第一話 賑やかな夜に
世界樹の麓は、喧騒に包まれていた。
世界は夜の帳に包まれて久しいというのに灯りが爛々と焚かれ、酒が目一杯注がれた水瓶が所狭しと並べられ、焚火の傍には新鮮な兎や鳥の肉が焼かれている。
その場に居るエルフやドワーフ、多種多様な耳や尻尾を持つ獣人、半人半獣の皆の手には木製のジョッキ。言わずもがな、その中に注がれているのは酒である。
しかも、ドワーフや半人半馬でも酔いそうなほどに強い酒。
やはりというか。そのように強い酒を飲まされたエルフや妖精の半分以上はすでに泥酔しており、そのほとんどが眠ってしまっている。エルフや妖精が飲む酒というのは蜂蜜で甘くしたり、花の香りを楽しむような弱い酒だ。
ドワーフ達が飲むような喉どころか胃が焼けてしまいそうな酒など慣れておらず、間違えてというよりも、意図して飲まされた彼ら彼女らは、明日は確実に重度の二日酔いだろう。
そんな饗宴を見ながら、私は両手に持ったジョッキに注がれた果物の搾り汁をちびちびと口に含む。爽やかな香りと仄かな酸味を感じると、気持ちが少しだけ軽くなった気がした。
「はあ」
だが。気持ちが軽くなったからといって、悩みが消える訳でもない。
視線の先。酔っ払い達が篝火を囲むように踊っている輪の中に、見知った顔がちらほらと。
一人は長身の美丈夫。篝火の明かりを弾く金髪は、彼が軽やかなステップを踏む度に夜空に踊る。一緒に踊っているのは見知らぬ顔だが、その尖った耳から彼と同族――エルフである事が窺える。
社交性が高いというべきか、彼のエルフ……フェイロナさんは今日知り合ったばかりの人とよく踊れるなあ、と感心してしまう。一応、私も何度か知り合ったばかりの人にダンスやら食事やらに誘われたりするが、どうしても警戒して断ってしまう。
軽く挨拶を交わして、適度に踊って――そういうのは、どうにも苦手だ。
そして、私と同じくあまり社交性が高くない銀の獣人は、隣で同じようにジュースをちびちびと飲んでいる。傍にある木製のテーブルにある彼女が使っている小皿には、沢山の料理……肉の串焼きが積まれている。
その目が僅かに虚ろなのは、すでに夜遅い時間だからだろう。最近は夜遅くまで起きている事も多かったが、やはりまだ十五歳。夜は早く眠ってしまうようだ。
私が十五歳の頃はどうだっただろうか。ふとそう考えたが、思い出せない。
そして、私を挟んで反対側には無言でぼう、と篝火を眺めているソルネアさん。こちらは、何を考えているのかイマイチよく分からない。
取り敢えず、ご飯はちゃんと食べているようなので、大丈夫だろう。
そうやって現実逃避をしながら、溜息の原因へと視線を向ける。
大きく焚かれている篝火。キャンプファイヤーを連想させる大きな炎の傍、エルフの王やムルルのお父さん達と一緒にお酒を飲んでいる蓮司さん。
まあ、そこは特に驚く事ではない。以前は何度も見ていた光景だ。
昔はあまりお酒を飲んでいるイメージが無かったけど、付き合いで飲んでいたのを知っている。たしか、同じ釜の飯を食う、だったか。そのような諺は元の世界……地球にもあった。
ただ、その隣。蓮司さんにお酌をされているフランシェスカ先輩。照れているのだろう。恥ずかしそうに笑いながら、でも満更でもなさそうにお酒を飲んでいる。普段の様子から好意を抱いているという事は無いのかもしれないが、なんだかとても雰囲気が良い。二人とも笑顔だし、心なしか座っている距離が近い。お酒を注ぐためとはいえ、近付き過ぎではないだろうか。
あと、周りのグラアニアさんやデルウィンさんも、茶化していないでもう少し蓮司さんに絡んでもいいのに。
……あれだ。羨ましい。じい、っとそんな二人を見ているが、こちらに気付く事は無い。別に二人の世界に入っているという訳でもないし、二人っきりという訳でもない。周りでは酒で気分が高揚したのか、はしゃいでいるいい大人達。色気も雰囲気もあったものではない。
私がフランシェスカさんの立場だったら、周りの人達を吹き飛ばして二人っきりに……いやいや、そこまで暴走してどうするのか。
