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第五話 女神と精霊神と神殺し4

 世界樹の(うろ)から出る頃には、丁度太陽が中天へと昇っていた。

 相変わらず、あの空間は時間の流れが曖昧だ。

 体感ではほんの一時間ほど話していたつもりだったのだが、現実にはすでに三、四時間もの時が過ぎている。世界樹の前に立っていた見張りの獣人は交代しており、先ほど挨拶を交わした獣人とは別の獣人が洞から出てきた俺達に軽く会釈をしてくる。


「不思議ですね」


 そんな彼らに手を上げて(ねぎら)いの言葉を掛けると、俺の後へ続くように歩いていたソルネアが口を開いた。

 振り返ると、どうやら立ち止まっていたようでいつの間にか距離が開いてしまっている。その瞳は俺ではなく背後――先ほどと変わらず雄大な姿を見せる世界樹、その頂へと向けられていた。


「なにがだ?」

「貴方は魔神(ネイフェル)を憎んでいるのに、精霊神(ツェネリィア)とは普通に接する」

「?」


 言葉の意図が分からず、返事を返す事無く立ち止まったままのソルネアへと歩み寄る。

 そして、釣られるように世界樹へと視線を向けた。


「魔神を斬った。……私が魔神の座へと至ったなら、貴方は私も斬るのですか?」


 やはり視線をこちらへ向けることなく、淡々と――感情の波が感じられない平坦な声で、そう質問してくる。

 その横顔を見ると、そちらもやはり、いつも通りの無表情。どういう意図があっての質問だろうかと思うが、まあ……答えは一つなので特に迷いも無い。


「斬らないよ」


 どうしてそういう質問をするのか。

 やはりソルネアの思考は分からない。分かり辛い。

 俺のその答えに満足したのか、世界樹へ向けられていた視線が俺を見る。俺達と同じ黒い髪と、黒い瞳。


『レンジ?』

「いや、なんでもない」


 よく考えると、ソルネアの容姿が地球人(俺達)と同じ黒髪黒瞳なのもそう言う理由なのだろうか。

 ネイフェルと言えば、黒だ。昆虫のような甲殻に覆われた全身は黒。その身から溢れる、あらゆるものを焼き尽くす炎も黒。魔力の色も黒で、その血肉を与えられて眷属となった者も時間が経つにつれて身体の至る所がが黒く変色していく。

 願いの形。アレが望んだ生き方とは何なのだろうか。……いや、望みは神である自身が満たされるほどの争いだ。きっと、アレの望みと願いは全くの別物なのだろう。

 ツェネリィアも言っていた。神になるという事は、受け継ぐ事だと。

 ――ネイフェルの願いを叶えれば、ソルネアは新しい魔神となれるのか。


「わからん」


 しばらくソルネアを眺めた後、白旗を上げるように両手を万歳の格好で上げる。


「何がでしょうか?」

「ネイフェルが羨ましかったものってのは、何なんだ?」

『またその質問か』

「しょうがないだろうが。それが分からないと、アイツの願いっていうのも見当が付かない」

『……まあ、そうだが』


 それは、ツェネリィアとソルネアが交わした言葉。

 羨ましかったと。だから記憶も魔力も与えられることなく、無力な器(ソルネア)は目覚めたのだと。

 アイツは満足して死んだ。それは、斬った俺が一番よく理解している。

 ――なにせ、笑っていたのだ。心の底から。死の間際、魔力の光へと還りながら、殺した相手と世間話をしながら――感謝の言葉、その一字一句を宝物のように大切に呟きながら。

 顔は世にも恐ろしいバケモノ顔だったので、笑顔を思い出すだけで震えそうになってしまうのだが。それと、最期がどのような形であれ、アイツがした事は赦されないし、赦すつもりも無い。今でも憎いし、思い出すだけでも怒りが湧く――それでも、まあ……。


