45.エピローグ
五年後。
王都の一角に、真新しいお屋敷が建っている。
診療所を開設して三年になる。エマはその中でけが人や火傷、手術跡の治療をしていた。過剰医療にならないよう治療費はある程度高額に設定されているが、この医院にはひっきりなしに患者が訪れる。
エマは魔王を封印した聖女として王から勲章を賜り、この診療所もその功績で建てられた。
エマはふらつきながら診察室に戻り、椅子に座り込む。
「エマ様、そろそろ休まれては?」
そう言って隣の薬品庫から出て来たのは、同時期に異世界転生して来たあのデーモンだった。
魔王を封印したことで、彼は名前を取り戻していた。人間のように、白衣を着ている。
魔物の言葉も人間の言葉も理解する男なので、これはこれで助手として役に立っている。
「そうね、カイ。いったんここで今日の患者受付は打ち切って」
「はーい。お昼はリュート様と食べます?」
「そうね。そうするわ」
「すぐに買ってきますよ」
あの魔王は、今は竜人という名の子どもになっている。
今はもう、魔王というよりは、エマとユリウスとの間で育てている大切な息子だった。
エマはリュートを片時もはなすことなく暮らしている。
今日も息子は母の仕事が終わるまで、診療所の裏の部屋で乳母と一緒に勉強しながら待っているのだ。
エマは機材や資料をあらかた片付けると、裏庭に向かった。
リュートはまだ五歳。青い目、黒い髪に白い肌。いまだに何らかの生存戦略を取っているのかいないのかは謎だが、どことなく彼はユリウスに似ている。
彼が魔王であることを知っている人は世間にほとんどいないので、のびのびと育てていられる。
「あっ、ママ!」
リュートはすっかりこの世界に馴染み、乳母のマーシャの子どもたちと遊んでいる。
「マーシャ、お昼はカイが買って来てくれるそうよ」
「あら、じゃあ私はお茶でも用意しましょうかね」
「ありがとう」
今日の診療は午前で終了だ。
カイが市場や屋台であらゆる食事を見繕って買って来る。
貴族の味ではなく、庶民の味を楽しめる時間が始まった。
エマはこの診療所の守人をカイに任せている。何だかんだ前世は平均的な日本人で真面目だし、かつては料理人だったそうなので生活力も高い。外見が魔物なので留守番をさせるにもちょうどよかった。
リュートは屋台で買って来るきゅうりとクリームチーズのサンドイッチがお気に入りだった。
エマはいつも、市場でエビと野菜のタルトを買って来てもらうのだった。
日が傾きかける頃、エマたちはカイを残して竜に乗り、シュタルク家に帰る。
夕陽を眺めながら、エマはいつもリュートを背後から抱き締める。
リュートはいつも、目にしたものを何でもエマに話した。
「ママ、この前パパがね、新種の白い花を見つけたんだって。もう温室に植えてあるんだ。結婚式のブーケにするんだって!」
エマはくすくすと笑った。
「私、聞いてないわ」
「そうなの?すごくきれいな花なんだよ~」
エマの診療所も軌道に乗り、魔王を倒したという箔もついて〝そろそろお披露目を〟と、シュタルク家周辺は盛り上がっているところだ。
屋敷に帰ると、玄関でユリウスが待っていた。
「お帰り、エマ。リュート」
リュートはすぐさま走って行ってユリウスの腹に抱きつき、頭をうずめる。
「いい子にしてたか?」
「うん!今はマーシャから字を教わってるよ」
「偉いね。早く本が読めるようになるといいな」
リュートはマーシャに預けられ、エマはユリウスに呼び止められた。
「エマ。ちょっといい?」
急に袖を引っ張るようにして連れて行かれ、エマは戸惑った。
「どうしたの?」
着いた先は、ユリウスの部屋だ。
扉を開けると、その先には──
「あっ。ウェディングドレス!」
「お針子こだわりのドレスがようやく出来たんだ。きれいだろう?」
ドレスの肩の部分には、見たことのない白い花が飾りつけられている。シルクで作られた造花のようだ。
「この花は……?」
「気づいた?実は、最近ゴドレス谷の奥で発見した新種の造花なんだ」
「ゴドレス谷って、私たちが最初に出会った谷よね?」
ユリウスは嬉しそうに頷いた。
「実はあの日、俺は竜を獲る罠を仕掛けながら、新種の動植物を探しに出ていたんだ。そこで怪我をしてしまったから、その日は奥へ行けなかったんだけど」
「そうだったの」
レースのような半透明の細く白い花弁が、微風にもそよそよとそよぐ不思議な花だ。
「かわいい」
「苗は持って帰って、温室に植えてある。本物を見に行こう」
「うん!」
二人は日が落ちて陰っていく温室へと移動した。
温室の片隅に、あの造花そっくりの白い花がひとつ咲いている。
他にも、その苗が何本か植わっていた。いくつかつぼみもつけている。
「わあ……きれいね」
「それで……この花のつぼみが全部咲いたら、エマ」
二人は向き合った。
「……はい」
「式を挙げよう。王都で一番大きな聖堂で」
エマの鼻が、じわじわと喜びに痺れて行く。
「はい……」
「長かったな。色んなやつが、色んなことを言って来たけど、ようやくここまで辿り着けたんだ」
「……」
実際のところ、王都では突如現れたこの不思議な生物・エマが来るのを嫌がる声も多かった。
まずは何でも見た目で判断される世の中なのだ。それを払拭するために、エマもユリウスも日々理解されるよう努力を続けて来た。
ユリウスは、涙のこぼれるエマの目尻を指でそっと拭う。
「この新種の花に、もう名前を付けた。エマっていうんだ」
「ふふっ……」
「これをブーケにして、君と……」
「聞いたわ」
「えっ?」
「リュートから聞いた」
「!あいつ……」
「ふふふ」
空が夕闇に覆われ、星が出て来る。
使用人たちが、燭台に火をつけて回り始めた。
二人は暗がりで見えないのをいいことに、花に囲まれた温室の中でそうっとキスをする。
二人の足元で、新しい蕾がほころび始めていた。




