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第十話 戦いが終わった後に4

 陽が落ちて昏くなった廊下を歩く。

 冷たい空気が肌に触れると鳥肌が立つが、身体の芯は先ほどまで呑んでいた酒のお蔭か暖かい。

 石造りの廊下には誰も居なくて、殊更(ことさら)に足音を響かせる。だが、その響く足音も遠くから聞こえる喧騒に掻き消されてしまい、耳が良すぎるのも善し悪しだな、と苦笑する。

 なんとも、風情が無い。

 だが、こういうのも悪くない。遠くで皆が……仲間達が、友人達がどんちゃん騒ぎをしている。それを、輪の外から聞くというのも。

 なんとも寂しい楽しみ方だ、と。クツと笑って足を進める。

 高価な装飾品で飾られた棚や、夜の闇に包まれてもなお美しい花。綺麗な銀造りの騎士甲冑。

 あまりに精巧な騎士甲冑は、暗闇の中だからか今にも動き出しそうだ。

 ナイトという前例があるからか、少しだけ怖く思う自分に笑ってしまう。怨霊(ゴースト)など今更だろうに。

 そう思いながら、目的の場所――礼拝堂へと辿り着いた。

 見上げるほどに大きな、先ほど見た装飾品で飾られた棚以上に、銀造りの騎士甲冑以上に。綺麗な装飾品で飾られ、精巧な意匠がこらされた大扉。

 以前は全身を使って押し開いていた扉を、片手で開く。

 ギイ、と。重苦しい音が夜の闇に響く。

 中には誰も居ない。

 それはそうだ。今は皆、祝勝会という名の宴会に盛り上がっている。

 長らく人類を苦しめてきた仇敵。魔神ネイフェルが討伐されたのだから、その喜びも一押し。普段は厳格なオブライエンさんでさえ、珍しい笑顔を周囲へ振り撒きながら酒を飲んでいる。

 そんな祝勝会には城に居る殆どの人が参加しており、料理人やメイドさん達だってつまみ食いをして楽しんでいるほどだ。

 王都の皆もお祭り騒ぎ。酒場は人が溢れ、きっと明日の朝まで光が消える事は無いだろう。

 そんな喧騒とは無縁な礼拝堂には、見上げるほどに大きな銀製の女神像がぽつんと――。


『レンジ』


 声が、響いた。

 凛とした、静かな声だ。

 同時に、闇の中にあった銀女神の像が淡く輝き始める。

 漏れ出た光の色は銀。眩いほどに光が溢れたかと思うと、その光が靄のような集まりになる。虚ろな光。朱月の明かりに照らされていた礼拝堂の中を光に染め、まるで夜の中に太陽が浮かぶような温かさを感じた。


「……アストラエラ」

『レンジ。よく、私の願いを……この世界を守ってくれましたね』


 いいや、と。首を横に振る。頭に声が響くという事が懐かしくて、口元が自然と緩んでしまう。

 懐かしい――いや、寂しいのか。


「そうでもない」


 世界を守ったわけではない。

 ――言い方は悪いが、ただの八つ当たりだ。

 エルを殺された、奪われた……その事への八つ当たり。あの時俺は、その事だけで頭が一杯で、世界の事など思考に浮かんでいなかった……と思う。

 よく覚えていないが、少なくとも何かの為に戦ったという自覚は無い。

 私情で戦ったのに世界を守ったと言われ、反射的に首を横に振ってしまった。

 そのまま、突然現れた光の靄(アストラエラ)へと歩み寄る。


「珍しいな。世界には、あまり干渉しないんじゃなかったのか?」

『そうですね。……そうね、あまり干渉するのも良くない事』


 不意の、無言。何かを考え込むようにアストラエラが黙ると、同時に遠くで大きな音が響いた。静謐(せいひつ)な礼拝堂に届く程の音は、耳を澄ませなくとも歓声が上がったのだと分かる。

