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第七話 戦いが終わった後に1

 神とは力である。

 それは思念であり、信仰であり、暴力であり。

 力の形は様々なれど、一様に言えることは――その力は、人が挑むには規格外であるという事。

 女神アストラエラは人の想いを力に変える。

 守りたいと思う意思、憎しみから生まれる怒り……思念に善悪など無く、その想いが強ければ強いほど力が増す。

 それは魔力。

 人の身の内に宿るソレは、器の大小は定まっていようと、器に収まる力の密度は想いの強さによって変わる。

 精霊神ツェネリィアは人の願いを力に変える。

 神に救いを求め、希望を抱き、祈りを捧げる。

 それは精霊という目に見えない形となって発現し、人が持つ魔力を糧に力を行使する。

 神の声を聞く神官。祈りを神へ捧げる事で、精霊達は力を増す。

 ……魔神ネイフェルはただただ己が本能に従う者を愛した。

 その、一つの形がシェルファ。

 おそらく、神を除けばこの世界の頂点に立つであろう『魔王』。戦いを望み、戦いに飢え、戦いしか知らない女。

 魔神は数多の魔物や魔族へ力を授け眷属としたが、魔王(シェルファ)は自力でその域へと至った。アイツほど、魔神(ネイフェル)の理想に近い魔族は居ないだろう。だからこそ『魔王』であり、だからこそこの世界最強(魔神に最も近い)


 人に限らず。

 意志ある者を滅ぼすものは、確実に存在する。

 それは意思であり、暴力である。

 形は様々なれど――ある種、力の権化である神もまた、彼らを滅ぼすものがある。

 退屈だ。

 女神と精霊神、そして魔神は世界を作った。

 三柱の神が世界を創ったのか、世界が生まれた事で三柱の神が生まれたのか。どちらが先なのかは分からない。

 ただ、思念として存在していた神は己が力を分けた種族を作り、星を世界たらしめた。

 世界に命を落とす。それは神として当然の行動なのかもしれないが、もしかしたら新しく生まれた星を眺める事に退屈したからこそ命を落としたのかもしれない。

 命が生まれれば営みが生まれ、人は互いに干渉しあう。

 種族の違いは対立となり、世界の中に国が生まれ、世界は悠久に変化し続ける。そこに生きる命がある限り。

 五つの大陸は三つの国に分かれ、それぞれの大陸にそれぞれの神を信仰する種族が居を構えた。

 それぞれがそれぞれの営みの中で生活し、交流を持つ。

 平和であり平穏であり――それもまた、退屈だったのだ。

 何も無い星に生命が産まれ、次はその生命を眺める事に飽きる。それもまた、意思ある存在の必然であろう。

 退屈だった。

 人の営みを眺め、時折干渉するだけでも満足だった女神(アストラエラ)精霊神(ツェネリィア)

 それだけでは満足出来なくなってしまった魔神(ネイフェル)

