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第十七話 神殺しの英雄と元魔王

 右手に神剣(エルメンヒルデ)を持ち、全身に程良い緊張を感じながら眼前の敵へまっすぐに視線を向ける。

 心地良い。落ち着いている。不思議に思うほど、視界が広い。

 目の前に立つ脅威(シェルファ)の姿を見ながら、ゆっくりと息を吸って、深く吐く。剣戟の音が耳に届く。ドラゴン同士の戦いによって震える大地の悲鳴を足の裏に感じる。魔力の乗った風、精霊の雰囲気。暑いと感じるのは、ここがエルフレイム大陸だから。

 戦いとは関係の無い事を考える余裕がある。僅かな緊張と、確かな憤怒。そして、右手に在る相棒の感触。

 そのどれもを、確かに感じる。


「ふう」


 声に出して、息を吐く。

 くるりと剣を回して、身体の具合を確かめる。少し硬い。自分ではそう感じないが、緊張しているようだ。

 先ほどの奇襲で決着を付けたかったと思うが、流石にそう簡単にはいかないか。

 そう考えて、口元を緩める。きっと似たような事を考えていたのだろう。同じタイミングで、シェルファも口元を緩めた。そのくすんだ灰色の髪が風に揺れ、用を成していないボロ衣のような黒いドレスもまた風に揺れる。

 背にある烏羽色(からすばいろ)の翼が、ぴくぴくと揺れている。表情には出ていないが、向こうも緊張しているのだというのが分かる。

 どうして俺とアイツは、こうも似ているのだろうか。不本意すぎる。まったく嬉しくない。

 内心で軽口を言いながら神剣(エルメンヒルデ)を握る手に力を込めると、呼応するようにシェルファも両手で大鎌を持った。構える、と言うほどではない。自然体で、全身から力が抜けている。理想的な、迎撃の体勢だと言えるのかもしれない。

 同じ戦う立場にあるせいか、その体勢はとても綺麗だと分かる。そして、そんなシェルファを見ながら、俺もまた自然体で構える。


「なあ」

「うん?」


 さて、どうしたものか。

 そう考えながら、口を開く。


「楽しいか?」


 俺がそう聞くのが分かっていたのか、シェルファは驚くほど――戦場には似つかわしくない、無邪気ともいえる笑顔を浮かべた。


「ああ」


 そうか、と。

 その言葉を置き去りにするように、無造作に駆け出す。いつもなら数瞬の間を置かなければ詰められない距離を、一拍の呼吸と共に詰める。

 続いて、一閃。下段からの斬り上げは、甲高い音を立てて大鎌に弾かれる。

 しかし、僅かも心を動かす事無く二の太刀へ繋げる。最初は心臓、二の太刀は左足。しかし、その攻撃も大鎌の石突きで払い落とされる。

 更に三撃目。弾かれる事を念頭に置いて、体勢を低くしながら間を開ける事無く両の足首を狙うが、それは飛んで避けられてしまう。

 次は、空中という不安定な体勢から大鎌の横薙ぎ。更に体を低く、まるで顔を地面へ擦り付けるほど低くしてその攻撃を避ける。そのまま、起き上がる勢いを利用した斬り上げ。だが、もうそこにはもうシェルファの影すら残っていない。

 そこまで、一拍。詰めた距離はまた開き、間合いは先ほど相対していた時と変わらない。

 ふう、と。どちらからでもなく息を吐いた。

 やはり、地面の上というのは戦いやすい。しっかりと足が地面を踏みしめ、その力を乗せて剣を振れる。海の上とは違い、ちゃんと反応できる。


「くふ――」

「ふん」


 シェルファが笑っている。心の底から。嬉しそうに。楽しそうに。幸せそうに。

 その表情を、まるで他人事のように眺めながら、緊張を解すように右手に持った剣をくるりと回す。そのまま下段に構え、全身から力を抜く。まだ、両手では持たない。

 視線は前に、思考は全身に。気持ちはこんなにも落ち着いているのに、俺の中には今にも暴れ出しそうな熱が宿ってしまっている。

 全身どころか、剣先にまで神経が通ったような感覚が懐かしい。剣先を下ろす、地面に触れる。その僅かな感覚すら、鮮明に感じられる。視線を目の前の敵から逸らす事無く、大きく息を吸って……深く吐く。今なら戦場の空気、震えを感じるだけでなく……風の流れすら見えそうだ。


