こうしてシンデレラは、お城の宝物庫からまんまと宝石を盗み出したのでした。めでたしめでたし
第1章:狂騒のスコア
朝の光が、伯爵家の豪奢な屋敷の片隅にある、薄暗い厨房の暖炉に差し込む。 パチ、と爆ぜた炭の音と同時に、そこに丸まっていた薄汚れた布がもぞもぞと動き出した。
「ふぁ……朝れす」
布を跳ね除けて起き上がった少女――シンデレラは、小さくあくびをした。 彼女の衣服は煤で真っ黒に汚れ、自慢の髪にも灰が白く積もっている。シンデレラは立ち上がると、慣れた動作で自分の体を両手でパンパンとはたき落とした。毎朝の、お決まりの儀式だった。
実母が亡くなり、この屋敷に新しい母親――マダム・ルショルと、その連れ子のジュリ、ラインがやってきてから、シンデレラの生活は一変した。彼女たちはシンデレラから部屋を奪い、まともな食事を奪い、すべての家事を押し付けた。
最初の頃は、幼いシンデレラも混乱し、パニックに陥った。なぜ面識もない大人や姉たちから、これほどの悪意を向けられなければならないのか、と。だが、地頭のいいシンデレラはすぐに結論に達した。
『抵抗する方法もないのに、それに傷ついても無意味れす』
だから、彼女は心に強固な自己暗示の鍵をかけた。
これは虐めではない。お姉様たちが「遊んであげてる」と言うのだから、これは高度な遊びなのだ。
下働きをさせられているのは、将来のための鍛錬であり、実務を通して世事を知るための素晴らしい学びなのだ、と。
実際、シンデレラが完璧に整えた庭や、ピカピカに磨いた床を見て、下男下女や厨房の人々が喜んでくれるのは、純粋に嬉しかった。何より、しばらくして気付いたのだ。
継母たちに殴られても、彼女たちには驚くほど腕力がないので、ちっとも痛くない。物を投げられても、スピードも威力もなさすぎるので、簡単に受け止めて投げ返すことができる。
(今日も、たくさん学ばせていただくのれす!)
シンデレラは笑顔で、バケツと雑巾を手にした。 彼女の動きは独特だった。走るのも、掃除をするのも、すべての動作が「ゆっくり」なのだ。それは、与えられるわずかな食事のカロリーに対して、日々の労働で必要な運動量が多すぎるため、シンデレラが極限まで追求した「動作の効率化」の結果だった。
無駄な力みを一切省いたそのゆるやかな動きは、達人の演武のようであり、同時に恐ろしいほどのタフさを彼女の肉体に植え付けていた。
しかし、周囲の認識は違った。物覚えが良く、何でもそつなくこなす割に、いつまで経っても幼少期の舌足らずな滑舌の悪さが治らない。何か意見を求められても、ポヤポヤとしたお花畑のような顔で「よく分からないれす」としか言わない。バカにされても嬉しそうに笑っている。あえて口調が治るのを意識的に止めていたそのせいで、屋敷の人々はみんな「この子はちょっと頭が弱いのだ」と思い込んでいた。
「おい、シンデレラ! 何をのろのろしているの!」
甲高いいびり声が響く。義姉の妹、ラインだった。 「シンデレラ(灰まみれのエマ)」――それが、彼女たちがシンデレラにつけた蔑称だ。エマとは、この国ではありふれた平民の娘の名前。貴族の娘でありながら平民以下だと蔑むための呼び名だったが、シンデレラ自身は「呼びやすいので、これでいいれす」とすっかり気に入って自称していた。ちなみに父親は彼女に無関心なため、本名で呼ぶことなど一度もない。
「ラインお姉様、おはようごらいますれす」
「相変わらず締まりのない顔ね。……ねえ、もうすぐお城でシャルム王子の成人を祝う舞踏会が開かれるのは知っているでしょう? 私たちはお呼びがかかるのに、あなたみたいな汚物は留守番。可哀想だから、舞踏会に行けないあなたの髪を、私が綺麗に整えてあげるわ!」
ラインはそう言って、背後に隠していた大きな裁ち鋏をギラリと光らせた。陰険な笑みを浮かべ、シンデレラの頭髪のド真ん中に鋏を突き立てる。
ザクッ! ザクザクザク!