「申し訳ありません」


 しかし、俺がそう質問すると、洞の中――ツェネリィアの世界で話した時と同じ答えが返ってくる。

 分からない。

 ネイフェルが羨ましかったのだと分かるのに、なぜ羨ましかったのかは分からない。そして――ソルネアは、あまり表情には出ていないが……分からない事を悲しんでいるようにも見える。


「ま、いいさ。どうせ、旅はまだ続くんだ。ゆっくり考えよう」

『そうだな』


 ネイフェルが関わっているからだろうか。少し、焦っているようだ。ソルネアにそんな顔をさせてしまった事を心の中で悪く思いながら、おどけた調子で会話を締めくくる。

 そのまま世界樹から離れるように歩き出すと、今度はソルネアも後ろを付いて来た。いつもより少し距離があるように感じるのは、彼女が分からない事を悪いと思っているからだろうか。

 ……少し、気まずい。


「あー……なんだ」


 気まずくて声を出すが、ソルネアは言うに及ばず、エルメンヒルデすら相槌を打ってくれない。

 寂しくて内心で涙を流そうとしていると、世界樹の麓にある祠――その傍にある花畑にいくつかの影がある事に気付く。その姿に救いのようなものを感じながら、歩く方向を変えて花畑へ向かう事にする。

 白に黄、赤に青。色とりどりの花の海に浮かぶよう、その少女達は花畑の真ん中で即興の鼻歌を歌いながら何かをしていた。集中しているのかこちらには気付いていないようだが、その連れ――美しい花畑の中で物凄く浮いている黒鎧の騎士はすぐに俺達に気付いて視線を向けてきた。

 まあ、目は無いのだが。


「結衣ちゃん、何をしているんだ?」


 そう声を上げると、彩り豊かな花々に囲まれた白い少女――緋勇(ひゆう)結衣(ゆい)。『魔物遣い』の名で呼ばれる少女が顔を上げた。白い外套(クローク)と、同じく色素の抜けた白い髪。目元を隠すように伸ばされた前髪の隙間から、美しい紅玉(ルビー)色の瞳が覗く。

 その表情が、声の主が俺だと分かると花が咲いたように綻んだ。


「あ……蓮司、さん」

「おう。それで結衣ちゃん、何をやっているんだ? ここの花を勝手に摘んだら、デルウィンから怒られるぞー」


 脅かすように言うが、どうやら許可はとっているようで驚いたり怖がったりはせず、笑顔を浮かべて俺を見上げてくる。

 可愛いなあ、と。その笑顔に癒されながら、結衣ちゃんの手元へ視線を向ける。

 そこにあったのは、作りかけの花輪だ。いや、その大きさから花冠というべきか。大小さまざまな花で、花冠を編んでいるようだ。何とも女の子らしい、可愛らしい遊びだと思う。


「あら、レンジじゃない。ツェネリィア様とのお話は、もう終わったのかしら?」

「なんだ。アナスタシアも居たのか」


 その声がする方へ顔を向けると、花の海へ浮かぶように、白いドレスを身に纏った緑髪の妖精が大輪の花へ腰を下ろして結衣ちゃんの事を見守っていた。

 しかし、その表情は笑顔とは真逆。面白くなさそうに目元を顰めている。普段は人形然とした美しい容姿の持ち主なのだが、たったそれだけで台無しだ。


「……なにそれ。私は居ちゃあ、いけないの?」

『なぜそうなる』


 胡乱な声にエルメンヒルデが疲れたように呟くと、それが面白くなかったのかこちらを睨んでくるアナスタシア。本当に仲が良いのか悪いのか。

 これで、すぐに仲直りするのだから女の子というのはよく分からない。まあ、アナスタシアは女の子というには少々難しい年齢なのだか。……口に出したら泣くほど怖い目に遭わされそうなので、もちろん心中でツッコミを入れておく。