「なあ」

「なんだ?」


 今度は、シェルファが口を開く。

 地面が揺れる。ファフニィルとあの黒いドラゴンの戦いが激化している。このままでは、このエルフレイム大陸に甚大な被害をもたらすのではないか。ふとそう考えて、だが、どうしようもないのかと諦める。

 アイツも同じだ。俺と同じ。

 ハラワタが煮え繰り返っているのだから、もうどうしようもない。暴れなければ、敵を倒さなければ、怒りをぶつけなければ、収まらない。

 俺にはよく分からないが、アイツは王の矜持(きょうじ)を傷付けられた。

 シェルファは、俺と戦うためだけという理由で幸太郎を傷付けた。スィを傷付けた。命を奪った。戦いを起こした。


「楽しいか?」

「全然だ」


 俺には魔力が無い。それは、魔力を溜めるための器が身体の中に存在しない、ないしはその器がとても小さいのだと宇多野さんは説明してくれた。だから俺は、体内に魔力を溜める事が出来ず、精霊達から魔力を借りる事も出来ないのだと。

 この世界の誰よりも不完全で、未熟で、何もかもが不足している人間。それが俺だ。

 しかし、その俺にも強みはある。魔力が無いという事は、身体を鍛えなければならないという事。そして、俺は――俺にだけは、外部から魔力を得る方法が一つだけあるという事。

 神殺しの武器(エルメンヒルデ)ではない、山田蓮司という肉の器の中に魔力を生み出す方法が。


「くふ」


 俺の状況を知っている魔王は、含みのある笑い声を漏らす。その事を感じながら、もう一度深く息を吐いて気持ちを落ち着ける。

 約束した。

 この世界を守ると。生きると。

 戦う意思は十分で、俺の後ろには倒れている仲間。俺よりも遥かに強い仲間達だが、今この時は俺が守らなければならないだろう。何せ相手は因縁の相手。俺が倒さなければならない魔王。俺と戦う事を望む敵。

 これだけ大規模な戦闘なら死者も出てしまっている。――お膳立ては整っている。整えられている。

 その整えた相手は、まるで儂に感謝しろと言わんばかりの笑顔だ。腹立たしい。


「ヤマダレンジ。先日は物足りなかったのでな……申し訳ないとは思うが、勝手に場を整えさせてもらったぞ」

「そうみたいだな」


 集中する。

 斬る。

 ただその事だけに、意識を向ける。相手が何者か、この後どうなるか、あまり出来がよろしくない頭の中から放り出す。

 斬る。ただそれだけを、求める。

 そして、そんな俺の意思に呼応するように、エルメンヒルデから翡翠の光が漏れ始める。


「さて、これでいくつだ?」


 まるで世間話をするかのように、シェルファが口を開く。


「さあな」


 その軽口に応えてやる義理も無い。右手に持つ剣の具合を確かめるように、柄を握る手へ少しだけ力を込める。まるで、手の平に吸い付くように握り易い。剣先まで神経が通ったように同調した今、刀身に当たる風の感触すら感じられる。いつもは羽のように軽い剣は、その実、どんな得物よりも心強い。

 ――コイツと一緒なら、どんなモノでも斬れそうだ。

 風も、雲も、空も……神も。

 そんな俺の様子を見て、シェルファが整った容姿に浮かぶ笑顔を深める。


「相変わらず、つれぬ男よな」

「お前に言われてもな」


 その言葉にではなく、珍しく黙っている相棒に苦笑する。緊張しているのか、俺に気を使っているのか、それともこの現状に声も出せないほど興奮しているのか。

 そう考えて、俺の心臓も不自然なほど高鳴っている事に気付く。まあ、緊張しているのは俺もか。

 どうするか。正面から向かっても遊ばれるだけ。搦め手も読み負けるだろうし、体力勝負になったら勝ち目が無い。

 ……どうするも何も、やる事は一つしかない。そう覚悟を決めて、溜息を一つ。

 そんな俺を見ながら、シェルファが足で地面を蹴る。先日戦った時は海上だったから、その事を気にしているのだろう。今回は、あの時のような奇策は使えない。というよりも、あんなものは一度きりしか使えない手品のタネだ。


