第二十三話 ひとときの郷 I
カイネルは二人を治癒小屋の前まで送り届けると、「外にいる」とだけ言って、畑の方へ向かった。
部屋に入ると、マルヤがエルランと薬草を仕分けしていた。少し離れたところで、トルマが鍋を煮立たせている。
「郷の散歩どうだった?」
マルヤが手をとめて顔を上げた。
「エリシア!」
トルマは、エリシアの姿に気づくと、混ぜていた鍋もそのままにエリシアによろよろとかけよった。
「あんたのおかげだ! あの子のあんな元気な姿を見られるなんて……。わしは昨日生きた心地がしなかった」
「いえ、元気になってよかったです」
エリシアの手を取りかねない剣幕にエリシアは慌てて胸の前で両手を振ってみせた。
「あんたの役に立てるよう、何でもしなさいって、あやつには言い聞かせているからな。ナディルをせいぜいこき使ってやってくれ!」
トルマの少しひょうきんな物言いに、思わずエリシアは笑った。昨晩は憔悴した様子だったから、気がつかなかったが、トルマはなかなかに茶目っ気のある老人のようだった。
ふと、そのきらきらした目をリセルに向けた。
「それと、あんたが、エリシアと村に来たっていう火の民の子かい?」
思わず身構えるリセルに、トルマはにっこり笑って続けた。
「なんだ、どんな恐ろしい奴かと思ったら、まるでナディルを大きくしたみたいな子だね。まだ、あんたもどこか痛めてんだろ? ほら、一緒に薬湯を飲みなさい」
子どもに言い聞かせるような物言いに、リセルは面食らった。
「……別に、もう平気だ」
エルランが、作業を続けながら、顔を上げた。
「傷を甘く見たらいけないよ。だいたい戦士ってやつは、みんな傷に鈍感なんだから」
「……俺は戦士じゃねぇけど」
リセルは、エルランをちらっと見た。
とび色の柔らかな目元はマルヤに似ていたが、肩幅は大きく、体格はしっかりしていて、戦士だと言われてもおかしくはない。目が合うと、にっこりと笑って、エルランはリセルに木の椅子を引っ張り出してきた。
「ほら、そんなこと言わないで。こっち来て、座って」
言葉は穏やかなのに、逆らえない空気があった。声のせいか、背のせいか……
はたまた治癒師というのは、そういうものなのか。気づけば従ってしまう。
リセルがしぶしぶ椅子に腰かけると、エルランは鍋から薬湯を木の器に注いだ。
「……その脚、まだ炎症してる。歩くたび、うずくんじゃない?」
リセルが言葉に詰まったまま脚に目をやった。包帯の下でまだ傷口が熱を持っていて疼くような痛みがあった。
「炎症を繰り返せば、どうしたって治りは遅くなる。さ、これを飲んで。数日は無理しないこと」
湯気と一緒に、ほのかな草の香りが立ちのぼる。どこか甘くて、少し苦そうな香りが漂った。その湯気を吸い込んだとたん、体の奥のこわばりがじわりとほどけていくようだった。
(……あ、この匂い)
――そういえば、昨晩。
力を使い果たして倒れていたエリシアの枕元に、マルヤが湯気の器を置いていたのを思い出した。
火のそばで薬湯を煮ながら、マルヤはエリシアの脈をはかりつつ、ぽつぽつと話していた。
『ここの薬草はね、温泉の蒸気で蒸してから使うのが、昔からのやり方なんだよ。熱すぎても効かないし、煮すぎても苦くなる。けど、ゆっくり蒸すと、効き目がやさしくなるの。蒸気が肺に届いて、冷えた体をゆっくり緩めてくれる……こうして寝てても、それだけで違うのよ』
そう言いながら、彼女は優しくエリシアの額を拭ってくれていた。
湯に浮かんでいたのは、丸い葉と細い茎。
(変わった煎じ薬だ……)
リセルはそっと器を受け取った。
瞬間、薬湯から上がる湯気の香りが強くなり、リセルは顔をしかめた。
(飲むとなると……すっげぇ苦そうだな)
じっと自分を見ているエルランと、手元の薬湯を見比べる。
エルランの視線に耐えきれず、リセルはつい目を逸らした。
(飲まなきゃだめって顔してる……)
その横で、トルマがエリシアにも湯気のでる薬湯を注いで手渡していた。エリシアも同じように顔をしかめていたのをリセルは見逃さなかった。
「あんたら、よく来た。本当に、よく来てくれた」
トルマのまっすぐな言葉に、何と答えていいか分からなかった。
リセルは、しばらく苦そうな薬湯を見つめていたが、やがて一気に飲み干した。
苦い薬湯の熱が、喉元にいつまでも残った。