容赦なく刃が走り、シンデレラの頭頂部から前髪にかけての髪の毛が、勢いよく床に落ちた。鏡の前に突き飛ばされたシンデレラの頭髪は、見事な「落武者ヘア」になっていた。真ん中だけが綺麗にハゲあがり、左右の髪だけが虚しく残っている。
「ひゃははは! 似合うじゃない、シンデレラ!」
ラインは大爆笑した。これだけの嫌がらせをすれば、さすがの知恵遅れでも泣き叫ぶだろう――そう期待して。しかし、鏡に映る自分の姿を何度も角度を変えながら見つめていたシンデレラは、突如、興奮したように鼻息を荒くした。
「……! かっこいいれす! かっこいいれす、お姉様!」
「え……?」
「強そうれす!カッコいいれす! こんなステキな髪型にしてくれるなんて、お姉様、わかってます!」
「そ、そう……。気に入ってもらえて、私も、嬉しいわ……?」
予想外すぎる狂気的な反応に、ラインは数歩、後ずさりした。本気で気味が悪い。逃げようと扉へ足を向ける。しかし、その背後に、シンデレラが「ゆるり」と音もなく回り込んでいた。
「お揃いれす」
「ひっ――」
「お姉様、仲良しれすから、わたしもお姉様の髪をかっこよくしてあげるれす」
「え、いや、私はいいわ! ちょ、何よこの力――動けない!?」
ラインは悲鳴を上げた。シンデレラの細い腕にガシッと押さえつけられた瞬間、まるで鉄の万力で固定されたかのように、指一本動かせなくなったのだ。廊下からその様子を覗いていた姉のジュリは、シンデレラの底知れない笑顔と怪力に本能的な恐怖を察知し、とっくの昔に脱兎のごとく逃げ出していた。
「動くと危ないれすよ、お姉様。ゆっくり、ゆっくりれす……」
ザク、ザク、ザク、と心地よい鋏の音が厨房に響き渡る。 数分後。そこには、シンデレラと全く同じ、見事な落武者ヘアにされて涙目で震え上がるラインの姿があった。シンデレラは鋏を置き、ポヤポヤとした笑顔で、これ以上ないほど満足そうに手を合わせた。
「お揃いれす! 仲良しれす! とっても、うれしーれす!」
* * *
その日の夜、ルショル伯爵家の厨房に忍び込む一つの影があった。 黒いワンピースにとんがり帽子。いかにも魔女です、という格好が妙に嘘くさい。その美女の正体は隣国の大物スパイだった。シンデレラは「魔女さん」と呼んでいる。ひょんな事から知り合いになった、シンデレラの秘密のお友達である。と同時に、シンデレラの大ファンでもあった。「魔女さん」はほとんど毎晩、夜になるとこうして、シンデレラに会いに忍び込んでくるのだ。
その日の夜もいつものように厨房へ忍び込んできて、――絶叫した。
「ちょっとお待ちなさい、その頭はどうしたの!? 誰にやられたの!?」
「お姉様とお揃いれす。とてもかっこいい」
涙目を浮かべてショックを受ける魔女さんを横目に、シンデレラは差し出された「ただの甘いジュース(少量の酒入り)」を喉へと流し込んだ。
ごくり、と込み上げたものを飲み干した瞬間――少女のポヤポヤとしたお花畑のような表情が、水面に浮かべたハンカチがゆっくりと水没していくように、みるみる内に消失していく。
「魔女さん、手鏡を貸してください」
「え? ええ、どうぞ……」
魔女さんから鏡を受け取ると、シンデレラは自分の頭を右から左から、ためつすがめつ満足そうにながめ回した。
「うん。やはりこれはいい。この発想はなかった。クールだ。あの小さい方のクズも、たまにはいい仕事するではないか」
「どこがいい仕事なのよ。ああ, なんてひどい……女の子の髪をこんな風にするなんて……」
魔女さんが本気で悲しそうに顔を覆うが、頭いいモードのシンデレラは不敵に鼻で笑った。
「ひどくはないだろう。まあ、あの小さい方のクズの様子を見ると、どうやら一般的には受け入れがたい髪型のようではあるが。この格好良さが分からないなど、私から見るとそちらの方が不幸だ。まあ、愚昧な者がその視野の狭さから足元に転がる宝石を見落とすなど、今に始まった事でもないか」
いつもの横柄で自信に満ちた態度で、自慢げに落武者頭を撫でさするシンデレラ。 魔女さんはそのズレた感性と圧倒的な尊大さに圧倒されつつも、「本当に面白い子……」とため息をつくのだった。
* * *
それから、数日後のこと。 シンデレラは屋敷の厨房で、食材の棚をポヤポヤとした顔で見上げていた。
