ジュニア冒険者 ユイとギルド工房
わたしはユイ。
ジュニア冒険者をしている。
その日は、夕飯の手伝いをしていた。
まな板の上にはネギ。
いつもの包丁で、トントンと刻んでいく。
――はずだった。
刃を入れた瞬間、少しだけ、嫌な感じがした。
切れたネギを見る。
断面が、潰れている。
「あれ……?」
もう一度切る。
今度は、意識して押した。
それでも、同じだった。
切れていないわけじゃない。
でも、決まらない。
わたしは、包丁を止めた。
「どうしたの?」
後ろから、ママの声がする。
「ネギが……ちゃんと切れない」
短く言うと、ママはわたしの手元を覗き込んだ。
ネギを見る。
次に、包丁を見る。
じっと。
「なるほどね。ユイ、刃を見て」
言われて、包丁を傾ける。
「ほら。ここ、ギザギザになってるでしょう」
光の反射が、途中でわずかに乱れている。
「これは、研ぎ直しが必要ね」
そう言って、ママはコンロの方へ戻った。
「ちょうどいいわ」
振り返りながら言う。
「包丁、研いでもらいましょう。
それと……これもお願いしてみようかしら」
ママの手にあったのは、フライパンだった。
本来は黒い調理面に、ところどころ金属色が覗いている。
「コーティングが劣化してるの。
使えないわけじゃないけど、扱いにくくなってきたわね」
独り言みたいに言って、フライパンを置く。
包丁。
フライパン。
どちらも、壊れてはいない。
でも、前と同じではない。
「……直せるの?」
わたしが聞くと、ママは少し考えてから、うなずいた。
「たぶんね」
それから、思い出すように続ける。
「この前ね、家に来たチカちゃんのお母さんが話してたの。
ギルド工房に新しい機材が入って、旦那さんがスキルを取得したって」
ママは端末を取り出し、冒険者ギルドのアプリを開く。
「包丁は、いつもお願いしている人がいるから。
フライパンは、条件に合う人がいれば、受けてもらえるでしょう」
指先が、迷いなく動く。
クエスト発行。
「ママは、直せないの?」
わたしが聞くと、ママは少しだけ笑った。
「包丁はね。砥石を買って、スキルを身につければできるわよ。
一緒に学習クエスト、やってみる?」
「……うん」
「でも、フライパンは無理ね」
包丁を、布で丁寧に包みながら言う。
「包丁は削って整えればいい。
でもフライパンは、コーティングっていう膜を張らなきゃいけないの。
それには、専用の設備が必要なのよ」
別の包丁を取り出したママが言う。
「それじゃ、この包丁でネギを切ってくれる?」
「うん!」
わたしは改めてネギを切る。
今度は、刃を入れた瞬間から、いつもの感覚だった。
「単発クエストだからね。
実際に受けてくれる冒険者が現れるのは、早くても明日以降よ」
ママが言う。
「タイミングが合えば、一緒に行きましょう」
「うん。行きたい」
わたしは、素直にそう答えた。
道具は、使えば傷む。
だから、直す人がいる。
直すスキルと、直すための機材がある。
――それもまた、冒険者の仕事だ。
包丁のクエストに反応があったのは、翌日の午後だった。
学校が終わり、カバンを置いたあと。
ママの端末が、短く通知音を鳴らした。
「あ、受注されたわ」
ママが画面を見る。
「場所は……食品店ね。
向こうで研ぐみたい」
「お店で?」
「ええ。惣菜も魚も肉も扱うから、
研ぎ場とスキル持ちがいるのよ」
なるほど、とわたしは思った。
確かに。
毎日、切る人たちだ。
―――
放課後。
わたしたちは、商店街の奥にある食品店に向かった。
表には野菜。
中に入ると、惣菜の匂いと、魚の冷たい空気が混じる。
「こんにちは」
「はい、いらっしゃい」
声をかけてきたのは、白衣姿の男性だった。
奥の作業場から、手を拭きながら出てくる。
「包丁研ぎのクエストですね」
「はい。こちらです」
ママが包丁を差し出す。
男性は、すぐに刃を触ったりはしなかった。
まず、目で見る。
角度を変え、光を反射させる。
「……軽い刃こぼれですね。
でも、刃先が丸くなってる」
わたしは、その言葉で思い出した。
ネギの断面が、潰れていたこと。
「よくある状態ですよ」
男性はそう言って、作業場の奥を指した。
「こちらでやりますね」
ガラス越しに見える場所には、低い作業台と、
大きな砥石、給水用の設備があった。
家庭では、まず見ない光景だった。
男性は包丁を持ち、砥石を水で濡らす。
一定の角度で、刃を当てる。
しゃり。
音が、はっきりしている。
しゃり、しゃり。
規則正しい。
野菜を切る音とも、違う。
「お店だと、切り口が潰れるのは致命的なんです」
男性は、手を止めずに言った。
「繊維が潰れると、水が出る。
見た目も、味も落ちる」
なるほど。
わたしは、昨日のネギを思い出した。
「だから、包丁は道具じゃなくて、商品を作る部品ですね」
何度か裏表を替え、仕上げの砥石に移る。
音が、さらに静かになる。
最後に包丁を洗い、布で拭いた。
「はい。終わりです」
ママが、持ってきたネギを一本差し出す。
「少し、切ってもいいですか?」
「どうぞ」
刃を入れる。
すっ。
音が、消えた。
