大切な事。
間に合ったあああ
湖を見下ろせる丘に壮年の男性が佇んでいる。その背中は淋しげで、哀愁が感じられた。
ふと、男性が振り返る。プラチナブロンドの髪が輝き、瞳は綺麗なアメジストだった。その瞳にも哀しみが窺える。
__イレーネ…?…ではないか…、同じ気配だが…。
__おにいさん、どうしたの?
愁いを帯びた瞳に、子供が心配そうに尋ねる。男性は哀しげに微笑んで子供の頭を撫でた。
__昔、とても大切な人を無くしたんだ。…彼女を偲んでいた。
__ふぅん。じゃあね、こんどあったときにまたいっぱいいっぱいすきになれば、しあわせだよね!
にっこりと笑って言う子供に、男性が息を呑む。奇しくも昔、大切な人から言われた言葉と同じだった。
――来世で再び出会い、結ばれたら幸せだと思いませんか?――
__あぁ…。君だったのか…。
__?…どうしたの?
子供が不思議そうに首を傾げ、小さな手が男性の手を握る。男性が子供の手を握り返す。膝をついて子供と視線を合わせた。
__待っていて欲しい。必ず、お前を見つけ出そう。
男性が子供の頬を撫でて微笑む。子供は未だに不思議そうに男性を見詰めていた。2人を包むように柔らかな風が吹き、子供の肩まである髪を揺らす。
__幾年が過ぎても、何度生まれ変わろうとも。譬え輪廻を歪めてでも。
男性が子供を抱き上げて子供の額に自分の額を合わせ、目を閉じる。子供も同じ様に目を閉じた。
__その時はもう一度、我の名を呼んで欲しいのだ。ヴィル、と。
男性が目を開け、子供を地面にそっと降ろした。ズボンのポケットから男性の瞳によく似た、紫の宝石が付いたブレスレットを子供に持たせる。
__再び、巡り合える様にこれを渡そう。…お前を導いてくれる筈だ。
子供がブレスレットに視線を向けると、付いている石が輝き出す。男性が一歩下がって微笑んだ。その顔には哀愁は窺えず、ただ優しげに子供を見ていた。子供が輝きと共に消える。
__イレーネ…今度こそ必ず、君を幸せに…。
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目を覚ますと外はまだ暗く、起きる時間にはまだ時間がありそうだった。先程見た夢を反芻する。何度か見た夢の男性はやはり初代皇帝で、伊織も幼い頃に会った事がある。あの頃はまだ母に言われるまま髪を伸ばしていたから、きっと女の子に間違えただろう。結局、女になったのだけど。
あの後、伊織はどうしたのだろうか。ブレスレットは手元になかったし、あまり良く覚えていない。
ヴィルフリートを起こす前にもう一度眠る事にして、目を閉じる。すぐに訪れた眠気に安堵しながら、再び眠りについた。
(…あの人の名前、何だったっけ…ヴィル…うーん。)
再び目を覚ますと、ヴィルフリートはもう起き上がってお茶を飲みながら書類を見ていた。伊織が起きたのに気が付き、髪を撫でてくれる。
「夜半に目が覚めていたようだが、よく眠れたか。」
「…おはようございます。よく気が付くよね。ちゃんとぐっすり眠れたよ。」
どうやら夜中に起きていたのはお見通しの様だ。伊織が上半身を起こすと、水の入ったコップを差し出してくれた。水を飲みながら、ちらりとヴィルフリートを窺う。好きになった贔屓目なのか、書類を見ている真剣な横顔がすごくカッコいいと思う。
(うーん…やっぱりなんで僕なのか分かんない…記憶、あるのかなぁ…)
飲み干したコップを片手にクッションに倒れ込んで、うつ伏せになる。横からコップを取り上げられた。
「どうした。何か不調があるのか。」
頭を撫でられて、うつ伏せのまま首を振る。確かに不調はある。下腹部がつきつきと少しだが痛いし、腰が重い。だがそう言う事ではなく、何か釈然としない。
「…ヴィルさんは、僕が僕じゃなくても好きになった?」
「急にどうした。」
ヴィルフリートが書類とカップをサイドテーブルに置き、伊織の顔を覗き込んでくる。夢に見た人と同じ顔。自分はヴィルフリートよりもヴィルフリートに似たあの人が気になるのか。確かにあの人の方が先に出会っていた。
「そのような顔で見詰められては、喰したくなるな。」
(…やっぱり、ヴィルさんだから…好きなんだよね…?)
