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【第一幕・完】灯火の誓い〜炎を宿す少年は、名を奪われた少女と雪の大陸を逃げる〜  作者: 水瀬 理音
第三章 風を抱く郷(前編)― 灯火に揺れる

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第二十話 灯火の癒し手

 治癒小屋の扉を静かに閉じ、エリシアは外気に一歩踏み出した。

 朝の光が、木々のあいだから地面に斑を落とす。冷えた風に土と草の匂いが混じり、春の訪れを告げていた。

 少し歩いてから、マルヤの小屋へ戻ろうと振り返りかけた、そのとき――

 背後から、年輪を重ねたような静かな声がかけられた。


「少し、話をしてもいいかね」

 振り返ると、古びた外套に刺繍の肩掛けを重ねた老人が立っていた。

 白髪まじりの髪をひとつに束ね、茶灰色の瞳には、どこか懐かしい熱が宿っている。


「私はフェルディエル。……皆からはフェルドと呼ばれている。この郷で長らく癒し手をしている者だ。……私も、逃れ民でね。かつて癒しの力を持つ民と共に生きていた。昨夜、少しだけ君の癒しの光を見た。……まさか、生きているうちに、私と同じ“灯火の民”の末裔に、再び出会えるとは思ってもみなかった」

 エリシアの表情がわずかに強ばる。


 ――“灯火の民”。


 それは、母から――決して口にしてはならない名として、密かに教えられたものだった。灯火の民は〈エルナ〉と呼ばれていたことも。


「驚かせてしまったね。だが、警戒しないでくれ。今日はただ、礼を言いに来た。昨晩、ナディルを救ってくれてありがとう。到着が遅くなってしまって、すまなかった」

 そう言って、老人は深々と頭を下げた。


「もし少しでも遅れていたら、ナディルは危なかった。運が良くても、後遺症が残ったかもしれない。君がこの郷に来てくれたのは……あの子にとって、いや、この郷にとっての幸運だったよ」

「……いえ、私は、ただ……助けたかったんです」

 エリシアが口ごもる。あれは“取引”でもあった。けれど、苦しむ姿を見て、ためらわずに手を伸ばした――それも確かな気持ちだった。

 だからこそ、礼の言葉が胸に刺さった。エリシアは目を伏せた。


 フェルディエルは穏やかな声で続けた。

「君は優しい子のようだね……。目の前の人が苦しんでいたら、咄嗟に癒さなければと思うのだろう」

 そう言って、空に視線を向けた。やんわりとした口調で、静かに続ける。


「昨夜、少し見えた。あのやり方では、きっと疲れるだろうね。……慣れていないのかもしれない。まるで……瓶いっぱいの水を一度に注ぐようだったよ。本来は、灯を灯すときのように、芯にそっと火を移すだけで、十分なときもある。そうすれば、もっと長く、穏やかに、その灯をともしていける」


 その言葉に、エリシアは顔を上げた。

「灯をともすように?」

「……もし滞在が決まったら、私の小屋においで。癒しのことも、伝えておきたいこともある。君に押しつける気はない。ただ、少しでも長くその力と共に在れるように、と思っている」


 ちょうどその時、峠の向こうから、ゆっくりと歩いてくる人影があった。

 矢を受けた方の脚を、かばうような歩き方だった。借りた服は少し大きく、歩くたびに袖口が揺れる。

 春の冷気を含んだ空気を吸い込みながら、リセルは小屋の前に立ち止まった。


 フェルディエルはじっと彼の姿を見つめ、目を細めた。

「……数奇なものだな」

 そう呟いたフェルディエルは、それきり何も言わず、穏やかに会釈を残して去っていった。

 朝の光があたりを満たし始め、静かな郷に、少しずつ人の気配が増えてゆく。


 エリシアは、フェルディエルの背を見送ったあとも、しばらくその場に立ち尽くしていた。

 彼の声には、焚火の残り火のような、静かであたたかなぬくもりがあった。


 エリシアはそっと、小屋へと歩を戻した。

 小屋の前には、リセルが立っていた。 

 横にいたナイラが彼に軽く声をかけ、少し離れたところにいたカイネルは、エリシアに気づいてにっこりと笑い、手を振った。


「エリシア、歩き回って大丈夫なのか?」

 リセルが心配そうに声をかける。

「うん」

 エリシアは、リセルたちに駆け寄った。

「あの人は?」

「フェルディエルさん。村の癒し手をしてるんだって」


 リセルは、先ほどの老人の茶灰色の瞳を思い出していた。

 自分を通して、何かを思い出していたような顔――


 ――数奇なものだな。


 フェルディエルの言葉が頭をかすめたが、その意味は分からなかった。


「水浴びのあとはマルヤが包帯を替えるって言ってたし、入ろうか?」

「……ああ」

 ナイラに促され、三人は小屋へと戻っていった。




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