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【第一幕・完】灯火の誓い〜炎を宿す少年は、名を奪われた少女と雪の大陸を逃げる〜  作者: 水瀬 理音
第三章 風を抱く郷(前編)― 灯火に揺れる

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第十九話 手のぬくもり

 寝台に横たわっているのが、もう落ち着かなかった。

 さっきまでの倦怠感が、ほんの少し、和らいでいた。

 マルヤが朝食を下げてから、窓から差し込む光が少し傾いてきた。もう小一時間は経っただろうか。

 指先にまだ少し痺れるような感覚が残っていたが、もう立ち上がれそうだった。


 外から時おり届く人の声や、風の音。

 それが、外に出てみたいという気持ちを刺激する。

(ちょっとだけなら、いいよね)

 まだおぼつかない足取りで、エリシアはそっと扉を開けた。

 暖かい春の日差しに、湿った土と芽吹きの匂いが混ざっている。どこかで鳥がさえずる声が聞こえた。


 顔を出すと、マルヤが少し先の薬草畑から顔を上げた。

「エリシア! もう起き上がって大丈夫なの? まだ寝ていたら?」

「……もうだいぶ気分がいいの。それに外の空気が吸いたくて」

「そう、それならよかったわ。リセルが戻ったら、包帯替えてあげるから、そのあと二人で村を見てきたらいいよ。でもその前に、よかったら隣の小屋に行ってくる? ナディルが目を覚ましたの。あなたに会いたいって」

 エリシアはにっこり笑ってうなづいた。


 マルヤはまだ薬草畑で作業があるからと言ったので、エリシアは一人で向かった。

 隣の小屋の扉を開けると、言い争う声が聞こえた。

「だから、動くなって何度言えば――!」

「だって、エルラン、一日でも休むと体がなまっちまうんだぜ。俺は早く狩人から昇格して、強い守り手になるんだから、一日だって惜しいんだ」

「ばか、せっかく治してもらったんだ。それに蛇の毒がまだ体に残ってたら大変だ。しばらくは俺が煎じた薬湯を飲んで安静にしてろって」

 エリシアは静かに扉を閉めて、二人に気づかれないよう、入口のそばで足を止めた。


 ナディルは、ふてくされたようにそっぽを向いていた。そんな彼に、エルランが眉をしかめながら、薬湯の器を手渡そうとしていたところだった。

「……あの」

 エリシアは、いつ声をかけるべきか迷いながらも、背後から声をかけた。

 ナディルがぱっと振り向き、エリシアを見て顔を輝かせた。

「あっ、もしかして、癒し手のお姉さん?」

 一気に顔が明るくなり、彼は跳ねるように立ち上がり――その瞬間、エルランに額を小突かれて、再び座り込んだ。

「だから、動くなって言っただろ」

「いったぁ……!」 


 エルランはようやくエリシアの方に顔を向けると、わずかに表情をやわらげた。

「昨日は……ありがとう。君がいなかったら、こいつ、もうダメだったかもしれない。もう動いて大丈夫なのか? あの後気を失って、一晩ぜんっぜん顔色も戻らなくてさ。……もう、だめかと思ったんだ」

  ナディルはにやにやと笑いながら、両腕を上げるようにして言った。

「エルランは、癒し手のお姉さんのこと、すごく心配してたんだぜ」

 耳が少し赤くなったエルランは、ナディルを小突いた。

「まず、お礼をいうんじゃなかったか? お前は、本当に危なかったんだぞ!」


 ナディルとエルランのやり取りに、エリシアは思わず笑みをこぼした。

「本当に良かった。もうなんともないの?」

「ああ! 見てよ、ほらこの通り!」

 ナディルは寝台の上に立ち上がって、片腕をぐるぐる回した。

 すぐにエルランに肩を押さえられ、座らされる。

「ただ座るってことが、そんなに難しいか?」

 いよいよ声が低くなるエルランに、肩をすくめながら、いたずらっぽく笑う。

「お姉さんがいなかったら、ほんとに危なかったって、マルヤが教えてくれた」


「……私、エリシアって言うの。エリシアって呼んでね」

 エルランが横で「エリシアっていうんだ……」と呟いた。

「俺はエルラン、ここの治癒師だよ。ここで母さんの手伝いをしてる。君がナディルを癒してくれたとき、後ろで薬草を煎じてたんだけど――あんなすごいのは初めてみた」

 エリシアは、少し言葉を探してから、口を開いた。

「……あの時は夢中で、自分でもほんとうに治せるかなんて分からなかったの」


 それに、――純粋に助けたわけでもない。

 そのことが、胸の奥で小さく疼いた。


「それなら、なおさらだよ」

 エルランの視線は、まだ揺れていた。

 エリシアはそれを受け止めきれず、目を伏せる。

 次の瞬間。

 気がついたら、エルランの手が、エリシアの手をそっと取っていた。

 ごく自然な動作のようでいて、ほんの一瞬、彼の指が震えていた。


「……本当に、ありがとう」

 エリシアは、すぐにその手を引かなかった。

 その温かさに、思考が一瞬、遅れる。

「……あの、手が」

 エリシアが小さくつぶやいた瞬間、エルランははっとして手を引っ込めた。


「その、俺、治癒師を目指してから、こんな風に、癒し手が命を繋ぎ止めるのに立ち会ったのは、初めてで、感動しちゃって……」

「エルラン、お姉さん困ってんぞ」

 ナディルが無邪気に茶々を入れた。

「顔赤いし。もしかして、お姉さんが気に入ったのか? きれいだもんなぁ」


 ばしん。

 軽く小突かれて、ナディルが頭を押さえる。

 思った以上に力があったのか、ナディルの身体がよろける。

 エルランの腕は、治癒師とは思えないほどだった。昨日見た戦士たちの姿が、ふと重なる。

「うるさい、黙れ! お前は、“お姉さん”じゃなくて、ちゃんと名前で呼ぶんだ。命の恩人だろ? ちゃんとお礼しろ」


「いってぇ……病み上がりに何すんだ」

「どの口が言う。さっきも起き上がろうとしてたやつが」

 ナディルは口を尖らせたが、すぐにエリシアに向き直った。

「エリシアさん、助けてくれて本当にありがとう」

 淡い榛色の、人懐っこい目を向けて笑った。赤銅色の髪色は、リセルとは少し色味が違うけれど、どこかで親近感を覚えた。

 エリシアはナディルの素直さにくすっと笑った。


 ――なんだか懐かしい。

 こんなやりとり、故郷でも誰かがやっていた気がする。

 昨日、戦士たちに言葉をぶつけた自分が、どこか遠くに感じられた。


 この村には、ただ笑い合う声がある。

 その音が、エリシアの胸の奥を、少しだけ温かくした。


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