 その歓声が上がった方へ視線を向ける。聞こえたのは、皆が集まる大ホール……今、祝勝会が行われている場所である。


『ただ、ああして集まりながら食べる食事は美味なのでしょうね』

「食い気か」


 反射的に女神様へツッコミを入れ、呆れ混じりの溜息を吐く。

 ここ数年で、随分と俗世に染まってしまった女神である。――甚だ不本意だが、宇多野さん達からすると染めたのは俺らしいが。

 俺としては、偶に屋台へ連れて行ったり、一緒に王都の街並みを歩いたり、施設を紹介しただけなのだが。それも、俺から言い出した事ではなく、アストラエラの方からだ。

 それを好意と取れるような恋愛観を抱いているわけでもない。どちらかというと、興味を持たれている程度だろうと思うのだが。


『最近は皆が暗い顔をしていましたので、このように明るい雰囲気は悪くありません』

「そりゃあ良かった」


 女神様がそう言って喜んでくれたなら、頑張った甲斐もある。

 どこかエルに似た雰囲気を持つ彼女だからこそ、喜んでくれた事が嬉しかった。……まるで、エルが笑っていてくれているようで。

 そう考えて、首を横に振る。

 駄目だ、と。

 それは駄目だ、と。

 酒を飲んで、濁った頭にそう言い続ける。

 そうして吐いた息は、やはり酒精に濁ってしまっていた。喉が熱く、視界がぼやける。

 ……それは酒だけではなく、どうしても思い出してしまうから。この場所で、俺はエルと初めて会った。

 エル。エルメンヒルデ。

 山田蓮司が女神アストラエラに願った、神を殺す武器。

 武器としての生き方しか知らなくて、魔神とその眷属、魔族や魔物を斬る事だけを求め、それを俺に強要して……喧嘩して、仲直りして、また喧嘩して。

 決して良い記憶だけという訳ではないけれど、それでも大切な記憶で――酒に酔って緩んだ涙腺を押さえ、また息を吐く。

 ああ、酒なんか飲まなければ良かった。そう思い、全部を酒の所為にしようとした。


『ありがとうございます』

「――――」


 心からの言葉。

 それが嘘偽りない本心だと、どうしてか思えた。だから……。


「やめろ」


 そう、一言だけを返す。

 礼を言われるような事など何も無い。

 世界を救った? 人を守った? そんな事、ついでだ。

 俺は……世界を救うよりも、人を守るよりも――エルとの約束の為に、彼女と生きる為に戦った。それはとても自分勝手で、盲目的で、愚かしいほど馬鹿らしくて。

 でも、俺にとっては世界よりも大切な事だった。

 アストラエラは世界を救ってくれと俺達に願った。

 異世界から召喚された、特別な力を持つ十二人と、何も持たない俺に。

 何も無い――宗一達のように桁外れの魔力どころか、一般人並みの魔力も無い俺。しかし、だからこそエルメンヒルデ(神殺しの武器)女神(アストラエラ)の器として丁度良かった。

 そして俺とエルは、アストラエラの想像すら超えて――魔神(ネイフェル)の魔力すら奪った。一部だけとはいえ、『破壊の魔神』(ネイフェル)『創造の女神』(アストラエラ)……そして『神殺しの女神』(エルメンヒルデ)の魔力を有する神殺しに至る事が出来た。

