第八話 神殺しとオーク3
さて、どうするかね。
森の奥にオークが十二匹。うち一匹は見た事も無い新種ときた。
笑い話でも、もう少し面白いのが好みなんだがなぁ。
酒場の窓際席でエールの注がれた木のコップを傾けながら、思考する。
先ほど、村長にその事を告げた時にどうにかできないか、と相談された。
だがどうして。俺はただの冒険者だ。勇者や英雄のように、魔物相手に無双出来るバケモノじゃぁない。
だから、どうするかね、と。
報酬を弾むと言われたから頑張りたい所ではあるが。
『この村を見捨てるか、守るかの二択しかあるまい』
それもそうだ、と苦笑する。
まぁ、守る方法もいくつか選択肢があるが。
運が良ければ、王都の方から討伐隊が来るまで大丈夫かもしれない。
オークたちが森を離れて別の場所に行くかもしれない。
アレは頭が良い。人間に牙を向けるという事がどういう事か、理解しているかもしれない。
殺し殺される。人間と魔物。泥沼の戦い。それが嫌なら、森に籠って出てこないかもしれない――。
「あ、やっと見つけましたよ」
そうやって思案していると、酒場の入口から雇い主であるフランシェスカ嬢が入ってくる。
田舎の酒場には似つかわしくない華やかな声に、口元が緩んでしまう。
「おう、フランシェスカ嬢。ここだ」
手を上げると、小さく溜息を吐かれてしまう。
おそらく、偵察から戻った後連絡もせずに放っておいたからだろう。
やはり、辛気臭い顔をして飲む酒は不味くてどうしようもない。
彼女の美しい顔を見て、エールを一口飲む。うん、美味い。
『呑兵衛め』
「は――違いない」
「?」
テーブルを挟んで正面に座ったフランシェスカ嬢が、独り言を言う俺を不思議そうに見てくる。
どうにも、酒が入ると口が軽くなる。
エルメンヒルデの声に返事をしてしまうのは、悪い癖なのかもしれない。
「レンジさん、オーク討伐はどうするんですか?」
「ああ、やっぱりその事か」
「やっぱりって……昨日、オークの事を話したじゃないですか」
そうだったな、と。
そう話していると、店主がフランシェスカ嬢に注文を聞きに来る。
果実の搾り汁を頼み、俺もエールではなく水を頼む。
仕事の話をするのに、酒片手は流石に礼儀に欠ける。
それに、そろそろ真面目に考えなければならない。酔いを醒ますとしよう。
「ところでフランシェスカ嬢。筋肉痛の方はどうだ?」
「う……大丈夫です」
そう聞くと、少し詰まった後に真っ直ぐな視線を向けてくる。
あ、まだ痛いな、と。判りやすい反応である。
どうやらこの女性は、嘘が苦手なのかもしれない。その強がりが可笑しくて、クツクツと笑ってしまう。
次いで、その頬が少し赤くなり、俯いてしまう。
『年下をからかって面白いか?』
そりゃぁ、もちろん面白い。
年下をからかうのは年上の特権だ。
ポケットからメダルを取り出し、ピン、と弾く。
「少し困ったことになってな。この村の依頼をどうするか迷っている」
「受けないんですか?」
手の平に落すと、表。
「受けようとは思う」
その時、丁度店主が持ってきた水を受け取る。
フランシェスカ嬢もジュースを受け取り、一口飲む。
「ただ、正攻法では難しいだろうな」
「正攻法?」
「そ。真正面から斬り合ったり、魔術で燃やしたり切り裂いたり。そんな戦い方じゃ難しい」
そう言い、水を一口飲む。
こんな時、大事なのはまず戦う場所だ。
十二体なんて数を相手にするんだ、囲まれない場所が良い。
森なら木々を上手く使えば、とも思うがあんな場所での戦い方はオークの方も慣れているだろう。
「相手が十二匹ともなると、マトモに戦うのも危険だしなぁ」
「……はい?」
フランシェスカ嬢が、何か変な物を見るような目で俺を見つめてくる。
少し面白い。