「なに?」

「いいや、なにも。それで結衣ちゃん、何をしているの?」

「ぁ……その」


 アナスタシアから話題を逸らすように声を掛けると、口籠るように表情を俯かせてしまった。

 しかしそれは、俺を怖がっているというよりも恥ずかしさを隠すかのようで、微笑ましく思いながら視線をソルネアへ向ける。


「少しゆっくりしていいか?」

「はい」


 そう断って、花に気を付けながら結衣ちゃんの傍へ腰を下ろす。

 そんな俺を見て、ソルネアもまた腰を下ろそうとしたが、こちらは花を潰してしまいそうになって腰を下ろせずにいた。その仕草が可笑しくて、口元を緩めてしまう。


「ほら」


 外套(マント)を花が咲いていない箇所へ敷き、ソルネアが座れるようにしてあげる。


「ありがとうございます」

「……なんか、その女に随分と優しくない?」

「阿弥と同じような事を言うよな、お前」

「そ、んなこと無いわよ」


 ソルネアが感謝の言葉を口にすると、案の定というかアナスタシアが噛みついてくる。それがいつぞやの阿弥と同じ言葉で笑ってしまうと、面白くなさそうにぷい、と顔を逸らしてしまった。

 それが面白かったのか、くすくすと肩を震わせながら笑う結衣ちゃん。すると、ソレに気付いたアナスタシアが顔を赤くした。


「もうっ。何でユイが笑うのよぅ」


 その言葉が尻すぼみになり、余計に可笑しかったのか結衣ちゃんの方の震えが大きくなる。


「ご、ごめんなさい……」

「もー……何笑っているのよ?」

「お前。本当に結衣ちゃんと俺と、扱いが違うよな」


 俺へ向けられた言葉には照れの感情など欠片も感じられず、それどころか苛立ちすら感じられて肩を竦めながら言葉を返す。

 冷たいねえ、と口にするとフン、と鼻を鳴らす始末だ。


「当たり前じゃない。レンジとユイを一緒になんかしないわよ」


 ぼそりと呟いて、腰を下ろしていた大輪の花から飛び上がる。

 そのまま、今度はナイトの方へと腰を下ろした。白衣の妖精女王と、黒鎧の騎士。何とも絵になる光景である。


「あ、その……怒らない、でね? アナ、照れてるだけ、だから……」

「うん。ちゃんと分かっているよ、結衣ちゃん」

「……聞こえてるわよ、そこっ」


 まあ、聞こえるように話しているんだけどな。やっぱり、アナスタシアをからかうのは楽しいね。


『まったく。この程度で慌てるなど……精神の鍛錬が足らないぞ、アナスタシア』

「お前が言うな」


 俺からしたら、お前もアナスタシアも、どっちもどっち。団栗(どんぐり)の背比べでしかないのだが。

 しかし、その一言が面白くないアナスタシアがまた噛みついて、喧嘩になる。まあ、喧嘩といっても可愛らしい言い合いの延長戦のような物なのだが。

 それが分かっているので、俺も結衣ちゃんも止める事無く二人の喧嘩に聞き入る。しばらくすると、ゆっくりと花冠の作成を再開した結衣ちゃんの手元を覗き込む。


「何をしているのですか?」


 結衣ちゃんが何をしているのか分からないソルネアが、声を上げた。

 確かに、花冠なんか知らないよなあ、と。 


「花冠を作っているんだよ」

「はなかんむり?」

「ああ。こうやって花を摘んで、その花で編むんだけど……そういえば、何で花冠を編んでいるの?」


 今更ながら、素朴な疑問を口にする。花冠と言うと、やはり真っ先に思い浮かぶのは贈り物として作っているという事だろう。

 贈り物。

 ……結衣ちゃんが贈り物?