 退屈だった。

 だから、世界を壊そうとした。

 何故なら、世界を壊そうとすれば争いが起きる。

 争いは生命の本能を刺激し、成長を加速させ、進化を促す。

 非力な人は魔術を使い、身体能力に優れる亜人や獣人は武器を取る。

 戦いは人を成長させる。

 平穏の中では当然のように過ごしていた毎日も、戦いの中では尊いものとなる。平穏な日々の為に命を投げ出す人の姿は、とても美しかったのだそうだ。

 人間の膂力では遠く及ばない魔物へ挑む人間を眺め、人よりも遥かに巨大な魔物へ集団で挑む戦士たちを眺め、以前は火を起こす程度でしか使っていなかった魔術で魔物を焼く。

 戦いは人を成長させる。

 女神や精霊神の力を借り人が強くなり、魔物や魔族と戦えるようになるのにそう時間は掛からなかった。

 それが、魔神が世界を滅ぼす理由。



 平穏を、隣人を、守る為に強くなれるのなら――世界を守る為なら、人は何処まで強くなれるのか。




 俺が守りたかったものは、なんだろう。

 ……考えるまでも無いか。


「楽しかったな」


 ソレは、そう言った。

 人とは掛け離れた姿でありながら、二本の腕と二本の足。どこか人間に似た容姿のバケモノ。

 先ほどまでの威容を維持する力も残っていないのだろう。初めて会った時の、まるで漆黒の鎧兜に身を包んだ騎士にも見える魔神は、人間臭さを感じさせるように、翡翠色の杭で地面へ縫い付けられたまま、手足を大きく広げて息を吐いた。

 その口は昆虫のソレを連想させるものだというのに、紡がれる言葉は人間のモノ。それがまた異様な光景で、意図して顔を(しか)めた。

 初めてコイツの声を聞いた時は驚いたが、それも今更だ。


「お前は、そうだろうな」


 そして俺も、このクソったれのバケモノを地面へ縫い付けたまま、大きく息を吐く。

 手に持った翡翠色の神剣を強く握ると、飾りなど何も無い、ただただ斬る事のみを追い求めたような美しい直刃(すぐは)の刀身が、内に貯め込んだ魔力を放って煌めいた。


「俺は、(はらわた)が煮えくり返っているよ……クソッタレ」


 ――口が悪いです、レンジ。

 そう聞こえた気がしたが、気のせいだろう。不意に涙が出そうになり、もう一度息を深く吐く。

 約束したのだ。

 もう、泣かないと。

 だから……彼女の魂で構成された、意思を宿さぬ神剣を持つ手に力を込めて、唇を血が流れるほど強く噛んで、我慢する。

 彼女は俺を、泣き虫だと言った。いつも泣いてばかりだと。強がらなければ立っている事も出来ない、弱い人間だと。

 何度も強くなれと言われた。一人で歩けるように、前を向いて進めるように、(うつむ)かないように。

 その通りだと思う。

 今も。こうやって目の前で死に掛けている命を憎まなければ、最後に交わした約束すら破ってしまいそうになっている。きっと、今ネイフェルを殺せば、俺は泣き崩れてしまうだろう。

 それが分かっているからこそ、魔神を足蹴にしながら、しかしトドメを刺す事も出来ずに睨み合っている。

 そんな俺をどう思ったのか、ネイフェルが昆虫を連想させる口をギチギチと鳴らす。笑っているのだ。何が面白いのだと睨むと、四つの複眼が愉悦に歪んだ気がした。


「憎いだろう?」

「あ?」


 その四肢が、先端から黒い炎に包まれていく。もう何度も見た――魂すら焼き尽くす魔神の炎。

 あらゆる生命――この世界最強とも言うべきドラゴンすら例外なく焼き尽くした炎が、ネイフェルを包み込んでいく。

 死ぬのだ。こうやって、魂すら残さぬ炎に身を焼いて。


「魔は戦いを好み、亜人共は停滞を望み、獣人共は平穏を願う」

「…………」

「人は、感情の生き物だ」


 その身体から、翡翠色の杭が消失する。翡翠色の神剣を一閃し、アーベンエルム大陸の、腐ったように濁った風を払う。飾りなど一つも無い、刀身と柄だけという実用性重視の剣。ゲームや御伽噺に語られる、神剣や聖剣の華美さなどどこにも無い。どこにでもありそうな質素な剣。違いがあるとすれば、柄は黄金色、刀身は翡翠の美しい色をしているという事だろう。ただただ――今死へと至ろうとしている、神を殺す為だけの剣。