「いま、何匹、と?」
「十二匹」
「――――」
ぽかん、と口を開けたまま固まってしまった。
ケータイかカメラがあれば写真に撮りたいくらいの、見事な呆け顔である。
まぁ、そんな事はしないが。
『イイ反応だな』
うむ。まったくだ。
温い水を一口飲むと、ようやくフランシェスカ嬢が再起動する。
「……なんでレンジさんは、そんなに落ち着いてるんですか!?」
「落ち着いてるわけじゃないんだがな。如何すればいいか悩んでる」
『むしろ、慣れたという方が正しいな』
まぁ実際は、エルメンヒルデの言う通りだ。
むしろ、フランシェスカ嬢のように驚く方が正しい反応だろう。俺でもそう思う。
三年前までは普通の社会人だったのだが、どうしてこうなってしまったのか。
昔はフランシェスカ嬢と同じように、ちょっとした事で驚いてたんだがなぁ。
気付いたら、ちょっとした事じゃ驚かなくなった。
オーク十二体? 一匹は新種で、しかも滅茶苦茶頭が良さそうなヤツである。
だが魔物の上位種である魔族、魔族を統べる魔王、その魔の種族を生み出した魔神。
あんな連中に比べれば、確かに厄介ではあるし、怖くもあるが、慌てるようなものじゃない。
本当にヤバいのは、頭の良い黒いオークのような存在と、俺一人ではどうしようもないバケモノ。
ドラゴンやヴァンパイア、巨人やアンデッド。仲間と一緒でなければ戦えないような相手だ。
「慌てても、やる事は変わらないしなぁ」
「だからって、十二匹は……」
「まぁ、多すぎるわな」
かか、と笑う。
そんな俺を、困ったように眉を落として見詰めてくるフランシェスカ嬢。
「勝算はある。だから依頼は受ける」
それにあの黒いオーク。
アレは、どうにかしておきたい。
あいつは嫌な予感がするのだ。何故か。
「……フランシェスカ嬢はどうする?」
「わたし、ですか?」
「ああ。流石に豚を十二匹も相手にするのは骨が折れそうだ。多分、守りながらは戦えない」
そこまで言うと、俺が何を言いたいのか気付いた様で表情が硬くなる。
守りながらは戦えない。だから、自分の身は自分で守ってもらう事になる。
新人冒険者に求める事じゃないな、と内心で苦笑する。
こんな危険な仕事、熟練冒険者だって数を揃えて、万全の状態で臨む。
最弱の神殺しと新人冒険者が受ける様な依頼ではない。
だから、魔物討伐は嫌いなのだ。
不測の事態ばかり起こる。稼ぎは良いが、危険も大きい。
やはり、俺には合わないな、と思う。
「受けます」
そんな事を考えていたら、決意の籠った声と視線を向けられた。
その翠色の瞳が、俺の目をしっかりと見返してくる。
「テストの事もありますけど……今は冒険者の一人です。それに、村の人を助けるのは、貴族の義務です」
「立派な心構えだと思うが、死ぬかもしれないぞ?」
そこまで言うと、見つめてくる瞳が僅かに揺れた。
やっぱり、死ぬのは怖いのだろう。
貴族だからとか建前だ。人間は、生きているものは、死ぬのが怖い。
俺だってそうだ。俺より年下のこの女性が怖くないはずがないのだ。
そう思うと、怖くても助けると言ったこの女性は、本当に強いのだと感じられた。
俺は、英雄の義務から背を向けているというのに。
『意地が悪いな』
そう言ってくれるな。
相棒の言葉に苦笑してしまう。
そんな俺に何を感じたのか、少しムッとした表情になるフランシェスカ嬢。
その表情がまた可愛らしい。美人はどんな表情も美しいなぁ、と。
「まぁ、出来るだけ危険が無いように立ち回るよ」
「え?」
「新人に難しい事はさせられないさ。守る、って言えると格好良いんだがなぁ」
『いや、言っていいだろ、神殺し』
そりゃ無理だ、と肩を竦める。
そんなのは俺のキャラじゃない。そのくらいは弁えてるさ。
