七十節 親友
Side 一条 光
澪が叫ぶ声が遠のいていく。
ドクンッ、ドクンッと耳障りな心音。
真っ暗闇に見えるのはまるで小窓のような『共鳴者』の記憶。
最低だ。
人とここまで深い『共鳴』を起こしたのは両親が死んだ時以来だ。
落ちるな、落ちるな!
自分に言い聞かせているのに、意識が『共鳴者』に引っ張られる。
苦しい――まるで水の中で溺れているように息が出来ない。
ふと、もがくのを止めて、その闇に身を任せた。
そこで見えるのは静寂の世界。
まるで深層に落ちるように、私は目を閉じた。
ドクンと、最後の鼓動が耳に遺った。
ああ……そうか。
『蝕毒』は人間だったのね。
脳が処理しきれないほどの記憶が流れ込んでくる。
この人の名前は『川上 瑠璃子』と言うらしい。
母親は彼女を出産した時に命を落とし、そんな生まれである彼女を、父親は愛し育てた。
この人の父親は軍人だろう。
五歳を過ぎたあたりから父親は忙しくなったようだ。
白い軍服で、忙しそうに動く。
けれども夜になればこの人を抱き締めながら、彼女の話を聞いたり、自分の仕事のことは話したりとよく見る父娘の2人暮らし。
夜眠りながら聞かせてもらえる、凄い人――。
騎士団長という存在に、憧れた。
『私ね、騎士団長になる!』
幼い彼女の明るい声が響いた。
『なら瑠璃子、諦めるな』
父の優しい声が、彼女を笑顔にさせた。
闇に飲まれるようにその映像が崩れていき、場面が変わった。
どうやらこの人は学校に入学したらしい。
同級生の友達が出来たようだ。
二人。
片方は幼いが、見覚えがあった。
赤い髪の豪快な王女と、その付き人の銀髪の令嬢。
身分が大きく違うはずの二人と、彼女は友になった。
楽しそうに剣を握り合い、打ち合い、本気の勝負をする。
親友との鍛錬というのは、確かにこんな感じだ……。
私にも、こんな親友がいる。
闇に飲まれて映像がサラサラと崩れていった。
戦争だ。
凄惨な映像が目の前に広がる。
見る限り、全滅だろう。
ただ、彼女と、あと二人、生きている。
三人が入れられたのは、鉄格子を嵌められ、石で包み込まれた牢。
見覚えがある。たぶん、冬の国の王宮地下牢だろう。
『湯川隊長』
『瑠璃子、皆川、希望を捨てるな。帰れる、必ず』
彼女の不安げな声を、明らかに階級が違いそうな湯川と呼ばれる男が二人を慰めた。
『瑠璃子、お前を父親の所に返さないと、俺がお前の父親……敬に殺される』
フッと笑いながら湯川は彼女の頭を撫でる。
その手に撫でられ慣れていた彼女は何とか笑った。
幼い頃から父の次によく撫でてくれた父の親友でもある隊長の手は心地よかった。
しかし皆川と呼ばれた男はしかめっ面だった。
皆川……この男に見覚えがある。
視線をその男の手に向けた。
綺麗な手だった。何故手を見たか分からない。
何故か、手に特徴があったように思った。
ただ、どこで見たか、思い出せなかった。
映像が闇の魔法に触れたように灰となった。
『湯川隊長、川上……俺の為に死んでください!』
皆川と呼ばれた男が、湯川隊長と彼女を黒く禍々しい剣で心臓を突き刺していた。
心臓に突き刺された剣が形を変えて杭に変わった。
杭に変わった瞬間、皆川と呼ばれた男の右手の甲に赤黒い切り傷
……手の甲に十字の切り傷が出来ていた。
その杭はシュルシュルと二人の魔力を吸い込むようだった。
『これで、約束通り、生かしてくれるんだよな!?』
皆川、と呼ばれた男の言葉に答えた男は……いつものようにニヤリと笑っていた。
ただ、指一本動かせない彼女は思考が続いていた。
思い通りにならない身体でも、考えることが出来た。
『瑠璃子、諦めるな』
頭の片隅で……父親の優しい声が、聞こえた。
ブクブクと気泡のように闇が映像を消していった。
久々に青空を見た。
――殺せ、殺せ、殺せ!
