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第十二話 そしてまた、普通の一日を

 欠伸をしての伸びをすると、身体の節々ではなく頭が痛んだ。ぶつけた等ではなく、頭の奥を鋭利な突起物で抉られるような、なんとも形容しがたい頭痛だ。

 その痛みには、覚えがある。

 強過ぎる酒を飲んだ次の日の朝に感じる痛み。

 ……所謂(いわゆる)、二日酔いである。

 というか、二日酔いとしか言いようの無い事なのだが。


『まったく。……情けない』


 エルメンヒルデの呆れ声ですら、頭に響いてなんとも言えない痛みを与えてくる。

 返事も出来ずに頭を抑えると、また溜息が頭の中に響いた。

 ベッドの傍にあるサイドテーブル、その上にはコップが置かれており、床には小さな水瓶も。昨日までは無かったはずだが、俺と幸太郎が二日酔いになるからと用意してくれたのかもしれない。

 誰が用意してくれたのかは分からないが、心中で礼を言いつつ痛む頭を我慢して水を飲む。

 乾いた喉と唇に水が深く沁み込み、ただの水だというのに初めて飲んだ甘露のように美味しく感じてしまう。

 一息でコップ一杯の水を飲み干すと、そのままもう一杯。しかし、二杯目に飲んだ水はいつも通りの、どこでも飲める水の味だった。

 その事に落胆の溜息を吐きながら、しかし結局は錯覚でしかないのだし、あのうまい水を味わう為に酷い二日酔いに悩まされるというのも馬鹿らしい。


「あうぅ」


 水を飲んでいくらか落ち着いた頭で考えながらサイドテーブルへコップを置くと、俺と同質の呻き声が隣のベッドから響く。隣のベッドで横になっている幸太郎もまた、俺と同じように二日酔いで苦しんでいた。向こうは俺よりも痛みが強いようで、頭から布団を被りながら少しでも痛みを和らげようとしている始末だ。

 その行動にどれほどの意味があるかは分からないが、それで楽になるのなら幸太郎の好きにさせていようと思う。


「幸太郎、水でも飲むか?」

「うん……」


 弱々しい声音に苦笑しながら、伸ばされた手に水を注いだコップを渡す。

 すると、ベッドへ横になりながら器用に水を飲んでいた。


『行儀が悪い』

「起きるのも辛いんだよぉ」

『情けない声を出すな。……嘆かわしい』


 エルメンヒルデの小言に、幸太郎が小さくなるように布団へと包まっていく。そうやって丸まった布団の中から手が出てくると、器用にサイドテーブルの上へコップを置いた。

 見えていない筈なのに、変な感覚だけはいつも鋭いヤツである。

 しかし、銀髪で虹彩異色症(オッドアイ)というゲームの中に居るような美形が布団に包まって二日酔いに悶えている光景というのは、なんとも言葉にし辛い意外(シュール)さがある。そんなコウタロウを布団越しに見ながらエルメンヒルデと一緒に、しかし意図は少し違うだろうが、幸太郎へ向けて溜息を吐く。

 そうしてしばらくすると、視線を窓の外へ向けた。カーテン越しに、太陽が高い位置にまで上っている事が分かる。まあ、昼近くまで眠っていたという事だろう。朝方に起きた記憶があるので、二度寝してしまったのだ。