大丈夫。あと二年。いや、もう少しであと一年だ。我慢我慢。もう少し我慢したら、私も蓮司さんの隣に座ってお酒を飲めるのだ。だから、と思うが…けど、一緒にお酒を飲んでいるというのが羨ましい。
なんでも、どうやら船の上でフランシェスカ先輩は誕生日を迎えていたらしい。知らなかったというか、魔王の襲撃で慌てていたというか、フランシェスカ先輩が船酔いでダウンしていたので誰も気付かなかったのだが。
それでも、誕生日。しかも二十歳だ。この世界にはお酒を飲むのは何歳から、という決まりはない。でも、暗黙のルールというべきか、大体十六歳以上から酒を飲み始める。
もちろんそれは、この世界で生まれ育ったフランシェスカさんも同じだ。でも、私や蓮司さん……というか、親代わりである蓮司さんは私には二十歳になるまでお酒を飲ませないと言うし、それを周囲にも公言している。私もそこまで興味があるわけではないので、蓮司さんが駄目だというならお酒を飲むつもりは無い。
でも、だ。
「どうかした?」
「なんでもない」
隣に座るムルルが聞いてくるが、素っ気ない返事で応えてしまう。それには何も言わず、ジョッキを傾けるムルル。
私に付き合ってくれているのか、動くのが面倒なだけなのか、もう既に頭の中では夢を見始めているのか。いつも眠そうな顔をしているので、その内心はよく分からない。
ソルネアさんの方も、表情の動きが僅か過ぎて内心の機微が分からない。感じるのは、退屈そうだなあ、といったくらいだ。
やっぱり、蓮司さんが傍に居ないと退屈なのかな? そう考えると、なんとも言えないモヤモヤが胸に湧く。そんな自分が嫌で、また溜息。
視線を前へ向けると、蓮司さんが楽しそうに笑いながらフランシェスカ先輩へお酌をしていた。
……手元から、乾いた音。視線を手元へ向けると、ジョッキの取っ手に罅が入っていた。何と脆いジョッキだろうか。今度から、私にはもう少し頑丈なジョッキを用意してもらおう。世界樹の枝を削って作った奴なら罅など入らないはずだ。
「レンジが気になる?」
「れっ――」
突然の言葉に、ムルルを見る。大きな声を途中で留めたのは、気恥ずかしかったからだ。
「別に。……蓮司さんばかりじゃ」
船の上で別れて、先日まで生死不明で、戻ってきたらしばらくベッドの上に寝たきりで。しかも、別れている間はアナスタシアと無人島でバカンスだ。
いや、決してバカンスという訳ではないが、だからとて納得できるほど……まあ、あれだ。
頭では分かっていても、どうにも納得できない。なにより、私がイライラしているのに、向こうはいつも通りというのが納得できない。
これでは私が子供っぽいような気がするが……きっと、このくらいでイライラするから子供扱いされてしまうのだろう。
――そう分かっているのに、イライラしてしまうのだが。
そう考えていると、後頭部に柔らかい感覚。
「顔なんか顰めちゃって、どうしたのお?」
「……スィさん」
その明るい声に、どうしようもないほど、イラッと来た。
「あ、あたまに……変な物を当てないでもらえますか?」
「変なのって、失礼ねえ。コウなら喜んでくれるのに」
そう言うと、後頭部に当てられているであろう柔らかい脂肪の塊が、余計に押し付けられる。
いつもの事だが、この人は胸が大きい。そして、その胸でからかってくるから質が悪い。自慢しているという訳ではなく、この人にとっては人をからかうのは生き甲斐のような物なのだ。
しかし、どうして男の人というのは大きな胸が良いのか。目立つからか。柔らかいからか。そこに母性とやらを感じるからか。……まったく。
後頭部の柔らかい感触に何とも言えない感想を抱きながら、溜息。次いで、ジョッキを傾ける。取っ手が砕けて持ち辛い。
……スィさん自身が薄着というか、肌を露出させる服装をしているという事もあり、見慣れない人はまず真っ先に胸へ視線が良く。女というのは、そう言う視線には敏感なのだ。特に、それが意中の人なら、尚更だ。
ああ。別に、幸太郎さんは意中の人ではないが。思考の中で、幸太郎さんを簀巻きにして世界樹の枝から逆さづりにする。そう考えると、少しだけ気持ちが落ち着いた。