頭に鳴り響くような命令の言葉に、彼女の心は抗い続けた。
『“やめて!やめてやめて!”』
彼女は甲高い声で叫び続けるのに、身体はいうことを聞かずに白の軍服を蹂躙する。
『“お願い、仲間を殺させないで!”』
叫ぶような悲鳴は奇声に変わる。
『“やめて!!”』
叫んでも、叫んでも、奇声のような声が続く。
気が付けば、周りはほとんど赤色だった。
同じように仲間が死んで、化け物になる。
どうしていいか分からなかった。
その瞬間、後輩だった男が、自爆しながら周り全部を葬り去った。
彼の自爆が回り全てを吹き飛ばして、その場所に血の海を作る。
なのに、自分は生きていた。
『ん?なんでコイツだけ生き残った?』
二人の男がこの様子を満足そうに見た。
私を見ながら言うのは明らかに高貴な人間だろう。
着ている黒い軍服の質が違う。
『ああ、これは川上を取り込んだ個体でしたね。川上は血統魔法で『分身』を持っております』
裏切り者の声が、耳にへばりつく。
彼女の視界が捉えたのは、黒の軍服に身を包んだ、皆川だった。
手には黒の手袋を付けていた。
『分身?実体も持てるのか?』
『ええ、彼女が二手に分かれて行動していたこともありますね。ソレで知識共有もできましたし』
『それは、さぞ便利な能力だな』
『ええ、彼女の父親も同じ能力を持っておりましたから、四団すべてに彼女の父親が分身で帯同し、各団の連携に利用されておりましたので』
『ほう。それはいいかもしれない』
高貴な男がニヤリと笑った。
その日から続いたのは、身を切るような地獄の日々。
彼女は分裂魔法を繰り返し指示され、自分の核を割ることをさせられた。
核を割るのは魂を割る行為なのだろう。
核が分裂するたびに彼女の思考が、だんだんと壊れていく。
それでも心の奥にささやかれ続ける優しい言葉。
『瑠璃子、諦めるな』
どんなに苦しくても、どんなにつらくても、その声が聞こえると彼女は思い出す。
――私は、川上 瑠璃子だと。
映像から溶け出した闇が身体にまとわりつくように吸い込まれる。
彼女の心はもう壊れていた。
でも、彼女はまだ思考を止めなかった。
飲まれてしまって、本当の魔物になってしまえばどれだけ楽だったか。
でも分かったことがある。
高貴な男が持つ『赤黒い魔石』が無ければ、自分の意志で、身体を動かせるという事。
そして、何度死んでも、『赤黒い魔石』に呼び起こされて悪夢を繰り返すという事。
だから、ちょっとずつ、彼女は秘かに意思を伝える手段を考えた。
文字だ――。
声は奇声になってしまう。
だから、文字を書いて伝えようとした。
でも、無理だった。
みんな、みんな、こんな奇怪な身体を見たら、剣を向ける。
斬りつける、そして食べてしまう。
ああ、もう、どうにもならないのかな。
『そうだ、閣下』
皆川と呼ばれた男の声が聞こえた。
黒の手袋が、妙に似合うようになっていた。
『なんだ?』
『私の母国から、閣下に協力したいとの話がございます』
『ほお、聞こう』
『ええ、王都に浮浪者がおりまして、戸籍も何もない邪魔者です。
コイツ等を『蝕毒』の餌とするのはいかがでしょうか?』
『ほう、春の国にも我らの賛同者がいるか。良い、会おう』