 この世界に来て二度寝をしたのは、何時振りだろうか。もう思い出せないくらい昔の事だ。


『それで、大丈夫なのか?』

「ああ。頭が痛くて死にそうだ」

『その時は、その頭に大声を掛けて気付けをしてやろう』

「……勘弁してくれ」


 暫くすると痛みも少しは和らぎ、というか痛みにも少しは慣れてくる。エルメンヒルデと会話をしながらベッドへ腰掛けて、適当に髪を手櫛で整える。

 そうしていると、軽くドアがノックされた。

 返事をすると、失礼しますと小さな声がして、ドアがゆっくりと開かれる。

 現れたのは、結衣ちゃんとナイト。そしてソルネアである。

 ナイトの肩にはアナスタシアが座っており、興味深そうに部屋の中を見回している。


「おはよう、結衣ちゃん」

「……おはよう、ございます」

「ちょっと、こっちには挨拶してくれないの?」

「二日酔いで頭が痛いんだよ」

「ユイには挨拶をしているじゃないっ」


 お前は声が大きいんだよ、と。ぼそりと呟くと、アナスタシアが黙ってしまう。

 ――恐る恐るその顔を覗き見ると、笑顔だった。背景に、般若が見えそうな雰囲気の、だが。


「あ?」

「おはよう、アナスタシア」


 即座に挨拶をする俺は、礼儀正しい大人だと思う。

 濁点が付きそうな言葉を口にするアナスタシアは、女王様らしくないと思う。いや、ある意味では女王様であるのかもしれないが。


「仲が良いのですね」

「う、ん」

「どこがっ!?」

「……二日酔いなんだから、あまり叫ばないで」


 布団の中から小さな声で呟く幸太郎の声が、哀愁を感じさせる。


『本当にな。もう少し瀟洒(しょうしゃ)な振る舞いは出来ないのか、妖精の女王よ』

「言ってくれるわね、メダル女」

『そういう態度だからこそ、レンジにからかわれるのだ』

「レンジは誰彼構わずからかうわよっ」


 喧嘩するのは良いが、俺をだしにするのはやめてほしい。あと……俺だって、誰彼構わずからかうような人間ではないのだが。

 会うなり喧嘩というか、口論をし始めた二人――一人と一枚に溜息を吐くと、結衣ちゃんがこちらに歩み寄ってくる。


「だいじょう、ぶ?」

「ああ。ただの二日酔いだからな」

「お水、飲みますか?」

「あー……うん、お願いしていいかな?」

「はい」


 先ほども水を飲んだのだが、結衣ちゃんが注いでくれるならもう一杯くらい飲むのも余裕である。

 丁寧にコップへ水を注いでくれるその姿を眺めていると、ソルネアもまたこちらへ歩み寄ってくる。

 エルメンヒルデを枕元へ放ると、そちらへ向き直った。頭の中に驚きの声が響いたが、二日酔いの痛みに顔を顰めて聞こえなかった事にする。


「おはようございます」

「おはよう。昨日はよく眠れたか?」

「はい」


 そこで、会話が終わってしまう。いつもの事なのだが、どうにかしてもう少し会話を続けることは出来ないものか。

 初めて会った頃よりは随分と会話が出来るようになったと思うし、それなりに何を考えているのか分かるようになった気がしている。気がしているだけなのだが、それでも以前よりはソルネアも人間らしいというか、感情のようなものを浮かべているのだろうと思うのだが。

 やはり、もう少し会話が弾んだらと思う。

 そう思っていると、結衣ちゃんがコップに注いだ水を手差し出してくる。

 それを受け取って、一口だけ口に含む。


「うん、美味しい」

「ただの、お水……だよ?」

「結衣ちゃんが注いでくれたからなあ」


 そう言うと、白い頬を僅かだが朱に染めて俯いてしまった。可愛らしい反応に顔を緩めてしまいそうになりながら、頑張って隠すように口元をコップで隠す。


「ちょっと」


 コップを傾けながら結衣ちゃんが照れて俯く姿を眺めていると、肩に僅かな重みが乗ってくる。

 そして、低い――ドスの利いた声で肩の重み……アナスタシアが、呟いた。耳元で話しているのだから聞き逃さないというのに、どうして耳を引っ張る必要があるのだろうか。

 小さな手だからこそ、指に力を込められると結構痛い。


「私、ユイを口説くなって言ったわよね?」

「くど――っ」


 アナスタシアの言葉に、いっそう顔を……耳や首筋まで赤くしてしまう結衣ちゃん。初心だなあ、と。

 今年で十六歳になるはずなのだが、この初々しい反応は――兄として、将来が心配になってしまう。変な男に騙されないかとか、悪いムシが寄ってこないかとか。

 ナイトやファフニィルが居るので半端な覚悟では結衣ちゃんに近付こうとする男などいないだろうが、だからといって可能性はゼロではない。

 取り合えず、結衣ちゃんと付き合うつもりなら不死身の亡霊騎士と竜の王、そして俺のお眼鏡に適うような男でなければいけないのだ。もしかしたら、そこに宇多野さんも加わるかもしれないが。

 頭の中で、眼鏡をかけた美麗の魔女が溜息を吐いたような気がしたが、気にしないでおく。それくらい、結衣ちゃんは大切なのだ。この子にはぜひ、このまま純真に成長してほしいと思う。


