八十一節 虚空の所有物
Side ??
憎い、ニクイ、にくい!
目の前で何が起きているか分からない。
自分の手足が自由に動かない。
これは、俺の身体なのか?
ならば何故、こんなに動けない!
何故、俺がこんな目に合わねばならない!
俺は皇族でっ、誰からも首を垂れられる高貴な男だ!
なのに何故!地べたに這いつくばり、言うことを聞かぬ身体にを動かさねばならぬ!
動こうとするのに、足の感覚はなく、代わりに揺れるのは垂れ下がった皮膚のような醜い肉の塊。
ドクリ、ドクリと心音は耳障りなほど頭に響く。
ゆっくりと見た先にキラリと怪しげに煌めく緑色の魔石を見た。
その魔石が俺の動きを奪っている。
なら、アレを取り込めば、俺は、動けるのでは?
ニタっと笑いながら手を伸ばす。
おおよそ手とは言えない形になっているが、その肉片の鞭のような手を伸ばし、シュルシュルと緑の魔石を包み込んだ。
ああ、動く!動く!
力が、湧き上がる!
歓喜に包まれる中、俺は上を見た。
白い軍服の女。
その女が妙に、俺の婚約者に似ていた。
正統な血統を持たず、父も母も持たない、娼婦の娘。
一条という、皇室血統に次ぐ高貴な血統の正統後継者と、身体を売り、誰彼構わず股を開く下賤の娼婦の間に生まれた女。
宵闇のような真っ黒い髪に、太陽のような金の眼を持つ女――
それが俺の婚約者、一条 光。
父より言い渡された婚約。
『初めまして、一条光と申します』
完璧と言わざるを得ない所作で、すっと顔を上げたその少女はふわりと笑っていた。
『ふん、それが『半端者の姫』か。見た目は良いではないか』
俺の言葉に一条の人間たちは怒り向けながらも口を閉じていた。
俺が何と言おうとも、コイツ等は俺に言い返すことが出来ないのを知っている。
それが身分というものだし、コイツ等は俺よりも下だ。
そんな優越感に笑った。
ただ、その一番前で着飾り、俺を視界で捉えながら、その太陽眼に写し込まない少女はスッと表情を消した。
俺を見ているのに、まるで空気を見るかのような視線を向ける女。
その女は婚約者である俺をジッと見つめながら、笑いもせず、無表情のままだった。
そこから始まったのは誰も彼もが『婚約者』を褒める毎日。
『光様は上級魔法を覚えられたそうですよ』
『若様はまだ中級に入ったばかりですのにね?』
侍女たちの嘲るような言葉に続いた笑い声。
クスクスとささやかな声が耳に反響する。
『光様が澪様から一本取られたそうです』
『剣術はお得意ではないと言っておられましたが、充分でしょう』
『そうですわよね。若様だって、光様から一本も取れないのに』
『光様はご謙遜でしょうが、若様の立つ瀬がございませんね』
またクスクスと笑い声が聞こえる。
だまれ――黙れ!!
