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Pandora  作者: アカイヒト
伝説再来篇
2/22

〜残火〜

さっきまで死ぬ覚悟をしていたのに、今はこうして自分の生まれ育った家で飯を食っている。

 

人生とは、まるで悪戯好きの神が描いた戯曲みたいだ。

 

——そう考える間もなく、目の前の男が口を開いた。

 

「なぁ、酒はないのか?」

 

鉄製のキセルをふかしながら、旅芸人がぼやく。

その煙は薄暗い囲炉裏の火に照らされ、赤く揺れて見えた。

 

「あぁ、今この家には置いてないんだ。近くの店も閉まってる。すまないが今日は諦めてくれ。」

 

俺はそう答えながら、視線を男に向ける。

 

この男——リート=ジン。

 

先ほど俺の命を救い、この村を地獄から引き戻した張本人だ。

 

悪魔を倒した後、避難していた村人たちが戻り、村はいつもの静けさを取り戻した。

 

だが俺だけはまだ、目の前の現実を信じ切れずにいた。

 

「えっと……クリウス君だったな?」

 

リートが煙を吐きながら尋ねる。

その煙は一瞬、炎のような赤を帯びて弾けた気がした。

 

「ああそうだ。先ほどは本当にありがとう。

正直……命を諦めていたよ。」

 

リートはニヤリと笑った。

 

「顔を見ればわかったよ。」

 

囲炉裏の火がパチ、と弾けた。

赤い光がリートの横顔を照らす。

 

その瞳の奥——一瞬、何かが燃えたように見えた。

 

* * *

 

夜が明ける。

 

昨日は命の恩人に礼を言い、リートを家に泊めた。

だが俺は一睡もできなかった。

 

対照的に、隣ではリートがだらしなく寝息を立てている。

大口を開け、豪快にいびきをかいて。

 

これが本当に伝説の騎士団の一員だというのなら、笑うしかない。

 

「んぉ? 朝か?」

 

目をこすりながらリートが起き上がる。

 

「よく眠れたか?」

 

そう俺が問うと、彼は悪戯っぽく笑った。

 

「お前こそ眠れてねぇ顔してるな、クリウス君よ。」

 

——まったく、憎めない男だ。

 

「少し話したいことがある。いいか?」

 

急に真面目な声色になり、リートが窓際の椅子を指した。

 

二人で向かい合って座る。

朝の光が差し込み、囲炉裏の煙がゆらゆらと揺れた。

 

しばらくの沈黙。

 

リートはキセルをくゆらせ、一息ついてから口を開く。

 

「昨日も言ったが、俺は《パンドラ》の一員だ。」

 

「確認なんだが、あんたの言う《パンドラ》って……

千年前、“英雄デラク”が率いていたあの伝説の騎士団のことか?」

 

「ああ、その通りだ。信じられねぇだろうがな。」

 

「たしかに信じ難い話だ。だが……」

 

俺は昨日の戦いを思い出す。

あの悪魔を一瞬で屠った男。

帝国騎士団の上位でも苦戦する相手を、だ。

 

「信じるだけの根拠をくれ。」

 

リートはニヤリと笑う。

 

「簡単な話だ。俺がまだ生きてるのは、人間じゃねぇからだ。」

 

「は?」

 

思わず声が漏れる。

 

「人間じゃねぇなら、なんなんだ?」

 

俺の顔を見て、リートは愉快そうに笑った。

 

「自然な反応だな。だが、話すにはちょっと順番がある。

……お前、“英雄デラクと魔王サタンの戦い”を知ってるか?」

 

「ああ、当然だ。千年前、人類を救った伝説の戦い。

知らない者はこの大陸にいない。」

 

リートは懐かしそうに目を細めた。

 

「あいつ有名になってんだな。」

 

“あいつ”と呼ぶその口調に、俺は息をのむ。

 

「まさか、お前——」

 

「サタンと戦ったのは、デラクだけじゃない。

あの時俺もいた。」

 

俺の顔に驚きの表情が浮かぶ。

 

「なんだって? そんな話、歴史には残っていない。」

 

リートは少しだけ笑い、そして低く続けた。

 

「あの戦いで、俺は死にかけた。

そこで悪魔と契約したんだ。

 

だから、天使信仰のこの大陸じゃ都合が悪かった。

教会の連中が、時間をかけて俺の存在を消したんだろう。」

 

「……なるほどな。筋は通る。」

 

俺は腕を組む。

 

「だが、なぜ千年も生きていられる? 悪魔との取引か?」

 

「取引ってほど綺麗なもんじゃねぇさ。」

 

リートは窓の外へ目をやった。

 

「俺は“同化”したんだ。悪魔と、魂ごと。」

 

キセルの先から、赤い火がゆらめく。

 

「つまり、俺は悪魔でもあり、人間でもある。

だから、寿命という概念が、もうほとんどねぇ。」

 

俺は呆然としたまま、口を開く。

 

「お前まさか……“炎の魔神”か?」

 

リートがこちらを向いた。少し驚いた顔だ。

 

「まだ、その名前残ってんのか。」

 

「ああ。《パンドラ》の伝承の中で語られている。

“炎を自在に操る魔神のような男”。

教会の古い教本にも、そう呼ばれていた騎士がいたのを今思い出した。」

 

リートは静かに息をついた。

窓の外で、朝の光が霧を照らす。

 

「そうか……消されちゃいなかったんだな。」

 

その言葉には、どこか安堵の色があった。

 

長い年月を経て、自分の存在がまだ世界のどこかに残っていた。

——その事実が、彼の胸に小さな灯をともしたように見えた。

 

そして静かに立ち上がり、扉の方を向いた。

 

「クリウス、俺は《パンドラ》の生き残りを探そうと思っている。」

 

え?

 

「何言ってるんだ。《パンドラ》は千年前の騎士団だろ?

あんたみたいなイレギュラーでもない限り、生き残りなんているわけがない。」

 

リートはニヤリと笑う。

 

「俺達は総勢で約八千人の騎士団だった。その中には俺以上のイレギュラーもいっぱいいたんだぞ?」

 

苦笑しながら言葉を出す。

 

「まじか……」

 

リートは肩から腰に巻いていたベルトを締め直し、

なぜか肩だけにつけていた鎧の一部もしっかり整えた。

 

「それでは聖都に案内してもらおうか。

今の皇帝に会いに行ってやるとしよう、クリウス君。」

 

彼のニヤリとした笑い方が、より深みを増した。

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