32.紅蓮の大蛇
エマは目を覚ました。
うっすらと暁の時間がおとずれようとしている。
体を見ると、いつの間にか竜人の姿に戻っていた。
「私は、妖怪アマビエではなくて、竜人……」
身を賭してかつて世界を救ったとされる青い小さな女の子に、エマは思いを馳せる。
「あの子は、誰かに愛されていたかしら」
竜と人とが愛し合って生まれた種族だと彼女は言っていた。
「きっと……愛されていたわよね」
エマは真新しい服に腕を通した。あの双子のお針子が作ったオートクチュールだろう。体にぴたりと合っている。エマは変身を繰り返しても、自身の体形が変わらないことを確認した。
エマはユリウスがやって来るのを待った。
牧草の朝露に濡れながら、のんびりと彼は歩いて来る。
「あれ?エマ、もうヒト型に戻っちゃったのか」
鉄格子が開くと、エマは思わずユリウスの胸に飛び込んだ。
「あはは。どうした?やっぱり、ここにひとりは寂しいよな……」
ユリウスが、エマの肩をそっと温めるように引き寄せる。
「体、いつもより冷えてる。屋敷であったかいものを食べよう」
「ユリウス」
「何?」
「私、魔物に狙われているの」
「そうみたいだな。やっぱり癒しの力のせいで……」
エマは立ち止まった。
「……エマ?」
「私、魔王を倒したい」
ユリウスはぽかんと口を開いた。
「え?魔王って、あの伝説の?」
「うん」
彼は、すぐに気づいた。
「エマ。また妙な夢を見たんだね?」
「ええ」
「詳しく話を聞かせてくれないか」
今日の朝食は、ユリウスと二人きりで食べることになった。
「魔王がいたのか……。あれは聖女同様、ただの伝説だと思っていたのに」
ふわふわのオムレツに、色とりどりの温野菜が添えられている。
「聖女は竜人という古の種族だった……そして竜人しか、治癒魔法を使えないということなんだな?」
「うん。私の治癒魔法で魔王を癒しなさいと言ってたわ」
エマはオムレツを口に運んだ。癒される。
「不思議な話だな。魔王は癒されると、封印出来るというのか」
「よく分からないロジックよね。でも、夢のお告げからすると、もう魔王の封印は解かれてしまったみたいね」
「そしてそれを封印できるのは、今のところエマしかいないわけか」
エマは温かいクラムチャウダーを口に運ぶ。癒される。
「それで……ユリウスにも協力してもらいたいんだけど、いいかな?」
「俺はいいけど……俺の力だけじゃ、そんな禍々しい魔王に対抗できると約束できない」
「そ、そっか……」
「もっと味方を増やさないと駄目だ」
ユリウスはそう言ってから、じっと考え込むようにパンを咀嚼した。
エマは言う。
「私、この世界を好きになった。だから、壊されたくない」
ユリウスは嬉しそうに笑った。
「どこまでみんなにその話を信じてもらえるか分からないけど……俺も実は、気になっていることがあって」
「気になっていること?」
「エマと同じように、言葉を操る魔物が出て来たんだ。しかも、彼もトラック?とかいうものに跳ね飛ばされて、この世界に来たらしい」
エマの青みを帯びた肌が、もっと青くなった。
「トラックですって?嘘……!」
「トラックって何だ?魔物か?」
「ううん。乗り物よ。獅子よりも速く走る乗り物なの。きっとその人は、私と同じ世界から来たに違いないわ」
ユリウスの顔が、ぐっと沈み込む。
「エマと同じ世界にいた人間が、魔物の姿に変えられて転生させられている……?」
「そういうことになるわ。ちょっと、その人と話が出来ない?」
「出来ることは出来るけど、注意が必要だな。魔物同士が話しているところなんか見られたら、エマもそいつも何をされるか」
「あっ……」
エマはしょぼくれた。
「なかなか解決策が見つからないわね。魔王を倒すには、どうしたらいいの?」
「まずは味方をつけることだ。エマ、これは相談なんだが……いちかばちか、陛下に会う気はないか?」
エマはきょとんとした。
「えっ?この姿で、王様と?」
「ああ。本当は、すごく怖いけど……」
「?何で怖いの?」
「だって、陛下に寄越せと言われたら、エマを寄越さなきゃいけなくなるじゃないか!」
そんなことをユリウスがひどく苦悶の表情で言うから、エマはちょっときゅんとした。
「そっか……それは私も困るわ」
「エマを好きになったら、急に怖くなったんだ。エマを陛下に取られず、聖女扱いしてもらえるよう確実な方法はないだろうか?」
「そうねぇ……」
エマがじっと考え込んだ、その時だった。
ガタガタと、テーブル上の食器が震え始めたのだ。
「地震!」
「地震だと?ここにいるのは危険だ!」
ユリウスはエマの手を掴んだ。
「この屋敷は古いんだ。早く外へ!」
執事のジャンがやってくる。
「使用人は全員外に出しました」
「ありがとうジャン。さあ、早く!」
エマはユリウスに手を引かれ、窓から外へ出た。
微弱の地震が、ずいぶんと長く続いている。エマは言う。
「こんなに長い地震は珍しいわね……」
ジャンが、遠くを指差して言った。
「ユリウス様。あちらの山の様子が……」
皆がその方向を見やると、山から赤い煙が噴き出しているのが見えた。
「噴火か?」
しかしその予想はすぐに裏切られる。
山頂から溢れて来たのは、溶岩ではなく、赤く輝く禍々しい大蛇だった。




