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【第一幕・完】灯火の誓い〜炎を宿す少年は、名を奪われた少女と雪の大陸を逃げる〜  作者: 水瀬 理音
第四章 風を抱く郷(後編)―旅立ちの理由

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挿話 少し大きな服

 水の冷たい感覚が、まだ肌に残っている。

 泉の水で体を洗うと、気分がすっきりした。

 矢傷のあたりは痛むが、濡れた髪から落ちた水が首筋を伝い、風に触れてひやりとする感覚は嫌いじゃなかった。

 吐いた息が白くほどけていく。

 

 カイネルは気を使ってか、大木に背を預けたまま振り返らない。

 借りた布で体を拭き、マルヤが貸してくれた服に袖を通す。

 手を止める。


(……でかい)


 マルヤは、息子のだから少し大きいと言っていたが。


(ちょっとじゃないだろ、これ)


 指先が袖に隠れる。

 ひとつ折るが、まだ長い。布が重く、手首にかかる。


「……まぁ、いいか」


 裏地に縫い付けられた毛皮が肌に触れる。ざらついた生地だったが、冷えた体にじわりと熱が戻る。


(あったかけりゃ、いいんだ)


 リセルは袖をもう一つ折り、襟を引き寄せた。

 毛皮が喉元に触れ、風が入り込むのを防いだ。


 *


 作業小屋の前で、エリシアが誰かと話していた。

 小柄な老人だった。背筋は伸びていて、灰茶の瞳がこちらを見て、すぐに外れる。

 何かを重ねるような、遠いものを見る目だった。


「あの人は?」

「フェルディエルさん。癒し手をしてるんだって」


 去っていく背を、リセルは少しだけ目で追った。

 足取りは静かで、土を踏む音もほとんど残らない。


 ふと、エリシアがこちらを見る。大きな瞳がわずかに揺れて、好奇心の色を宿した。

 じっと見られていると、落ち着かない。


「……何だよ」


 リセルは目を逸らし、手の甲で口元を隠した。

 エリシアはその顔を覗き込むように近づく。

 ふわりと甘い香りがして、顔が少し熱くなる。


「その服……」

 少し間を置いてから、言う。

「服に、着られてるみたい」

 吹き出す。

「笑うな」


 肩が小刻みに揺れている。

 声を押し殺しているのに、抑えきれていない。


「ごめん……でも」

 こらえきれず、息が漏れる。

「かわいい」

「かわいくない」


 後ろで気配が動く。

 カイネルとナイラが、顔を見合わせたらしい。押し殺した笑いが、かすかに混じる。


「だよな。俺も、それ思った」


 カイネルがこともなげに言った。

 ナイラは無表情のままだが、口元をきゅっと引き結んでいる。それが返って不自然で、笑っているのは一目でわかる。


 リセルは吐き捨てるように、

「……もういい。マルヤの息子ってやつがでかすぎるんだ」

 と、小さく息を吐いた。


 横目でちらりと見る。

 エリシアが、いたずらっぽく微笑んでいた。


 *


 その夜、戦士小屋へ向かう途中で視線を感じた。

「なんだよ。もう見慣れたろ」

「うん、あったかそう」


 エリシアは袖に触れ、指先で生地をなぞる。粗い布の感触を確かめるように、ゆっくりと。

 まだ隠れている指先に目を止め、微笑む。


「……まあな」

「明日はマルヤさんが採寸してくれるって」

「別に」


 これは、これで悪くない。

 エリシアの目が、さっきと同じだったからだ。


 そう思ってしまったことに気づき、リセルは目を逸らした。

 襟元を少しだけ引き寄せる。

 

 その先で、ナイラが手で合図している。早く、とでもいうように。

 けれどその目元は、少しだけ緩んでいた。


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