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Pandora  作者: アカイヒト
伝説再来篇
7/22

〜祈り〜

白い霧が漂う古い神殿。その奥に、一人の女性が静かに立っていた。


淡い銀髪と透き通る瞳。肌は雪のように白く、どこか人ならざる気配をまとっている。


彼女の名は――マリザ=サイネリアス。

別名、“聖女“。


天使信仰が根付くこの国で、彼女を知らぬ者はいない。


天使と人間の間に生まれた《ネフィリム》。

人と天の世界をつなぐ、唯一の存在だった。


「千年ぶりになんの用かしら?」

柔らかく微笑みながら、マリザが尋ねた。


「お前の神器で全部わかってんだろ。説明がめんどくせぇよ。それより――」

リートは顔をしかめ、ずかずかと歩み寄る。


そして、次の瞬間。


「いきなり攻撃すんな!」

マリザの頭をペシッと叩いた。


(……聖女だぞ!?)

クリウスは目を見開いた。


だがマリザは、まるで天使のような微笑を浮かべて言う。


「相変わらず乱暴ね、リート。」

「聖女様!」

クリウスが慌てて膝をつき、深く頭を下げた。


「私は聖アストリア帝国より参りました。現在、世界は悪魔の危機に晒されております。どうか、お力添えを!」


マリザは興味深そうに彼を見つめる。

「ふふ、真面目な人間ね。」

リートがぼそりと呟いた。

「どこが“聖女”だよ……。」


次の瞬間、空気が変わった。

周囲に漂っていた霧が一気に収束し、巨大な雲の巨人が形を成す。


その拳がリートを捉え――。


ドゴォンッ!


リートの体は遥か彼方まで吹き飛んだ。

地響きと共に、遠くで砂煙が上がる。


マリザは涼しい顔で微笑んだ。

「さあ、ようやく落ち着いて話ができるわね。」


(いや、落ち着けねぇよ……!)

クリウスは冷や汗を流した。


「マ、マリザ様。先ほども申した通り、我々アストリアは《パンドラ》の復活を目指しております。どうかお力を……。」


クリウスは懐から一通の封書を取り出す。

「こちらはカルライ陛下からのお手紙でございます。」


マリザは手紙を受け取り、しばし見つめた。

「手紙で頼むなんて……カルちゃんも偉くなったわね。」


皇帝を“ちゃん付け”することに、クリウスは思わず固まった。

「あなたの力がなければ、《パンドラ》の再結成は難航します。どうか――!」


マリザは微笑み、封書を胸にしまった。

「いいわよ。」


あまりに簡単に引き受けてくれたことにクリウスは面食らった。

「そんなアッサリと!?」


その瞬間、遠くから声が響く。

「おいコラァ!マジで一回殺すぞ!!」

土まみれのリートが、怒りながら帰ってきた。


「あら、あなたは私にたくさん借りがあるはずよ?」

マリザが微笑む。

「そ、それとこれとは別だ!」


リートはむくれながらも、マリザを睨んだ。

そんな二人を見て、クリウスは小さく首をかしげた。

(……どんな借りなんだ?)


「それでは一度、聖都に戻りましょう。陛下への報告もありますし。」

クリウスが促すと、マリザは右手を軽く掲げた。


すると、先ほどの雲の巨人がゆっくりと形を変え――馬車になった。

「歩くより速いわよ。」

「便利なもんだな……。」

リートは体の土を払いながらぼやいた。


「マリザ、その前に聞きたいんだが――今、生き残ってるのは何人だ?」

クリウスはピクリと反応した。

(《パンドラ》の団員のことか……?)


