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灯火の誓い〜もう奪われたくない。ひとりで生きることを選んだ少年は、 雪解けの道で、行き倒れた少女に出会う  作者: 水瀬 理音
第一章 雪解けの出会い

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第四話 呼ばれた名前

 扉に手をかけた瞬間、ガチャッという音とともに扉が開き、リセルは顔をぶつけそうになって、思わず身を引いた。見ると明らかに不機嫌な顔の医者が扉から飛び出してきた。

「あ、君か? ちょうどよかった」


 後ろ手に扉を閉めながら、医者は食いつき気味にリセルに迫った。リセルよりも頭半分くらい背が低かったが、体は横に大きい。爪先立ちしかねない勢いで、顔を覗き込むその剣幕に、思わず後ずさった。


「急患だっていうから急いできてみれば、凍傷もなければ霜焼けさえない。至って元気だったよ。……まぁ、それはそれでいいんだがね。でも、あんまり医者をからかうもんじゃないよ。早合点したのかもしれないが、次からはもっと慎重に呼んで欲しいもんだ。このあたりで医者は少ないんだからね。お代はもう店主からもらってあるし、失礼するよ。次の患者があるんだ」


「凍傷が、ない?」


 訝しげに呟いた声も届かず、医者は忙しない足取りで、廊下を大股で歩き、階段を降りて行った。

(確かに手足は腫れてた。でも、俺の、見間違いか?)

 しばらく医者の降りて行った階段を呆けて見ていたが、リセルは気を取り直して、部屋に入った。部屋に入ると、寝台にちょこんと半身を起こして座る少女と目が合った。


 長い白金の髪が、窓から差す陽光にふわりと透けて、ミルクティーのような淡い色合いを浮かべた。

 青白かった頬には、かすかな赤みが戻っている。意識もはっきりしているらしい。大きな丸い瞳がこちらをまっすぐ見つめていた。少し幼さの残る、印象的な瞳だった。

「……あの」


 リセルの姿を認めると、彼女は顔を強張らせながら、か細い声で言った。

「あなたが運んでくれたんですよね。……すみません、行き倒れてたなんて」

 少女は身を乗り出して、足を寝台から下ろし、靴を履こうとした。


「……そのままでいい。まだ起きたばかりだろ?」

 その慌てた動きをリセルは静かに制した。

「宿代はどうせ一泊分払ってある。少しゆっくりしたらいい」

「そんな、そこまでしてもらうわけにはいきません。それに、ここはあなたが泊まるはずだったんじゃ……」 

「いや、いいんだ。もともと、ここにはついでに寄っただけなんだ。……それよりも、一ついいか?」

 リセルの言葉に、わずかに少女の瞳が揺れた。リセルは続けた。

「さっき、うわ言で、“東”に行きたいって言っていなかったか?」


 ――「東の果て」について何か知ってるか? 


 そう続けようとして言葉を濁した。

(何かって、何を? ユーファの民の伝承なんて、ラファス国内で、聞くのもリスクだ)

「東……ですか?」

 少女は顎に人差し指を当てて、考えるように視線を上に泳がせた。

「ごめんなさい、覚えてないの。多分、何か夢でうなされてたのかも」

 申し訳さなそうに言った。

(やっぱり、そうだよな)

 リセルはなんとなく胸を撫で下ろした。


 東に行きたいなんて、やっぱり偶然だ。

 別にあの場所のことではなかった。

 力を授かる場所なんて言うのは、ただの伝承だ。

 今更、何も変わらない。今まで通り逃げ延びるほかに道はない。


「そうか。いいんだ、気にするな」

 そう言って、リセルは窓際に置いていた旅の荷物に向かった。

 簡易用の折りたたみテント――〈ユルン〉と、野営道具や売るための毛皮、それらを背負い直して、肩に重さを馴染ませる。肩にかけた荷袋の重みが、今の自分にとっては“家”みたいなものだ。


 どこにも属せず、名もなく、季節ごとに厳しくなったり緩んだりする検問を見極めて道を選び、生き延びる。

 本当はラファスに足を運ばずに済むなら、そのほうがいい。だが、冬の背運びほど手っ取り早く稼げる仕事はない。

 そんな日々をもう二年も繰り返してきた。気づけば、それが今の自分の日常になっていた。


「……もう、行くの?」

「ああ、だいぶ予定が狂った」

「でも、助けてもらったのに、何もお礼できなくて……」

「そんなの、いい」

「じゃあ、せめて、名前を聞かせて」

 リセルは少し考えてから言った。

(まぁ、名前くらいなら……)

「俺は、リセルだ」


 その時、何が自分をそうさせたのかわからない。もう名乗ることも、名前を聞くこともない、そんな生活を続けていたはずなのに、無意識に聞き返していた。自分だけ名乗るのも変な気がしたのかも知れないし、お互いの名前を聞く――という行為が、自分の中で、まだ常識のように染みついていたせいかも知れなかった。


「……そういえば、お前の名前も聞いてなかったな」

 ぽつりと漏れたリセルの声に、少女の肩がぴくりと震えた。

「……」

 驚いたように顔を上げ、淡い薄茶の瞳でリセルを見つめる。

 何か言いたげに口を開きかけて――けれど、そのまま黙り込んだ。

「お前の名前は?」

 沈黙が落ちる。

 名乗るでもなく、否定するでもない――ただ、言葉を飲み込むように。


「名前くらいあるんだろ? まさか、とんでもなく長い名前とか?」

 からかったつもりじゃなかった。ただ、少しでも間を埋めようとしただけだった。だが、少女の瞳に、あっという間に涙がにじんだ。リセルは言葉を失った。

「……あ、いや」

(そんなつもりじゃ……)


 少女は、俯いたまま唇を震わせた。やがて、細い声で、ひとこと。

「……エリ…シア」

「……ん?」

「エリシアっていうの」

 俯いたその横顔に、一筋の涙が流れた。

(……なんで、泣くんだ)


 その名前を聞いたことを、どうしてか、少しだけ後悔した。別に知らなくたって何も問題もないのに、習慣のように尋ねてしまっていた自分を呪いたかった。

「いや……別に、言いたくなかったら、言わなくてもよかったんだ」

 リセルはそう言いながらも、そっと呟いた。

「……エリシア、か」


 名前を口にした瞬間、少女の肩がわずかに揺れた。

 彼女はしばらく何も言わなかった。

 その名を呼ばれたのが、ずいぶん久しぶりだったかのように。


 呼ばれた名前だけが、空間をさまよって落ちる。


 少女は涙のまま、リセルと目が合うと笑った。

 その瞬間、ぽたりと小さな光が頬を伝う。


 リセルは息を止めた。


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