「おい、親バカ」

「女の子がおいとか言うのはどうかと思う」

「ああ?」


 先ほどよりも低い声だった。

 変な事は言わないようにして、黙る事にする。誰だって、命は惜しい。

 からかいで殺される事は無いだろうが、寿命は縮むのだ。


「アナスタシアは、女の子という歳ではないかと――」

「ちょっとレンジっ。あんた、この女にどういう教育をしているのっ」

「俺が悪いのか……」

「当たり前でしょうがっ」


 うう、二日酔いの頭が痛い。

 まったく。


『元気だな』


 エルメンヒルデが、僅かに気色の浮かんだ声音で言う。アナスタシアはその声に一瞬詰まったかと思うと、照れ隠しに俺の耳を摘まむ手に力を込めた。

 ……俺からすると、アナスタシアのこの態度は空元気のようにも見えるが。

 部屋に来た時は、ナイトの肩に乗りながらこちらの様子を窺っていたし。

 あれは、アナスタシアが内心でどうしたらいいか分からない、困っている時の仕草。……思い当たるのは、昨夜の告白。

 エルの事、俺が隠していた事。それを聞いて、どうすればいいか迷っているといったところか。

 だからこそ、こうやって必要以上に騒いで場を賑やかにしている。

 俺には、そう感じられた。


「本当にな。……お前の元気を分けてほしいもんだ」

「ふん。年寄り臭い事を、相変わらず……」

「もういい歳をしたおっさんだからなあ」

「蓮司さん、まだ若い……よ?」

「そう言ってくれるのは、結衣ちゃんくらいだよ」


 その柔らかな白髪に手を乗せると、軽く叩くようにして撫でてあげる。

 昔はそうすると笑顔を浮かべてくれたのだが……そうすると、結衣ちゃんは一歩離れてしまった。

 昨日は一緒に花冠を作ったのに、と。その行動にショックを受け、身体が固まってしまう。


「ぷっ」

『はあ……』


 そんな俺をアナスタシアが笑い、エルメンヒルデも溜息を吐く。


「レンジ」


 そして、ソルネアがその視線を窓の方へと向けながら俺の名を呼んだ。


「どうした?」

「何かが来ます」


 呟き。俺に向けた言葉なのだろうが、まるで自分へ向けた言葉のよう。

 次いで、結衣ちゃんがあ、と声を上げた。


「ファフ、さん」

「ん?」

「……ファフさんが、戻ってくる、みたい」

「ファフニィルが?」


 結衣ちゃんの言葉に、俺もまた窓へと視線を向ける。

 阿弥達と一緒に、精霊神(ツェネリィア)へ謁見する為に必要な道具を集めているはずなのだが、と。

 いくらファフニィルの翼とはいえ、エルフレイム大陸の所要箇所を回る必要があるので数日は掛かる筈なのだが……。

 何かあったのだろうかと、立ち上がる。

 僅かに頭は痛むし身体の反応も鈍いが、会って話をする分には問題はないだろう。


「よく、気付いた……ね」

「?」

「私より早く、ファフさんに」


 結衣ちゃんの言葉にソルネアは不思議そうな顔をして首を傾げる。


「ファフニィルではありません」

「え?」


 『魔物遣い』の少女へそう返すと、その視線は俺に向く。視線を感じて、俺もまた窓へ向けていた視線をソルネアへ向ける。

 ぼうとした、感情の波が感じられない……どこまでも深い、黒い瞳。

 しかし、しっかりとその視線は俺へと向けられる。


「何かが来ます」


 また、そう呟いた。

 何か。

 それは、ファフニィル達がソルネアの言う『何か』を連れてくるという事か。


『何が来るのだ?』

「分かりません」

「……分かりません、って」


 いつもの事なのだが、ソルネアの物言いにアナスタシアが呆れたような声を上げる。まあ、確かに何かが来るのは分かるのに、その何かが分からないと言われれば呆れるしかないのかもしれない。

 そう思いながら、腰掛けていたベッドから立ち上がる。


「ナイト、結衣ちゃんから離れるな」


 俺の言葉に、主である少女の傍に立っていた黒鎧の騎士が頷く。兜と鎧が擦れ、カチ、と乾いた音が聞こえた。

 その音を聞きながら、着替えを用意する。

 メダル(エルメンヒルデ)をナイトへ投げ渡し、視線を少女たちに向ける。といっても、この場に居る少女と言えば結衣ちゃんと……肉体的にはともかく、精神的にはソルネアくらいか。

 アナスタシアは、とても少女、女の子とは言えない年齢なのである。外見はともかく。


「今から着替えるけど、覗いていくか?」

「い、いい……っ」

「ばかっ」


 慌てて部屋から出て行こうとする結衣ちゃんと、俺の肩から飛び上がり罵声を飛ばしてくるアナスタシア。やはり、この辺りの反応が少女らしくないと思う。

 言ったら本気で怒られそうなので、もちろん言わないが。


「ほら、貴女もこっち」


 そして、ソルネアにも声を掛けて部屋から出て行こうとするアナスタシア。


『レンジ、外で待っている』

「ああ」


 ナイトがドアを開けながら、こちらを見た。

 言葉を発する事の出来ない騎士だが、その意図は何となく分かってしまう。

 結衣ちゃん、ソルネアが部屋から出て、アナスタシアも後に続こうとしたところで、空中に止まった。


「ねえ」

「ああ」

「……ごめんなさい」


 紡いがれたのは謝罪の言葉。

 むしろ、謝りたいのは俺の方なのに。先に謝られたら、どう返せばいいのか分からなくなってしまう。

 だから――。


「ありがとう」


 まずは、感謝の言葉を口にする。

 後で会ったら、デルウィン達にも感謝の言葉を口にしようと思う。昨日は俺の昔話に付き合ってくれて、愚痴を聞いてくれて、ありがとうと。


「お前の賑やかな声を聞きながら話していると、楽しいからな」

「ばか」


 そう言い残して、アナスタシアも部屋から出て行く。最後に、ナイトがドアを閉めて出て行った。


「はあ」


 そして、今まで黙っていた布団に包まった男が聞こえるような大きさで溜息を吐く。


「……爆発すればいいのに」

「うるせえ」


 着替えながら、その布団を少し強く叩く。


「二日酔いで頭が痛いんだから、叩くのは止めてよ……」


 だからこそ、頭のあたりを叩いているのだ。



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