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灯火の誓い〜もう奪われたくない。ひとりで生きることを選んだ少年は、 雪解けの道で、行き倒れた少女に出会う  作者: 水瀬 理音
第一章 雪解けの出会い

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第六話 逃げる

 リセルは最初の男を殴り倒すと、二人目に肩から突っ込んだ。

 重みで崩れた体を踏み越えて、すぐにユルンを手に取る。

 三人目が剣に手をかけた瞬間、荷袋ごとその胸を叩きつけた。

 鉱石と毛皮の詰まった重みが、男の脇腹をえぐった。

 鈍い音とともに、体が折れ曲がる。


「立て!」


 リセルはエリシアの腕を掴んで引き上げると、そのまま扉を飛び出した。

 階段を駆け降りる足音が、木造の床を揺らす。

 拳が、男の顔にめり込む感触がまだ残っていた。

 体が勝手に動いた。そうするしかなかった。

 だけど、次の瞬間には、心の中を激しい後悔が襲った。


(何やってんだ俺は……)


 今まで、誰とも関わらずに済むように、ずっとやってきた。

 目立たず、争わず、見つからないように。それだけでよかったのに。

 生き延びるために、きつい背運びだってやってきた。

 もう少し稼げば、海路だって目前だった。――なのに。


(こんなとこで、こんな……! くそ!)


 リセルは歯を食いしばる。

 もう引き返せないところまで来てしまった――身体の奥がそう告げていた。だが、こうなってしまった今、捕まれば自分も終わる――。

 逃げ切るしかない。後悔は後からいくらでもできる。


 リセルはエリシアの手を引いたまま、宿の裏手を駆け抜けた。

 視界の端に、黒外套の影が一瞬よぎる。

(まずい、こっちも回り込まれてる)

 小道を一つ曲がると、板塀の脇に小さな排水口のような穴があった。


 そこから、村を横切るように石張りの浅い用水路が伸びている。

 かがんで通れるほどの高さの石造りで、上を半分覆うように石の梁がかかっているため、外から中はほとんど見えない。水深は深く、子どもなら胸元まで浸かるほどだった。


「こっちだ」

 リセルはエリシアの肩をぐっと押しながら先に進ませ、自らも塀を越え、水路へ飛び込んだ。

 冷たい水が腰まで浸かる。泥と濁りで視界は悪いが、進むしかない。

「そんな……ここ、通れるの?」

「通れる。急げ!」

 行く先々で、逃げ道を探しておくのはリセルの常だった。

 ここはずいぶん前に下調べ済みで、水路を抜ければ川沿いの林にでることができる。

 そのさらに先は古い農地がある。だが、入るところを見られたのでは、それも水の泡だ。


 リセルはエリシアを素早く、しかし音を立てないように招き入れた。エリシアの顔が冷たさに歪んだが、気にしている場合ではなかった。 

 間髪入れず、背後で黒聖たちの足音が塀の向こうに響いた。だが、追ってくる音は用水路には入ってこない。

(あいつらは、間違いなく馬を取りに行く。聖人ぶった連中に、泥水を這うなんて発想はない。林道を追うはずだ)


 無言でエリシアに進むよう合図を送った。リセルは腰まで浸かっていたが、エリシアは胸下あたりまで浸かっていて、この寒さに耐えられるか不安がよぎった。しかし、ここにはもういられない。進むしかない――。

 低く身を屈めながら、リセルは水路の先へ進んだ。

 足元は滑る。けれど、息を切らしながらついてくるエリシアの気配が、確かに後ろにあった。


 * * *


 どのくらい歩いたか分からない。

 時折、脚を取られて倒れそうになるエリシアを支えながら、ただ必死に進む。

 水路を抜けた先、突然足元の感触が変わった。石の硬さが泥に変わり、目の前がひらける。


 そこには、夕暮れの光に包まれた小川が流れていた。

 水の音と、鳥の声だけが静かに響く。

 町の喧騒も、追っ手の気配も、もう遠くに感じられた。

 リセルは、まだ冷たい手でエリシアの手を握ったまま、泥の岸に足をかける。


「……出た。もう追ってこれない」

 小川を渡り、木立の陰に身を隠すように腰を下ろす。

 エリシアの肩は小刻みに震えていた。

 胸のあたりまで冷たい泥水に浸かったため、宿で取り換えた衣服も、見るも無残に汚れていた。濡れた衣服が張り付き、彼女の体温を奪っていく。


 リセルは荷袋をほどき、近くの枝葉を素早く集めると、火打石を手に取った。

 かじかんだ指ではうまく石を弾けず、火花が何度も虚しく散った。

 それでも粘り続け、ようやく――ぱち、ぱちと、小さな焚火が火を噴いた。


 ユルンの上部に積んでいた獣毛や毛皮の一部は、かろうじて濡れずにすんだ。

 けれど、腰に下げていた旅袋の中身――食料や替えの衣服、道具類は、ほとんど泥水に浸かってしまっていた。

 それでも今は、火の前で、少しでも体を乾かさなければならない。


(追手は……撒けたか?)

 そんな思いが頭をかすめる。だが今は、とにかく体を温めることが先だ。

 身体の芯から震えがきている。これは、低体温の兆候――。

 きっとエリシアも同じだった。


 彼女はもう、話す気力すら残っていないように見えた。

 がちがちと歯を鳴らしながら、青ざめた顔で焚火の炎を見つめている。


 空は茜に染まり、遠くの稜線が、沈みゆく太陽を静かに飲み込んでいった。



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