第十四話 神の器1
デルウィンを探して世界樹の麓まで行くと、そこでは数人の亜人や獣人の戦士たちが集まって、精霊神へ捧げ物を行う祭壇の準備をしていた。
阿弥達は捧げ物を全部用意したわけでは無かったはずだが、大凡主要な物は集めていたのかもしれない。
周囲を見渡すと、そのデルウィンは亜人の戦士達へ指示を出している所だった。俺が来た事に、俺より先に気付いていたのだろう。すぐに師事を出し終えると、こちらへ向かってくる。
「どうした、レンジ。アヤではなく、ソルネア……と一緒なのか」
神ではあるが、今まで敵対していた魔神であるソルネアへどう対応しようか一瞬迷ったように言葉が詰まる。しかし、俺とあまり変わらない対応をするようだ。
ソルネアも、どう呼ばれるかなど気にしていないようだ。
「ああ、少しな。……もういいのか?」
「気にするな。年に何度も行っている事だ」
ツェネリィアへの捧げ物を行う儀式は、デルウィンが言うように何度か行われている。年始と年末、それに獣人や亜人達が何か大きな決め事をする際には意見を聞く為に。
それだけツェネリィアを信仰しているとも取れるのだが、依存しているとも見える。
まあ、それがこの大陸の流儀なのだ。俺がとやかく言う事ではない。それに、女神もそうだが、神とは退屈を苦手とする。祭りや捧げ物を積極的に行って相談や頼み事をされるのは、きっと神様も望んでいる事だろう。
「それで、なんだ?」
「阿弥達が巨大猿を捕えてきただろう?」
「そうだな」
「その中の一体が、吸血鬼に噛まれていた」
俺が端的に用件を言うと、デルウィンが驚いたように目を見開いた。
冷静なイメージのあるデルウィンの、珍しい表情である。
「……本当か?」
「多分な。俺と幸太郎が見た限りだと、間違いはないと思う」
『それに、ソルネアが何やら感じるものがあるらしい』
エルメンヒルデがそう言うと、その視線が俺の後ろに立つソルネアへと向いた。
何を考えているのかは分からないが、驚いているようにも見える。
「はい」
そんなデルウィンの視線を感じたソルネアが、言葉だけで同意する。すると、何事かを考え込むように黙ってしまった。
その間に周囲へ視線を向けると、話し合っている俺達を何事かという視線で見ている戦士たちが数人。
俺に見られている事に気付くと、何事も無かったかのように……しかし僅かに慌てながら作業へと戻っていく。
そんなに、自分達の長と俺が話している事が気になるのだろうか。なんともくすぐったいというか、視線に感じてしまうというか。
なんとも言葉にし辛い感覚を感じていると、考え事をしていたデルウィンが顔を上げた。
「数は多いのか?」
「どうだろうな。阿弥達は見ていないようだし、噛まれていたのは一体だけだ」
考えるだけなら、おそらく一体か二体。そう多くは無いはずだ。
吸血鬼は血液を食料とする。そして、噛んだ相手は凶暴化し、吸血鬼には逆らえない。それほど知能が高くない吸血鬼は、仲間を増やすために噛むというのが本能だ。
それだというのに一体だけとなると、そもそも吸血鬼の数が少ないという事だが。
「まあ、こっちが気付いていないだけかもしれない」
「そうか」
頭でどう考えようと、今の時点では情報が少な過ぎる。それもデルウィンは分かっているようで、こちらに意識を向けていた数人の戦士達を手招きして呼ぼうとする。
斥候へ行かせようというのだろう。
魔物とはいえ、巨大猿は精霊神の好物である。エイプが住む聖域に他の魔物が住み着いているのだから、早急に動かなければならないと感じているのかもしれない。
「デルウィン」
そんな友人の名前を呼んで、こちらへ来ようとしていたエルフの戦士達を俺が手で払う。
「俺が行くよ」
「いいのか?」
『……なに?』
俺の言葉が予想外だったのか、デルウィンとは違ってエルメンヒルデは心底不思議そうな声を上げた。
「何故驚かれ――ああ、そう言えば、最近のレンジは不真面目だったのか」
「不真面目って、お前ね」
その言葉に、呆れた声を返してしまう。
最近はエルメンヒルデが驚くように自分から進んで面倒事へ首を突っ込もうとはしなかったが、昔は結構な熱血漢だったのだ。
