〜狼煙〜
「あぁーーーー……」
夜の帷が聖都デラークを包む頃、リートは机の上に寝転がり、退屈そうに大きなあくびをした。
「え……“聖女”を探さなくていいのか?」
向かいの椅子に座るクリウスが、眉をひそめて尋ねる。
「いやいや、クリウス君。今は“作戦を立ててる”ところだ」
寝転がったまま、リートは妙に真面目な顔をつくった。
「どこがだよ! ……てか、皇帝の協力も貰えたのに、なんで全騎士団で捜索しないんだ?」
クリウスはため息をつき、上を見上げる。
見上げた天井はひび割れ、雨漏りの跡がいくつも残っていた。
ここは城下町の外れにある、半ば忘れ去られた酒場。
埃っぽい空気の中に、古びた酒の匂いが漂っている。
「ここが拠点って……カルライ陛下、どんだけケチなんだよ」
ぼやくクリウスの隣で、リートはキセルをくるくると指で回す。
「捜索は他国にバレたらいけないからなぁ」
リートは天井を見たまま、気だるげに呟いた。
「なぜだ?」
「そりゃ、《パンドラ》は千年前、四大国が協力して作られた最強の組織だ。
そんなものをアストリアで再結成しようとしてるなんてバレたら――他の国が黙っちゃいない」
リートが上体を起こす。
一瞬、瞳の奥に燃えるような光が宿った。
「軍事転用でもされたら、世界が狂う。……それだけは避けたいんだ」
クリウスは黙り込み、考え込むように酒瓶を見つめた。
「でも、他の国が勘づくことはないと思うが……。
第一、千年前の団員が生きてるなんて夢にも思わないだろ?」
リートは口の端を上げ、にやりと笑った。
「甘いな。どこの国にもスパイぐらいいる。
この国で大きく動けば、周辺諸国の耳にすぐ届くさ」
「……だからって、二人きりってのは無茶じゃないか?」
クリウスは首をかしげた。
「これじゃ、国の協力なんて意味ないだろ」
リートはカウンターの奥から勝手に酒を拝借し、コップに注いだ。
「どうしても、マリザの居場所を最初に知りたかったんだよ、そのためにこの国の皇帝に会いたかった。」
そう言って、ぐいっと一口飲み干す。
「それに、見えないところで色々協力してくれてるさ」
「色々って?」
リートは懐から金色のペンダントを取り出した。
「まず、これ。帝国の紋章だ。これさえあれば、城内でも領主の屋敷や領地でも自由に通れる」
指先で紋章が光を反射する。
「それに――ここには二人しかいないように見えるが、
実際には城下の至るところに協力者がいて、情報を流してくれてる」
「なるほどな……」
クリウスは納得したようにうなずく。
「じゃあ、俺がここにいる理由は?」
リートは顔も向けずに答えた。
「話し相手が欲しかったんだよー」
「そんだけかよ!」
クリウスがすかさず突っ込む。
「それともう一つ、君に可能性をみたんだよ」
リートは笑いながらキセルをくわえ、火を灯した。
――嘘つけ、
「……で、なんで“聖女”マリザが最初なんだ?」
クリウスの問いに、リートは煙を吐きながら答える。
「あいつの神器アテナは、あらゆる術式や情報を解析できる。
誰が生きていて、どこにいるか――全部わかる。
だから、あいつさえ見つければ次が早いんだよ」
リートはふと窓の外を見た。
夜の街を渡る風が、静かにカーテンを揺らしている。
「……多分、今も俺たちのことを見てるだろうな」
「え? じゃあなんでここに来ないんだ?」
クリウスが驚いて天井を見上げる。
「さあな。あいつは気まぐれだからな」
リートは腰のベルトを締め直し、立ち上がった。
「――ま、会いに来いってことだろ」
キセルをポケットに差し込み、にやりと笑う。
「行くか」
二人は、軋む扉を押し開けて外に出た。
夜の風が、酒場の古びた匂いをさらっていく。
石畳の通りには、灯りを落とした露店が並び、
街角の路地裏からは、猫の鳴き声と酔客の笑い声が混じって聞こえた。
「で、どこに行くんだ?」
クリウスはリートの吐く煙を手で払いのけながら尋ねた。
「“神の眠る場所”だ」
「……は?」
クリウスは目を見開いた。
「何言ってんだ!? あそこは人が立ち入ってはいけない禁域だろ!」
リートは面白そうに笑い、煙をふっと吹きかけた。
「らしいな。でも本当は、“聖女”に会うため皇帝が代替わりの時だけ訪れる場所だ。
だから民衆が近づかないように“禁域”にしてるってわけさ」
クリウスは街灯の光を見上げながら呟いた。
「そうだったのか……。俺はガキの頃、あそこには化け物が住んでるって聞かされてたけどな」
「んなわけねぇだろ。古代じゃ、あそこは“聖域”だったんだぞ?」
「そんなこと、俺が知るわけないだろ」
クリウスはムッとしながら言い返した。
リートはひとしきり笑い、口を開いた。
「ま、細けぇ話はあとだ。――今から行くぞ」
「今から!? 朝まで待てないのかよ!」
「俺はじっとしてるのが嫌いなんだよ」
リートはそう言うと、夜風を受けながら歩き出した。
クリウスは心の中でため息をつく。
――やれやれ、こんな調子で毎回振り回されるのか……。
二人が城下町を囲む南門に着くと、リートは首にかけていた金のペンダントを取り出した。
帝国の紋章が刻まれたそれを、止まっていた馬車の御者に無言で見せる。
「“神の眠る地”まで頼む」
御者は短くうなずくと、馬車の扉を開け、二人を乗せた。
――本当に協力者がいるんだな。
クリウスは内心で感心した。
馬車がゆっくりと動き出す。
「こっからどのくらいかかる?」
「帝国領の最南端だ。半日ほどだな」
リートはうなずくと、いつの間にか酒場からくすねた酒瓶を枕に横になった。
「クリウス君、着いたら起こしてくれ」
そう言って寝息を立て始める。
クリウスはもう一度、心の中でため息をついた。
――大丈夫なのかこいつ……
二人を乗せた車輪の音だけが、夜の街に遠ざかっていく。
夜の街の音はいつしか聞こえなくなっていた。




