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【第一幕・完】灯火の誓い〜炎を宿す少年は、名を奪われた少女と雪の大陸を逃げる〜  作者: 水瀬 理音
第三章 風を抱く郷(前編)― 灯火に揺れる

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第十六話 取引

 エリシアは、後ろで睨みつけるトヴァルをまっすぐに見据えた。

「誰が決めたんですか。リセルのこと。……その人のところに、連れて行って」

「それはできない。守り手小屋で寄合中だ。お前の出る幕ではない。大人しく戻れ。シェマ、連れていけ」

 トヴァルは、顎を上げた。

「……守り手小屋」


 次の瞬間、エリシアは飛び出していた。

 方向はわからない。ただ、トヴァルが一瞬だけ向けた視線の先へ。

「おい!」

 背後で短く鋭い声が走る。

 それを振り払うように、エリシアは走った。


「待って、エリシア! 戻って! これ以上は守り手たちに怒られちゃう!」

 追いすがるシェマの声を背に、足を止めない。

「私が勝手に抜け出したって言っていいから。シェマは、戻ってて」

「そんなわけにいかないよ。守り手たちがいるとこには、郷の人だってなかなか入っていけないんだから。きっと話し合ってる」


 泣きそうな顔で、シェマが懇願する。

「だからこそ、今行かないと」

 罪悪感が胸をかすめた。

 それでも、エリシアの足は止まらなかった。

 村の入り口近くに、大きめの宿舎のような建物が見えた。灯りがいくつもともり、外までざわめきが漏れている。人の声が重なっていた。


 意を決し、エリシアは扉に手をかける。

 そのまま勢いよく押し開ける――バン、と音を立てて扉が弾けた。

 一斉に戦士たちが振り返る。ざわめきが止み、水を打ったような静けさが落ちた。

 エリシアは小屋の中を見回した。

 戦士はざっと見て十数人。

 奥の卓には、頬や額に古傷のある四十代ほどの体格のいい男が上座に座り、数名がその周りを囲むようにして食事をしていた。


「お前、なんでここに? マルヤはどうした。シェマ、これはどういうことだ」

 上座の男が目を見開いて言った。

「えっと、あの……」

 シェマは真っ赤になって震えた。エリシアは一歩前に出た。

「……マルヤさんは毒蛇に噛まれた患者の看病に行ってるそうです」

「何の用だ? 動き回られては困る」


「どうしてリセルを牢に? 彼は何もしていません。」

 エリシアの声は震えていたが、芯があった。

 顔に傷のある男――ガルザが椅子から重たく腰を上げ、ゆっくりと歩み寄る。

「……何もしていない?」

 その声には静かな圧があった。

 だが、エリシアは一歩も引かなかった。


「炎を操ったと聞いている。あの力が何をもたらすか、この郷では昔からよく知られている。あれは、災いを呼ぶ力だ」

「リセルは災いなんかじゃありません! 私が知るリセルは、いつも、誰かを守ろうとする人です」

 エリシアは拳を強く握りしめ、視線を逸らさなかった。

「たとえ、炎を出したのだとしても。それは、ただ気を失っていた私を守ろうとして……」

 言葉の端が震えた。


「それに、彼がいなかったら、私は今ここにいません」

 一拍置いて、エリシアはかすれた声で続けた。

「お願いです。リセルの処遇を考え直してくれませんか?」

 戦士たちの間に、ざわめきが走った。

「お前こそ、どんな力を持っているか、まだ聞いてなかったな。あいつと一緒にいた女だ。無関係とは言わせない。お前も今からでも牢に入れてもいいんだぞ」

 低い声で威圧するように言いながら、黒髪で大柄な戦士が立ち上がった。


「やめろ、ヴァシュ」

 それをガルザが制した。

「……お前は知らないのかもしれないが、ユーファの民の中でも、炎を操るやつは危険だ。簡単に郷に入れるわけにはいかない。一度郷が燃えたことがある」