切なげにヴィルフリートを見詰めながら自問自答して、納得と共に頷く。ヴィルフリートは眉を顰め、伊織の頬を軽く指で突いた。
「一体なんなのだ。」
「なんでもない!ヴィルさんが一番…だよ。」
ヴィルフリートの手を取って自分の頬に添え、誤魔化した。ちょうどノックの音が聞こえ、ヴィルフリートが返答する。
「失礼致します。…陛下、ライヒアルト様がイオリ様に会いたいと申されておりますが…」
「…何度目だ。」
ヴィルフリートが眉を寄せて、ギルベルトに尋ねる。伊織がヴィルフリートの手をそっと離し、身体を起こす。
「今回で5回目でございます。…そろそろ断るのは難しいですね。」
「…解った。9刻に執務室に来る様、言うがいい。」
伊織が話についていけずに首を傾げていると、ヴィルフリートが伊織の頭を撫でる。
「…伊織のもう1人の後見人だ。泉の管理もしている。」
「…僕、そういえば後見人の人達に会った事ないんだけど…?」
伊織がハッとしてヴィルフリートに聞くと、ヴィルフリートが判り易く顔を顰めた。
「…彼奴等は面倒なのでな。」
「面倒って?」
ヴィルフリートがはっきりと表情を変えるのが珍しく、伊織はつい身を乗り出した。ヴィルフリートが立ち上がって、背を向ける。
「自分達の娘になったのだから、後見人のどちらかの邸に住まわせろと言っておるのだ。」
「…あれ?僕がお城で暮らしてるのって、監察対象だからだよね?」
ヴィルフリートの言葉に引っかかりを覚えて首を傾げる。ちらりとギルベルトを見ても無表情のままで、伊織には真偽は分からない。ヴィルフリートの溜め息が聴こえた。
「イオリの立場はまだ決定しておらぬ。だが、高位爵の後見人がいる事で貴族令嬢になる。」
「…まだ何か隠してるよね?」
伊織がジトリとヴィルフリートの背中を見詰めると、ヴィルフリートが振り返った。その顔の眉間には皺が寄っている。
「…一部の貴族が余に妃を娶らそうと躍起になっておる。伊織の存在を邪魔に思っているだろう。城は人の出入りが激しい。その為、後見人達が保護を申し出ている。」
ヴィルフリートの妃と聞いて、伊織の表情が曇る。ヴィルフリートの言う事にも身に覚えがある。例の動物の死骸もその手の嫌がらせだったのだろう。
「伊織を城に住まわせ、後見人を付けてからも何度か要請されてはいたが。…エディト・リーネル、アーデルハイト・ローゼンクランツと、有力候補がいなくなった事で危険度が増した筈だ。」
「…ちょっと待って、もしかして…僕の護衛騎士って…」
伊織が気付いた事を思わず口に出すと、ヴィルフリートが頷いた。
「じゃあ、ディーゲルマン家の邸で暮らしたらいいって事?」
「城よりは安全だが確実ではないな。今回保護すると言っているのはライヒアルト・グリュンマー…神官長だ。既婚者だが、邸ではなく神殿で保護となる。」
ヴィルフリートが途端に不機嫌そうに顔を顰める。伊織にはどういう事か分からず、困惑して首を傾げた。
「神殿に保護されると、陛下とは中々お会いできなくなるかと。」
ギルベルトが補足してくれたが、内容に伊織が俯く。
(…会えなくなっちゃう…?)
急に込み上げる不安感と悲愴感に顔を上げて、ヴィルフリートを縋る様に見詰める。ヴィルフリートに頬を撫でられた。
「…イオリが厭だと言うのなら、余が黙らせる事は可能だ。イオリは、余の妃は厭か。」
ヴィルフリートさんのプロポーズ(笑)