……自分で思うと、なんと胡散臭い単語だろうか。熱血漢。
「俺と幸太郎で何とかするさ」
「アヤは連れて行かないのか?」
「疲れているだろう。それに、吸血鬼は少しばかり厄介だからな……俺達二人なら、問題無い」
そうやって話していると、不意にデルウィンが視線を逸らした。
「ああ、丁度良い所に」
その視線を追って顔を向けると、そこにはグラアニアと一緒に歩いてくるムルルの姿がある。
あちらも俺達に気付いたようで、こちらへ向かってきた。ただ、グラアニアの男らしいというか獣臭いというか、野性の溢れる表情が緩んでいるのはキモチワルイ。
「おい、親バカ」
「ふ」
俺の言葉には、意味ありげな表情を向けてくるだけである。
その顔を殴りたいという衝動に駆られるのは、俺だけではないはずだ。
「ムルル、疲れていないか?」
「うん。大丈夫」
それは良かった、と。軽い挨拶を交わして、もう一度デルウィンへ視線を向ける。
「それで、俺と幸太郎の二人で行こうかと思っているが、大丈夫か?」
「ああ。レンジとコウが何をしようと、私達に止める権利は無いさ。そもそも、お前達が来る前までは、私達だけだったのだ」
「それもそうか」
まあ、いくら強力な魔術師――『魔法使い』とはいえ、幸太郎一人が抜けても特に問題は無いのだろう。
後はファフニィルに巨大猿の聖域まで運んでもらえるように頼んで、二、三日分は過ごせる準備をして……これからしなければならない事を考えていると、外套が引かれた。ムルルだ。
視線を向けると、こちらを見上げてくる。
「どうした?」
「何かあった?」
俺とデルウィンの会話を聞いて、不思議に思ったのだろうか。そう聞いてくる顔をしばらく見返し、どういったものかとグラアニアを見る。
そちらも、ムルルと同じような顔をして俺を見ていた。
親子だな、と。何となくそう思いながら、デルウィンを見やる。
「巨大猿が住む聖域に、他の魔物が住み付いたようだ」
「……なに?」
「レンジとコウが対応してくれるそうだ」
「レンジが?」
グラアニアの視線に、顔を顰めてしまう。どうしてそうも、俺を不思議そうに見るかね。そんなに今までの俺は不真面目だったのだろうが。ここまで一緒に旅をして来たムルルを見ると、俺が働くという話を聞いても驚いた様子は無い。
うん、これが普通の反応だろう。
デルウィンとグラアニア、そしてエルメンヒルデは驚き過ぎなのだ。
今までだって、それなりには真面目だったつもりだというのに。まあ、つもり、と言っている時点で不真面目だったのだろうが。
「そんな顔をするな」
あまりに不真面目不真面目と言われていたからか、顔に出ていたようだ。いや、グラアニアは言っていないが。ただ、目が驚いていたのだ。
「しかし、聖域の方へ魔物が……」
「吸血鬼だ。俺と幸太郎で行く」
「ヴァ……? ああ。あの羽が生えた魔物か。アレは、エルフレイム大陸には存在していないはずだが」
以前、魔神と決戦の際に戦った経験があるのだろう、グラアニアが驚いた声を上げた。
そのグラアニアに先日シェルファが襲ってきた際に召喚されたのではというこちらの考察を説明すると、また外套が引かれる。やはり、ムルルだ。
「私も行く?」
「来るか?」
「うん」
「ダメに決まっているだろう!?」
俺達の会話を聞いていたグラアニアが、素っ頓狂な声を上げた。多分、ムルルに危ない事をしてほしくないという親心だろう。
その言葉に、肩を竦める。
「だ、そうだ」
まあ、グラアニアなら止めるだろうと思って言ったのだが。そんな俺の反応が分かっていたのだろう、ムルルに睨まれてしまう。
「私はもう、子供じゃない」
その、懐かしい物言いに苦笑する。初めて会った時も、子供扱いされる事を嫌っていたな、と。
「そういう問題じゃないさ」
「そうだぞ、ムルル。ヴァンパイアは危険だ」
「大丈夫」
今回は、やけに強気である。
別に、もうムルルを子供だなどと思っていないのだが……それを言葉にするのも気恥ずかしい。
どう断ったものかと考えていると、また外套が引かれた。今度はソルネアである。――俺のマントを引くのがブームなのだろうか。ふと、そう考えてしまった。
「私も行きます」
『……なに?』