「おやさいとピリピリするヤツ、買ってくるれす」
唐突にそう呟いたシンデレラに言われ、厨房長はぐるりと厨房の材料を眺めた。そして、ハッと何かに気づいたように顎に手を当てる。
「ふむ。そういえば次の週末は旦那様の親戚が集まる日だな。よし、それじゃあ肉料理に合わせる根菜と、ソースに使う例のピリピリするヤツ、買ってきてくれるか」
彼女が何気なく呟いた稚拙な単語が、厨房長の脳内で週末の予定と在庫の不足を完璧に結びつける。自分で気づいたと思い込んでいる厨房長を前に、シンデレラは無邪気に胸を張った。
「まかせるれす。いってくるれす」
「おお、まかせた。さすがシンデレラは頼りになるな。気をつけていってこいよ」
「まかせるれす。いってくるれす」
「お、おう。いや、それはもう、聞いたから。まあいいけど」
少し壊れた玩具のように同じセリフを繰り返すシンデレラを見て、厨房長は苦笑いしながら首を振った。相変わらず仕事は早いが、やはり少し頭が弱いのだな、と。
そんな周囲の侮りを心地よく背中に受けながら、シンデレラはいつもの小汚い格好(といつもとはちょっと違うカッコイイ落武者ヘア)で、自発的に王都の目抜き通りへと「ゆっくり」と歩き出した。本人は至って平気だ。
その時、前方の通りがにわかに騒がしくなった。豪華な装飾が施された、王族の馬車が通りかかったのだ。周囲の平民たちが慌てて道を開けようとする。
「おい、どけよ間抜け!」
悪戯盛りの年長の子が、面白半分にシンデレラの背中をドンと強く押した。 だが、シンデレラの身体能力は下働きで極限まで鍛え上げられている。押された瞬間、彼女は驚異的な反射神経でその子供の服をガシッと掴み取った。自分が転ぶ勢いと体重をそのまま利用し、その子供を完璧なクッションにして地面に着地する。
「ああ、こりはこりは。ろーも、ありあとーごらいますれす」
子供を敷いたまま、シンデレラはポヤポヤとした顔でお礼を言った。しかし、そこは運悪く、進んできた馬車の間前だった。
ヒヒーーーンッ!!
突如手綱を引かれた馬たちが驚いて甲高く嘶き、巨大な車輪が激しく地面を削る軋み音を立てて、王族の馬車が急停車した。 馬車の窓が開いた。中に乗っていたのは、成人を間近に控えた第一王子、シャルムだった。外面だけは一丁前に華やかで魅力的に見えるが、その本質は傲慢で無能。王位継承戦の真っ最中でありながら、周囲の神輿として担がれているだけの男だ。
シャルム王子は、衛兵から馬車が止まった理由を聞くと、外のシンデレラを一瞥もすることなく、不快そうに言い放った。
「我が国にそのような汚物は存在しない。片付けろ」
それは「殺せ」という意味の冷酷な指示だった。 だが、すかさず周囲の家臣たちが青ざめて王子を諌める。
「殿下、お待ちください! 今は王位継承戦の最中、民の目の前で子供を殺すのはあまりにも心証が悪すぎます!」
「……チッ。ならば監獄へ放り込んでおけ」
シャルム王子は忌々しげに窓を閉め、馬車は去っていった。 衛兵たちに両脇を抱えられながら、シンデレラは心の中で低く舌打ちをした。
(殺しにきたら、その場で全員返り討ちにしてやるつもりだったのに。つまらぬ事だ)
結局、シンデレラは背中を押した悪ガキと一緒に薄暗い監獄へと放り込まれた。重い鉄格子が閉まる。しかし、シンデレラにとってこんな檻は何の意味も持たない。
数分後、看守が欠伸をしてほんの一瞬だけ目を離した隙に、シンデレラは音もなく牢の鍵を「ゆっくり」とした効率的な動作で外し、難なく脱獄した。一緒に放り込まれて呆然とする悪ガキを牢屋に置き去りにしたまま、彼女は何食わぬ顔で買い物の続きを済ませて屋敷へと戻った。
* * *
その日の夜。 一通りの家事を完璧に終えたシンデレラは、いつものように厨房の暖炉のそばで薄汚れた布にくるまっていた。
コンコン、と窓が小さく叩かれる。現れた魔女さんは、手慣れた動作でシンデレラを抱き上げ、こっそりと屋敷の外へ連れ出した。向かったのは、場末の静かな酒場の個室だ。テーブルには、温かい肉料理やスープが所狭しと並べられる。
「さあ、たくさんお食べ。あと、これはただの甘いジュースだからね」
魔女さんは慈愛に満ちた目で、一杯の綺麗なカクテルを差し出した。ほんの少しだけアルコールが入った、至高の「サービスタイム」の始まりだ。 シンデレラがそのグラスを喉に流し込む。