「俺が前に出て、君が後ろから魔術でかく乱させる。変にムズかしい作戦を考えても、多分テンパるだろうし」
「てんぱ……え?」
「実戦じゃ、混乱するだろうって事だ。ゴブリンに襲われた時、怖かっただろう?」
そう聞くと、木のコップで口元を隠しながらコクリと頷かれる。
ちょっと小動物っぽい。
「今回はもっと怖い。なにせオーク十二体だ。ゴブリン五体なんかより、ずっと怖い」
ピン、と親指でメダルを弾く。
クルクルと回るソレを空中で掴んで手を開くと、表。
「表だ。何とかなるさ、多分」
「そこは絶対なんとかする、とか言って下さいよ……」
「絶対なんか口にしない。俺はそんなに凄くない」
かか、と笑うと溜息を吐かれてしまう。
だがしょうがない。
『絶対』
その言葉は勇者の特権だ。俺みたいな村人Cが使っては駄目なのだ。
「そのメダル」
「ん?」
フランシェスカ嬢の視線が、俺から俺の手にあるエルメンヒルデに移る。
「大切な物なんですか?」
「んー……」
どうだろうなぁ、と。
いつも当たり前に持っているので、今では一番身近な存在だ。
大切だが、それだけの言葉では言い表せない。
『…………』
あと、なんかやたらに神妙になっている神殺しの武器。
「呪いのメダルだよ。手放すと、死んでしまうんだ」
「……大丈夫なんですか、ソレ」
「大丈夫大丈夫。手放さなければいいだけだし」
なんか、本気で心配された。
この子はからかうと面白いのか、面倒なのか、難しいのかもしれない。
『チッ』
ちなみに、エルメンヒルデは舌打ちをしていた。
こっちはこっちで、からかうと面白い。
難しく考えるのも大事なんだろうが、やっぱり気楽に構えるのが俺らしいと思う。
オークの集団に、新種と思われる黒いオーク。
まぁ、問題は山積みなのだが。
「さて、では特訓を始めようと思う」
場所は村から出て少し歩いた平原。街道からは少し外れている。
ゴブリンなど、魔物の姿は見えない。
しばらくしたら、様子見に寄ってくるかもしれないが。
「特訓と言いましても……私は火の玉や氷の矢を飛ばしたりと、基本的な魔術しか使えないのですが」
そう言うと、申し訳なさそうに肩を落として俯いてしまう。
魔術学院の生徒がそれで大丈夫なんだろうか、とも思うが今はそれは良い。
「大丈夫。もっと簡単な想像をしてもらうから」
「簡単……ですか?」
「ああ」
そう言って、地面を指さす。
「穴を掘ってくれ」
「…………」
凄く胡散臭そうな人を見るような目で見られた。
どうしてかこの世界の魔術は直接的な攻撃か、家庭的な内容の両極端だ。
前者は火の玉を飛ばしたり氷の矢で貫いたりとか、強力なのは爆発させたり雷を落としたりも出来る。
後者は綺麗な水やかち割り氷を作ったり、暗い所で明かりにしたり。
だがどうしてか、物を動かしたり穴を掘ったりという魔術はあまり使われていない。
魔物との戦いの際、塹壕を作るのに魔術で爆発させていたのを見た時は本気で驚いた。効率が悪すぎるだろう、と。
便利だと思うのだが、落とし穴。
ウチの『大魔導師』様も、最初は派手なのが良いと言っていたが、落とし穴の良さに気付くとこっちの話に耳を傾けてくれたものだ。
大体、敵を確認する、火の玉を作る、飛ばす、当てる、その想像をする。
基本の魔術だけで五工程の作業が必要だ。
落とし穴なんて地面を見る、落とし穴を想像する。
最短で、二工程の作業で十分なのだ。大きさや深さの調整もあるだろうが、
基本の魔術よりも短い時間で発現できる。
なので、フランシェスカ嬢にも同じ事をしてもらおうと思う。
身を守るのにも使えるし。
発現時間が短いというのは、それだけで強みになる。
「落とし穴。そこにオークを落として、それで終わり。殺せないけど、何もできなくなる」
「……」
