第十話 検問
歩き出してしばらくすると、森の木々がまばらになり、視界の奥に、ぽつんと人の気配が現れた。遠くに、低い塀と見張り台のような影がある。
それが国境を示すものだと、リセルはすぐにわかった。
越境の通路。――検問所。
エリシアはまだ何も言わない。
けれど、その呼吸は少し速くなっていて、緊張が伝わってくる。
リセル自身も、拳を軽く握っていた。
「……平気だ。ここは、通れる」
自分に言い聞かせるように、リセルは小さくつぶやいた。
その言葉に、エリシアはうなずくでもなく、ただ一歩、足を前に出した。
冬の名残をとどめた風が、二人の間をすり抜けていく。
リセルとエリシアは、検問所のすぐ手前まで来ていた。時刻は昼前。まばらに人々が行き交う。見張り台の上には兵士の姿。かがり火の煙がゆっくりと立ち上る。
「お前もこれで髪を隠せ。……念のためな」
リセルは、さっき取り出していた大判の布を手に取った。エリシアが目を瞬かせる。
「え、でもこれ、どうやるの?」
とりあえずかぶってみるが、その後が分からない。リセルはわずかに息を吐いた。
「じっとしてろ」
ぎこちない手つきで、布の中に彼女の髪を押し込む。巻く動作は慣れない。何度かやり直した。
「……今、ちょっと旅人っぽく見える?」
「何を今更」
ほんのり頬を染めながら、布を触るエリシアに、リセルは目をそらした。顔が近かったせいで、少し落ち着かない。
「……よし、行くぞ」
そっぽを向いて検問所に向き直った。段取りはさっき決めておいた通りだ。
「通行許可証を見せろ」
前の商人が通行許可証を差し出し、兵士がじっくりと確認している。
「問題ない。通れ」
馬車の車輪が軋む音が、静寂を切り裂く。次は、リセルたちの番だった。
「そこの二人、顔を見せろ」
リセルは視線を動かさずに、かすかに気配だけを探った。彼女は、顔を伏せて少し後ろに隠れるようにしている。
「なんだ、ずいぶん若いな。何をしに行く?」
兵士の声に、エリシアの肩が震えた。
「俺はヴェルナで背運びをしてた。冬のあいだ山を越えて物資を運んでたんだ。仕事が終わって、ラファスの親戚のとこに寄ってた。こいつは俺の妹だ」
兵士が無言で通行許可証を見つめる。沈黙がやけに長い。冷や汗が背中を伝う。
「通っていい。ただし、雪解けで道が悪い。転ぶなよ」
リセルは小さく頷き、エリシアの手を引いた。
二人は、顔を見合わせて微かに笑った。
「言ったろ? この時期は、狙い目なんだ。抜けてしまえば、問題ない」
「よかった……」
一瞬だけ、風が止まったようだった。
その刹那、後ろから馬の蹄音が聞こえた。馬から降りた兵士が、検問所の兵士に何かを言っている。
リセルは息を詰めた。
「おい! さっきの二人! 戻れ!」
後ろからの怒声に、リセルの胸が強く跳ねる。
「そこの女! 髪を見せろ!」
一瞬、空気が凍りついた。
――見られたら終わる。
「走るぞ!」
リセルはエリシアの手を強く引いた。同時に、後ろで兵士が走り出す音が聞こえた。その瞬間、突風が吹き抜けた。
「――っ!」
布がはらりとめくれ、エリシアの髪が風にさらわれる。光を帯びた白金の髪が、陽の光を受けて輝いた。兵士の動きが、一瞬止まる。
「……待て、それは――」
兵士が息をのむ。目が見開かれた。次の瞬間、叫び声が上がる。
「捕えろ!」
リセルは考えるより先に動いた。近くに積まれていた荷物の山を、迷いなく蹴りつけた。
――バンッ!
木箱が崩れ、中身の粉袋が破れた。
白い粉塵が、地面から煙のように舞い上がる。
視界が白く曇り、喉が焼けるように痛んだ。
「なんだ!?」
「視界が……くそ、むせる!」
兵士たちが咳き込み、混乱する隙をついて、リセルはエリシアの手を強く引いた。
「行くぞ!」
エリシアの手を引き、リセルは山へ向かう交易路へと飛び込んだ。
兵士たちの怒声が響く。
「くそっ、粉が……!」
「荷が崩れた!」
粉塵の向こうで兵士たちが混乱しているのが分かる。
リセルは迷わず、裏手の小道へと駆けた。
(――あの道、まだ残ってるはずだ)




