七十六節 決別
Side 天翔宮 朱子
ずるっ、ずるっ、と肉がすれる音を背後に聞きながら、私は歩いて来た。残念ながら、十字が刻まれた右手に感覚がなくなっていく。
まるで氷漬けにされたかのように、手のひらの機能が停止してしまったらしく、指を動かすことも、握ることも出来なそうだ。
ただ、その視界の先で、肺を貫かれた百合を見た。
はじけ飛ぶように鮮やかに空に散りばめられた赤は綺麗な球体で地面に吸い込まれた。
口からこぼれ出た真っ赤な液体は、彼女が生きている証でもある。
そして百合の口は――綺麗な弧を描いていた。
「ざあ゛、だいに、ラウンド、よぉおお!」
百合の口から、歪な声が沸き上がった。
瑠璃子と同じく、思考を奪われないために、心臓ではなく、肺を貫かれることを選んだ百合。
苦痛を選びながらも、最悪の悪役の最高の幕引きだな、と自嘲する。
コロン、コロン、と落ちた赤黒い魔石。
アレが百合の魔石だとすぐに理解した。
そしてウネウネと身体から触手を伸ばす百合は、その黒に近い自分の魔石を触手が身体に飲みこませた。
「ざああ、どんどんぎなざいなああああ!」
言葉が崩れていく百合を見ながら、思わず自分の手を見た。
肉が抉れるように右手についた十字の傷。
そこに一度、唇を落としてみるが、痛みなど感じることはない。
分っていた。
この禁術を使えば、一番大切な部分を失う、と。
おおよそ、どこだか判別は付いていた。
剣を握る、右手。
手を握ろうとしても、力が入らず、だらんと手のひらが力なく下を向く。
なんだかんだ、私は剣を愛していたのだと思った。
でも、悪役らしく、最強で終わらないとならない。
だから、この手が動き続けてくれなければならない。
ポケットに雑に入れ込んだ濁った緑の魔石を手のひらに乗せる。
魔力を通せば、『ギョアア』と後ろの『蝕毒』が奇声を上げた。
「お前の役目は私の腕になること。最期に役に立て」
私の言葉に反応するように、ウネウネと形を変えた『蝕毒』は私の右手に巻き付いた。
感覚はないが、肩に寄生するように巻き付いた瞬間から、右手に血が逆流するような感覚が戻るような気がした。
確かめるように手を握れば、確実に握られ、そして開かれる。
その手で私は剣を抜いた。
両親から貰った大事な剣だ。
きらりとその光を見た瞬間、馴染のある魔力がこちらに向かってきた。
「朱子様!」
叫ぶようなその声の主が、迷うことなく私に剣を向ける。
初めて、彼が私をしっかりと見たような気がした。
嬉しいと思うと同時に、少し、悲しい気分にもなった。
「成哉、お前が私の相手か?」
そう言いながら、『蝕毒』に侵された手で、剣先を彼に向けた。
吉川 成哉。
私の婚約者にして、可愛い弟のような存在。
そして、私の――。
それ以上は考えないようにして笑う。
「朱子様!何故!」
そう言いつつも、成哉の向けてくる視線には迷いが無かった。
私をここで殺す覚悟を持っているということだ。
それでいい。
ニッと、いつものように笑った。
「何故?私の側で、私の私を見続けていたお前なら、理解できると思ったが?」
「出来ません!」
そう言いながら斬りかかってきた成哉の剣を剣で受け止める。
昔は相手にもならないほど弱かった。
でも、受け止めた剣は想像を超えて重たかった。
『蝕毒』の補助が無ければ、もしかしたら押負けたかもしれない。
「残念だ、成哉」
そう言って、剣を薙ぐ。成哉は反動で二歩後ろに下がったが、また剣を構えた。
「……何故、私もそちらに行かせてくれなかったのですか?」
成哉の、小さな声が耳に届いた。
戦場の煩さが一気に静まり返るような気がした。
けれども周りは戦闘を止めることはない。
私が、図星を突かれた所為だろう。
成哉、お前だけはこっちに来させたくなかったんだ。
百合だって、本当は連れて行きたくない。
でも、百合は守るものが少なすぎて、私と共に逝けてしまう。
