第十八話 神の器5
右手に持った神剣をクルリと回し、正面から向かってくる巨大猿と相対する。
何度か斬り合った相手ではあるが、しかし正面から向かってこられると、その威圧感に圧倒されそうになる。見上げるほどに大きな身長と、隆々と盛り上がる筋肉。その剛毛は半端な刀剣類の斬撃など徹さず、拳の一撃は岩すら砕く。
そんな相手に足を止めて向かい合う。といっても向こうは全力でこちらへ走ってきているのだが。
まずは足を斬り払おう。そう考えて腰を落とすと同時に、俺の脇を抜けて白い影が疾駆する。ムルルだ。
腰どころか頭を低く――地面に擦りつけそうなまでに頭を低くしては知るムルルの頭上を巨大猿の剛腕が薙ぎ、それを掻い潜って膝を殴り砕く。
そのまま前のめりになった巨大猿は走っていた勢いのまま地面へと転がり、丁度俺の眼前にがら空きの画面を曝け出す。
「っと」
その眉間へ神剣を突き刺し、末期の痙攣を見る事無く次の獲物を探す。
丁度、数匹の吸血鬼が空から落ちてくる。見上げると、空を飛ぶ吸血鬼を足場にするようにして矢を射るフェイロナが、次々と吸血鬼を射ち落していく。
そうして射ち落された吸血鬼は阿弥やムルル、それか地を走る巨大猿によって踏み潰されてその数を減らしていく。
『急げ、レンジ』
「分かっているよ」
エルメンヒルデへ返事をすると、ソルネアを守るように立つ更太郎とフランシェスカ嬢の傍へ行く。正直、あの三人に混じって行動するとこれ以上の魔物を倒すのは難しそうだ。
しかし、と。
「一体何匹居るんだ?」
『残りは、吸血鬼が六匹だ』
「あっそ」
数えているのかよ、と。内心で呟きながら、神剣を弓へと変えて、その内の一匹を狙う。しかし、射った矢は空中で避けられてしまう。
そうして生まれた隙を狙った巨大猿が俺を狙ってくるが、だが俺に届く前に、目の前に出来た落とし穴へと足を引っ掛けて転んでしまう。豪快な音ともに倒れると、そのまま急激に成長した草の葉と根で拘束されてしまう。ちゃんと、両腕両足、そして力の入らない関節部分まで。
「フランシェスカ嬢か」
いつの間に、ここまで拘束が上手になったのだろうか。最後に見たのは何時だったか……以前は、これほど上手に拘束していなかったはずだ。
俺が居ない所で勉強したのか、見たのか。どちらにしても、これで巨大猿の一体は無力化できた。
そう思うと同時に、二匹の吸血鬼が俺を囲むように地面へ降りてくる。
どこか人のようにも見えるが、鼻が低く、目は不自然なまでに充血している。手は細く、脇に掛けて翼状の皮膜が繋がっている。下半身は体毛で覆われ、身長に比べて足が短い。その身長は、ムルルとそう変わらない。
ギィ、と。甲高い声。
俺を囲むもう一匹と話をするように、二匹が交互に耳障りな声を発しながら俺の周囲を回る。
離れた場所で、一匹の吸血鬼に背後から襲い掛かろうとムルルが腰を落とす姿が見えた。しかし、そのムルルをフェイロナが手で制す。俺としては、そこで助けてくれても良かったのだが、と。
『これで最後だ』
先ほどは残り六匹と言っていたが、俺がモタモタしている間に半分以上が死んでしまったらしい。
――そう溜息を吐こうとした瞬間、一匹の吸血鬼が俺に向かって飛び掛かる。一拍の間を置いて、その一匹の反対側……俺の背後からもう一匹が飛び掛かる気配。
それを感じながら、最初に飛び掛かってきた一匹を左手に持った弓で殴りつけ、即座に右手へ長剣を顕現させて背後から迫っていた一匹の頭を薙ぐ。しかし、制約が一つしか解放されていない剣では切れ味が足らずに殴るような格好となって二匹の吸血鬼が地面へ転がる。