「さあ――」

『今度こそ貴様をぶった斬るぞ、シェルファ』

「……俺のセリフだろ」


 神剣(エルメンヒルデ)を右手に持ち、全身から力を抜く。

 今までと変わらない。

 斬る。斬って、殺して――俺が生きる。人型だろうが、人の言葉を介そうが、意思の疎通が出来ようが。それでも、俺達は変わらない。

 きっと、お前も同じ考えなんだろう、シェルファ。俺に勝って、生き残ると。そう考えているはずだ。

 俺も、そうだ。お前に勝つ。勝って、お前を殺して、生き残る。


「くふ」

「は――」


 風が吹く。髪を、服を、外套(マント)を揺らす。


「貴様は儂には勝てんよ、ヤマダレンジ」


 その風に乗って、呟きが届いた。くるくると回る大鎌が空気を切り裂き、心地良い音を奏でる。彼女の視線が俺を捉え、俺は眼孔の鋭さに臆する事無く視線を逸らさない。

 それは、もう何度も聞いた言葉。俺とシェルファが、始める合図。殺し合いの開始。


「何故なら、貴様が人間だからだ」


 ただの数歩。しかし、制約を五つ開放した俺ですら反応するのがやっとという踏み込みでシェルファが距離を詰めてくる。

 しかし、驚く事無く横薙ぎの攻撃を半歩後ろへ下がって避け、即座に右手のエルメンヒルデを跳ね上げる。しかし、踏み込みの勢いを一瞬で殺す事で避けられ、その一撃は前髪を数本切り落とすだけ。

 続いて、大鎌を振り抜いた勢いのまま反転し、翼を広げた殴打。痛みは無いだろうが、視界を奪われるのを嫌って避ける事にする。

 伏せて避けると、そのまま回転して回し蹴り。咄嗟に反応して打点へエルメンヒルデを構えると、剣の腹で蹴りを受ける。しっかりと防いだはずだが、威力を殺す事が出来ずにたたらを踏んで後退させられる。間合いが空く。そこを狙って、もう一度大鎌の横薙ぎ。

