八節 蠢く騎士団と、ヘタレ副騎士団長の苦悩
私、兄上の『お姫様抱っこ』を生で初めて見ましたよ。
――しかも相手は敵国の姫。ほんの少し前まで剣を交えていたはずの人を、兄は躊躇なく抱き上げた。
さっき私は隣で優雅に座られる先輩に、米袋よろしくのお米様抱っこされましたが――。
それは一旦忘れましょう。
「朝比奈卿!?歩けますから!?」
長身の光さんでも、兄の腕では羽のように軽いらしい。
抱き上げた瞬間、兄の背景に黄色と青が混ざり合って困惑しているのが伝わってきたので、多分内心は『軽っ!?中身、詰まっていますか!?』って感情だと思う、たぶん。
凄い余談なのですが、私、兄より背は高いのにあまり大きく見えないらしいです。
母上曰く『背じゃなくて空気で負けている』そうです。母上、言葉って時には致命傷の武器になりますからね?
「胸元も切られたままでしょう。それにまだ身体は回復しきっておりません。――おとなしく私に抱かれなさい。」
お~っと、兄上、台詞の破壊力が過ぎる。
外野の『キャー』が天井を震わせる。袖の陰で絵姿をそのまま映し撮る魔写石の小玉が閃き、空気に浮いた念写魔法陣はぱちぱちと静電気のように弾けた。
誰です、ラメ粉を空調に流したのは?
彩眼が色に反応し過ぎて、流石の私も目が疲れました。
まあ、兄上の絵姿は高く売れますし――分かりますよ。
ですが兄上の抱かれる(語弊)お相手は敵国の捕虜とは言え要人です。
自重願いたい。
超本音を言えば、兄上と光さんの魔写石の写真か、念写魔法の動画、私にも売ってください。母上が買い取ります。
「兄上……どうせなら家に帰ってから言ってほしかったですね。母上たちの前で」
おっと、思わず願望が口に出た。
兄上が光さんを見事なお姫様抱っこで連れて行こうとしたので、付いて行こうと立ち上がった瞬間、隣の綾人さんがするりと手を掴んだ。
触れた掌に薄い紋様が一度だけ灯り、皮膚の下へ沈む。言葉が熱のかたちで滑り込んだ――。
『部屋を出たら、一度戻ってこい』
思念伝達魔法。わざわざ手を握って伝えてくるということは急ぎで伝えたいということだ。この手を使われたのは久しぶりなので驚いたけれども、ニコリと笑った。
綾人さんはこういうことを、面白半分だとかでやるタイプではない。
一度、兄と共に部屋を出て、兄が第二騎士団の執務室に着いたのを見届けた後に「馬車を呼びに行く」と伝えて貴族牢に戻った。
ちょうど綾人さんが部屋から出るところ。
その瞬間に部屋の入口で佇んでいた小柄な女騎士を見つけた。
その小柄な姿に思わず息を呑んだ。
兄と綾人さんの士官学校時代の同期の女騎士。
ある意味で、非常にお世話になった先輩でもある。
第一騎士団の三席の実力を持つ彼女は、綾人さんのデスクワーク嫌いのせいで実務処理要員なんて不名誉な呼ばれ方をするけれども剣術と魔法でもかなり優秀だ。
というか、兄の同期の優秀さは本当に類を見ない。
首席と次席を争い続けた兄と綾人さん。
この二人は異次元だが、三席をずっとキープし続けたのが彼女だった。
綾人さんがポンと栗毛の頭に手を乗せてから部屋を後にする。
綾人さんが歩いていく音が消えて、彼女がキョロキョロとしていたので、思わず気配を消した。
彼女が扉の割れた部分に手を触れた。
浮き上がった魔法陣。その色は白、いや言うなれば雲のような灰色で、見たことのないその魔法陣の色に目を奪われた。
それと同時に浮かび上がったのは歪んだような時計の数々。
「3時間前」
小さく柔らかな声が響いた。
その声が静寂に吸い込まれると共に、砕片が逆雨のように舞い戻り、木目が逆向きに伸びて扉を閉じた。靴の泥は砂時計を逆さにしたみたいに革へ吸い込まれていく。