「――誰かへの贈り物だ、ったりするの?」

『声が硬いぞ』

「どうせ、ユイが男への贈り物を作ってるとか思ってるんでしょ」

「君ら、俺を苛める時だけは仲が良くなるよな」


 本当に、仲が良いのか悪いのか。喧嘩するほど仲が良いというのは、こいつらの為にあるような言葉なのかもしれない。


「……それで、その花冠は、男への贈り物なのかな?」


 もしそうだとしたら、ナイトと二人でその男の子の所へ顔を出しに行きたいのだが。そう思ってナイトへ視線を向けるが、黒鎧の騎士はいつものように悠然と(たたず)むままだ。

 なので、花冠は男の子への贈り物ではないようだと判断する。その事に、胸が軽くなった。


「ち、ちがう……よ?」

「そっか」


 そんな俺に向けて、エルメンヒルデとアナスタシアがこれ見よがしに溜息を吐いていた。

 こちらは兄として、父親代わりとして、結衣ちゃんの相手が何者なのか、どういう子なのか、その為人(ひととなり)を知る必要が――。


「相変わらず親バカねえ」

「俺をグラアニアと一緒にしないでくれないか?」

「どっちもどっちでしょうが」


 アナスタシアが(ほが)らかに笑う。花の咲いたような笑顔とはこの事か。

 会話の内容が内容なので素直に俺は笑えないが。


「花冠は、誰かへの贈り物なのですか?」

「う、ん。ファフさん、に……」

「ファフニィルに?」

「かわいい、かな――って」


 はにかんで笑う結衣ちゃんだが、頭の中で花冠で角を飾ったファフニィルを想像すると……可愛い?

 どうにも、疑問形な可愛いしか思い浮かばない。

 以前も雄々しい雄姿で畏敬の念を集めていたドラゴンは、先日、無人島でかなり物騒な方面への進化を果たした。以前よりも一回り以上も巨大になり、身体の節々は鋭角なフォルムへと変化した。見た目だけでもかなり物騒になったというのに、魔神の力を有する黒いドラゴンを打倒しうるほどの力も手に入れた。

 まさにドラゴンの王。この世界最強の生命体の頂点に立つに相応しい風格と力を手に入れたと言っても過言ではないのだろうが――そのファフニィルに、花冠か。


「たしかにかわいいな」

「そう、だよね? アナは、似合わないっていうの……」


 俺もそう思うけど、ここで結衣ちゃんを傷付けるような事を誰が言えるだろうか。

 前髪で目元は隠れてしまっているが、口元は嬉しそうに綻び、花冠を作る指の動きは先ほどよりも少し早くなっている。そんな反応をされて、否定など誰も出来ない。


「棒読みのくせに」


 アナスタシアからツッコミを貰った。


「そういえば、そのファフニィルは?」

「阿弥お姉ちゃん達と一緒に、行っちゃった……」

「ああ」


 精霊神(ツェネリィア)への捧げ物を集めるためか。


「珍しいな。アイツが俺達以外を背に乗せるなんて」

「う、ん。でも……フランシェスカさん達も喜んでたから、良かった」

「そっか」

「まあ、色々あるのよ、あっちにも」


 嬉しそうにはにかんでいる結衣ちゃんと、意地の悪い笑顔を満面に浮かべているアナスタシア。

 同じ笑顔なのに、こうも真逆な印象を受けるのは日頃の行いか。


「色々、ですか?」

「そ、色々」


 その色々がどういうことか何となく分かるので、俺もかかと声に出して笑ってしまう。

 まあ、つまり。ファフニィルは花冠で可愛らしくコーディネートされる自分が嫌で逃げ出したわけだ。口に出して強く否定できない辺り、アイツの中で結衣ちゃんという存在がそれだけ大切なものなのだろうと分かるが、あの竜の王が花冠に尻尾を巻いて逃げるとはねえ、と。