でも成哉。お前は違うって知っているから、私はお前を捨てた。
「お前は来ないだろう?」
そう言って笑えば、成哉はまた斬りかかってくる。
ガキンッ、ガキンッと連発で金属音が鳴り響き続けた。
「ええ……ですが、止めました!」
お前が、そういう男と知っているから、言えなかったんだよ。
なんて思いつつ笑うしかない。
幸いしにして『蝕毒』に侵された腕は予想よりも動きが良い。
私が魔石を持っている限りは、クズは私を飲みこむことなく、命令に従うしかない。
何度も、何度も剣を打ち合う。
その度に響き渡る金属音は、どこか心地が良いような気がする。
もしかしたら、成哉はずっと前から、手加減して私の相手をしていたのかもしれない。
『蝕毒』で補助された手に、痛みというものが走る。
男と女は生まれながらに持つ者が違う。
屈強な身体。
欲しくても持てない物を持ちながら、私へ手加減していた彼の見えない優しさは毒だと思った。
「いつも手加減していたのだな、成哉!」
「いえ、手加減などしておりません!貴女を止めるために、いつも以上に力を出しているのです!」
ガンッと剣が弾かれた。もう一撃、剣を振り下ろそうとした成哉が見せた、一瞬の迷い。
その視線が『蝕毒』に侵された私の右腕に向いていた。
まるで、『蝕毒』とは言え、私の腕を切るのを躊躇うようで
――思わず笑ってしまった。
「甘いな、成哉」
成哉に向けて、炎魔法を放った。
私も、『秋里』の血を引いている。
秋里の業火ほどではないが、かなり強力な炎魔法の素養を持っている。
私と成哉を裂くように、炎が立ち上った。
「今の剣を振り下ろせなかったのは、失敗だな、成哉」
「……いいえ、そんなことはありませんよ」
見た先の成哉の顔が自信に満ち溢れていた。
まるで私に対して時間稼ぎでもしていたかのような……。
ヒュンっと空を切る音が響く。
突然、振り下ろされた音に、私は一息程、動きそこなった。
ザシュっと切りつけられた音が響いた。
赤く、湧き上がるその色は、青い空と正反対。
咄嗟に切り落とされる前に、横に逃げた。
じくじくと痛む右肩。
そこからまだ腕の感覚を失っていないのだと理解する。
そして――
その先に見えたのは、白の軍服に身を包んだ、冬の女騎士だった。
「どうも、こんにちは、『朱子殿下』」
ニヤリと笑うその白い軍服の女は、本来は漆黒の月夜のような髪を持つはずなのに、鮮やかな太陽のような髪で私の前に立つ。
あの男とは違って、その白い軍服が妙に似合っていた。
彼女に斬りつけられた右肩を抑えながらその姿を視界に捉えた。
「よく来たな、一条 光」
思わず、笑いたくなってしまった。
ボコボコと、叫ぶように腕を侵す『蝕毒』が動き出した。
そう言えば、『蝕毒』の婚約者だった、なんて思い出す。
「なんともまあ、役者がそろったものだ」
そう言いながらも、ちらりと見た先で、百合が無差別に騎士団の人間たちを攻撃し始めたのを確認した。
次から次へと騎士たちを淘汰する百合。
その触手は確実に急所を狙い始めた。
百合は思考を、奪われ始めたのかもしれない。
ふと見た瞬間、百合は無差別に攻撃しているのに、偲と千歳を避けているように見えてしまった。
そんなはずないのに、と思わず笑ってしまった。
お前がそこまで逝ったのだ。
私も、やらねばならない。
そろそろ、化け物への階段を上がろう。
左手に握っていた濁った緑の魔石に念じる。
ずるっ、ずるっ、っと触手を切られた肩まで這いあがり、ボタボタと落ちる赤は赤黒い肉に飲みこまれていた。
『蝕毒』に侵された人間が魔法を使えば『蝕毒』の侵攻を早める。
今の炎魔法は少々失敗だったかもしれない。
若干上がり始めた息を整えるために、一度、大きく息を吸った。
これで、本当に終わりだ。ここまでやったのだ、最期まで私は私の信念を突き通す。
「まあ、負ける気は無いがな!」
そう言って、私は精一杯強がることにする。