そのまま剣を矢へと変えると、弓へ番える。瞬く間も無く放った矢は、しかし吸い込まれるように吸血鬼の翼を貫通し、地面へ縫い付ける。
だが、その間に起き上がったのだろう。最後の一匹が俺の背中から抱き着いた。そして、一息の間も与えないように俺の左肩へと牙を突き立てる。
吸血鬼は見た目こそ小学生程度の大きさで力がありそうに見えるが、その実、腕力はゴブリンと同等か、それ以下でしかない。それは、小学生とはいえ人と同程度の大きさがあり、それだけの巨体を小さな翼で空へ浮かせるため。つまり、筋肉が少なく、骨も脆い。無駄な贅肉など、僅かも無い。
抱き着いて来た魔物は驚くほどに軽く、そして噛みついてくる力も弱い。
しかし、その一瞬。牙を伝って流し込まれた吸血鬼の毒が俺の身体へ入り込む。噛んだ相手を操る、吸血鬼達の異能。その源。
「残念だけどな」
だが、そうして俺の左肩へ噛みついた吸血鬼の眉間へ弓から短剣へと変わったエルメンヒルデを突き立てる。
一度大きく痙攣し、噛む力が弱まる。
短剣を抜くと、ズルリ、と。吸血鬼は地面へと崩れ落ちた。念のため、その喉を踏み抜いて首をへし折る。革のブーツ越しに、肉を潰し骨を折る嫌な感触が伝わり、最後にその足を捻ってトドメを刺す。
「俺に、それは効かないんだ」
呟いて、最後の吸血鬼――翡翠の矢で地面に縫い付けられたそれへと歩み寄る。
「ソルネア」
「はい」
その名前を呼ぶと、俺の隣へ来る。一緒に、幸太郎もだ。
「レンジ様、大丈夫なのですか……?」
そして、幸太郎と一緒にソルネアを守っていたフランシェスカ嬢が聞いてくる。それは、吸血鬼に噛まれて大丈夫なのか、という事だろう。
その言葉へ、軽く肩を竦める。
「俺は特別でね」
『魔力が無いだけではないか』
「……簡単にタネ明かしをしないでくれると嬉しい」
『そうか?』
俺とエルメンヒルデの遣り取りを聞いて、阿弥と幸太郎が口元を緩める。ソルネアを覗く他の三人は、不思議そうに俺を見ている。
ソルネアは、割りとどうでもいいというか、いつものように感情の波が浮かばない瞳で俺を見ていた。それはそれで、少し寂しく思ってしまう。
「吸血鬼は噛んだ相手を操るっていうのは、話したよな?」
「ああ。だから、私達に噛まれないように注意しろ、と。そう言ったのはレンジだ」
フェイロナの声には、少し苛立ちのような物が混じっているように感じた。言っている事と違う、と言いたいのだろう。
「吸血鬼の血には、実は噛んだ相手を操るという特別な力は無いんだ」
「……?」
三人が、不思議そうに俺を見る。
「噛んだ相手の魔力を乱して、そこに自分の魔力を流し込む。そうして、操るんだ」
「魔力を乱す?」
「どうにも、吸血鬼の唾液には、流し込んだ相手の魔力を乱す作用があるらしい」
「……それで、魔力を乱した後に、血を流し込むのですか?」
「ああ」
フランシェスカ嬢の言葉に頷いて、左肩を回す。少し痛いが、それだけだ。今までの怪我からすると、掠り傷も良い所。
周囲を見渡すと、数匹の巨大猿と、十にも満たない程度の吸血鬼。これだけの数と戦ってこの程度の傷というのは、初めてのような気がする。まあ、この殆どは仲間達が片付けたのだが。
ここで自分の手柄だと驕ってしまうと痛い目を見る事になるので、ほどほどに頑張ったと自分を褒めておく。そのくらいが、丁度良い。