「どうか、した?」

「いいや。早くファフニィルが戻ってくるといいなあ、と」

「……うん」


 嬉しそうに笑うその表情は、早くファフニィルへ花冠を渡したいからか。

 目元が前髪で隠れてしまっていたので、指で軽く整えてあげる。すると、白い髪とは対照的な紅玉色の瞳が現れる。

 色素欠乏症(アルビノ)特有ともいえる容姿。俺達は可愛いと思うけど、結衣ちゃんは自分の容姿に自信が持てないのだそうだ。それは一緒に旅をしていた頃と変わらず、だからこそ前髪で目元を隠しているのだろう。


「目、出していた方が可愛いよ?」

「……は、恥ずかしい、から」


 目元を露わにした結衣ちゃんがしばらく俺を見上げ、そうしてまた俯いてしまう。髪の隙間から覗く耳は僅かに赤く、その耳を指で掻く仕草から照れているのだと分かる。

 もっと自分に自信を持っていいのに。

 そういう意図を込めての言葉だったのだが……。


「なに、結衣を口説いているのよ?」

『本当にレンジは、女には優しいのだな』

「お前らは俺に優しくないもんな」


 ぼそりと呟くと、その言葉に結衣ちゃんが小さくだが肩を震わせてくれた。


「花冠なのですが。ファフニィル――あのドラゴンにですか?」


 会話に僅かな間が空くと、今度はソルネアの質問が再開される。

 自身の容姿への会話が終わったからか、結衣ちゃんが顔を上げると……やはりその目元は前髪で隠れてしまっていた。

 勿体無い。


「うん。ファフさん、優しいのに、皆から怖がられてるから……花冠をつけて可愛くなったら、皆、怖がらないかなって」

「泣いて喜ぶと思うよ」

「そ、そうかな……?」


 俺の言葉に、嬉しそうに顔を上げる結衣ちゃん。その頬が紅潮(こうちょう)しているのは、喜びからか。

 まったく。羨ましいドラゴンである。


『確かに、泣きそうだな』

「確かに、泣きそうではあるわね」


 そして、同じような事を呟く二人である。もっと結衣ちゃんの気持ちを汲んでほしい。


「レンジ」

「ん?」


 続いて、ソルネアが服の袖を弱い力で引っ張った。

 それを見たアナスタシアの視線が鋭くなった気がしたが、気付かないふりをしてソルネアへ視線を向ける。


「どうした?」

「花冠を送ったら、嬉しいですか?」

「……はあ?」


 その言葉に、俺より早くアナスタシアが反応した。その小さな体躯には不釣り合いな、大きい声だ。そして、ちょっと怖い。ちょっとだけど。


「どういうことよ?」

「さあ?」


 どうしてそこで、ソルネアではなく俺へ質問するのか。美しい妖精の女王様は、怒ると怖い。宇多野さんと同じくらい怖いのだ。ナイトの肩に座っているので、距離的には離れているはずなのに、その視線の鋭さには些かの衰えも無い。

 まあ、それは女性全般に言えることだと思うが。ナイトへ視線を向けると、喋れないはずの彼がこの状況を楽しんでいるように見えた。それは、同じ男だから分かち合える感覚なのかもしれない。……言葉は交わせないので、俺の勝手な思い込みである可能性が非常に高いが。