ごくり、と飲み干した瞬間――
やはりポヤポヤとした輪郭がゆっくりと溶けていく。頭に強制的なブレイクがかかる。
「魔女さん。いつもありがとうございます」
魔女さんがそのギャップに愛おしさを覚える間もなく、次の瞬間には、瞳に冷徹で圧倒的な知性が宿り、舌足らずな滑舌は跡形もなくなっていた。
「ふふ、どういたしまして。……ところで、今日のあなた、なんだか服の泥汚れがいつもと違うわね。それに、その手首にうっすらと赤い痕が残っているわ。あの屋敷のクズどもに無理やり拘束でもされたの?」
魔女さんが心配そうにシンデレラの手首を覗き込む。シンデレラはフン、と鼻を鳴らして自分の手首を一瞥した。
「ああ、これか。大したことではない。今日の脱獄は少々無駄な体力を使った。看守の質が低すぎてあくびが出るほどだったがね」
「あら、脱獄? また何か面白いことでもあったの?」
魔女さんが興味深そうに目を細めると、シンデレラは肉を切り分けながら、尊大に語り出した。
「昼間、この国の第一王子――シャルムとかいう無能な汚物に、馬車の前を通りかかったというだけで『汚物だから片付けろ』と殺されかけた。側近に止められたが、結局監獄行きだ。檻などいくらでも出られるから実害はないが……だからと言って、あの傲慢なバカに何もやり返さずにいるなど、私の矜持が許さない。……そう、私の矜持がね、囁くのだよ。こんな面白そうな事、絶対見逃すな、とね」
「あら、随分と手厳しいこと。でも、あのプライドばかり高い王子ならやりかねないわね」
魔女さんは楽しげに身を乗り出した。
「それなら、いい提案があるわ。あの王子が近々開かれる舞踏会のために、城の宝物庫から自慢の宝石を出させるように、私の手下を使って仕向けてあげる。そして、王子の警備の目の前で、王子のせいでその宝石が盗まれる……というのはどうかしら? 王位継承戦の真っ最中だもの、深刻なイメージダウンになるはずよ」
「ほう? 魔女さんが狙っているのは、その宝物庫にあるという『夜天の心臓』だな? 確か、貴様の国の研究室が喉から手が出るほど欲しがっている、貴重な魔宝石のはずだ」
「相変わらず何でもお見通しね。ええ、その通りよ」
魔女さんは降参というように両手を上げた。
「いいだろう、その話、乗ってやる。ただし条件がある」
シンデレラは不敵に微笑んだ。
「私がその『夜天の心臓』を盗み出して貴様に売り渡してやる。我が国の予算規模から見ても、大国であるお前の国なら、国家予算レベルくらいの小銭は出せるはずだ。その小銭、お前が以前、私に貢ぐために強引に開設して押し付けてきた、あの隠し口座にしっかりと振り込んでもらおう。否やはないな。ただの下働きの小娘でも、少しくらい小銭はもっていてもいいだろうと思っていたところだ」
「ふふ、いいわよ。元々あなたに不自由させないために作った口座だもの、いくらでも振り込んであげるわ、怪盗さん」
魔女さんはシンデレラの強欲でタフな交渉に、ゾクゾクとした喜びを感じていた。下働きの身でありながら、隣国の大銀行の隠し口座を当たり前のように使いこなすこの少女が、愛おしくてたまらない。
「よろしい。これで、一石二鳥だ」
シンデレラは実に見事な悪党の笑みを浮かべた。 魔女さんには、その「一石二鳥」の真意がまだ分かっていない。王子への復讐と、宝石の売却益で「一石二鳥」――そういう意味だと思っていた。それが間違いであった事を知ったのは、後日の事となる。
コテッと、シンデレラの頭がテーブルに落ちた。 アルコールが入ってから正確に10分。スイッチが切れたように、シンデレラは唐突に深い眠りに落ちたのだった。
「あら、もうサービスタイム終了?……本当に、私が生みたかったくらい可愛い子。舞踏会用の素敵なカツラ、最高のものを用意してあげるわね」
魔女さんは愛おしそうにシンデレラの落武者頭を撫整し、夜の闇へと消えていった。
第2章:零時のチェックメイト
第一幕:漆黒のステルス・パンプキンと、意識高い系落ち武者の敗北
ルショル伯爵邸の玄関前は、朝からひっくり返したような騒ぎになっていた。
「ライン! ジュリ! 早く馬車に乗りなさい! 王子様にお目通りする最高の機会なのよ!」