 それを、剣を両手持ちに切り替えて、力任せに正面から打ち返す。裂帛の気合いと共に振り抜いた剣は大鎌を弾き上げ、突撃の勢いも殺す。

 攻め足が止まり、シェルファの笑みが僅かに曇る。


「ちっ」


 舌打ちの声を聞くと同時に、後ろへ跳んでシェルファと距離を開ける。その空いた隙間を、大鎌が薙ぐ。

 身体が柔らかい。その事に感心する間もなく、体勢を整えたシェルファが大鎌を振りかぶって――投擲。空気を裂き、大きく回転しながら大鎌が向かってくる。

 両手で神剣(エルメンヒルデ)を持つと、回転しながら向かってくる大鎌をしたから跳ね上げる。まるで鉄の塊を殴ったような衝撃を両手に感じ、顔を顰める。

 両手が痺れた。

 しかも、弾いた大鎌は狙ったつもりも無いというのに、まるで意思があるかのようにシェルファの手の中へ戻ってしまう。

 その弾いた大鎌を手に取ると、またシェルファが正面から突っ込んでくる。相変わらず、正面からぶつかるのが好きなヤツだ。

 力勝負。正面からのぶつかり合い。そしてシェルファの性格から、退いたら一気に押し潰されるのは考えなくても分かる。

 痺れた腕に鞭打って、正面から向かい合う。ここは退けない。

 全部が大振りの攻撃。しかし、その攻撃の全部が次に繋がる。大振りなのに隙が無い。その攻撃を避け、躱し、弾く。

 乱れる息を一呼吸で整え、僅かな隙すら見逃さないよう目を凝らす。


「はあっ!」


 振り下ろしの攻撃。魔力が込められた刃は、地面に突き刺されば爆発する。そう分かっているが、その刃を紙一重で避けるように半歩だけ後ろへ下がる。

 俺がそんな行動に出たのに驚いたのか、シェルファの顔が驚きに染まる。しかし、攻撃の手を緩める事は無い。

 刃は地面へ当たると内に溜めた魔力を爆発させる。俺の目の前で土埃が舞い、砂利が跳ねる。

 左手で顔を庇い、右手を一振り。剣の腹で砂利を弾き、シェルファへ飛ばす。狙いなどつけていないが、数だけは多い。いくつかがシェルファの顔へ跳び、その視界を奪う事に成功。その結果を確かめるまでも無く、一気に懐へと飛び込む。

 大鎌は大きく、迫力があり、比例するように威力も高い。しかし、懐へ入れば小回りは聞かないし、力も籠めにくい。シェルファの腕力と技量なら石突きの攻撃も必殺のソレだろうが、視界が塞がっているこの瞬間だけは別。

 一気に踏み込み、俺の気配を追うように大鎌の石突きが跳ね上がる。だが、やはり視界が見えていないその攻撃は大振りで、避けやすい。さらに踏み込むとそのがら空きの胴へ前蹴りを叩き込んで吹き飛ばす。 


「ぐ――」


 苦悶の声と共に、シェルファが下がる。

 同時に、両手に持った神剣(エルメンヒルデ)をまるで抜刀するかのように構え、シェルファへ背中が見えるほどに身体を捻る。

 山田蓮司という(から)の器に、魔力が満ちる。両手に握るエルメンヒルデとは別の、荒々しく、力強い――慣れない魔力。

 歯車が乱れる。俺とエルメンヒルデとは別に、巨大で、強力な歯車が無理矢理割り込んでくる。

 歯の大きさも、回る速さも、何もかもが違う歯車。それが、人間(山田蓮司)の事など一顧だにしない勢いで回り出す。

 その暴力的ですらある魔力が、人間という小さな肉体()から溢れ出ようと暴れている。早く利用しろと叫んでいる。早く……敵を斬れと。


「力を貸せっ、アストラエラっ!」


 俺の中で暴れていた魔力が、その一言へ呼応するかのように猛るのが分かる。

 本当に、俺は英雄に向いていない。誰かが死ななければ戦えない。誰かが危険な目に遭わなければ、戦えない。それが無ければ、解放される制約は二つ。二つでは――魔王どころか、魔物の群れとすらまともには戦えないのだ。

 その苛立ちを、剣に乗せる。刀身の翡翠が濃くなり、この身から銀の魔力光が溢れだす。俺を介して、二つの歯車(魔力)が噛み合う。だがやはり、俺とは合わないのだ。

 『六つ目』は、俺にとって猛毒にも似た――猛毒以上に危険なものだ。なにせ、人間という脆弱な存在が、女神の魔力を振るのだから。

 翡翠は剣に、白銀は俺に。重なる。重なって、混じり合って、一つになる。

 視界が霞み、汗が噴き出す。鼓動が激しくなり、エルメンヒルデを持つ手が震えだす。その震えを、握る手が白くなるほど力を込めて押さえつける。


「やるぞ、エルメンヒルデっ!」

『ああっ。頑張れ、レンジっ!』


 エルメンヒルデが応えてくれる。

 だから一歩を踏み出す。前に出る。俺から、敵に向かう。


「ぅ、ぅぅぁぁあああ!!」


 銀が、溢れる。

 俺には、この(魔力)を溜めるべき器が無い。だから溢れ出す。零れてしまう。溢れた魔力は霧散して、いかほどの価値も無い。だが、溢れると分かっていても送られてくる魔力は俺の身体を巡ってしまう。まるで全身に張り廻った血管のように。骨格のように。