『……我が息子ながら嘆かわしい』
『閣下。通常の子供であれば、若様は優秀な方でございますよ?』
『普通に優秀では凡才だ。圧倒的な優秀でなければ我が跡は継げぬ。
……まあ、分かり切っていたことだ。』
父の、諦めたような声が耳にへばりつく。
『だからこそ、無理矢理に『非凡』である一条家の嫡子を婚約者にした。息子が凡才でも、婚約者がフォローするだろう。現に、光は優秀だ』
父の死刑宣告に似た言葉が耳に遺った。
『血統しか婚約者殿に勝てない凡才』
『久豆則殿下が一条 光に勝てるのはソコしかないからそう謗るしかないのだろう』
『そう言う意味でも第一皇子殿下も一緒だな。婚約者ありきの次世代』
『媚びを売るなら殿下たちではなく、婚約者殿だな!』
あははは!と同胞たちの笑い声が耳に遺る。
『お前は!なぜ俺を敬わぬ!』
俺の怒号に目の前の女は表情も変えずに俺を冷たく見る。
黒髪、金の眼。作り上げられた一級品の彫刻のような容貌から蔑むような視線が向けられる。
『殿下――勘違いしておりますよ』
わずかに疲れた表情をかき消して笑う顔は、まるで作りこまれた能面のようだった。
『互いを敬うならまだしも、一方的に敬うなど
……あなたにそれほどのカリスマ性はありませんよ』
彼女の言葉に、思わず噴き出した何人かがいた。
怒りに任せて、そいつらを魔法で切り刻んだ。
風魔法は赤色に染まり、誰もが絶句していた。
『そう言うところがお義父上の気になさっている所ですよ、久豆則殿下』
そう言いながら、光は周りのものに治癒士を手配させる。
澄ました顔で、平然と俺に意見する。
『娼婦の子の癖に』
『それがどうしました?私は『一条の血統魔法』をもつ一条家の姫。誰もが認めていることです。殿下がどう言おうと、私は一条の姫です』
そう言い切った女は俺に背を向けて歩き出す。
後ろから風魔法をぶつけたが、彼女の従兄弟たちが簡単に防いだ。
忌々しい!
あの女の家の一条も!
あの女の従兄弟の鷹司も!
あの女の上司の篠宮も!
全てが忌々しい!
ドクリ、ドクリ、と耳障りな音が響き続ける。
煩い言葉の数々が鳴り止み、静寂に規則的な心音が続く。
ドクリ―、ドクリー。
――きゃはははっ!
楽しそうな笑い声が心音をかき消した。
――全部、壊せばいいじゃん。
頭の奥底で、声がする。
男とも、女とも言えない、そんな声は優しく俺に行ってくる。
――君は何にも悪くない。悪いのは君を正当に評価しない周りだよ?
クスクスと楽しそうに喋るその声は、子供のように無邪気だった。
そうだ、俺は何も悪くない!
周りが俺を正当に評価しないのが悪い!
歓喜の感情に包まれる中、スンと胸に影を落とすような父の姿が浮かんだ。
『凡愚は凡愚らしく、周りに任せるということを覚えよ』
逆に、酷く冷静で、呆れたような父の声。
いや、父上は間違っている!
俺は優秀なんだ!
――そうさ、君は特別なんだよ。
心地の良い声と、フフッと綺麗な笑い声が響く。
――さあ、怒りに任せて、全てを破壊しちゃいな。
急に湧き上がる力。
ああ、そうだ!
そうだ!
全部壊してしまえばいい!
あの女も!
あの一族も!
あの人間たちも!
「光さん、ご無事ですか?」
ふと、男の声が響いた。
金の髪の婚約者に似た女はフッと笑みを浮かべた。
俺の知っている能面ではない。
心を許すかのような、柔らかな笑み。
「大丈夫ですよ、清澄さん」
そう言いながら女は男が差し伸べた手を抵抗なく受け入れる。
頬に触れた手に、自分の手を重ねて、心地よさそうに魔力を浴びる女。
俺が触れようとしたとき、アイツは俺の手を振り払った。
なのに、アイツは頬に触れた男を、柔らかに見る。
――俺は絶叫した。
『触るな!それは俺のモノだ!!』
瞬間、身体に急激な魔力が集まっていく。
ずるずると重たい体を起こせば、視界が広がっていた。
そして俺の足元で、茫然と俺を見上げる男と女を見た。
呆然とする光を、咄嗟に抱きよせた男。
――渡すものか!
お前は俺のモノだ!
光は、俺の――蔵空院久豆則の女だ!
大きく振り上げた手はしなやかな鞭のように高く、広く伸びた。
誰かに奪われるぐらいなら、お前は俺が喰ってやる。
ド――――ンと響いた音は地面にめり込む、鞭のような俺の手の音だった。
俺が掴んだのは、虚空の――。