 けど結局、俺は……世界の為ではなく、エルの為にネイフェルを殺した。

 だから、礼を言われても否定してしまう。それは、世界の為ではなかったのだから。


『いいえ、言わせてください』


 そんな俺に、銀の女神口調を変える事無く――もう一度、ありがとう、と口にした。

 その言葉を聞きながら、適当な長椅子へ腰を下ろす。ちょうど、銀の靄(アストラエラ)に一番近い椅子だ。


「なあ、アストラエラ」

『何でしょうか、レンジ』

「……エルは、何のために生まれたんだ?」


 銀の明かりに照らされた大聖堂の天井を見やりながら、そう聞く。

 また、しばらくの間。考え込むのではなく、次の言葉を発していいのか――そんな逡巡が感じられる、静かな間。

 遠くで、歓声が上がる。それをどこか他人事のように感じながら、アストラエラの言葉を待つ。


『ネイフェルを止める為。殺す為。人が生きる世界を救う為――』

「…………」

『レンジ。貴方と生きる為ではない』


 ああ、と。

 それは、分かっていた事だ。

 エルは七つ目の制約、その解放の方法を知っていた。だからこそ身を挺して俺を守り、俺の腕の中で死んでいった。

 その、彼女の身体を最後まで抱き支えていた両手を見る。

 傷だらけの手だ。彼女を握り、魔物や魔族を数え切れないほど斬った……まだ、この手にはエルを握っていた感触がある。

 分かっていた事だ。エルはネイフェルを斬る為に俺が望んだ、その為に生まれた存在。

 ……俺が願ってしまった命。


『貴方がエルメンヒルデを変えた』

「…………」

『貴方だったからこそ、エルメンヒルデは変わった』


 やめてくれ、と呟く。

 しかしその呟きはとても小さくて、アストラエラは聞こえていない風を装って言葉を続ける。

 耳を塞いでも頭に響く声だと分かっていても、顔を伏せ、耳を塞いでしまう。


『ヤマダレンジ。貴方が居たから、エルメンヒルデは幸せに死ねた』

「――っ。しあわせ!? 死んだ事がか!? 自分の願いも叶えられず、夢も持てず、それが幸せかっ」


 我慢がならず、声を荒げてしまう。

 けどそれも、八つ当たりなのだ。

 分かっている。理解している。

 一番悪いのは――守れなかった俺なのだ。

 そんなエルを天秤に載せなければならなかった俺なのだ。

 世界かエルか。その天秤を、世界に傾けてしまった俺なのだ。

 そう分かっていても声を荒げ、顔を上げる。


「アストラエラっ。俺は――」


 長椅子から立ち上がり、光の靄へ詰め寄ろうとして前のめりに倒れそうになる。酒に鈍った身体が、意思についてこない。その事にすら苛立ちながら、アストラエラを睨む。


「……どうして俺なんだ」

『…………』

「宗一で良かったじゃないか。お前とツェネリィアの力を持つ宗一で……お前の力を強く継ぐ阿弥でも、ツェネリィアの力を強く継ぐ真咲ちゃんでも」


 吐き出す。

 ずっと。ずっと――ずっと昔から溜っていた、黒いモノを。吐き出してしまう。我慢していた、言ってはいけない事を。皆への裏切りを。


「どうして俺だ。魔力も無い。経験も無い……エルが居なければ、戦う事も出来ない。どうして、そんな俺が神殺しなんだ……」


 どうして皆、俺に期待する。この国の人達も、デルウィン達も、宇多野さんも、シェルファも――ネイフェルも。

 俺には何の力も無いのに。魔力も、剣技も、腕力も、体力も、自信も……ずっと張っていたのは虚勢だ。何も無いからこそ強がっているしか、出来なかった。

 それを支えてくれたのがエルだ。彼女だけが、何も無い俺が唯一誇れるものだった。

 そんな俺の傍に居てくれたのがエルだ。立ち止まって、俯いても、手を引いてくれた。背中を押してくれた。一緒に歩いてくれた。

 支えられていた。彼女は『神殺しの武器』ではなく俺の支えだった。

 俺が彼女を変えたというのなら、彼女が俺を変えてくれた。頑張らなければいけないという使命感を、頑張ろうと思う芯に変えてくれた。

 それがどれだけ嬉しくて、助かって――救われたか。


「どうしてだ、アストラエラ。どうして俺を召喚した。どうしてエルを与えた――どうして」


 支離滅裂な言葉を繰り返す。

 召喚されたのは、俺が器だったからだ。

 何も無いからこそ、空っぽだからこそ、神の力の器に最適だったからだ。異世界の人間という、器だけは巨大な俺だからこそ、最適だったのだ。

 気付いたのは、アストラエラの魔力を借りた時。

 この世界に住む人……それは宗一達も例外ではなく、持っている魔力の色は一色だ。宗一なら銀、阿弥なら金、幸太郎なら紫。エルも、翡翠色の魔力を持っている。

 けど俺には、何も無い。器が空だからこそ、そこに様々な色の魔力を流し込める。

 エルの翡翠。アストラエラの銀。ネイフェルの黒。器だけは大きな俺は、その三色を混ぜる事で神殺しと至る事が出来た。

 しかし魔力が強力過ぎて、肉体が耐えられない。だから七つの制約――その為の制約。段階的に、少しずつ肉体を魔力に慣らしていく。それが、俺とエルに課せられた七つの制約。

 そして、エルを与えられたのは、俺が望んだから。

 神を殺す武器を。アストラエラの願いを叶えられる武器を。――世界を救う武器を。

 俺が口にする質問の答えを、俺は知っている。

 分かっていても、口にしてしまう。

 ――冷静に考えなくても、本当に愚かな質問。


「――――」


 荒い息が、礼拝堂に木霊する。

 それが自分の物だと気付かずに聞いていると、乱れた動悸に俺の息が荒いのだと気付く。

 それすら苛立ち、拳を強く握りしめた。


『落ち着きましたか?』

「……すまない」


 呟き、礼拝堂の入り口へ視線を向ける。

 気配を感じた気がしたけど、気の所為だったのだろうか。そこに人影は無く、大扉も閉じられたままだ。


『レンジ』

「……なんだ?」


 吐き出す物を吐きだして気が楽になったからか、力を抜いてまた長椅子へと腰を下ろす。

 たったそれだけで、全身から力が抜けた。

 脱力感――無力感が、全身を包む。ここ何日かは宇多野さんが傍に居てくれたが――やはり独りになると、どうしても無気力になってしまう。過去を想い、現実から目を背けそうになる。


『貴方は何を願いますか?』

「……やめろ」

『それが何を傷付け、どのような罪で、赦されざることであったとしても……貴方は、何を願いますか?』

「……やめてくれ」


 それは誘惑。

 許されざる誘惑。

 願ってはいけない事。

 一度失敗して、もう一度――いや、今度こそと思ってしまいそうになる、甘美な誘い。


『私は貴方に笑ってほしい』


 女神は、そう言って俺を誘う。


「やめろ」

『この世界へ召喚する際に交わした約束を、果たしましょう』


――世界を救ってくれたなら、どのような願いでも叶えましょう。


 その言葉が、呼び起こされる。

 忘れていた事だ。

 だって、願いは叶った。

 元の世界では、繋がりなど何も無かった。

 独りで、隣人や友人は居ても心から信頼できる仲間は居なかった。

 だから――生死を共にした仲間。心から信頼できる親友。頼り、頼られる戦友。

 それだけで、良かった。

 そして、そして……。


「ぁ――」


 分かっている。

 知っている。

 エルは、アストラエラの魔力から作られた存在だ。女神の魔力の一部を元に成長した、もう一人の女神。アストラエラの娘。

 けど。

 でも。

 ……でも。

 もう一度やり直す事が出来るなら。

 俺は、今度こそ守りたい。守りたい人を、守れるように。そんな、願いを……。



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