 そんな俺の内心など何処吹く風で、ソルネアは質問した時の体勢で俺の返事を待っている。本当にブレないよな、お前も。


「まあ、嬉しいんじゃないか?」

「そうですか」


 アナスタシアの視線が一段と鋭くなった気がしたが、ソルネアは主語とも言うべきか、誰に送るとは言っていない。

 きっと、花冠を贈り物として贈るという事は喜ばれる事なのか、という疑問を口にしただけではないだろうか。それが分かっているので、特に慌てる事無く返事を返す。

 そんな俺の対応が面白くないのか、ナイトの肩の上で足を組み、その上に肘を付いてじぃ、とこちらを見ているアナスタシア。行儀が悪すぎる。

 結衣ちゃんが真似をしたらどうするのだ。まったく。


「おに……蓮司さんも、嬉しいんだ」


 俺の言葉へ嬉しそうに笑みを浮かべると、また俯いて花冠の作成に戻る。ただ、ちょっと聞き逃すわけにはいかない言葉というか、呼称というか。

 あれ、と。全身から力が抜けるのが分かった。


「結衣ちゃん?」

「な、なに?」


 きっと、結衣ちゃん本人も気付いているのだろう。俺を昔のように「お兄ちゃん」と呼ぼうとして、言い直した事に。

 表情は俯いているので分からないが、白磁のような肌が僅かに紅潮している。耳もだ。髪も肌も白いので、その変化が分かり易い。


「昔みたいに呼んでくれてもいいんだよ?」

『何を言うかと思えば……』


 エルメンヒルデに呆れられようが、やはり昔のように呼んでもらいたいという気持ちは捨てきれない。なにせ、宇多野さんは昔のように「お姉ちゃん」なのだ。

 以前王都で相談した時にそう言われた時の顔は、まだ覚えている。嬉しそうだった。物凄く嬉しそうだった。普段は鉄面皮というか鋭い目付きなのに、やっぱり娘には甘いのだ。

 ……俺は蓮司さんで、宇多野さんはお姉ちゃん。そりゃあ、結衣ちゃんだってもう子供ではないのだ。色々と気難しい年頃なのだとは何となくだが分かるけど。


「あ」


 その声は、隣。結衣ちゃんの真似をしたソルネアが花を手折って花冠を作ろうとしていたようだが、まったく形になっていない。ただ花弁が並べられ、適当な長さの茎が適当に重なっているだけ。

 それでは、花冠にはならないだろう。……まあ、俺も花冠の作り方は知らないのだが。


「ソルネア、さん。そこ、違う……よ?」

「そうなのですか?」

「う、うん」


 俺を挟んで、結衣ちゃんがソルネアに花冠の作り方を教え始める。花の編み方など知らないので、少し新鮮だ。やっぱり、こういうことに詳しいのは、女の子だからなんだなあと思う。

 男はやっぱり、指先よりも身体を動かしたりする方が得意な印象がある。まあ、得意な人は得意なのだろうが

 そんな二人を微笑ましく思いながら、息をゆっくりと吐く。結衣ちゃんも、成長しているんだよなあ、と。

 多分、もう少ししたら本当にお兄ちゃんではなく蓮司さんと呼ばれるようになるのだ。……ちょっと寂しい。


「そういえば。花冠の作り方は誰に教わったの? アナスタシア?」

「え? ……コウ、お兄ちゃんにだけど」

「…………」

『コウタロウは、本当に何でもできるのだな』

「うん」


 そのまま、視線をアナスタシアへ向ける。


「本当に?」

「本当よ」


 聞くと、苦虫を噛み潰したような顔で応えてくれるアナスタシア。

 コウ。井上幸太郎。『魔法使い』と呼ばれる青年であるが……幸太郎かあ、と。

 アイツ、本当に変というか妙というか、なんか予想外の事が得意なのは相変わらずのようだ。


「なあ、アナスタシア」

「な、なによっ」


 ふと思った事があったのでアナスタシアへ声を掛けると、思いっきり警戒されていた。

 その声音である程度の事は予想できるが、まあ、聞くのは様式美とでもいうべきか。


「お前、花冠とか作れるのか?」

「…………」


 ぎり、と。奥歯を噛み締める音が聞こえたような、聞こえなかったような。


『ふふ』

「つ、作れるわよっ。花冠なんて、ただの草遊びじゃないっ」


 元気だねえ、本当に。そのままつい、と。視線を空へ向ける。

 ――ネイフェル。あの異形を思い出す。人から憎まれ、世界を滅ぼそうと――この景色を壊そうとした魔神。俺と戦う為なら、俺に戦う力を与えるためなら、どんな事にも躊躇わなかったバケモノ。

 お前も、こういう生き方が羨ましかったのか?

 ……そう聞く相手が居ないのだから、答えなど分からないのだが。


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