「ですが、それとレンジ様が噛まれても大丈夫な理由が……」
「初めて会った時にも言ったかもしれないが、俺には魔力が無くてね。操られる“元”が無い」
そう言って、地面の上で暴れている吸血鬼の傍へ膝を突く。フランシェスカ嬢によって捕らわれた巨大猿は、阿弥が少しだけあふれさせた魔力に怯えてしまっている。
もう、拘束を解いても逃げるのではないだろうか。
そんな事を考えながら、最後の吸血鬼を観察する。
特段、目立つところは無い。俺がよく知る吸血鬼と変わらない姿だ。姿形も、大きさも。無理矢理唇を掴んで、口を開けさせる。牙の並びなども変ではない。
「ソルネア、何か感じるか?」
「はい」
俺の言葉へ、端的に答えてくれる。同意の言葉を口にすると、しかし吸血鬼へはそれ以上近づく事無く見下ろすだけである。
「これ……こいつらが、お前が言っていた“なにか”か?」
「はい」
おそらく、この場に現れた吸血鬼。妙な水晶がある洞窟を塒にしていたのか、それともあの蒼い光に触れただけなのか。
その魔力に充てられた、ということだろうか。そう考えると、普段は昼に行動しないはずの吸血鬼が、どう口へ近付いたフェイロナ達を襲った理由も、一応説明がつく。
吸血鬼に限らず、魔物は自分達の巣や塒へ近付く他種族へは過敏に反応する。先ほどの襲撃は、そういう事だろう。
まあ、俺は吸血鬼ではないし、ソルネアでもないので真意はまだ分からない。
だが、これで一応、ソルネアの言う“なにか”の正体を知る事が出来たという事か。
そう考えながら、立ち上がる。
空を見上げると、もうすぐ日が傾く時間帯だ。今すぐ陽が落ちるという訳ではないが、夜営の準備を始めなければならない。
一応仕事というか、問題は解決した。だが、夜の森を歩くとなると、先ほどの魔物退治よりも危険が付きまとう。夜の闇、夜の森、夜の魔物という状況は厄介である。
「今日は夜営をして。明日の朝、村に戻るか」
「わかりました」
俺の言葉に異を唱える事無く、フランシェスカ嬢が夜営の準備に取り掛かる。
その行動力に驚かされていると、続くようにフェイロナとムルルも行動に移った。
その後に、幸太郎も続く。
最後に――阿弥がじぃ、っとソルネアを見ていた。まあ、何処を見ていたのかは、知らないふりをする。
「フランシェスカ嬢、焚き火に使う枝を集めるのを手伝ってもらってもいいか?」
「はい」
まあ、吸血鬼の総数が分からないので全滅させたとも言えない。ソルネアの相手は、阿弥に任せようと思いながらその場を後にする。
「アヤさんはどうしたのですか?」
「さあな」
『洞窟の中で、ソルネアと会った時の話をしてから変なのだ』
「変なのはお前だ」
その言葉を切り捨てると、フランシェスカ嬢と並んで森へ入る。まあ、適当な木の枝を集めるだけなので深くは潜らないが。
『……レンジに変だと言われた』
「ふふ」
そこで落ち込むお前に、俺が落ち込みそうだ。俺をどれだけ変だと思っているのだ、お前は。
そんな俺とエルメンヒルデを見て、フランシェスカ嬢は肩を震わせながら上品に笑みを零した。
連続投稿六日目。
今日から書籍が並び始める場所が増えているらしいです。
ご購入してくださった方、本当にありがとうございます。
オーバーラップ様HPの特設サイトにて、一巻とは別に二巻でもアンケートを行っております。
お答えいただくと短い書下ろしの話が読めるようになっておりますので、宜しければこちらもどうぞ。