マダム・ルショルがヒステリックに声を張り上げる中、連れ子の妹ラインは、巨大な羽飾りがついた不自然なほど深い帽子をかぶり、血相を変えて手鏡を覗き込んでいた。数日前、シンデレラによって見事な「落武者ヘア」にされた彼女は、それを隠すためのセッティングに涙ぐましい努力を重ねていた。隣のジュリも、あの日のシンデレラの怪力と底知れない笑顔がトラウマになり、ずっと顔色が悪い。
そんな二人を、煤だらけの服を着たシンデレラは、いつものポヤポヤとしたお花畑の笑顔で見送っていた。
「ラインお姉様、とっても大きなお帽子れす! 行ってらっしゃいれす!」
「うるさいわね、この汚物! 留守番がお似合いだわ!」
遠ざかる馬車を眺めながら、シンデレラは胸の前でそっと手を合わせ、この上なく愛おしそうに呟いた。
「お留守番れす! 泥棒が入らないように、しっかり見張っているのれす!」
それから自分のあまりにも白々しいセリフに、ぷふっと吹き出す。 留守番もしないし、見張るつもりもない。なにより、泥棒が入ろうがどうしようがどうでもいい。こんなに本当の事が何もないセリフがあるだろうか、と思ったらちょっと面白くなってしまったのだ。
屋敷に一人残ったシンデレラのもとへ、音もなく一台の乗り物が滑り込んでくる。魔女さんが隣国諜報部の技術班に作らせた、一見すると華やかなかぼちゃの馬車――いや、車輪を排除し、魔法結界による完全な無音飛行を可能にした「隠密特化型ステルス馬車」だ。牽引するのは馬ではなく、馬ほどもある巨大な羽を持ったネズミのモンスター。
「さあ、お姫様。お迎えに上がったわよ」
振り向いた少女の顔には、すでにポヤポヤとしたお花畑のような表情はなく、冷徹で尊大な本性をその小柄な身体全体であらわにしていた。
「フン。待たせたな、魔女さん。……おい、何だこの邪魔な代物は」
シンデレラは魔女さんが用意した最高級のシルク混の高級カツラを忌々しげに睨みつけた。
「変装用に決まっているでしょう? その頭のまま城に行ったら一発でバレちゃうわ」
「そうか。しくったな。いや待て。本当にそうか? この髪型は私だけでなく、あの小さい方のクズもしているのだぞ。今ごろは貴族のご令嬢の間で流行っていたりしてる可能性も」
「そんな訳ないでしょう。確かに珍奇が好まれる傾向はいくらか見られるけど、さすがにこれはないから。ほら、ドレスを着て、ガラスの靴も履いて」
「全くこの髪型のかっこ良さがわからぬとは、つくづくこの国の人間は意識が低い。……だが、ガラスの靴はいい。中空のヒール部分の屈折率が完璧だ。盗み出した『夜天の心臓』を仕込めば、外からは完全に視認できなくなる。城の魔力検問を堂々と履いて通り抜けられる、究極の密輸ケースだな」
ドレスを纏い、ガラスの靴をカチリと鳴らしたグラスは、不敵に微笑んだ。
「あとこれなんだけど」
そう言って魔女さんが差し出してきた紙片を受けとる。
「予告状か」
「署名、入れときたいわよね?」
「当然だ。無記名の予告状では説得力に欠ける。こんなバカな手でも、あの低能王子ならあっさり引っ掛かってくれそうだからな。しかしそうか、名前か……」
呟きながら、足元のガラスの靴(glass slipper)に目をやる。
「グラスでいいだろう。怪盗グラスだ」
「わかっわ。それで出しておくわね」
話が決まるとシンデレラは、もう興味がないと言わんばかりにその紙片を魔女さんに返して、視線を王城の方に向けた。
「さあ、無能な王子から至宝を拝借しに行こうか」
第二幕:虚を突くチェックメイトと、冷徹なる学者の眼
王宮の舞踏会会場は熱気に包れていた。 主役であるシャルム王子は、胸元に飾るはずの至宝『夜天の心臓』を特注の『鉄の金庫』に収めたまま、高みの見物を決め込んでいた。すべては、彼の元に届いた「今宵の零時、『夜天の心臓』をいただきに参上する」という予告状のせいである。
「ハハハ! 泥棒のくせにわざわざ時間を指定してくるとは、随分と脳が足りないらしい。その時間に合わせて警備を最大にすれば済む話だからな。私の完璧な論理の前に、怪盗など恐るるに足らん!」
王子はワイングラスを傾け、周囲の貴族たちに傲慢な笑い声を響かせていた。しかし、その遥か後ろで、宝物管理部門の長であるカイル卿だけは、冷ややか極まる視線を王子に投げ、心底から呆れ果てていた。
(……この王子は、本当にバカじゃないのか?)