それだけではない。
彼女の頬に少しばかり走っていた赤い筋。
今朝、彼女が騎士団員たちの喧嘩に巻き込まれた際についた傷だと知っている。それがするするっと回復魔法とはまるで違う塞がり方をした。その時に僅かに切れていた髪も長さが戻っていく。
砂ぼこりのせいで白く見える軍部用の編み上げブーツは綺麗な茶色へと戻っている。
何かが違う。回復魔法は肌の再生を促す魔法だ。
欠点を挙げるとしたなら身体の寿命を縮めること。
しかし、何故か彼女の周りの魔力はその動きをしていなかった。
彩眼ですら理解できない魔法に思わず自分の手のひらを見た。
見覚えのないあの魔法は多分、血統魔法の一つだろう。
言葉を放とうとした、瞬間に口を塞がれた。
驚いて振り返ればニヤッと笑う綾人さんが私の口を手で塞いで、シーというジェスチャーで唇の前に一本指を立てていた。
「完璧!」
そう呟いた彼女が自分の手を見て、一瞬だけ寂しそうな顔をした。
「9時間か……まあ朝起きたぐらいなら問題ないかな?」
その小さな声が響いてか小さな足音は私たちと反対側に向かって行った。
ツカツカと響いた足音が聞こえなくなったところで手が離される。
「どういうことですか?綾人さん」
少し苛ついた気持ちでそう尋ねれば、口角を上げて笑う綾人さん。
「いや、俺がアイツを手元に置いているのはアレが理由ってだけだ。折角だから奥手な昌澄に教えてあげようと思って、な?」
意地悪そうな顔で笑われるが、キレても、こちらの得はないので、目元を細め笑い返す。
たぶん、若干青筋が立っている気もするけれども。
「それだけではないですよね?」
「お~、流石は清澄の片腕」
そう言いつつも笑う綾人さんの目は親友の弟を見る目ではなく、第一騎士団の騎士団長として部下を見る目で見てきた。
「無理やりあいつを第一騎士団に引っ張り込んだせいで、2年連続のワガママ効かなかったらからな~。本当はお前も欲しかったんだけどな?」
その言葉に嘘はない。透き通るような青がそれを示している。
「はいはい、ごたくはいいです。本当の要件は?」
苛立ちを抑えきれずに、それでも笑顔を崩さずにそう尋ねれば、苦笑いをする綾人さん。
「そういう笑顔でキレるの、本当に清澄そっくりな。寒気がしてくる。まあいい。あの牢はすぐに使うことになる。」
「なるほど」
「ここからは清澄に伝えて欲しい機密だ」
いつもの明るさが一気に消え去り、真剣な顔になった綾人さん。
第一騎士団の騎士団長をこの若さで務める厳格さがにじみ出た。
咄嗟に防音魔法を張った。
「流石。」
「ありがとうございます。それで?」
「王立研究所から至急の知らせが届いた。」
そう言いながら差し出してきたのは手紙。受け取って後ろを見れば金印の封蝋。
「緊急伝令魔法」
王立研究所の金印は非常時の緊急伝達にだけ用いられる。
「その通り。非常にまずいことになった。」
そう言いながら綾人さんの眉間に皺が寄った。
「――『蝕毒』が、消えた。」
「は?」
いきなり言われた言葉を理解できずに、キョトンとしながら綾人さんを見た。
シンと静まり返ったその場には一切の雑音が消え去ったかのように感じた。
「消えた、とは?」
思わず漏れ出てしまった声は静かに消える。
綾人さんの色は、真実の青の底に煤の黒に近いような紫――信頼はある。
だが『何かへの不信』が沈殿していた。
「保管容器が破壊されていた。中からじゃない。外だ」
綾人さんの言葉に嫌な汗が流れた。しかし、彼が背に浮き上がるのは透き通るような青。その青が真実だと告げてくる。