 全身を巡り、魔力の使い方を知らない俺の身体を蹂躙する。

 これは一種の強化魔術(ブースト)。魔術師から見たら呆れるほど魔力を無駄遣いし、それどころか身体を傷付ける強化魔術。魔術とも言えない身体強化。しかし、魔力が無い俺にとっては唯一……魔王(シェルファ)と正面から斬り合える力。

 アストラエラの魔力で強化された身体は、まるで風のよう。思考が冴え、身体が動く。まるで枷から解き放たれたかのように軽い足取りで地面を蹴る。一拍の呼吸すら必要としない速さで間合いを詰めると、手に持った神剣を一閃。

 横薙ぎの一撃は、狙い違わずシェルファの大鎌を大きく弾く。

 砂利を払い終えた表情が驚きに染まる。

 反応が鈍い。

 そう直感すると、更に一歩を踏み込んで、返す刀で首を狙う。しかし、俺が踏み込んで斬るよりも早く、後ろへ跳んで斬撃を避けられてしまう。

 こちらの踏み込みに驚いたのは確かだろうが、すぐさま体勢を整えるのは流石か。

 大鎌は受けの構えのまま、その背後が揺らぐ。生み出された四つの黒い刃が、俺を捉える。取っ手の無い、岩を削っただけとも思える無骨な刃だ。

 その刃が、追撃の構えを取る俺への牽制に放たれる。その速さは神速。まともな人間なら目で追う事すら出来ない速さで放たれた刃を、シェルファへ向けて踏み込みながら最小の動きで避ける。二つは半身になって避け、一つは首を傾け――もう一つを斬り上げて弾き、勢いが殺された刃を手に取ると無造作に投げ返す。

 狙い違わず胸へ向かって飛ぶ刃は、やはり大鎌によって弾かれる。いくら頑丈なシェルファとはいえ、心臓を穿たれては無事では済まない。

 それが決定的な隙になると分かっていても防がざるを得ない事に気付き、ようやくシェルファの笑顔が歪む。

 後ろへ跳び、大鎌は刃を弾き、無防備とは言えないが隙のある体勢。そんなシェルファへ踏み込むと、再度神剣(エルメンヒルデ)を一閃。

 しかし、咄嗟の判断だろうか。大鎌をこちらへ投げつけて俺の踏み込みを妨害する。本当に咄嗟だったのだろう、投げつけるというよりも放ったという程度の勢いしかなかったが、それでも大鎌を弾いて踏み込みを止めてしまう。

 その隙を突いて、シェルファの背後へ数えるのも億劫な数の黒い穴が開き、そこから無数の刃が覗く。


「ああ、それだっ」


 同時に、数百にも届くのではないかという刃の雨が俺に向かって放たれる。

 その刃の雨を避けようとして、後ろにアナスタシア達が居る事を思い出してしまう。狙ったわけでもないだろうが――。


「――――っ!!」


 気を失いそうなほどの激痛を無視して、神剣(エルメンヒルデ)を一閃。刃ではなく魔力の衝撃だけで刃の殆どを弾き返す。そして、弾き損ねた刃もまったく関係の無い方向へ飛んでいってしまった。


「随分と、六つ目に難儀しているようだな」

「お前の方も、随分と身体の調子が悪そうだな」


 息を深く吐き、腰を下ろし、両手に持った神剣(エルメンヒルデ)を抜刀術のように構える。シェルファへ、背中が見えるほど体を逸らす。

 そんな俺を見て、シェルファが舌打ちをした。その表情は苛立たしげで、今まで何度か相対したが、初めて見るような顔かもしれない。

 珍しいと。そこで初めて、斬る事以外を考えてシェルファへ視線を向ける。

 自意識過剰と取られるかもしれないが――コイツが、俺と斬り合っている最中に舌打ちをしたのは、初めてではないだろうか。そう思うと、なんとも情けないというか、やるせないというか――自分でもよく分からないが、不思議な気持ちになる。