カイル卿は、若くして学士の資格を持つ本物のプロフェッショナルだ。泥棒の言葉を真に受ける王子のめでたい頭脳に付き合う気など、毛頭なかった。
(『零時』という言葉を馬鹿正直に信じて、それ以外の時間の警戒を緩めるなど自殺行為だ。むしろ、よくこんな見え透いた手に引っ掛かる事が出来るものだな。逆に感心する)
「殿下、私は独自に宝物庫の警戒を強化します。万が一のことがあってからでは遅い」
「ふん、カイルは心配性だな。好きにするがいい」
王子の鼻で笑うような態度を一瞥し、カイル卿はすぐに数人の優秀な直属の部下を引き連れ、王子の指示を無視して独自に宝物庫へと走った。
三重のロックが施された『鉄の金庫』の前にたどり着く。扉にこじ開けられた形跡はない。だが、カイル卿は自身の知性を信じ、厳重に鍵を開けて中のビロードの箱を取り出した。そして、中身を見た瞬間――カイル卿は呆れと諦めの混じった重いため息を吐き出した。
「……やはりか。あのバカ王子の言う通りにしていたら、国が滅ぶな」
箱に収まっていたのは、確かに眩いばかりの光を放つ大粒の宝石だった。しかし、歴史と宝石の本質を極めたカイル卿の目は絶対に騙せない。この石は、シャンデリアの光を浴びてギラギラと表面だけを主張しているが、内側から放たれるはずのあの神秘的な燐光が、完全に消え失せている。
「偽物だ。……それも、今さっきすり替えられたばかりの、極上の紛い物だ!」
カイル卿はすぐさま周囲の警備兵に鋭い、的確な指示を飛ばした。
「王子に報告しろ! 予告時間などただの飾りだ、奴は最初から時間を守る気などなかった! 我々が『零時』という数字に囚われる心理の死角を突き、すでに仕事を終えている! 会場を直ちに完全封鎖しろ!」
宝物庫から響いたカイル卿の怒号のような警告が、煌びやかな舞踏会会場へと伝播していく。零時を待たずして、王宮は一瞬にして「怪盗がすでに紛れ込んでいる」という狂騒の渦へと叩き落された。
パニックに陥り、顔を真っ青にして喚き散らす王子の姿を、会場の片隅から見つめる一人の令嬢がいた。カツラで落武者ヘアを完全に隠し、周囲の喧騒などどこ吹く風で、ゆっくりと、極めて効率的な足取りでテラスへと歩を進める。
その口元には、傲慢な王子を完璧にハメ落とし、さらに鋭い動きを見せたカイル卿のキチンとした働きぶりを「よしよし、そうこなくては」と楽しむような、冷徹で不敵な笑みが浮かんでいた。
第3章:怪盗グラスの夜会――あるいは、愚か者たちの自滅について
第一幕:マスタープランと、最初の交換
きらびやかな王宮の舞踏会場。ハエのようにまとわりついてくる愚鈍な王子を適当にあしらい、一曲踊り終えたシンデレラは、優雅にステップを踏みながらテラスの闇へと滑り込んだ。扇で口元を隠しながら、鋭い視線を会場の境界へと走らせる。
「うむ。さすが警備兵ともなると、あのバカ王子みたいなわけにはいかないな。いい仕事をしている」
会場の出口は、すでに警備兵たちによって静かに、しかし完璧に包囲されつつあった。いい仕事をしているのを見るのは気分がいい。
シンデレラは、自分の足元に視線を落とす。そこにあるのは、夜気を含んで妖しく煌めく、クリスタルガラスの靴。
「中に何が入っているのか分からなくするのではなく、中に何も入ってないように見える靴か。魔女さんの国は面白いものを作る」
ガラスの靴のヒールに秘宝『夜天の心臓』を仕込む――これこそが、誰もが「透明だから何も入っていない」と思い込む心理の死角を突いた、彼女のマスタープランだった。警備の包囲がここまで早いのは想定外。だが慌てる必要はない。こういう時のために、彼女はとっておきのリカバリープランを用意していた。まあ、だからつまり、実はそれほど想定外でもないのだが。
そのリカバリープランのターゲットは、闇の中からこちらのドレスを羨ましそうに睨みつけている義姉、ジュリ。
普段のシンデレラは小汚い格好をしており、容姿も、目を離した瞬間にどんな顔だったか思い出せなくなるレベルで、見るからに凡庸なものだった。そのため、最高級のドレスとメイクで着飾った今のシンデレラは、ジュリの目には「どこかの見知らぬ超絶美少女」にしか映っていない。
(ジュリか。こいつは都合がいい。自分の事を頭がいいと思ってるバカは殊更に扱いやすい)とシンデレラは心の中で喜びつつ、その喜びを抑えて傲然たる足取りで、哀れな義姉へと歩み寄った。