「嘘では、なさそうですね。」
「ああ、事実だ。」
「それは……」
「その後の行方が知れない。完全に消息を絶った。」
私が聞く前に綾人さんは答えた。その言葉を聞いて真っ先に思い浮かべたのは光さんの身体から出て、結界魔法を叩きながら破ろうとしていた小さなあの触手のような姿。
タラり、と冷や汗が背を伝う。
「『蝕毒』が容器を破壊して逃亡した可能性は?」
春の国随一とも呼ばれる我が第二騎士団の結界魔法士が作ったあの結界ではなく、王立研究所の職員が作ったものであればその可能性もあるのではないかと思った。
綾人さんが浮かべた表情は芳しくなく、浮かべた色はまるで真冬の刃のように冷たい灰白。
つまりは『蝕毒』が自分で逃げるのはありえないということだろう。
「不可能だ。結界魔法士4人が作り上げて中からの衝撃には強くしたらしい。……それこそ俺の血統魔法で焼いても耐えられる強度だ。が、外からの衝撃は考えていなかったらしい」
「なるほど」
綾人さんの血統魔法の炎は春の国で最強と言われる魔法。それを耐えられるレベルにした保管装置から消えた。
何とも困った話だ。
王立研究所は第一騎士団が護衛任務をしている。
つまりは綾人さんの監督不行き届きということになる。
考えを巡らせていたところで綾人さんが口を開いた。
「研究員は出入り時に必ず魔法で変化がないか調べられる。それこそ食べ物ですら口にして腹に入っているかも魔法で判別される」
「それは知っているよな?」と確認するように聞かれる。もちろん知っていることなので頷いた。
「つまりは研究員が持ち出すのは難しい、と。」
「ああ――王立研究所の検査は『研究員にも容赦ない』。ただし例外はある。」
そこでハッとして綾人さんを見た。
ごく僅かであるが、王立研究所の監視魔法を除外される人間がいる。私は、震える声でその例外を口にした。
「第一騎士団――王立研究所の『迅速通行』」
『迅速通行』。春の国で一部の機密機関の出入りを制限しない王命による特別な権利。この権利を持つ者は騎士団で大連隊の指揮が可能な騎士に与えられ、所持するものは騎士団でもごくわずか。
我が第二騎士団には王立図書館の禁書目録の『迅速通行』が与えられている。
「その通り。第一騎士団の犯行かもしれないってことだ」
綾人さんの言葉に異様な寒気を感じた。
『第一騎士団の迅速通行』。
王立研究所の『迅速通行』は第一騎士団の中で指揮系統を持つ五席までの騎士に与えられる権限だ。
いざ、国や王都が落ちることになった場合、この五人のみ、王立研究所の破壊権限を持つ。
――情報漏洩するぐらいなら、全て無に返すための措置だ。
「確かに『迅速通行』ならば、ノーチェックで王立研究所に出入りできちゃう、という事ですね?」
つまり綾人さんや彼女を含めた第一騎士団の五席までの五名の中にその犯人がいる。
いや待て、五名のうち二名は停戦とは言え国境警備に人が必要で王都を留守にしている。
彼の言葉をまとめて行けば自ずと見えてきてしまうものがある。
図にしてしまえば単純明快だろう。
だとしたら――自ずと容疑者はたった一人に向く。
「疑うには早すぎるような気もしますが……」
「おいおい……ついさっき貴族牢ぶち破って、一条 光を襲いかけたのは誰だ?」
ぞわりと寒気がした。確かに先ほど光さんを襲ったのは第一騎士団の団員。あの同級生殿は五家の次男。いくら何でも五家の人間を唆すことが出来る人間は限られる。
「さっきの騒ぎ――あれは囮だ。『蝕毒』を出すための。」
光さんを襲わせたあの同級生殿は捨て駒だったとして、『蝕毒』を持ち出すメリットは何だ?