しかも魔術なら、戦闘中にオークの足元に穴を想像するだけでいい。
一々掘った穴に誘導する手間も省けて便利だ。
後は、オークを落とした穴をどうにかすればいい。埋めるなり、魔術で攻撃するなり。攻撃はされず、一方的に攻撃する。
肉が傷んで価値が低くなるが、安全に狩れる方法だ。
「凄い考えですね」
そう説明すると、感心された。
どうしてか、魔術師というのは派手な魔術を好む。
判らなくもないが、派手で強力な魔術なんて誰だってできる。おまけに魔力や精神力の疲労も多い。
もっと低コストで効果が大きい魔術を編み出そうとはしないのだろうか。
これで、この女性も少しは魔術の使い方を色々な方向で考えてくれれば、と思う。
『……また、変な魔術師が一人生まれるかもしれないな』
「人聞きが悪い」
ピン、とメダルを弾く。
『落とし穴や拘束が得意な魔術師なんて、変な魔術師だろうが。教育の仕方を間違えてるぞ、絶対』
便利なんだがな、落とし穴。
拘束も少数対少数では効果的だ。流石に軍隊対大群の戦闘でも拘束魔術を生かせるのはウチの『大魔導師』様だけだろうけど。
木の根とか蔓とか使って、森では本当に敵無しだったからなぁ、と過去を回想してしまう。
俺の教育の賜物だが。
落とし穴なんて単純だから、接近戦をしながらでも想像できるそうで、本当に便利らしい。
俺は魔術は使えないので判らないが、『大魔導師』が言うならそうなのだろう。
戦闘中に足を引っ掛けるだけでも、十分な脅威だ。警戒させることが出来る。
「では、やってみます」
「おう」
フランシェスカ嬢から少し離れると、近くにあった岩に腰を下ろす。
『訓練はしないのか?』
「ナイフの訓練なんか、した事も無いんでな」
そもそも、ナイフは俺の得物ではない。もちろん、ダガーもだ。
そんな武器の訓練をしてもな、と。
鉄のナイフを抜き、手の中でクルクルと回す。
「オークの皮は切れなさそうだ」
『当たり前だ。英雄の武器はそんなナマクラではなく、私なのだからな』
何処か誇らしげな声に、口元が緩む。
そうだな。
「俺の武器は、お前だけだ」
『うむ』
視線をフランシェスカ嬢に向けると、その姿が僅かに揺らいでいるように見える。
魔力。
魔術師ならば誰もが持っている、魔術を使うのに、超常の現象を発現させるのに必要な力。
その色はさまざまで、フランシェスカ嬢のように無色の魔力もあれば、赤や青などの色もある。
たしか、魔力の色で魔術師の才能が左右されるのだとか。
ウチの『大魔導師』は金色で、『魔法使い』は濃い紫――曰く、闇色の魔力だったか。
どっちの才能が上だったかな、と思い出そうとするが思い出せない。
多分、互角か、似たようなものだったと思うが。
そう考えていると、俺の少し前に直径五十センチほどの穴が作られる。深さは……三十センチくらいか。
無くなった土は、フランシェスカ嬢の傍に落ちていた。
抉り取るようなイメージで穴を空けたのだろう。
「浅い。オークの体長は俺より頭一つ分は大きいからな。もっと深く、広く頼む」
「はいっ」
元気のいい返事に苦笑してしまう。
なんだか訓練所の教官にでもなった気分だ。やった事はないが。
しかし、本当に魔術は凄い。
こういうのを見ると、チートを頼む時に俺も魔術を使えるようになればよかったと偶に思う。
元の世界には無かった魔術で無双する。男なら誰だって憧れるシチュエーションだ。
ああ、本当に勿体無いことをした。
『どうした?』
「いや」
溜息を吐くと、エルメンヒルデから心配の声。
まぁ、俺が『神殺しの力』を願ったからこそ、エルメンヒルデとこうやって話せるのだから贅沢な悩みか。
「お前と会えて良かったなぁ、と」
『……だったらなぜ溜息を吐いた』
疑われていた。
ひどい相棒だ。まったく。