 もう一度。神剣を持つ手に力を込めて、一閃。その刀身の延長にあった石床が、綺麗に裂けた。

 元は魔神ネイフェルが座していた城も、その半分以上が崩壊してしまっている。ある種、荘厳さすら感じられた石の城は、今では見る影もない。


「怒れ。憎め。その感情が、人を強くする。成長させる。……お前のような、強者へと至る」

「そうかもな」


 きっと、そうなのだろう。

 怒りや憎しみは、恐怖や痛みを忘れさせてくれる。

 それも、一つの強さなのだろう。

 ネイフェルが人間に望んだ、強さの形。

 退屈を憎んだ魔神が、人間に求めたもの。戦いを愛した魔神が、俺に願うもの。

 ギチ、とネイフェルの口が鳴る。表情の変化が分からない顔だが、きっとこのクソッタレのバケモノは、満足しているのだろう。そう思うと、今までこの身を(たぎ)らせていた怒りや憎しみが、嘘のように消えてしまう。

 ああ。


「けど、それだけだ……それだけしかないんだ、ネイフェル」


 そうやって戦った後に残るのは、無力感と疲労感。強さを求めた魔神へ最後に抱いたものは、気が狂いそうなほどの憎悪でも激情でもなかった。

 その強さを求め、願い続けた末路への……(あわ)れみにも似た同情なのかもしれない。一緒に召喚された仲間が居なければ、信頼してくれる友が居なければ……エルが居なければ。

 もしかしたら、俺はネイフェルが求める通りの、怒りや憎しみだけを糧にした人間になっていたのかもしれないのだから。

 そして。ネイフェルが言うのとは違う、仲間や友に支えられる事でも人は強くなれるのだと知ったから。その強さを知らない魔神に――同情にも似た憐みの感情を抱いてしまう。もしこの存在が魔神ではなく、もっと違う出会い方をしていたら。


「怒って戦っても、胸の奥が苦しいだけだ」

「……そうか」


 それは、考えても詮無きことだ。何度も戦って、殺されかけて、殺しかけて。分かった事が一つだけある。

 俺とネイフェルは結局、水と油なのだ。どんなに違う出会い方をしても、結末は変わらないだろう。

 神剣を持つ腕が重い。それでも必死に剣を振り上げる。

 遠くで聞こえる剣戟の音は、いまだ仲間達が戦っているという証左。ここで俺が神を殺せば、戦いが終わる。これ以上、誰かが死ぬ事は無い。

 俺をこの場へ届けるために魔族達の目を惹いてくれたオブライエンさんやデルウィン達も、もう戦わなくていい。遠くで事の成り行きを見守っているのか、それともオブライエンさん達と一緒に戦っているのかは分からないが、宗一(子供)達ももう戦わなくて済むのだ。

 風が吹いた。生暖かく湿った風が。きっと、もう少しすると雨が降るのだろう。

 雨が降ってほしい。

 そう、思った。

 俺がどんな顔をしても分からなくなるくらい、激しい雨が。

 殺したくなかった。憎んでいるし、赦すつもりは無い。殺さなければならないのに――俺はきっと、この化け物を殺したら何も無くなってしまう。

 戦う理由も、生きる意味も――それが分かっているから、振り上げた剣を躊躇いに揺らし……。


「ふは――ああ、楽しかった。楽しかったぞ、蓮司。アストラエラ」

「うるせえ」


 そう口にして、炎に包まれ逝くネイフェルの首を()ねた。首の無い死体が黒い炎に包まれ、刎ねた頭はしばらく転がって……翡翠の炎に包まれた。

 それで終わり。

 翡翠の炎を視界に収めながら、溜息を吐く。終わりとは、本当にあっさりとしたものだ。もうここには、何も無い。

 辺り一面が先ほどの戦いで荒地へと変わった世界で、胸の内に溜まった激情を吐き出すように深く息を吐く。

 深く深く深く――息を吐いて、倒れ込むように地面へ腰を下ろす。強く打った尻が痛い。


「疲れた」


 呟くと同時に、神剣が翡翠の魔力光となって霧散した。いつもならメダルへと戻るはずの光は、そのまま天へと昇っていく。その様子をただ茫然と見て、これが最後なのだと理解すると、見慣れた光でありながら――泣きたくなるほど美しく感じてしまう。