* * *
「さて、と。朝から何も食べてないでしょう? ちょうど飯炊き場でお昼をつくっているから、そこに行ってお昼にしましょう」
マルヤが前掛けで手を拭きながら言った。
治癒小屋の一行が向かったのは、村の東端にある広場だった。
まばらに草の生えた地面の上に、丸太の腰かけと、石を積んでつくった焚き火の囲いがいくつもある。
女性たちがせわしなく動き回り、大鍋がぐつぐつと音を立てていた。
立ちのぼる湯気に混ざって、香ばしい匂いが風にのって漂ってくる。
「まあ、シェマ、相変わらず、美味しそうな匂いね」
マルヤが明るく声をかける。
「ありがとう! 今日は鹿肉をよく煮込んだ鍋だよ」
シェマが笑顔で答えた。湯気で頬を赤くしながら、柄杓を手に立っている。
「シェマ! 昨日は、たくさん振り回してごめんなさい。あの後、大丈夫だった?」
エリシアが駆け寄って声をかけた。
「うん、大丈夫。ガルザからはそんなに怒られなかった。トヴァルは、まだ顔を合わせてないから。今のところは、何も言われてないよ。ナディルのことで、みんなそれどころじゃなかったみたいだしね」
そう言って、口元を押さえて小さく笑う。
「エリシアって、すごく勇気があるんだね。私、びっくりしちゃった。あの怖い守り手たちの中で堂々としてるんだもの。もしかして、後ろの人が……」
「うん、リセルだよ。牢から、出してもらえたの」
紹介されて、リセルはぎこちなく会釈した。シェマも恥ずかしそうに頭を下げた。
そのとき、ナディルが駆けてくる。
「シェマ! 昼飯なに? 腹減った!」
「病み上がりのくせに、もうそんなこと言って! おかゆだよ、今日は」
「えーっ! 肉、だめ?」
「だーめ。いきなりそんなもん食べたら、また倒れるよ」
ショックを受けたように肩を落とすナディルに、エルランが吹き出した。
「ナディルに手厳しいな、シェマは相変わらずだ」
「ちょっとくらいいいだろ? 肉食べた方が力でる」
「だから、だめだってば」
和気あいあいとしたやりとりの中、背後から新たな声がした。
「まったく、元気なもんだな」
振り返ると、マシュラが現れた。肩で息をしながらも笑顔を浮かべ、その背には三人の少年少女がついてくる。ナディルと同年代だろう。
「ちょうど朝の鍛錬が終わったところだ。昼飯がてら顔を見に来たよ」
マシュラが腕を組んだ。短く束ねた栗色の髪に獣皮の肩当て、若い狩人たちの指導役といった風だ。
「心配したけど、ナディル、もうずいぶん元気そうじゃないか」
見習いたちは次々とナディルのまわりに集まる。
「あーもう、死んだかと思ったぞ!」
「今度ばかりは、マシュラ姉に迷惑かけたんだからね! 反省してんの?」
「ひでぇな、誰が来る道を間違えさせたと思ってんだよ!」
ナディルが口を尖らせた。
マシュラが苦笑しつつ、見習いたちの頭をぽんぽんと軽く叩いて歩く。
エルランが声をかける。
「まぁまぁ、まずは鍋だよ。みんな、お腹空いてるだろう?」
ざわめきの中で、シェマがナディルにそっと器を手渡す。
「あんたはおかゆ。熱いから、ちゃんと冷ましてから食べなよ」
「わかってるって」
ナディルはぶつぶつ言いながら受け取るが、その耳がほんのり赤くなっていた。
その様子を見ていたマシュラが、口元をゆるめて目を細めた。
「……あいかわらず、わかりやすいな」
誰に向けた言葉かは曖昧なまま、見習いたちを引き連れて歩いていく。
「じゃあなーナディル! 早く訓練に来いよ」
「あんたうるさいから、ずっと来なくてもいいよー」
少女が振り向きざまに舌をだした。
「なんだとー!」
ナディルが片腕を上げて大声を出したが、三人はきゃーきゃー笑いながら走っていく。
ふと気づくと、少し離れた場所にカイネルが立っていた。いつからいたのか――その視線は、静かに広場全体を見渡している。
湯気の立つ鹿肉の煮込みがよそわれ、器を手にした人々が、あちこちに腰を下ろしていく。
外の空気はまだ肌寒い。
けれど、その空間には、湯気と笑い声、誰かのささやきと、昼の陽だまりのような温かさが広がっていた。
リセルがふと振り返ると、さっきまでいたはずのカイネルの姿は、もうどこにもなかった。
広場から戻る道すがら、マルヤが言った。
「夜は守り手たちで会合があるの。あんたたちも呼ばれてるから、ナイラが迎えに来るわよ」