「あれ、俺も見たけどな。焼く気だったんなら、もっと派手にやってただろ。あれは、どう見ても牽制だ」


 背の高い戦士が、背もたれに預けていた体をゆっくり起こす。

 無造作に跳ねた短髪が影を揺らし、どこか飄々とした雰囲気をまとっていた。

「甘い判断だな、ライハン。やつらの炎は気まぐれで暴れる」

 ヴァシュが鋭く睨みつける。

 ライハンは動じずに言い返した。

「処分するつもりなら最初からそうすればいいんだ。でもそうしなかった。いつからエルカの民は(のが)(びと)を雑に扱うようになったのかね」


「……私にも、あの子はあの場にいた子を守ろうとしてたようにしか見えなかったよ」

 今度は、頬杖をついていた小柄な戦士が静かに言った。

 澄んだ声だった。無造作に束ねた栗色の髪。無駄な動きのない仕草と、落ち着いた視線。その奥には、周囲を冷静に見極める光があった。

「お前たち若手は、ユーファの炎の力を見たことがないから、簡単にそう言うんだ。俺たちの油断がこの郷を危険に貶めることを忘れるな」

 ヴァシュが語気を荒くする。

 重い空気が落ちる。若手戦士たちの何人かが視線を落とした。ライハンとマシュラは顔を見合わせて肩をすくめる。


 そこで、外から慌ただしい足音が聞こえ、扉が勢いよく開けられた。血相を変えたマルヤだった。

「ガルザ! ナディルの容体がいよいよ危ないの。毒消しがまるで効いてない……フェルドはまだなの?!」

「少し前にカイネルが迎えにいったはずだが」

「じゃあ、もうすぐ来るわよね? でも、もう時間がないかもしれない……」

「……そんなに悪いのか?」


「ずっとそう言ってるじゃない? あなたがもっと早く――」

 そこでマルヤは今エリシアに気づいたかのように、目を丸くした。

「まぁ、エリシア? もう歩き回って大丈夫なの?」

「マルヤ、俺はこの娘の手当は頼んだが、自由にしろとまでは言ってなかったぞ」


「あ、あの!」

 エリシアは思わず一歩踏み出し、声を上げた。

「その……ナディルって人は、どのくらい悪いんですか? 私に、診させてください」

 一瞬、室内の空気が止まる。マルヤが驚いたように目を丸くし、つぶやいた。

「……あなたが?」

 ガルザが低く、制止する。

「何を言っている。お前はマルヤと治癒小屋に戻れ」


「さっき、私の力が何なのか、聞いていましたね。私には癒しの力があります。その人を治せるかもしれません」

 室内がざわついた。

「……なるほど。だが、治せなかったら?」

「……治せなかったら、私が牢に入ります。やらせてください」

 エリシアはまっすぐにガルザを見て続けた。

「お願いです。助けられたなら、せめて……リセルを牢から出してあげてください」

「それは今約束できない」


「今はそんなこと言ってる場合じゃないわよ。ねぇ、エリシア」

 マルヤはエリシアの手を取った。

「治せるかもしれないっていったわね。じゃあ一緒に来てちょうだい?」

「マルヤ!」

「ガルザ、あなたのところの大事な見習い狩人でしょう? 今はやれることは全部やってあげないと。――マシュラ、あなたはナディルの鍛え役よね。一緒に来て。ガルザは、フェルドが来たら、治癒小屋まで案内して!」


 ガルザは一瞬だけ何かを言いかけたが、結局、何も言わずに口を閉じた。

 その目には、揺らぎと迷いが浮かんでいたが、やがて静かに言った。

「……マシュラは、マルヤについていけ。状況を知らせろ。エリシアと言ったか? では、やってみろ。お前の連れの処遇はそのあと決める」


「俺たちはここに待機する。何かあったら知らせてくれ」

 ライハンがマシュラをまっすぐに見ていった。

「ナディルを頼む」

 マシュラはうなずくとマルヤに振り返った。

「急ぎましょう」


 マルヤは、エリシアの手を取った。そしてマシュラを連れて、小屋を出る。

 夜半の風がひんやりと頬を撫でた。

 少女の足は、迷いなく夜の小道を進んでいく。


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