 もう何度も思った事だ。だが、あまり口にした事は無かった気がする。

 綺麗だと言ったら、エルはどんな顔をしただろうか。

 ふとそう考えて、苦笑する。

 どうせ、いつもの無表情で「そうですか」、としか言わなかっただろう。そういう女性だった。そんな女性だから、笑わせたかったし、驚かせたかったし、楽しませたかった。

 偶に見せてくれた笑顔は印象的で、驚いた顔が可笑しくて、楽しんでくれると俺も楽しかった。

 俺の武器として戦う事しか考えていなかった彼女が、自分の夢を語ってくれた時は自分の事のように嬉しかった。彼女の夢……それを、隣で見る事が俺の夢だった。

 身体中から力が抜け、座っているのも億劫(おっくう)になって剥き出しの地面へ寝転がる。


「終わったなあ」


 そう口にして、返事が無い事に涙が出そうになってしまう。

 遠くに聞こえる(いくさ)の音も、ネイフェルの死が広まればすぐにでも収まるだろう。

 この世界へ一緒に召喚された仲間達や、一緒に戦ってくれた友人達の顔を思い浮かべようとするが、頭の中がぐちゃぐちゃで思い浮かべる事が出来ない。

 だから、心中で無事かなあ、とくらいしか考えずに目を閉じる。

 眠い。

 このまま眠って、目を覚まさなければ……エルと会えるだろうか。

 そんな事を考えながら、右手の中にある感触を確かめる。

 割れてしまったメダル。もうそこに、命は無い。失われてしまっている。

 この世界に召喚された時に言われた目的であるネイフェルの討伐を果たして、残ったのは傷の痛みと、虚脱感だけ。

 こんなものの為に戦ったのかと思うと笑ってしまいそうになり――(こぼ)れ落ちそうになった涙を慌てて手で拭う。

 そうしていると、ざ、と誰かが歩く音が耳に届いた。


「生き残ったのはお主か」

「まあな」


 お互いに気の無い言葉を発すると、横になっている俺を覗き込むようにシェルファが俺を見下ろしてくる。

 灰色の髪も、病的なまでに美しい表情も土で汚れているが、何よりその美貌を穢しているのは憤怒の感情であろう。表情にはあまり変化が見られないが、その視線には明らかな怒りの色が浮かんでいる。

