第三十話 灯火は試される
エリシアは、そっと真似をした。
前に力を使ったときは、考える余裕もなかった。
ただ焦って、リセルの体に力を注ぎ込んだだけ。
でも――それではだめだった。
今度は、体の奥からにじむ力を、とどめる。
出しすぎず、絶やさず。逃がさない。
最初はうまくいかなかった。光がこぼれ、朝霧のように、室内を漂った。
淡く広がるだけでは、届かない。
必要なのは、「とどめる」感覚だった。
「力は、注ぎ込めば枯れてしまう。でも灯すように扱えば、長く、安定して使える。流れのままでは、ただの光だ。手の中に形を持たせれば――意志になる。癒しの力にも、そういう強さがあるんだよ」
何度も挑戦するうちに、コツが見えてきた。
出す力はほんのわずか。
それを焚き火の火や小さなランプのように、手の中で形に保とうとする。
少しずつ、光は手のひらに集まってきた。
それでも、神経を削るような集中と微調整が必要だった。
そして――あることに気づく。
力をとどめようとしたとき、鎖骨の奥が、じんわりと熱を帯びた。窪みに、淡い光が浮かんでいた。
フェルディエルを見ると、彼の鎖骨にも、同じような光が灯っていた。
「フェルドさん、これ……」
「ああ。エルナの民が力を使うときは、ここから流れてるみたいなんだ。力は体の中心から、この場所を通って、外へ出ていく。そう思うといい。焦らなくていい。身を預けるようにして、自分の中に、小さくてもいい、灯火を灯すんだ」
エリシアは深呼吸をし、改めて手の中に光を宿そうとした。
もう、無理に出す必要はない。
力は注ぐものではなく、そこに「灯す」ものなのだ――。
そう気づいた、その瞬間だった。
──ドン!
戸を叩く、重く響く音が、静まり返った小屋を揺らした。
「フェルド! 起きてるか? 急患だ。……診てやってくれないか!」
外から聞こえた声に、フェルディエルとエリシアが同時に顔を上げた。
奥で話していたガルザが立ち上がり、素早く扉へと向かう。
「ライハンか? どうした? これは、一体……」
扉を開けた瞬間、ガルザは言葉を失った。
そこには、ぐったりとした少年を抱えるライハンの姿があった。
血に濡れた布が肩と脇腹に巻かれ、血が滲んでいる。
「リセル!」
エリシアが駆け寄り、息を呑んだ。
顔は青ざめ、目を伏せたリセルの腕が無防備に垂れ下がっている。
「どうして……? 一体、何があったの?」
「……話はあとだ。とにかく、診てくれ。脇腹の傷が深い」
「こっちへ!」
フェルディエルが小屋の奥を指し、大きな声で指示を飛ばした。
ガルザがすぐに荷物をどかし、寝台を整える。
「奥の寝台に寝かせなさい。私が――」
そう言いかけたフェルディエルは、ふと振り返って、エリシアを見た。
「いや。……君が、やってみるかい? エリシア?」
エリシアはわずかに目を見開いた。
それでも、はっきりと頷いた。
「やらせてください」
彼女は膝をつき、そっとリセルの傷に手をかざす。
その手は小刻みに震えていたが、指先には、確かな意志が宿っていた。
「大丈夫。今度は――倒れない。きっと、治してみせる」
「……やめろ、エリシア……使うなって、言っただろ……?」
リセルのかすれた声が、苦しげな息とともに漏れた。
それでも、エリシアは目を逸らさず、まっすぐに言葉を返す。
「こんなときに、何を言ってるの? ぼろぼろなのは、リセルじゃない!」
「でも……」
「大丈夫だよ」
フェルディエルが柔らかく言った。
その穏やかな灰茶の瞳が、リセルに向けられていた。
「エリシアは、もう倒れたりしない。君は心配しなくていい。もしうまくいかなかったら、私がついている」
リセルは浅く息をついたまま、何も言い返さなかった。
エリシアは静かに深呼吸し、もう一度、両手をリセルの体に近づけた。
(大丈夫。力は注がない。 とどめて、灯す。 形を、保つ――)
彼女は心の中で何度も繰り返した。
そうして集中を深めていくうちに、掌に柔らかな光が宿り始めた。
それは、焚き火のような温かな光。
燃え上がらず、静かに揺れている。
光はゆっくりとリセルの傷に降りてゆき、 雲間から射す陽光のように、傷口へ沁みこむ。 脇腹の裂傷が、やがて閉じ始める。
つづいて、肩の傷へ。
身体に力が吸われる感覚はなかった。
ただ、鎖骨のあたりがじんわりと熱を帯び、 掌が焚き火に照らされているかのように、じわりと温かくなる。
やがて、リセルの顔から苦痛の色がゆっくりと薄れていった。
彼は浅く息を吐き、ほっとしたように目を閉じた。
「……ほら、大丈夫だったでしょう?」
エリシアが微笑んだ。指先の震えは、まだ止まっていなかった。
額に汗がにじむ。それでも、その顔には自信が浮かんでいた。
「……もう、倒れないのか?」
「フェルドさんに、教えてもらったの。力の使い方を変えるだけで、こんなに違うなんて……」
気づけば、バイラが静かに傍らに立っていた。
そして、ライハンも、ガルザも、フェルディエルも―― 皆胸をなでおろすように、息を吐いた。
「ライハン、一体何があった? 誰が、こんな……」
ガルザが問いかける。
「……ヴァシュだよ。あいつが、リセルを襲ったんだ」
ライハンは苦々しく唇を噛んだ。
「……俺が寝入ったのを狙ってやりやがった。あいつ、俺が朝方に一度深く眠る癖があるって、知ってたんだ」
掌をぎゅっと握る。微かに震えていた。
「俺が、もっと警戒していれば……っ」
その言葉に空気が凍った。
誰も、すぐには返す言葉を見つけられなかった。
ちょうどそのとき、再び戸を叩く音が響く。
「ガルザ、いますか? 交代に行ったら二人がいなくて……何かあったと思って。マルヤが、あんたはここだって」
がちゃりと戸が開く音。
カイネルが勢いよく中に入ってきて、目を丸くした。
「……あれ、みんな? リセル? 怪我してる?」
バイラはゆっくりと息を吐いた。 その様子を見て、すべてを察したようだった。
「……やれやれ。この子は、悪い風じゃない。そう言ったはずだったのに」
バイラは目を閉じ、小さく息を吐いた。
そして、静かに続ける。
「でも、もうそれだけじゃ納得できないやつも出てくる……そう思っていたよ」
彼女は視線をガルザへ向ける。
「この郷も、もう、これまで通りではいられない。 ――一度、話し合わねばならないね」
ガルザも神妙に頷いた。
カイネルは何となく察したのか、それ以上は聞かず、心配そうにリセルへ視線を送っていた。
リセルは、ゆっくりと身を起こした。
変わり始めた空気を、肌で感じていた。