マリザは少しだけ目を伏せて答えた。

「私とあなたを含めて、五人ね。」

「五人……ずいぶん減ったな。」

「えぇ。長寿の者でも、戦いや病で命を落とした人が多いの。」


リートは腕を組み、静かに考え込む。

「ってことは……俺とお前、パンは確実に生きてるとして……ダイロスと、もう一人は誰だ?」


「ジェド=アーク。」

マリザがその名を口にした瞬間、リートの表情が凍りついた。

「嫌なのか?」とクリウス。

「……嫌じゃねぇけど、会った瞬間殺されるな!」

「何したんだよ!」

「覚えてねぇよ!」


マリザがくすりと笑い、馬車の扉を指さす。

「さあ、早く乗りなさい。聖都は遠いわ。」


こうして、三人を乗せた雲の馬車はゆっくりと浮かび上がり、聖都へと進み出した。


馬車の中はふわりと柔らかく、まるで風に包まれているようだった。

さっきまで巨人だった雲が人の姿になり、今は雲の馬を牽いて進んでいる。


淡い光が差し込み、空の中を進む音が心地いい。

リートはというと、マリザと同じ空間に居たくないのか、

馬車の天井の上に寝転がっていた。


一息ついたところで、クリウスが口を開く。

「マリザ様、次はどなたを探しに行くおつもりですか?」


マリザは窓の外を見つめながら答えた。

「んー……パンね。」

「パン様ですか? なぜパン様から?」

「近いから。」


(そんだけかよ……)

クリウスは心の中でため息をついた。

リートといいマリザといい、《パンドラ》という組織は皆こんな調子なのだろうか。


「ち、近い方が! いいですもんね!」

聖女相手に失言はできないと、引きつった笑顔で返す。


すると上から、寝転がったままのリートの声が降ってきた。

「こいつ、適当すぎるよなー?」

マリザは恐ろしいほど優雅な微笑みを浮かべ、右手をすっと上へ伸ばした。

その瞬間、天井の雲が勢いよく凹み――

ドガッ!!


「ぐおおおおっ!?」

リートの叫びが空に響いた。


クリウスは何も見ていないふりをして話を続けた。

「パン様とは、どんな方なのでしょうか?」


もちろん、名前くらいは知っている。《パンドラ》の伝説には欠かせない人物の一人だ。

「あなたはパンをどのくらい知ってるの?」


「“大樹林のパン”と呼ばれていて、植物を操る方……。悪魔との戦いでは大活躍したと聞いています。」

「そうね。さっき“近いから”って言ったけど、それだけじゃないの。」

マリザの表情が少しだけ柔らいだ。

「彼は《緑の民》なのよ。」

「緑の民……?」

クリウスは首を傾げる。

「そう、この時代ではもう存在すら知られていない種族。何億年も前から生き続ける、精霊に近い存在よ。」


マリザは指先で窓をなぞる。

「彼は多くを知っている。だから最初に会うべきなの。」

そして、ふっと笑みをこぼした。

「それに――彼はリートに礼儀や文字を教えた先生でもあるの。」


(礼儀……? 本当に教わったのか?)

クリウスは無意識にリートを見上げた。


「ヨッと。」

ちょうどその時、リートが窓から中へと入ってきた。

どうやら上は危険地帯だと悟ったらしい。

「パンか、懐かしいなー。」

リートは笑みを浮かべた。どこか嬉しそうな、子どものような表情だった。


「そろそろ着くわね。」

「もうですか!?」

クリウスは驚いて窓から外を覗いた。

雲の切れ間から見えたのは、懐かしい聖都の尖塔。

ほんの数時間しか経っていないのに、何年も離れていたような錯覚を覚えた。


その時だった。

――パリン。


音もなく、馬車の壁に亀裂が走る。

次の瞬間、雲の車体が一気に弾けた。

「な、なんだ!?」

クリウスは反射的に受け身を取り、外へと飛び出した。


目の前で、雲の馬が悲鳴のように霧散していく。

クリウスは急いで周囲を見渡した。


砂煙が立ち、雲の馬車が静かに消えかけている。

見上げた空の中、太陽を背にした“影”がゆっくりと降りてきた。

逆光のせいで姿ははっきりしない。ただ、肌の奥に刺さるような悪寒だけが確かだった。


「……上です!」

クリウスの声に、リートとマリザは同時に視線を上げる。

二人とも、すでに戦闘の構えを取っていた。


影が地上に近づくにつれ、輪郭が崩れていく。

ツノが生えた鳥の頭蓋を被ったような異形の顔。

腕と脚は人間のものだが、胴は黒い鱗で覆われ、背からは裂けたような翼が広がっている。


その存在は、見る者の理性を削るほどの“異質”だった。

砂の上に降り立つと、悪魔は唇のない口を開いた。


「……我は、ソロモン七十二の柱――第六十三序列アンドラス。」

低く、世界そのものを震わせるような声だった。


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