そうして彼らの元に来たのは、見覚えのある人間たちだった。
同時に、春の国がどれほど腐っているか、知ってしまった。
闇が映像を押しつぶす様に包み込んだ。
春の国の地下施設。
ここに何故か連れて来られた。
連れて来た白い軍服の男は―――。
『“お父さん!お父さん!瑠璃子だよ!ねえお父さん!”』
叫び続けているのに、私を持つ父は奇声を聞くたびに顔を顰める。
入れられた結界の容器に傷が付くほど叩くけれども、父は気づかない。
『“お父さん!お父さん!”』
『あんまり暴れないでくれ。……って、『魔獣』に何言っているんだ』
気付いてほしくて、容器に傷を付けて文字を書いてみたのに、父には容器の傷にしか見えないようだった。
でも、諦めたらダメだと必死に叫ぶ。
『瑠璃子の遺骨のためとはいえ……こんな魔物を盗まないとなんて……。』
呟く言葉に必死で『“騙されている!私の遺骨なんてない!ねえ、聞いてお父さん!”』と叫ぶのに、父はこちらを見ない。
『瑠璃子は死んでいるのに……なんでコイツを見て瑠璃子を思い出すんだっ!』
父が悔しそうに私の入る容器を見た。
その目に涙が浮かんでいた。
文字も書いている。バンバンと人ならざる手で容器を叩く。
『”ねぇお父さん!お願い!読んで!私の文字を見て!”』
必死で奇声で願うのに、父はそれから一切私を見なかった。
『皆川……。』
父の低く響く声が耳に残る。
あの日、私と一緒に捕らえられた皆川が黒の軍服で笑っていた。
黒の軍服も、黒の手袋も、違和感がないほど似合うようになっていた。
『約束通り、瑠璃子を返せ!』
『ふふっ、あはははははは!滑稽ですね、川上副団長!貴方は自分の娘を手に抱きながらそんなことを言うなんて!』
響いた声と共に、きらりと赤い光が光り輝く。
皆川の手に握られたのは赤い、魔石。
――殺せ、殺せ、殺せ!
鳴り響く言葉に泣き叫びそうになった。
『川上副団長……さあ、娘に食われて死ねばいい』
父は剣を構えて私を斬ろうとする。でもその剣に迷いが見える。
『“嫌だ、お父さんだけは食べたくない!おねがい、やめて!お父さん私を殺して!”』
必死で叫ぶ私の声が、奇声を放ち続ける。
でも触手が次々に父を攻撃していく。
『“嫌だ嫌だ嫌だ!”』
叫んでいた瞬間、父が斬ろうとしていた刃筋の先に、私ではない肉片が滑り込んだ
父が、剣を握ったまま、私ではない肉片に飲まれた。
私じゃない。でも、父が目の前で飲みこまれていく。
『ゆか、わ?……そうか、るりこ、ごめん、な』
父が飲まれながらそう呟いた。
コロンと、剣が落ちる。
優しげな表情の父は、その手を伸ばして、私の手とも言えない触手を撫でた。
『はっ!娘じゃなくて、親友に飲まれたのですか。下らないですねぇ』
絡みつくような皆川の言葉に、私じゃない肉片が、湯川隊長だと気がついた。
どう見ても……その肉片には殺戮の指示は出ていなかった。
父の親友――湯川隊長も、私と同じように思考があるならば、もしかすると湯川隊長は、私に父を食べさせないために……。
涙なんて出ないのに奇声を上げ続ける。
お父さん、湯川隊長、ねえ、どうしたらいいの!?
