八十六節 最期
『生きている』
静まり返った戦場に聞こえた声。
吉川団長の言葉に、私はやっと息をした気分になりました。
砂ぼこりが落ち着き、空気中の塵も吹き飛ばされたような戦場。
私も、兄上も、光さんも、綾人さんも、そして吉川団長も座り込んだまま茫然と前を見ました。
昆明の結界に無数の亀裂が入り、その分厚いガラスのような結界にへばりつくような多くの肉片。
血まみれのその肉片はずるずると地面に落ちて、パラパラと砂塵のように消えていく。
ハタと、自分の手が硬直したように動かないことに気が付きました。
右手を見れば、がっしり掴んだままの吉川団長と私。
彼の姿を見た瞬間、ボロッと、涙がこぼれ得ました。
「な!?ま、昌澄副団長!?大丈夫か!?どこか痛いのか!?」
焦ったように吉川団長が矢継ぎ早に聞いてくる。
ただ、安堵からか、ボロボロ出てきてしまった涙が止めることが出来ない。
「ああ、安心してください、吉川殿。昌澄は単純に安心しただけです」
「変わんねぇよな、昔かっらキャパオーバーの安堵すると急に泣き出すんだよ、コイツ」
呆れたような兄上と、綾人さんの言葉が響きます。
咄嗟に吉川団長の外套で涙を拭き上げます。
「昌澄、さすがに吉川団長のマントで拭くのはダメだよ?使うなら綾人のにしなさい」
「おい、俺のでも拭くな」
「どうせたくさん持っているでしょう?吉川団長のお家は八人兄弟で洗濯が大変なのですからマントぐらい貸しなさい、綾人」
「お借りします、綾人さん」
チーンと鼻をかむように、綾人さんのマントに涙(と鼻水)を擦りつけて、吉川団長を見ました。
浮かべている色が、緑やら、黄色やら、何というか、兄弟に向けるような色で少し驚いてしましました。
綾人さんが私の涙(と鼻水)を付いたマントを「ええ?」と困惑した顔で見ていましたが、もう気にしません。
「昌澄副団長、」
「昌澄で、結構です。吉川団長」
「ああ、昌澄副団長。」
「ですから、私は貴方より年下で、副団長です。呼び捨てで構いません」
私の言葉に驚いた顔をする吉川団長は何故か私の頭を撫でてきました。
ポカーンとした顔で彼を見れば、彼はハッとして慌てて手を引っ込めました。
「す、すまない!?弟にやる感覚だった!?」
「ああ、分かります。時々、急に弟の空気出してくるのですよね、昌澄は」
ニコニコ笑いながら兄上がそんなことを言いますし、兄上の横にならぶ綾人さんも笑いながら頷きます。
「昌澄、助けてくれてありがとう」
「いいえ、私は吉川団長を、見捨てようとしました」
馬鹿正直にそう言えば、驚いた顔して、そしてもう一度笑う吉川団長。
「それは俺も正しいと思う。あの場面なら俺を見捨てても誰も文句は言えない」
吉川団長の言葉に、兄上も、綾人さんも、そして光さんも頷いた。
「だが、昌澄は俺を助けてくれた。死んでも後悔はなかったけれどな」
私を慰めるための言葉だと分かっていても、最後の言葉だけは許せませんでした。
思いっきり顔を上げて、強い視線で彼を見ます。
第三騎士団の騎士団長――。
そして私と昆明の親友を奪った男。
「……私の親友」
私の言葉に、彼はビクッと肩を揺らしました。
ああ、覚えているのだ、彼も、ちゃんと覚えているのだと、ある意味で私は安堵しました。
「の、ような人間を出さないためにも。私の弟たちを守るためにも、死なないでください」
「……双子は殺しても死ななそうだが」
「……貴方の為なら、弟たちは身を盾にしてでも守るでしょうね」
私の言葉に、吉川団長はハッと息を呑んだ。
少し前から感じていました。
彼は本当に変わっていた。
だから、弟たちは彼を『団長』と呼ぶのだ。
「……そうならぬように、死なないでください」
「ああ、分かった」
吉川団長の言葉を聞いた私は笑いました。
……そして、何故か綾人さんと兄上も笑いました。
まるで阿吽のように、口を開けて豪快に笑う綾人さんと、口を閉じたままニコリと笑う兄上。
そして右から綾人さんと、左から兄上に肩を組まれた吉川団長。
「まあ、同期で同じ『団長』同士、これからは仲良くやろうぜ、『成哉』?」
「そう言うことで、ウチとも合同訓練いかがですか?『成哉』」
……吉川団長、セルフバイブレーションが双子に絡まれた時以上に凄いことになっておりませんかね?
ガクガクブルブルがその巨体に似合わないペースで発生しておりませんか?
「ふふっ」
その様子を見た、光さんが思わず笑みを溢していた。
「では、吉川殿。私からもありがとうございました」
そう言った光さんは吉川団長に頭を下げます。
吉川団長は少し恥ずかしそうに「いえ、自分の方が丈夫なので」と笑っておられました。
その他愛のない会話に安堵していた。
その瞬間に、光さんの目が急に大きく見開かれた。
まるでスローモーション。
急に。光さんに向かって、一人の剣士が、突っ込んできた。
剣が、光さんの首に向かってくる。
赤茶色の髪。
利き腕ではない左手。
真っ赤に染まった白い軍服。
ただ靡くだけの右手の袖。
業火色の赤い目が、真っすぐに光さんに向いている。
「朱子様!」
吉川団長の叫び声が、妙に綺麗に響いた。
その言葉に、朱子殿下の口端が綺麗な弧を描いた。
私も、兄上も、綾人さんも魔法を展開しようとして、魔力が無いことに気が付いた。
「光さん!」
兄上の声に反応した光さんは避けよとしたが、膝の力が抜けるようにバランスを崩した。
光さんの身体がゆっくりと傾く。
ハッとしたように息を呑んだ彼女が見た先は何故か兄上。
二人の視線が絡み合った瞬間、光さんは笑った。
逃げられないと悟った彼女は、諦めたように目を閉じた。
その穏やかな表情は死を覚悟した騎士そのもの。
ザシュっ。
誰もが動けない中、その音が響いた。
『ぎょあぁぁぁぁ……ひ、かる』
聞こえた奇声が、風に吹かれるように消えていく。
『お、れ……の、も』
「戦場で、油断する馬鹿が、あるか、」
そう言いながら、最期の力すら使い果たしたように崩れ落ちていった身体。
「朱子様!」
慌てるように、その身体を抱き締め、大事そうに抱えた吉川団長。
誰もが声を失う仲、朱子殿下が突き刺した剣の先に、小さな『蝕毒』のような塊がうごめいていた。
突き刺さった剣は朱子殿下の愛剣ではなく、昆明の愛剣。
ウネウネと最期の力を振り絞るような『蝕毒』もまた、風に吹かれるように消えていく。
「はっ、最期まで、執着しやがて……しつこい男は、嫌われる、よ、クズ」
ぜー、はー、と肩で息をする朱子殿下の顔は血の気を失って真っ青だ。
「でも、最期、ぐらい、私の、手で」
そう言った朱子殿下は吉川団長を見上げられました。
不敵な顔でフッと笑った彼女は、そのまま意識を失った。
慌てるように追いかけて来た昆明。
剣を奪われたのか、剣を渡したのか判別は付かない。
ただ、戦場に広がる静寂。
この国を揺るがす事件が幕を閉じたのを茫然と感じていた。