 先ほどの対応が、あまりにおざなりだったからか。変な所で細かい魔王である。


「疲れたから休ませてくれ」

「……まだ何も言っておらぬではないか」


 そう言いながら、手に持つ大鎌の刃が顔の横、耳に掠る箇所に突き立てられた。砂利(じゃり)が跳ね、顔に当たる。

 顔を(しか)めると、大鎌を振り下ろしたシェルファもまた顔を顰めていた。


「立て」

「疲れたんだ」

「立たねば殺す」

「――――」


 その言葉は本気のはずだ。

 魔の王。人類の敵。倒すべき相手であり、幾度となく刃を交わした存在。だからだろう。その言葉に嘘偽りはなく、立たなければ殺されるのだと理解する。

 だが、それでも……立ち上がる気力が湧かない。空を見上げたまま、そうか、とだけ口にした。

 本当に、疲れた。このまま目を(つむ)れば、眠れそうなほどに。


「戦え。儂は、七つの力を解放したお主と殺し合いたい」

「無理だよ、シェルファ」


 まるで駄々っ子のように言う魔王へ、気の無い言葉を向ける。

 もう、無理だ。

 無理なのだ。

 ……もう、エルは居ない。もう、七つ目の制約を解放する術は、失われてしまった。


「腑抜けが」


 苛立たしげな呟きが耳に届き、視界が(かげ)る。雰囲気で、シェルファが大鎌を振り上げたのだと理解する。

 殺される。

 まあ、それも良いか、と。そう思った。

 疲れたし、やる事はやった。宇多野さん達は、きっと無事に元の世界へ帰るだろう。なら、このまま。

 そう思いながら、目を閉じる。

 今まで必死に、生き残るために頑張っていたというのに……終わりはこんなものか。そう思うと、不思議と胸の奥が軽くなった。


「お主を生かすために女神は死んだというのに」


 その言葉に、一度は閉じた目を開ける。


「うるせえ。もう一度、その右腕と翼をぶった切ってやろうか?」

「相変わらず、達者なのは口だけかえ?」


 次いで紡がれた言葉には、苛立たしさは(なり)を潜めて、いつものこちらを小馬鹿にしたような声が発せられた。

 視線を向けると、こちらを見下し(あざけ)りの視線が向けられる。


「ふん。女に守られ、事を成したら共に死ぬとでも? 愚かしいのう。そのような事をしても、二度と女神とは逢えぬというのに」

「シェルファ――」


 知らず、声に怒りが籠る。右手に力を込めると、カリ、と割れたメダルが鳴った。


「立て、愚か者。神に生かされ、神を殺しておいて、安易な死を選ぶでないわ」


 そう言うが早いが、何の躊躇(ためら)いも無く蹴り飛ばされた。地面を転がり、その勢いのまま膝立ちになる。腰に吊っていた精霊銀(ミスリル)の剣を抜いて剣先をシェルファへ向けると、魔の王は口元を歪めてニヤリという擬音が聞こえそうな顔で嗤う。

 これだけ気力が()えているというのに、反応してしまう身体が恨めしい。そのまま、慣れた動作で――今はもう何も喋ってくれないメダルを、ポケットの中へ納める。


「ちっ」

「そうだ、それがお主だ。ヤマダレンジ」


 怒りを向ける。だが、口は開かない。

 今口を開いたら、何を口走るか自分でも分からなかった。

 エルが死んだ。俺を庇って。俺が弱いから――死んだ。

 そうやってエルに助けられた俺は、こうやって生きている。それがどうしても我慢ならない。

 ここで死んでもいいか、ではない。

 死にたい。

 疲れたのだ。本当に。目的を果たして、守りたかった女を守れず、彼女が口にした唯一の願いすらもう叶えてやることが出来ない。

 彼女には一つしかなかった。一つの目的、その為に生まれて、その為に生きてきた。

 魔神を殺す。ただそのためだけの生命だった。

 そんな彼女が願った夢を、叶えてあげたいと心から思った願いを――守れなかった自分に腹が立つ。ネイフェルが憎い。百回殺しても殺し足りない。だが、それ以上に――俺は俺が憎い。

 何故、と自問する。

 何故エルが死ななければならないのか。

 何のためにエルは生まれたのか。

 どうして俺は弱いのか。

 その原因は、全部俺だ。

 俺が弱かった。

 力の使い方を理解せず、今日まで生きてきた俺の所為だ。

 アストラエラにエル(『神を殺す武器』)を願った俺の所為だ。

 エルの力に頼りきり、その力の上に胡坐(あぐら)をかいていた俺の所為だ。

 精霊銀(ミスリル)の剣を持つ手に力を込める。使い慣れた剣だというのになんとも心許無(こころもとな)いのは、この剣には意思というものが存在しないからだろう。

 神剣(エル)は羽のように軽かった。いつも一緒に居てくれた。背中を押してくれた。慰めてくれた。手を握ってくれた。一緒に笑って……泣いてくれた。

 この剣は、ただただ(もろ)いだけのように思えてしまう。


「女に守られねば戦えぬのかえ、神殺し」

「黙れっ」

「自分の弱さを言い訳に、女の死を美化して悦に浸るのか?」

「黙れってんだろうが!」


 (あざけ)りの声に激昂(げっこう)し、感情の(おもむ)くままに駆けだす。

 そのまま一直線に、最短距離を駆けようとして荒れ果てた地面に(つまづ)きそうになる。ネイフェルとの戦いで体力を使い果たした――などという言い訳など、俺自身が我慢できなかった。