 退屈させただろうか。

 そう考えて、深く息を吐く。どうでもいい事だ。

 斬る。俺はただ、それだけを考えればいい。敵を、魔王を、シェルファを斬る。ただそれだけを求めればいい。求めなければならない。

 沢山の人を危険に晒して、沢山の人を犠牲にして、沢山の人に支えられて。

 ――そうしなければ戦えない俺が、敵を倒す、それ以外を考える必要などありはしない。

 斬る。殺す。生きる……生きて、帰る。

 乱れた歯車が、ギチギチと悲鳴を上げる。一番大きな歯車(女神の魔力)が、俺の肉体を砕こうとしている。その前に、殺す。殺せなければ、殺される。


「――――」


 腰を、低く落とす。剣を握る腕に力を込める。そうしなければ、今にも体がバラバラに爆発してしまいそうだ。

 距離は、さっきまでと同じ。しかし、俺が踏み込むよりも早く、今度はシェルファから向かってくる。大きく振りかぶった大鎌が、魔族――その王、魔王の膂力(りょりょく)を以て振り下ろされる。


「ちっ!」

『くるぞっ』


 地面に叩き付ける勢いで降り下ろされた大鎌が、魔力を爆発させる。大鎌自体は後ろへ跳んで避けたが、魔力の爆発によって土と砂利が舞い上がる。しかし、両手を剣から離す事はしない。

 更に後ろへ跳んで距離を開けようとするが、向こうの踏み込みが早い。いや、迷いが無いのだ。

 後ろへ跳ぶのを止め、横薙ぎの攻撃を身体を低くして避ける。攻撃終わりの隙を狙おうとするが、大鎌を振った勢いのまま回転し、勢いを乗せた後ろ回し蹴り。半端な体勢では避ける事も難しく、咄嗟に剣の柄飾りで受けるが、勢いを殺せずに数歩たたらを踏んで後退してしまう。

 下がった俺を追ってきた大鎌の振り下ろしを半身になって避ける。咄嗟に剣を右腕一本に持ち直し、左手で竜骨のナイフを抜くとそのまま斬りかかる。右手首を浅く切るが、お返しとばかりに左足で蹴り飛ばされる。

 また、距離が空く。

 攻撃は見える。反応も出来る。笑っている、心底から楽しんでいる、クソッタレなシェルファの表情も良く見える。

 だが、駄目だな、と。

 考えながら戦っている様じゃあ、まだ駄目だ。


「は――」

「ふはっ」


 笑うなよ。

 その意図を込めて、向かってくるシェルファごと大鎌を剣で薙ぎ払う。

 しかし、余計にシェルファの笑みは深まってしまう。こういう奴なのだ。こういう性格なのだ。

 戦うためなら。楽しむためなら。傷を負っても良い。血を流しても良い。――きっと、死ぬまで笑っている。

 狂気にも似たその感情を、俺は知っている。そして。


「お前も……黙ってないで気合を入れろよ、エルメンヒルデっ」

『ふん。邪魔にならないよう、気を使っていたのだ』


 竜骨のナイフを鞘へ納め、神剣(エルメンヒルデ)を両手で持つ。

 そんな俺を待ってくれるはずも無く、シェルファは先ほどと変わらず正面から突っ込んでくる。こちらの考えなど力で踏み潰すと言わんばかりの攻撃には、気持ち良さすら感じてしまう。

 横薙ぎ、斬り下ろし、石突きでの打突。大振りの攻撃だというのに、そのどれもが次の攻撃に繋がっている。型など無いのに、力と技術、そして経験で隙を埋める戦い方は綺麗とすら言えるだろう。

 その攻撃を避け、捌きながら距離を測る。

 無駄撃ちはしない。

 どういうわけか、シェルファの動きが良く見える。反応できる。受けなくても、どうにか出来る。

 だから思考を捨てる。本能に任せる。避けて、避けて、避けて――。


「――――」


 呼吸すら辛くなり、息を止めて回避行動をとる。

 大丈夫。まだ歯車は噛み合っている。俺とエルメンヒルデは、噛み合っている。

 当たれば、(かす)っただけでも戦闘不能。当たり所が悪ければ一撃で即死する攻撃を避けながら、立ち位置を調整。シェルファと、ファフニィルと戦っている黒いドラゴンが重なる様に移動する。