「あの人は変態ですから」
「変態なの?」
私が幸太郎さんの事を一言で表すと、ムルルが反応する。ソルネアさんはどうでも良さそうな感じだが、耳を傾けているように感じられた。
「変態だから、ムルルは近付かない方が良いわよ」
「どうして?」
「あの人、小さな子供が好きだから」
「ふうん」
よく分かっていないと言った風に、取り敢えずといった感じでムルルが頷く。
「……相変わらず。貴女って、コウには厳しいわよね」
私がムルルへそう言うと、スィさんが私の頭に胸を押し付けながら溜息を吐く。
「いい加減、離してもらえませんか?」
「あら、いいじゃない。丁度良い高さなのよね、貴女の頭」
「……何に丁度良いんですか」
「なんて言ったかしら……そう、抱き枕?」
「――っ」
今度はジョッキの本体に罅が入った。まあ、別に。小さいから枕だとか、子供だから枕だとか、思ったわけではない。その程度の事に怒ったわけでもない。
ムルルが、驚いた顔で私を見る。
「どうかしたの、ムルル?」
「ううん」
私がそう聞くと、ムルルが視線を逸らす。
「相変わらず、元気ねえ」
「そうですか?」
「そんな力で握ったら、レンジの手が砕けちゃうわよ?」
「……や、優しく握るから大丈夫、です」
「握ったこと、あるの?」
ここで私が勢いよく立ち上がったら、頭突きになるだろうか。ふとそんな事を考えていると、ジョッキの罅が大きくなる。中身は空だったので、液体が漏れる事は無い。
いつの間に飲み干したのだろうか。まったく覚えていない。
「あ、あります……よ」
「そうなんだ」
「ええ」
さて――握った事などあっただろうか。
ふとそう考えて、なんだか悲しくなりそうだったので瞳を伏せる。うーん、と記憶を遡る。王都で腕を組んだ事もあるし、二人っきりでも食事をした。
うん。大丈夫。ちゃんと手を繋いだし、腕を組んだし、それどころかディナーにだって一緒に行っている。
ただ最近は、何かをしたというか、ただ一緒に旅をしているだけというか。こう。進展的なものが何も無いような気がしてしまうのは……気にしない方が良いのかもしれない。
せっかく一緒に旅をしているというのに、それでいいのだろうか。この旅の間、何度か考えた思考がまた頭の中でぐるぐると回った――ような気がした。
「ふうん」
「……ちゃんと手を握った事もありますし、一緒に食事だってしたんですから」
「あら、まあ」
それがよほど予想外だったのか、驚いた声。どこかおば……と考えると、頭の後ろにある脂肪の塊が押し付けられるというか、首に腕が回されて力が籠められた。
苦しくは無い。ちゃんと手加減というか、苦しくならないように力を抜いてくれている。頭の後ろに在る柔らかい物は何というか、忌々しいが。
「アヤは」
そうやってスィさんに遊ばれていると、不意にソルネアさんが口を開いた。
そちらへ視線を向けると、首に巻かれていた腕の力も緩む。感覚から、スィさんもソルネアさんの方へ視線を向けたのだと感じる。
「なんですか?」
「アヤは、レンジが好きなのですね」
「…………ぅ」
いや、まあ。そうなのだが。そうだけど。そうなんだけど。なんというか、そうはっきり言われると恥ずかしいというか、照れ臭いというか。
視線を逸らそうとすると、首に巻かれた腕へまた力が籠められる。感情の起伏が感じられない、静かな瞳が私のソレと重なる。視線を逸らす事が出来ない。ソルネアさんは、ただただじっと私を見ている。
それが、どうしようもなく気恥ずかしい。
「こう。なんだったかしら? 将来の恋敵に、宣戦布告?」
「どういう意味かは分かりませんが」
「そうなの? 面白くないなあ」
そうよね、と。
ソルネアさんは、蓮司さんを好きとか嫌いとか、そういう目では見ていないはずだ。そう分かっているが、安堵の息が漏れてしまうのはどうしようもない。
……そして、そんな私をスィさんが見逃すはずも無い。
「勿体無いなあ。折角おっぱいも大きいし、それでレンジを誘惑してみたら?」