 倒れ込みそうになる身体を必死に操り、体勢を整える。そのまま大鎌を構えるでもなく立っているシェルファへと斬りかかった。

 振り下ろした剣が、大鎌の柄とぶつかり火花を散らす。

 次の瞬間、斬撃をいなされて体勢を崩したところへ、全力には程遠い威力の回し蹴り。

 本当なら骨が折れるほどの威力がある筈なのに、吹き飛ばされて地面を転がるだけ。また、その勢いを利用して膝立ちになりながら立ち上がる。

 たったの一合。それだけで、もう剣を握る事すら難しいほどに体力を消耗してしまっていた。

 その事が情けなくて、泣きそうになりながら唇を血が出るほどに噛み締める。こんなにも、俺は弱い。それが我慢できないのに、どうしようもない。


「つまらん」

「うるせえ」

「つまらんぞ、神殺し。このような愚図(ぐず)を庇って死ぬなど、無意味すぎる。これでは、あの女も愚図ではないか」

「黙りやがれっ、クソ女!」


 体力の尽きかけた身体に鞭打って、もう一度シェルファの間合いへと踏み込む。

 大鎌の薙ぎ払いを切っ先を弾いて僅かに逸らすと、右の肩を斬り裂かれながら懐へと飛び込む。腰に差していた竜骨のナイフを左手で抜き、その胴を薙ぐ。

 しかし、胴を薙ぐはずだった左手はシェルファの右手に抑えられてしまう。万力のような力で握られると、あまりの激痛にナイフを手放してしまった。更に、大鎌を手放して右手を掴むと、同じようにして精霊銀(ミスリル)の剣も手放してしまう。

 そのまま胸倉を掴まれると、今度は一本背負いの要領で地面へと叩き付けらえてしまった。背中を(したた)かに打ち付け、痛みに視界が霞む。そんな俺の胸を、シェルファが踏みつけて動きを封じた。


「怒りでも、憎しみでもいい」


 抵抗する術の無くなった俺へ、シェルファが口を開く。

 先ほどまで聞こえていた(あざけ)りの声ではない。今まで聞いた事の無い、柔らかな――心配してくれている声だった。


「生きよ。いつか、儂が貴様を殺してやる。その時まで――死ぬな」


 胸を踏みつける足に、力が籠る。

 痛みに呻き、傍へ転がっている精霊銀(ミスリル)の剣へ手を伸ばすが、それを許してくれるほどシェルファは優しくない。

 これ見よがしに、剣を遠くへと蹴り飛ばした。


「死ぬな。そして、次に会った時は……また、殺し合おう」

「……うるせえ」

「約束だ」


 それだけを言うと、胸を踏みつけていた重みが消える。

 しばらくして、俺が動かないと悟ったのだろう。羽ばたく音と共に、気配が遠くなっていく。

 残ったのは、遠くから聞こえる(いくさ)の音と、僅かに湿った風の音だけ。

 その音を聞きながら、右手で目元を押さえる。


「終わったよ、エル」


 英雄とは、人々が絶望して下を向いている時に前を向いて進む、希望なのだと言っていた。

 そんな英雄になりたいと思っていた。

 そんな英雄になれると言ってくれた。

 無理だ、と。心の底から声が響いた。

 俺は泣き虫で、弱虫で、寂しがり屋の……ただの人間でしかなかった。

 雨が、降り始める。

 アーベンエルム大陸の雨は冷たくて、激しい。

 水滴が頬に当たり、すぐに全身を濡らす。

 もう、遠くで聞こえていた剣戟の音は、聞こえない。

 戦いは終わった。

 ざあざあと、雨が降っている。

 そうやって、俺達の旅は終わった。



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