ネギは、押されることなく分かれている。
「……違う」
思わず、声が出た。
切れる、じゃない。
通る。
「これが、研ぎ直した刃ですね」
男性は、そう言ってうなずいた。
「使っていけば、また丸くなります。
そのときは、またクエストを出してください」
「ありがとうございます」
ママが頭を下げる。
―――
店を出たあと。
わたしは、包丁を包んだ布を見た。
家で使う道具。
でも、直したのは家の外。
切る人がいて。
直す人がいる。
それぞれが、自分の場所で仕事をしている。
放課後の商店街にも、
冒険者の仕事は、ちゃんとあった。
フライパンのクエストは、翌々日に受注された。
放課後。
ユイはママと一緒に、冒険者アプリのナビに従ってギルド工房内の指定場所へ向かった。
建物は一つじゃない。
倉庫のような外観が、いくつも並んでいる。
「ここが、ギルド工房よ」
ママが言う。
扉を開けると、空気が変わった。
家とも、食料品店とも違う匂い。
金属と油と、ほんのり焦げたような匂いが混ざっている。
中は広い。
そして、静かではない。
どこかで低い駆動音。
別の場所では、ガラスが触れ合う乾いた音。
机の上には、分解された機械。
棚には、形の違う部品や工具。
フライパンだけじゃない。
スマートフォン。
家電の外装。
木製の箱。
ガラスの器。
――直している。
――作っている。
ユイは、無意識に一歩、ママの後ろに下がった。
「こんにちは」
声をかけてきたのは、一人の男性だった。
作業着姿で、手袋を外しながら近づいてくる。
「フライパンの依頼ですね」
「はい。こちらです」
ママが、布に包んだフライパンを差し出す。
男性は受け取り、裏面、側面、そして調理面へと視線を動かす。
「劣化ですね。
基材は問題ないので、再施工でいけます」
淡々とした口調だった。
「受け渡しは明日ですね」
ママがうなずく。
「ユイ」
突然、名前を呼ばれ、視線を向けると
――チカがいた。
「こんにちは」
少し緊張した顔。
でも、目はきちんと前を見ている。
「また一緒?」
ユイは包丁術の学習クエストでチカと一緒になったことを思い出しつつ、意味が分からず首をかしげる。
「えっと……どうゆう意味?」
「あ、えっとね。
チカ、学習クエストで来てるの。械用術」
そう言って、隣の男性を指す。
「講師は、パパなんだー!」
「パパ? 中、入れるの?」
「うん!」
ユイは、少しだけ羨ましくなった。
「行ってきます」
チカはそう言って、工房の中へと入っていった。
*
「そっか……今日は一緒じゃないんだ」
チカは少しだけ残念に思いながら、ギルド工房を進む。
工房内はいくつもの部屋に分かれ、いくつもの機材が目に映る。
「さっきの女の子は学校の友達か?」
「ううん。
ちょっと前に学習クエストで同じだったの。
包丁術レベル4で」
「そうか。
じゃぁ、講義を始めよう」
父は言った。
「設用術のレベル1と2では、小型道具を色々触ったな。
レベル3からは、大型で、危険性のある設備を扱う。
今日は、ちょうどいい学材がある」
父は、先ほどのフライパンを指した。
「フライパンは単純だが、工程は多い。
修繕の基本が詰まっている」
ゴーグル型端末〈オルビー〉に触れる。
表示された工程に従い、専用設備へフライパンが固定される。
「工程は覚えなくていい。
オルビーが表示する。
だが――」
一拍。
「確認は、人がやる」
父は続ける。
「高温設備だ。
閉鎖よし。固定よし。施錠よし。
指差し確認は、声を出す。小声は禁止だ」
チカも、真似して声を出す。
「次に、表面処理。密着性を上げる工程だ」
「……この工程も機械が全部やるんですよね」
チカが聞くと、父はうなずいた。
「そうだ。でも――」
一拍。
「設定するのは人だ。
異常に気づくのも、人だ」
チカは、機械を見る。
「だから〈械用術〉がいる」
父は続ける。
「道具を“正しく使う”ための術だ」
チカは、深くうなずいた。
――なるほど。
「最後に、コーティング工程。
霧のように噴霧された素材が、均一な膜を作る」
父は機械が止まってから言う。
「これで完成だが、冷却と定着に時間が必要だ。
まだ手を出してはいけない」
チカは頷き、機械をじっと見つめた。
*
翌朝。
朝食を食べていると、インターホンが鳴った。
「ユイ、出てくれる?」
「はーい」
玄関を開けると、チカが立っていた。
フライパンを片手に持っている。
「昨日、どうだった?」
「すごかった」
少しだけ興奮した声。
「楽しかったよ。
直すものも、作るものも、いっぱいあって」
ユイは、工房の外観を思い出す。
――あそこも、冒険者の仕事場なんだ。
生活を支える仕事が、ある。
振り返ると、ママがいた。
「持ってきてくれたの? ありがとう」
フライパンを受け取る。
「はい。父の代わりに。じゃぁ、またね」
「またね」
道具は、傷む。
でも、直せる。
直す人がいて、直す術があって、直す場所がある。
冒険者の仕事は、
知らないところで、ちゃんと生活を回している。
――わたしは。
ユイは、胸の中で思う。
わたしは、どんな冒険者になろうかな。