なんて事を言い出すのか、この半人半蛇の魔術師は。何か言い返そうと思ったが、それよりも視線がソルネアさんの胸へ向いてしまう。
夜の闇の中。しかも黒色のドレス姿。しかし、遠くにある篝火の弱い光に照らされる胸の輪郭は服の上からでもしっかりと視認する事が出来る。私は胸元へ視線を向けると……スィさんの腕で隠されてしまっていた。
これが現実である。
「そんな事、無いです」
「ん?」
「蓮司さん、小さいのも大好きですから」
「でも。男って、小さいのと大きいのなら、大きい方を選ぶわよ?」
「ぅ」
いくつか前科というか、前例というか……いやでも、と。
「私って、いっつも見られてるし」
「それは、スィさんがいつも薄着をしているからじゃないですか」
「そんなこと無いわよ? 冬は厚着をするけど、それでもコウは胸を見てきたもの」
「幸太郎さんは、ムッツリですから」
「ムッツリ? なんだか聞いた事があるわね」
「あれです。女の人に気付かれないように、ちらちらと胸とか足とかを見て満足する人です」
「ああ、それそれ」
私がそう教えると、スィさんが陽気に笑う。そこでふと、スィさんの様子が妙に明るいというか、ちょっと違う風に感じた。
頭の中で幸太郎さんが抗議の声を上げたような気がしたが、気のせいだろう。あの人がムッツリなのは、本当だし。フランシェスカ先輩の胸も見ていたし。
「スィさん、酔っていませんか?」
「あーやー」
「酔ってますね? 絶対酔ってますよね?」
「酔ってないわよお」
「酔っ払いは、皆そう言うんです」
「レンジも?」
「……た、多分?」
「ふうん。まだ、酔ったレンジを見た事が無いんだ、アヤって」
実際見た事が無いので言い返せず、無言で視線をムルルへと向ける。
スィさんを引きはがしてもらおうかと思ったのだが、そのムルルは長テーブルへ頭を乗せるようにして眠っていた。
「ムルルが寝ちゃいましたから、ベッドにっ」
「大丈夫よ。幼いとはいえ獣人だもの。身体を壊したりなんかしないわよお」
「でしたら、私が運びますが……」
「ああ、いえ。私がっ」
もう、と。力を込めてスィさんを引き剥がそうとするが、巧みに身体を逸らされて引き剥がせない。それは彼女が半身半蛇だからか、体捌きが得意だからか。
しかも、私が体を動かすと力強く抱きついてくるというか、柔らかい物が形を変えるというか。
女同士だというのに、変に意識してしまいそうになってしまう。
「離してくださいぃ」
「やーよー」
結局。すぐに力尽きて、私もムルルと同じように長テーブルに突っ伏してしまう。その上から、スィさんが圧し掛かってきた。
「仲が良いのですね」
「どこがですかぁっ」
ソルネアさんの静かな声が、周囲は喧騒に包まれているというのに、一語一句しっかりと耳に届いた。
・
さて。どれくらいの時間が過ぎただろうか。
周囲を見渡すと、あれだけ爛々と焚かれていた篝火の殆どは消えてしまっており、今は瞬く星と、静かに鎮座する紅い月の光が周囲を照らしている。
「……あれ?」
軽く伸びをすると、一瞬ここがどこだか分からなくて混乱する。
眠っていたのか。
変な体勢で眠っていたようで、身体の節々が少し痛む。声に出して伸びをすると、とても気持ちが良い。
続いて、周囲へ視線を向ける。隣にはムルルが眠っており、地面にはスィさんが倒れるように眠っている。少し心配になったのだその傍へ膝を付いて大丈夫か確認したが、呼吸は安定している。酔い潰れて眠ってしまったのだろう。
「ふぁ」
小さく欠伸をして、椅子から立ち上がる。長く座っていたからか、お尻が痺れるように痛んだ。
周囲には酔い潰れて地面に眠っている人が多い。どうしてここまで酔い潰れるのか。エルフレイム大陸の気候は暖かいとはいえ、風邪を引いたらどうするのだろう。
紅の月は中天にあり、今が深夜だと教えてくれる。どうにも、妙な時間帯に起きてしまったものだと思う。
ついでなので、全員が眠っているならと……酔っ払い達を起こさないように避けて歩き、お目当ての人を探す。
その人は、長椅子へ横になって眠っていた。あまり広くない座面で眠っている姿は、器用なものだと感心してしまう。
