21.エマ観察日記
ここは魔物がいる異世界だ。何があってもおかしくはない。
エマは自分がなぜここにいるのか、次第に不安になってきた。
(私が力を願ったから?人を救いたいという動機が、この異世界の何らかの魔物の思念と共鳴してしまったの?)
夢の中の声は、いつもひとりの女性の声だった。
(癒しの力……)
そう考えた時、エマは以前、ユリウスとランベルトが話していた内容をふと思い出した。
「あのっ」
その声で、全員の視線が彼女に集まる。
「前に二人が、治癒魔法について話していたわよね?」
ユリウスは頷いた。
「ああ。治癒魔法は伝説でしか残されていない。かつてヴァルテルミ王国を建国したとされる聖女が使っていた。……あくまでも伝説だ」
「私に語りかけて来る声は、女性の声だったの。もしかしたら、あの声は聖女様かも──」
ランベルトが言った。
「聖女を装った魔物だったとしたら?」
「だとすると……じゃあ私は、どうして治癒魔法を使えるの?」
そこについては、誰も何も言えなかった。ユリウスが問う。
「エマは、自分の治癒魔法は聖女から与えられたものと考えているんだね?」
「ええ。……今ある情報を組み合わせただけの、あくまでも予想だけど」
そう言って空になったカップを置くと、ジャンから紅茶のおかわりを勧められたが、エマは断った。
ユリウスは少し慎重になってエマに言う。
「確かに、治癒魔法を使う魔物の話は聞いたことがない。しかし、聖女様とやらは伝説の存在でこの世界にはもういないはずなんだ」
エマはうなだれた。
「そう……じゃあ、魔物の声なのかも」
少し場が冷えたところで、ユリウスも空になったカップを置いた。
「……ちょっと、お願いがある」
「はい、何でしょう」
「いや、お願いというより俺の業務の話なのだが……今日からエマの観察日記をつけてもいいか?」
エマはどきりとした。
「えっ?私の観察日記……ですか?」
「ああ。新種の生物を発見した時は、観察日記をつけることにしているんだ」
「構いませんけど……どういった日記ですか?」
「君の行動を記すのはもちろん、食べた物やほかの使用人からの証言なども記録する」
エマは苦笑した。
「そんなことを?」
「こういうことは先に言っておかないと。ストーキングされていると思われて気分を害されてもいけないからな」
ユリウスの、こちらを見つめる曇りのない瞳を見ていると、エマも段々彼を「新種の男」のように感じて来る。
(んー?ユリウスって、実は結構変わり者なのかな……)
ユリウスはペンとメモを取り出すと、早速何事か書きつけている。
ランベルトが言った。
「気を悪くしないでくれ。生物学ってのは案外、何でもない記録が大きな成果に繋がるんだ」
エマは気まずそうに頷いた。
同時にこんなことを思う。
(彼にとって、私は変わった生物でしかないのね……)
竜の時の方が、もっと可愛がられていたように思えた。
(竜に戻ったら、ユリウスはまた私を可愛がってくれるのかしら)
こんな姿になってしまった以上、以前の関係には戻れない。エマは暗澹たる思いを胸に秘め、ため息をついた。無論、それもメモされる。
「ああ、そうだ」
急にユリウスはメモをしまって顔を上げた。
「しばらくここで、人間らしい生活を送りたいと言っていたよな。君が暮らしやすくするために、屋敷を案内するよ」
エマは遠慮がちに微笑んだ。
「そう……ありがとう」
「いろんな場所をのぞきながら、今楽しめることを探そう。さあ、行こうか」
ランベルトが立ち上がったついでに言う。
「僕はいったん帰るよ」
「そうか……疲れた?」
「ははは。そうだね」
ランベルトは意味ありげにエマにウインクすると、部屋を去って行った。
執事とメイドも部屋を去って行く。
エマとユリウス、二人だけが残された。
「さてと」
ユリウスはそう気合を入れるように呟くと、エマの前にうやうやしく膝をついた。
「!?」
「今までの無礼を許してくれ、エマ」
エマは顔を赤くした。
(ユリウスったら、何よ。急に王子様みたいに……!)
「エマを見ていたら、好奇心が抑えられないんだ。これからもきっと度々そうなる。でもそれは悪い感情からじゃない。それだけは、先に伝えておきたかった」
許しを請うように彼から見上げられると、エマも悪い気はしなかった。
「そうだったのね……分かったわ」
色々傷ついたし誤解もまだまだありそうだが、エマは一旦、彼を許すことにした。
するとユリウスはほっとしたように立ち上がって、エマの横に立った。
「?」
エマが戸惑っていると、ユリウスは肘を突き出して来る。
「この国では、男女が一緒に歩く時はこうするんだよ」
エマはそれでようやく思い至った。
「ああ!腕を組んで歩くってことね?」
「……竜にそういう文化はない?」
「ふふっ。あるわけないじゃない」
エマはどきどきしながらユリウスの腕に手を添えた。
(そういえば……男の人とこうするの、生まれて初めてかも!)
エマは生まれて初めて腕を組んだ異性がユリウスだという事実を甘く噛みしめながら、部屋の外へと軽い足取りで歩き始めた。