 思考に雑音(ノイズ)が混じる。

 集中力が切れそうになるのは、疲労と激痛、そして酸欠の所為だ。


「――――」


 シェルファの動きが遅くなる。いや、俺の集中力が増す。

 蝋燭の、最後の輝きのように。その一瞬。その刹那。思考する。想像する。酸欠で鈍る脳味噌が、ただ一つ、たったそれだけを考える。

 振り下ろしの攻撃を紙一重で避け、懐へ飛び込む。遅い。世界全体が水中へ沈んだかのように、まるでゼリー状の膜に包まれてしまったかのように、シェルファの動きがゆっくりだ。

 神を斬るのに、必要な物は何か。

 まず一番大事なのは。

 ――どんなモノでも斬れる事だ。

 精霊銀(ミスリル)だろうが、規格外の魔力が込められた結界だろうが、神の肉体だろうが。

 斬れる事。

 エルメンヒルデはそれだけを追い求め。

 斬る事。

 俺はそれだけを求められた。

 手に持つ剣を、思い浮かべる。刀身は翡翠、柄飾りは黄金。美しい翡翠の刀身と、華美な装飾が施された黄金の柄。その神剣に、一本の芯がある。決して曲がらない、折れない、砕けない芯が。

 一閃。

 大鎌の柄をバターでも切るように滑らかに斬り裂き、その勢いのままシェルファの右脇腹を裂く。振り抜く。

 それだけでは収まらず、溢れ出した銀の魔力は神剣の斬撃をなぞる様に飛び、黒いドラゴンへ襲い掛かる。ファフニィルの牙すら弾く強固な鱗を難なく斬り裂き、鮮血を撒き散らし、それでも止まらず――遥か遠く、空に浮かぶ雲すら裂く。

 どこまでも伸びる剣閃は翡翠の尾を引いて、空に一条の光を浮かべる。

 その光を目で追っていると――シェルファが、膝を付いた。


「は――」


 その声は、どちらの物だろうか。

 空を仰ぎ見る。どこまでも青く、どこまでも遠く、どこまでも続いている、空。

 手に持っていた神剣(エルメンヒルデ)が翡翠の光となって霧散し、同時に身体から力が抜ける。

 膝をつく。

 すぐ隣に、同じようにシェルファが膝を付いている。

 刃は届いただろうか?

 切れ味が良すぎて、手応えが分からない。


「くふ」


 ああ、と。

 やはり、黒いドラゴンと一緒に片付けようと考えたのが失敗か。

 二兎を追う者は一兎をも得ず。昔の人は、偉い事を言ったものだ。

 遠くで、ドラゴンが咆哮を上げる。ファフニィルよりもいくらか高い声は、おそらくあの黒いドラゴンの物だろう。


「ネイフェル様の器を、まだ失う訳にはいかないのでな」


 そう言い訳をして、シェルファが立ち上がる。

 脇から腹部まで、深い傷。鮮血が半身を染め、怪我をした側の足まで真っ赤だ。服は、相変わらず服としての用を成していないが。


「くふ……ふふ」


 笑いながら、去っていく。いつの間にか、俺達の周りには観客(ギャラリー)が集まっている。それは獣人や亜人であり、魔物や魔獣であり。

 集中していて気付かなかったが、いつから俺とシェルファの戦いを見ていたのか。

 そして、血塗れで死に掛けのシェルファに、誰も近寄らない。エルフレイム大陸の住人達も、トドメを刺そうとはしない。いや、金縛りに遭ったかのように動けないで固まっている。それは、魔物達も同じだ。

 ……動けないだけの凄味が、今のシェルファにはあった。


「つぎ、次だ……くふ」


 その独特の嗤い声を聞きながら、腰を落とす。

 もう一度、空を仰ぎ見る。

 綺麗だなあ、と。

 青い空。白い雲。涼やかな風に血の匂いが混じっているのは減点だが、良い天気だ。



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