もう、どうしていいか分からなかった。
波が引くように映像が飲まれた。
緑色の視界。
静寂と時折コポコポと空気の入る音。
培養器のようなものに入れられ、液体の中で私は目を閉じていた。
目もあるか分からないこの身体で視界が開かれた。
『……なんでだろう、コレを見ていると瑠璃子を思い出すんだ』
聞こえた声に、思わず培養器を叩いた。
ビタンッと触手の手が、培養器のガラスに張り付く。
『うわっ!』
『朱子、変に近づかないでちょうだい。あと、瑠璃子が……ああ、なるほど。魔力の波形が似ているのね』
懐かしい二人だった。
朱子と百合子。
親友二人が、目の前にいた。
『でも本当に、ここが『冬の国』の実験施設なのですか?』
百合子が訝し気にそう言った。
『多分ね。ここで川上副団長が消えた。冬の国の『間者』が言うのに嘘はないよ。』
『じゃあ、瑠璃子の遺骨の話は嘘だったってことですの?』
『まあ、そうなんだろうな……クソっ!やっぱり裏切り者の話なんて乗るべきじゃなかった!瑠璃子の父親まで巻き込んでしまったっ!』
ドンっと悔しそうに朱子が培養器を叩いた。
もう、賭けだ。
触手になってしまった手で、培養器に文字を書いてみた。
滑るような粘液が、ガラスに張り付いて線となった。
『“私の名前は川上 瑠璃子”』
奇声を上げながら、文字を書いた。
最初は剣を構えた二人が、文字を見て目を丸くした。
『瑠璃、子?』
朱子が戸惑ったような声を上げた。
『コイツ、思考まで持っているのですか!?』
百合子が焦ったようにそう言った。
二人とも、剣から手を離さない。
『……いや、もし、君が瑠璃子ならば、私の本当の名前は知っているかしら?』
百合子がゆっくりと尋ねた。
『“百合”』
奇声と共に書いた字に、朱子と百合子が顔を見合わせる。
『なら、私が在学中に壊した大切なものと言えば?』
朱子の言葉に、士官学校時代を思い出す。彼女が唯一、壊した中で泣いた物はあれしかない。
『“昆明殿下の結界魔法が付与されたネックレス”』
『それを壊した事実は私と百合子と瑠璃子しか知らないからな』
懐かしそうに、朱子はそう言った。
私は可能な限り、文字を書いて二人に伝えた。
皆川が生きていること。
春の国の裏切り者が多くいること。
私を『兵器』に変える餌に王都の浮浪者が使われていること。
朱子と百合子に知りえる限りの裏切り者の名前を書いた。
二人は何とも言えない顔をしていた。
『なあ、瑠璃子。お前は戻れるのか?』
朱子の言葉に×のジェスチャーをした。
戻れないのは自分が一番分かっている。
『“お願い、あの魔石を破壊して。そうすれば、私は死ねるはず”』
私の願いを、二人は何も言わずに頷いてくれた。
分かるわ……私も親友がそうなったら必ず殺す。
『“ありがとう”』
その奇声が、二人に届いたかは――わらからない。
ああ、黒が、渦巻くように映像を溶かしていく。
彼女と私が混ざるようだ。
赤い光が私を従わせる。
『殺せ、殺せ、殺せ!』
と憎悪に満ちた声が頭に響き続ける。
ああ、人間を殺さないと――。
頭にそう浮かぶと同時に口の中に、水が注ぎこまれるような感覚。
苦いものを水が流し込むような清涼感が口に残る。
瞬間、身体に満ち溢れそうになった憎悪が、綺麗な水に流されるように薄まっていく。
まるで先ほどまでの苦しみが嘘のように、楽になる。
ああ、『共鳴』してしまったのだ。
『共鳴』は相手の負の感情に引っ張られ、その人の感情、記憶と同化してしまう血統魔法の副作用。
『共鳴』が解けて、自分が誰かを理解し、状況を理解できた。
重たくなった目を開けた。
瞬間に、今何が起きているのか分かった。
身体をめぐるように、自分のものではない魔力が循環する。
同時に酸素が送り込まれるようで、カハッと息を吹き返した。
「ちょっ、清澄さんっ!もう大丈夫です!」
ハッとしたようにその胸を押して、距離を取らせる。
目の前の彼はニコリと笑う。
彼のおかげで、私はどうやら『共鳴』であの人の感情に飲みこまれずに済んだ。
「すみません。手加減なしでしたが、大丈夫でしたか?」
「え、ええ。おかげさまでっ!」
楽しそうに笑う朝比奈 清澄を見上げながら、バクバクと違う意味で上がった心拍数を落ち着けようとする。
自分の魔力ではない人の魔力が自分の身体を駆けめぐるのが、自分の身体であるのに、自分の身体ではないようなむず痒さ。
あまりの違和感に、腕で自分の身体を守るように包み込んだ。
これは救命措置と分かっていながらも、面白そうに笑う彼を見て、
重なっていた唇を拭っても、悔しさを拭うことは出来なかった。




