなり端的だ。使い魔の青い鳥はピー子だし。
それはさておき。
竜――ドラゴンが住む山というだけあって、他の魔物は殆ど住んでいない。というよりも、住めないのだ。
竜山へ近付けば、ドラゴンの餌になる。ドラゴンにとって竜山とは縄張りであり、そこへ入り込んだ者は例外なくすべてが敵であり餌。そして、ドラゴンは縄張り意識が非常に強い。翼を持つドラゴンは空を飛び、翼の無いドラゴンは大地を走る。
山へ近付けばドラゴンに襲われる。それは、今の俺も例外ではないだろう。
彼らが認めていたのはエルと一緒に居た俺で、エルメンヒルデではない。
魔力を嗅ぎ分ける鼻があるドラゴンに、エルとエルメンヒルデの違いは明確であろう。多分。確信ではないが、しかし可能性はかなり高い。
――ファフニィルは、その事を分かっているはずなのに。
それでも俺へ、竜山へ行けと言ったのだ。それが何を意味するのかは……まあ、あれだ。身内連中にもう一度認められろという事だろう。
以前、ファフニィルを下して認められたように、もう一度力を示してドラゴン達に認められろ、と。
「まあ、今日は長旅で疲れているんだ。竜山の件は、明日ゆっくり考えるよ」
「そうかそうか」
色の良い返事をしたわけではないが、しかし隆は破顔して俺を見る。いい歳をした大人が、まるで子供のように無邪気な笑顔を浮かべる。
そんな顔を向けられると、なんとも言えない気持ちになってしまう。
こいつのこの表情は、ズルいと思う。こんなにも嬉しそうなな顔をされると、何とかしてやりたいと思ってしまう。力になってやりたいと。
だから溜息を吐いて、食事を再開する。
まあ、俺一人の問題ではないのだから、皆の意見を聞くべきか。
雪がヤバい……