「おい、そこの愚か者」
「えっ……どなたかしら?」
しらばっくれながら、気圧されたように身を縮めるジュリに、シンデレラは尊大な口調で言い放った。
「ふん、王子などという気持ちの悪い男に言い寄られて少々辟易してな。というか、なんだあの王子は。こんな小さな娘にまで欲情するなど、まともではないぞ。ロリコンという奴か? それともそれがこの国のスタンダードなのか? まあ、それだけこのドレスの魔力が凄まじいという事なのかもしれないが。……どうだ? 貴様のその器量なら、これをまとえば、私などよりよっぽど映えるだろう。そうすれば、どうだ、あの若造など一網打尽にできるのではないか? 貴様が望むのなら、交換してやる事もやぶさかではないのだが」
「えっ……!? ほ、本当ですか!?」
ジュリは目の前の超絶美少女が義妹だとは夢にも思わず、降って湧いた幸運と欲望のままに飛びついた。こうして最初の衣装交換――『夜天の心臓』入りのガラスの靴の譲渡は、呆気なく完了した。
第二幕:張り巡らされる噂と、悪知恵の心理戦
ジュリの地味なドレスに着替えたシンデレラは、すぐさま会場の雑踏へと紛れ込んだ。そして、貴族たちの間で小鳥の羽ばたきのように、密やかな囁きを落としていく。
「――聞いたか? 犯人はどうやら、美しい『ガラスの靴』を履いているらしいぞ」
「――ガラスの靴だって? では、あの靴を履いている者が……」
噂の伝播は一瞬だった。何も知らずにガラスの靴を履き、得意満面で会場を歩いていたジュリは、周囲の突き刺さるような視線とヒソヒソ話の内容に、瞬時に血の気が引いた。
(嘘、犯人がガラスの靴!? じゃあ、これを履いている私は……!)
パニックに陥ったジュリは、右に左に視線を忙しくさせ、さきほどドレスを押し付けてきた令嬢の姿を探した。そしてすぐに見つける。会場の片隅を、のんびりと歩いていた、先ほどの超絶美少女を。ジュリは猛烈な勢いで詰め寄った。
「罠にはめたわね! 罪をなすりつけられるなんて冗談じゃないわ。すぐに服を交換して!」
ハァハァと息を荒げるジュリに対し、シンデレラは噂など露ほども知らないといった風に、小首を傾げてみせた。
「罠? 罪? ……なんだね藪から棒に。何を言っているのかよくわからんが。そんなにそのドレスが気に入らないというなら、元に戻すかね?」
その態度を見て、ジュリの脳内に浅薄な計算が走る。
(……あ、この女、まだ噂の広まりを知らないんだわ! 服を戻そうなんて言うくらいだから犯人でもないのだろうけど。これはきっと、本物の犯人が現場を撹乱するために流したデマに違いないわ!)
ならば、とジュリの顔に卑劣な笑みが浮かぶ。さらにシンデレラは、お気に入りのオモチャを甘やかすように尊大に畳みかけた。
「……しかし見た所、貴様はまだ、その衣装で王子様に声をかけてもらっていないのではないか? 一度くらい見てもらってからにしたらどうだろうか」
(やっぱり何も分かっていないバカだわ! よし、このデマを利用して、泥棒の疑いごとこの女になすりつけておこう!)
ジュリは内心で邪悪にほくそ笑むと
「いやいや、私もやっぱりそういうのよくないと思うので、このドレスはやっぱりお返しするわ」
と慌てて、人並みの分別を装うような言い訳を口にした。
ジュリは大急ぎでドレスと靴を引っ剥がすようにしてシンデレラに戻した。
「ふん、そうかね」とシンデレラは無表情を保ったまま、ガラスの靴にそっと足を通す。ヒールの奥で、光の屈折に隠された『夜天の心臓』が、無事に彼女の元へと【回収】された。
こうして彼女のリカバリープランは完遂されたのだった。
第三幕:社会的自滅と、働くおじさんの憂鬱
ドレスを元に戻し、これで安心だと胸をなでおろしたジュリだったが、彼女は既に決定的な致命傷を負っていた。周囲の貴族たちは、一度確実に「ルショル家のご令嬢がさっきまでガラスの靴を履いていた瞬間」を目撃していたのだ。
「おい、見たか? ルショル家のご令嬢がさっきまでガラスの靴を……」
「今になって慌てて別の令嬢に服を戻して、罪をなすりつけようとしているぞ」
「恐ろしい娘だ。あの娘らしいといえばあの娘らしいが……」
一度出来上がった「ジュリ=犯人」のイメージは、彼女の普段の行いの悪さとも相まって、強固な事実へと変貌していく。