俺よりも先に、エルメンヒルデが驚いた声を上げた。
『どういうつもりだ?』
「何かが、居ます」
しかし、エルメンヒルデの言葉へ応える声は的を得ない。
“何か”。それが何なのか、ソルネア自身も分かっていない――けど、何かが居る事だけは分かるというのか。
「――また“何か”、か」
その言葉に、どうしてこうも引っかかるものを感じるのだろうか。
ソルネアは、『魔神の器』ではあるが、特別な力を持っているという訳ではない。それを分かっているはずなのに、その言葉には……何か、確固とした何かを感じてしまう。
その瞳を見返すと、やはり感情の波が浮かばない、凪のような黒い瞳だけがある。まるで、飲み込まれそうな――どこまでも、深い瞳。何も映さない、自身の感情すら映していない瞳だというのに。……どうしてこうも、その言葉を信じようとしてしまうのだろう。
「分かった」
『レンジ……いいのか?』
「ソルネアの感覚は、何となくだけど分かるからな」
分かる、とは少し違う。知っている、というのが正しいのだろう。
エルメンヒルデが『魔神の眷属』の存在を感じられるように、ソルネアも何かを感じるのかもしれない。魔神を討伐する為の旅、その途中で何度も助けられた神の感覚。
ソレは、俺には無い感覚だけれど、しかし……ソルネアの言葉をすんなりと受け止めるには十分過ぎる理由でもある。ソルネアもまた、エルやエルメンヒルデと同じ、神が創り出した命だから。信じる理由としては、十分過ぎる理由だろう。
――そうやって真面目に考えていると、また外套が引かれる。
「……今度はなんだ?」
一瞬、外套を引くなと言おうと思ったが、なんとかその言葉を飲み込んだ。
「私も」
疲れた視線をムルルへ向けると、そんな俺の視線には気付いていないと言わんばかりに自己主張をされてしまう。
いや、目の前で自分よりも戦えないソルネアの同行が許可されたので、その瞳には怒りにも似た苛立ちの感情が浮かんでいる……ような気がする。これは、そう簡単には折れなさそうだ。
なのでグラアニアへ視線を向けると、あちらも怒りというか、苛立ちの混じった視線を向けてくる。
大方、俺とムルルが仲良さそうにしている光景が気に入らないのだろう。
仕方なくデルウィンを見ると、あちらはあちらで現状を楽しむように笑っていた。破顔という言葉が良く似合う、本当に楽しそうな笑顔だ。
「相変わらず、女性に好かれるな、お前は」
「笑い事じゃないけどな」
あと、ムルルは、女性と言うには少しばかり身長やら肉付きやらが不足していると思うのだが。
そんな事を言おうものなら物理的な暴力を振るわれそうなので、心中に秘しておく。
「けど。どうした、ソルネア。いきなりそんな事を言うなんて」
「分かりません」
まあ、答えは期待していなかった質問だ。いつも通りの言葉を返され……。
「あの、黒いドラゴン」
「――――」
しかし、今日は違った。いつもの言葉、その後にまた言葉が続く。
「彼と会ってから、感じているものがあります」
「感じているもの?」
デルウィンが呟く。しかし、その“感じているもの”が何なのかは分からないようで、言葉尻に疑問符がついている。
いや、それは俺も同じだ。
ただ、その答えを探るようにソルネアの言葉に耳を傾ける。
「それと同じものを、感じます」
「吸血鬼からか?」
「いいえ」
グラアニアの言葉に、言葉だけで返事をする。
「レンジ」
その瞳が、まっすぐに俺を見る。――その瞳に、何かしらの感情が浮かんだ……ような気がした。
「“何か”が居ます」
会いたい、というのだろうか。その“何か”と。
その「会いたい」という感情が分からないとでもいうのだろうか。
……分からない。ソルネアが何を言いたいのか、何を訴えているのか、何を教えているのか。
分からない、が。
「ああ、気を付けるよ」
「はい」
その意見を口にしてくれた理由、それを好意的に解釈しよう。
俺を心配してくれているのだと。
そう口にすると、デルウィンとグラアニアが揃って溜息を吐いた。
「アナスタシアが居なくて良かったな」
「ああ」
「……どうしてそうなる」
チクショウ。俺の周りに居る連中は、すぐにそういう風に物事を考える。
書籍発売前の連続更新二日目