『蝕毒』をどうするつもりだ?アレはもともと光さんの体内にいて……傷の中に寄生していた。回復魔法を上回るペースで魔力を吸い上げ、そして回復させない呪いのような、生物のような、得体の知れないモノだった。
ただ、一つ違和感があった。
あの『蝕毒』は光さんがこちらの捕虜となってすぐではなく、少ししてから暴れ出した。まるで時限装置のように、それまでは全くと言っていいほど平然としていた彼女がいきなり血を吐いて倒れた。
その瞬間、急に『迅速通行』の考えが頭に浮かんだ。
『――情報漏洩するぐらいなら、全て無に返せ』
最悪な考えが浮かんだ。
「もしかして……狙われるのは『一条 光』」
「たぶん正解だろう。どうやら、わが国でも戦争を続けたい人間がいるようだ」
そう言われて少し悩んだ。光さんをあれほど求めた冬の国が光さんを殺すだろうか?という疑問が生まれた。
紅茶色の髪と橙色の目を見た瞬間、更なる『嫌な考え』というものが頭を巡った。
「なるほど。『一条 光』が亡くなれば、それをダシに侵攻してくる。ついでに冬の国側は光さんの代わりになる人物が手に入っている状態、ということですね?」
「流石。頭の回転が早いな。その通り、向こうは『香』がいる。つまりはこっちで『一条 光』が亡くなれば大義名分になる」
あの『蝕毒』を入れ込まれていたのは光さんを殺すつもりだったのか?
それとも時限装置的な意味合いで、敵の手に落ちるぐらいなら殺してしまえという事か?
ダメだ、思考がまとまらない。
「そう言う訳だ。アイツも『一条 光』の護衛に朝比奈邸に送る。清澄に伝えろ」
「ああ、つまり私は伝令役だったわけですね?」
「まあ、それもあるが、アイツの能力を見せておきたかったのもある」
口端を歪めて笑う綾人さんに沸々とした怒りが湧き上がるが、抑えろ、抑えろと自分に言い聞かせて笑う。というか、兄と言い、綾人さんと言い、余計なことはしないで欲しい。
むしろ二人が絡めば絡んだだけ、あの人は頑なになるんだから!
と叫びたい気持ちを必死で抑えた。
「あ、あの能力が何か気になったか?」
「……自分で聞きますので」
「ま、精々頑張れよ~。見合いを潰すんじゃなくて、正々堂々当たって砕けろ」
思わず綾人さんを見てしまった。いつもの兄の親友の顔に戻った綾人さんは、それは楽しそうに笑っていた。
「ちょ、ちょっと待ってください!?なんで見合いを潰したのを知っているんですか!?」
焦っていたのは認める。ついでに暴露したのも認める。
でも、バレないようにやっていたつもりのことを、簡単にも言われて驚いてしまった。
「いや、部下が見合い全敗記録を更新し続けたら流石の俺だって心配する。」
そこで「はー」と盛大なため息を吐いた綾人さんは残念なものを見る目で私を見た。
「さっさと捕まえろ。ヘタレ。」
そう言った綾人さんの言葉に茫然とした。
「……え、どこでバレたのですかね」
私の静かな言葉は防音魔法に吸い込まれた。
「さあな?まあ、明日にはアイツに指示出して朝比奈邸に送るから頑張って口説けよ?」
またニヤッと笑う綾人さんにイラっとしたのは仕方のないことだろう。そのまま彼はコツコツと靴の音を響かせながら廊下を歩き出した。
騎士団長の証たる長い外套がはためく。
その背を見ながら盛大なため息を吐いた。
ヘタレているつもりはないのだが、何せ兄と綾人さんのせいで、彼女は極度の五家アレルギーを発症している。どれだけストレートに伝えても『勘違いしませんから!』と胸を張って返答される私の身にもなって欲しい。切実に。
ただ、彼女を光さんの護衛とするのは逆に彼女を守る為でもあるのだろう。それこそ風が吹いたら飛ぶような末端貴族にあれほどの才能を持った才女が生まれてしまったのだ、嫉まれることも多い。
とりあえず、母親に伝令魔法をまた送ることにした。
『片想いの相手が屋敷に来るから手を貸して』
もう、なりふり構わず外堀から埋めてしまおう、と結構ゲスいことを思っていたけれども、怒りのせいだから仕方ないと見逃してくださると助かります。
そう思った瞬間にオレンジ色の魔力の伝令魔法は飛んで帰ってきた。
待って、送ってからまだ5分経ってないですよ?
『分かったわ!貴方の部屋に近い客間も用意しておくわね!孫は大歓迎よ!』
……話が急転直下で未来へ行った。母上の『迅速通行』、早すぎて困るのですが?