そこへ、騒ぎを聞きつけた警備兵がやってきた。彼らはプロなので、噂一つで即座に組み伏せるような真似はしない。丁寧な足取りでジュリに近づき、声をかけた。
「失礼、ルショル伯爵令嬢。少々、お話を伺いたいのですが」
「な、何よ! 私は犯人じゃないわ! 犯人はあそこにいる……って、いない!?」
ジュリが慌てて周囲を見回すが、すでにシンデレラは完全に気配を消して雑踏に消えていた。ジュリがヒステリックに喚き散らし、同行を拒否するほど警備兵たちの疑惑は強まっていく。
「分かりました。それでは後日、書類を揃えまして、正式に出頭の依頼をさせていただきます」
「な、出頭!? なによそれ。人を犯罪者みたいに……!」
ジュリは顔を青くさせて叫んだ。
彼らの遥か後ろでは、宝物管理部門の学者であり、バカな王子のせいで無理やり現場指揮を執らされているカイル卿が、いちいち的外れな指示を仰いでくる王子の息がかかった無能な警備兵本隊に、心底迷惑そうな顔をしていた。
眉間のシワが「それは俺の仕事じゃねえ」と言っているが、指示を請われれば答えないわけにもいかない。答えながら、この国ももうダメかもな、と思った。盗まれた「夜天の心臓」も、おそらくもう戻ってこないだろう。いっそ隣国にうつるのも手かもしれない。
結末:愚か者たちの収支決算
舞踏会の翌々日。 ルショル伯爵邸、火の気の消えた誰もいない厨房。その傍らに、シンデレラの姿があった。
すでに『夜天の心臓』はガラスの靴から取り出され、闇ルートの魔女さんの手によって莫大な金貨へと姿を変えていた。ガラスの靴そのものも、跡形もなく処分されている。
当然、邸内から盗品の現物は何も出てこなかった。しかし「ジュリがガラスの靴を履いていた」「マダム・ルショルが『夜天の心臓』らしき怪しいものを持っているのを見た」という、使用人たちや貴族たちの悪意混じりの証言が山ほど衛兵所に届けられていたため、王室の警備を預かる者としての執るべき手段は一つしかなかった。
「盗品をどこに隠匿したか白状させる」ため、マダム・ルショルを容疑者として正式に勾留し、厳しい尋問にかけること。
なお、ジュリの潔白はすぐに晴れた。出頭命令が発令されることすらなかった。自宅の屋敷で事情聴取されただけだ。シャルム殿下が、かつてガラスの靴の本来の持ち主であった隣国の令嬢の存在をうっすら覚えていたからだ。それがなくても、そもそもガラスの靴と犯人を結び付けるものが、どこから出てきたともしれない怪しげな噂だけだったのだから、潔白もなにもないのである。上司に出頭命令の申請をした警備兵は、理由をきかれてさぞシドロモドロだったろう。
元々、シンデレラにとってジュリたち義姉は、わざわざ追い詰めるほどの相手でもなかった。敵ですらない。適度な敵意でちょうど良い刺激を与えてくれるオモチャ。そう簡単に壊れてもらっては困る。
「ああ、私の愛しい人! なんという冤罪だ! 誰か、妻の無実を証明してくれ!」
屋敷の廊下では、継母が連行されて以来、夫であるルショル伯爵が取り乱して右往死往していた。人脈を頼ろうにも「泥棒の身内」となったルショル伯爵に手を差し伸べる貴族などおらず、情けなく汗を流して走り回るばかり。
シンデレラは部屋の隙間から、無表情にその様子を眺めていた。 人は、本当に美味しいものを食べている時、無表情になるという。そんな無表情だった。
さらに、王宮からも小気味良いニュースが届いていた。今回の夜会で、家宝である『夜天の心臓』を自慢のために勝手に持ち出し、まんまと怪盗グラスに盗まれたシャルム王子。彼のやらかした大失態は、宮廷内で激しい非難の的となっていた。
「国の至宝を、女を口説く道具にして盗まれるとは何事か!」
「このような愚か者に、次期国王の座を任せられるわけがない!」
王子は王位継承戦において深刻極まるマイナスポイントを叩き出し、他の兄弟たちから完全に突き放され、すっかり失脚ルートへと叩き落されていた。今頃は国王から直々に激しい叱責を受け、部屋で泣きべそをかいているに違いない。
「シャルム王子は自滅して失脚。高慢なマダムは牢屋で尋問に震え、親父殿は無駄骨を折って右往左往……か」
そこに、いつの間に侵入したのか、魔女さんの影がふわりと忍び寄ってきた。
「ご感想は、どうかしら」
「無粋」
皮肉げな笑みを片頬に浮かべて、少女は答えた。
(了)