「ふふ」
小さく笑って、顔の横へしゃがみこむ。
夜の闇に慣れた視界は、近くにある蓮司さんの寝顔をちゃんと映してくれた。
「変な顔」
クスクスと笑うと、蓮司さんが身動ぎをする。起きただろうかと身を固くしたが、どうやら寝苦しかっただけらしい。眠っている場所が場所なので、それがまた面白い。
ふと周囲を見ると、フェイロナさんとフランシェスカ先輩の姿は見える範囲には無い。
もしかしたら、酔い潰れたフランシェスカ先輩を、フェイロナさんが運んだのかもしれない。相変わらず真摯だなあ、と感心する。
そしてまた、視線を蓮司さんの寝顔に。その無防備な寝顔を見ていると、自然と気持ちが軽くなる。
「蓮司さん」
指先で頬に触れると、少しだけざらざらする。僅かな髭の感触は、この人が大人の男なんだと教えてくれる。
その感触を何度も指先で感じていると、また身動ぎ。起きないのは、それだけお酒を飲んだからだろう。
お酒って美味しいのだろうか。旅の途中、村に立ち寄ったり、お祭りを楽しんだり、お城の舞踏会のようなもののお誘いを受けたり。そういう時、蓮司さんや優子さん、他にも二十歳を超えていた人達はよく飲んでいた。
ぐにぐにとその頬を指で突きながら、昔を回想する。あの時は、皆が一緒で楽しかった、と。でも、皆が一緒だと、蓮司さんだけを見ている事が出来なかった。蓮司さんも、私以外を見ていた。傍にはエルと優子さんが居て、宗一や皆が頼りにして。
あの時はそれでもよかった。一緒に居られるだけで。偶に優しくしてくれるだけで。旅の途中、隣に座って火の番をするだけで。それだけでも、私は楽しかったし満足していた。幸せな、良い思い出だ。
きっと、蓮司さんは私を妹か娘のように思っていただろうし、私も兄や父のように思っていた。
それがいつ変わったのか分からない。でも、私はさっき、フランシェスカ先輩に『嫉妬』した。嫉妬してしまった。
「…………」
指を、頬へ押し込む。また、身動ぎ。
その反応が面白い。
何度かその反応を楽しんでいると、少しだけ風が吹いた。髪が揺れる。薫ったのは草の匂い。篝火の煙。汗の匂い。……お酒の匂い。
ちょっと酔ったかな。そう思いながら、左手で頬に掛かっていた髪を押さえる。
乱れている吐息は、自分の物だ。そして、高鳴っている心音も。
ああ、これは私も酔っているな、と。そう言い訳をしながら――トス、と。何かが地面へ落ちる音がした。
慌ててその音がした方へ視線を向けると、妙な体勢で机の上にある食器を手で押さえているグラアニアさんの姿があった。
「ぁ……ぁっ」
「…………」
言葉が出ない。先ほどとは違った理由で心臓が高鳴り、多分頬も赤くなっている。
声も出せずにグラアニアさんを見返す事しかできなくて、グラアニアさんは困ったように固まって。
「何をやっているのだ、グラアニア」
「はあ」
そして、次々と起き上がるのはデルウィンさんやスィさん。他にも、ドワーフやケンタウロス――というか、半数以上が動き始めた。
「え、ぁ……えっと、酔って……」
「アヤ」
そんな中、デルウィンさんが代表するように口を開く。
「私達が、この程度で酔う訳が無いだろう?」
プチ、と。何かが切れる気がした。
同時に、感情の赴くままに魔力を練り上げる。想像するのは怒りに猛る炎。創造するのは、天すら焦がす炎の大剣。
私の左右に、二本の炎剣が顕現する。先ほどまで周囲を照らしていたキャンプファイヤーなど比にならない、業火。
二本の剣が私の意思を反映して、担い手不在のまま空中でくるりと回る。その剣先は、デルウィンさんを向く。
「――もうっ」
傷付けるつもりは無い。怪我をしないように、調整している。
だがそれでも――ああ、恥ずかしい。
そんな私の動揺を感じて、皆が逃げ出す。その数は、私が思っていたよりずっと多い。まだ寝たふりをしていた人が居たのだ。
「逃げろ逃げろ。アヤに怒られるぞっ」
グラアニアさんが大きな声で言う。皆がその言葉に同調する。
もうっ。
怒っているのか、恥ずかしいのか、楽しいのか。分からなくなりながら、それでも私は皆を追いかける事にした。